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Sunday, 20 June 2021

『演劇』The Amazing Celestial Race(天界のアメージング・レース)--- Wild Rice(ワイルド・ライス)公演

 2021年3月13日

「The Amazing Celestial Race(天界のアメージング・レース)」--- 皆大好き招き猫

製作国: Singapore

カンパニー: Wild Rice(ワイルド・ライス)

演出: Glen Goei(グレン・ゴエイ)

台本: Dwayne Lau

作曲: Julian Wong

出演: Victoria Chen, Tia Andrea Guttensohn, Dwayne Lau, Andrew Lua, Audrey Luo

見た場所: The Ngee Ann Kongsi Theatre (Wild Rice @ Funan)

 

 COVID-19のパンデミック以降、初めて劇場に行った。Wild Rice(ワイルド・ライス)による、彼らの劇場での公演である。2021年3月時点で市中感染をほぼ押さえ込んでいた(今は違う)シンガポールだが、エンターテインメント公演に対しては緩和されたとはいえ(今は違う)まだ厳しい。観客数も舞台に上がれる人数も限られている。政府の提示する様々な要件をクリアしての公演になるわけだが、そうして公演にこぎつけた作品が、この「The Amazing Celestial Race(天界のアメージング・レース)」である。十二支があの十二の動物になった昔話、神様がどの動物が一番早く自分のもとに辿り着くかを競わせた、というお話をファミリー向けミュージカルにしたもの。神様主催で動物達が競争をするというのは、日本に限らず広く親しまれているお話らしい。シンガポールでは、中華系の人々によって春節がチャイニーズ・ニューイヤーとして祝われ、この春節が干支の変わり目ともなっている。ちなみに2021年のチャイニーズ・ニューイヤーは2月12日であった。

 


 前述したように、公演ができるようになったとは言っても、条件は厳しい。普通なら一人芝居か二人芝居の会話劇を上演しそうなところを、ミュージカル上演を行おうというその心意気に感心する。カンパニーの財政的にそれが可能だったという面もあろうが、それにしても358席のうち半分以下の観客しか入れられないため、約90分間の公演を、平日は夜に2回、週末は一日3回行うという、これまでシンガポールで見たことないような公演形態だった(公演期間は一ヶ月。ちなみに月曜はお休みだったと思う)。一度に大人数を入れられない。でもチケット代をむやみ上げたくはない。となったら、少しでも利益を出すためには回数を増やすしかないのだ。

 

 2019年にワイルド・ライスの本拠地となったこのThe Ngee Ann Kongsi Theatreに行ったのは、今回が初めてだった。IT関連のお店が集まるショッピングモールとして親しまれていたFunan Mallが、再開発後にヤングアダルト向けのレジャー設備を備えたおしゃれモールに生まれ変わったのだが、ワイルド・ライスの劇場はその4階に入っている。大きくはないが、中央の舞台を客席が取り囲む形の劇場で、ロンドンのシェイクスピアズ・グローブ風の立派な円形劇場である。と思ったら、ストラトフォード=アポン=エイヴォンにあるロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのスワン・シアターにインスパイアされたデザインらしい。いい感じの劇場で、久しぶりに劇場を訪れたこともあって、わくわく感が増した。


劇場の入口
 

 出演俳優は5名のみ。十二支の競争のお話なのだが、一度に舞台に立てるパフォーマーは5人までなので、5人でやりくりする選択肢を取ったのだろう。実際のところ、十二支だけではなく、猫、天界の玉皇大帝やそのお付きの者達、レースを実況中継する鳥達、村人と、登場人物は結構いる。その全てを、5人の俳優達が早変わりで次々と舞台に登場し、それぞれのキャラクターを演じ分けることでこなしていくのだ。ミュージカルなので、5名で編成されたバンドと2名のコーラスの名前がプログラムには載っているが、客席から彼らの姿を見ることはできなかった。しかし、(定かではないが)生演奏であるように思われた。

 

開演前の舞台

 動物達が全員揃っているべきレースのスタート場面やコース途中の村での火事(があるのだ)の場面は、背後のスクリーンに投影される影絵芝居で表現される。そうかと言って、スペクタクルなシーンを全て影絵で凌ぐわけではなく、川の波頭が舞台床からせり出して動き、龍が舞台を巡って(実際に天井から)雨が降る。龍が舞台に登場するというのは、龍役の俳優とは別に、大きな龍の模型を何人かが下から棒で支えて操るという、春節のお祝いにあるような出し物が一度出て来るのだ。例年、シンガポールの職場でもショッピングモールでもどこでも、ライオンダンス(獅子舞)が見られるものだが、もちろん今年はそういうイベントが控えられていたので、なんかいいものを見た気がした。また、蛇や鳥などはパペットが使われているのだが、そうした小道具のデザインも美しい。大がかりな舞台装置はなかったが、贅沢な舞台だったと思う。

 

 十二支と猫は、5人の俳優達によって個性豊かに演じ分けられている。例えばTikTokガール(TikTokガールというのは私が勝手に言っているだけ。本来はTikTokerと言うべきなのだろう。)の兎は随所で明るく「Challenge!」と叫び、馬は女(馬だから牝と言うべきか...)でもレースに勝つことができることを証明するのだと張り切る。このように現代的な味付けがされているキャラクターもいるのだが、私が好きだったのは牛。チャイニーズ・シンガポーリアンの訛りの英語を話し、時々中国語で何かぼやくが、何を言っているのかわからない(しかし、あえて説明も字幕もない)。可笑しかった。私の記憶にある十二支の昔話どおり、やはり鼠は狡賢く(賢いとも言うか...)、そしておっとりした猫は鼠に騙されたわけではないのだが、もちろん十二支から漏れてしまうのだった。しかし、この作品は楽しいファミリー・ミュージカルである。このまま猫だけ仲間はずれになったりはしない。というわけで、紆余曲折あって、火事にあった村の宝物を結果的に守った猫は、玉皇大帝に褒められて、特別の栄誉を授けられる。玉皇大帝いわく

 「今後、幸運と富を祈ってお前の姿があらゆる商店や家々に飾られるであろう。」

 ———「Lucky Fortune Cat」!、招き猫の誕生!招き猫の由来を勝手に創作した!このオチがまた可笑しかった。

 

 たまたま大変良い席で見たが、出演者全員、はりきって歌い、きびきびと踊り、熱演であった。こちらも同じようなことを思っているせいでもあろうが、舞台ができることの喜びが前面に溢れていると、感じさせるような公演だった。久しぶりに劇場の椅子に座り込んで、楽しかった。シンガポールでは2021年5月になって、これまで緩和されてきた規制がまた強化し直されている。劇場が完全に開く時が、早く来てほしいものである。

 

 ちなみに、中華系の文化では十二支のいのししは豚である。なので今回のミュージカルでも、登場するのは太った豚だった。さらに、羊も山羊であることが多い。日本ではひつじ年に山羊の絵柄が描かれることはないだろうが、シンガポールでは山羊の絵柄もよく見る(そもそも羊と山羊をあまり明確に区別していないようにも思える)。しかし、羊=山羊のことはすっかり忘れてしまっていたので、この公演の間中、登場人物の中に山羊がいるのをずっと不思議に思っていた......。(2021年6月4日)


真ん中右端の羊年の絵柄は山羊

Sunday, 29 September 2019

『演劇』Taha(タハ)--- シンガポール・インターナショナル・フェスティバル・オブ・アーツ


201854
Taha(タハ)」———Singapore International Festival of ArtsSIFA
国: パレスチナ
演出: Amir Nizar Zuabi
作: Amer Hlehel(アメル・レヘル)
出演: Amer Hlehel(アメル・レヘル)
見た場所: KC Arts Centre

 Singapore International Festival of ArtsSIFA、シンガポール国際芸術祭)のプログラムの一つ。イスラエルのハイファを拠点とするパレスチナ人俳優、Amer Hlehel(アメル・レヘル)作、出演による一人芝居である。1931年にパレスチナのガリラヤ地方(現在はイスラエル領)に生まれ、2011年にイスラエルのナザレで亡くなったパレスチナの詩人、Taha Muhammad Ali(タハ・ムハンマド・アリ)の生涯を描く。


 舞台にはベンチが一つと書類カバン。装置と小道具はそれだけ。アメル・レヘル演じるタハが登場すると、次のように観客に語りかける。
 「容易なことは何一つない。」


 そして物語は、彼の生まれた頃の時代に遡る。赤ん坊の誕生を、彼の両親や親族は祝った。しかし、その子は間もなく死んでしまった。その後、また彼の母親は出産した。また彼の両親や親族は祝った。しかし、やはりその子も間もなく死んでしまった。タハが生まれた時、誰も祝わなかった。またこの子も死んでしまうに違いないと、あきらめたからである。しかし、この成長することを期待されないで生まれた子は、生き延びた。・・・と、書くとなんだか重々しいが、実際に演じられるのを見ると、このリピートされるエピソードが可笑しい。生と死の間にある皮肉とユーモア。

 貧しい家に生まれたタハは、子供の頃から商いでお金をかせいで家計を助けた。その一方で、詩が毎日の生活の喜びであった。しかし、第二次大戦後の1948年、第一次中東戦争が勃発。難民となり、家族とともにレバノンに逃れた。タハが17歳の時である。そして一年後、父の独断で家族は故郷に戻った。しかし、故郷の村、ガリラヤ地方のセフォリス(またはアラビア語でSaffuriya)は、すでにイスラエル領になっていた。もはや戻ることはできなかったため、結局ナザレで土産物店を営むこととなった・・・。彼と同じく難民となり、そのままレバノンに留まって結婚してしまった初恋の相手(彼の従姉妹だった)。折り合いの悪かった父の死。様々な困難の中、結局詩を書くということが、タハが生きるために必要なことであった。ラストでは、イギリスで開催されたアラブ詩人の集まりに招かれて、自作の詩を朗読した時のことが語られる。カバンを引きずったタハは、持って来たはずの詩の原稿が見つからず、パニックになる。そんな滑稽な状況で彼が読む詩は、「Revenge(復讐)」。余計可笑しい。この詩の大まかな内容は、父を殺し、家を破壊し、自分を迫害した人間に復讐をしたい。しかし、もしも彼に彼を失ったら悲しむ人がいるのなら、彼を殺さないだろう。もしも彼が人々から切り離された、孤立した人間だったら、彼に注意を払わず無視することが、自分の復讐だ。というものである。作品は、朗読後の聴衆の反応を語り、そこで終わる。ちなみに劇中、タハの詩がアラビア語のままいくつか織り込まれているが、この「Revenge」は英語で語られている。

 パレスチナの歴史をにじませつつ、苦労の多いタハの一生を語って、アメル・レヘルが熱演。タハは生きることに苦闘する中で、詩作に生を見いだした。戦争のために人並みはずれた苦労を背負い、失われた土地を嘆く一方、バイタリティを持って生きるタハの姿は、見る者に勇気を与える。この作品は宗教的でも政治的でもなく、一人の人間の人生の闘いを描いている。だからこそ戦争の不条理さが感じられるが、しかし、タハの苦闘は涙を誘うものではない。そこが良かった。「容易なことは何一つない」人生を語っているにも関わらず、どこかユーモラスで、不思議と明るい作品だった。

プログラムより。タハを演じたアメル・レヘル

 会場だったKC Arts Centreは、Singapore Repertory TheatreSRT、シンガポール・レパートリー・シアター)の本拠地。席の列と列との間隔は狭いのだが、座席から舞台の近い、良い劇場だった。芝居の内容が内容なので、一般的なマレー系のお客さんも結構いたけど、SRTの客層というのはSingapore Tatler族だなーと思ったのだった。(「Singapore Tatler」はイギリスの雑誌「Tatler(タトラー)」のシンガポール版。アッパーミドル以上の人々のための、ライフスタイルマガジン。)私の偏見なんだけども。2019727日)

KC Arts Centre

Sunday, 15 September 2019

『演劇』1984(1984年)--- シンガポール・インターナショナル・フェスティバル・オブ・アーツ


2018428
1984(1984年)」———Singapore International Festival of ArtsSIFA
国:  イギリス、オーストラリア
原作: George Orwell(ジョージ・オーウェル)
演出: Robert Icke(ロバート・アイク), Duncan MacMillan(ダンカン・マクミラン)
出演: Tom Conroy, Terence Crawford, Rose Riley
見た場所: Esplanade Theatre(エスプラネード・シアター)

 2018年のSingapore International Festival of ArtsSIFA、シンガポール国際芸術祭)、メイン・プログラムの一本である。この2018年から、Theatre Works(シアター・ワークス)のOng Keng Sen(オン・ケンセン)に代わり、The Singapore Repertory Theatre(シンガポール・レパートリー・シアター)のGaurav Kripalani(ガウラ・クリパラ—二)がフェスティバル・ディレクターに就任した。新しいディレクターの元、まず日程が89月から45月に変わった。これは、毎年4月後半から5月にかけて開催されているChinese Film Festival(チャイニーズ・フィルム・フェスティバル)と完全にスケジュールがかぶっているので、正直迷惑だった。いや、映画を見に行く人は、普通演劇は見に行かないのかもしれない。しかし、SIFAには映画上映のプログラムもあるのだけど。それはともかく、プログラム自体は、オン・ケンセン時代の、演劇やダンス、コンサートといったジャンルの枠を越え、表現形式そのものから前衛を志向していたような作品群に比べ、よりオーソドックスなものだった。しかし、比較的オーソドックスな表現形式を持ちながらも、社会的でかつ重いテーマを取り扱った作品が多かった、という印象。メイン会場であるエスプラネード・シアターでのオープニングがこの「1984」なら、クロージングはドイツのSchaubuhne Berlin(ベルリン・シャウビューネ)による、ヘンリック・イプセンの「民衆の敵」。どれだけ観客を嫌な気持ちにさせれば気が済むんだよ、と思った。(もう「民衆の敵」は見に行かなかった。)


 この「1984」は、ジョージ・オーウェルが1949年に発表したディストピア小説「Nineteen Eighty-Four1984年)」の舞台翻案作品である。ちょっとややこしいのだが、今回上演された作品は、元々ロバート・アイクとダンカン・マクミランが台本、演出にあたったイギリスのHeadlong(ヘッドロング)、Nottingham Playhouse(ノッティンガム・プレイハウス)、Almeida Theatre(アルメイダ・シアター)のプロダクションだった。それをオーストラリアのState Theatre Company of South Australia(ステイツ・シアター・カンパニー・オブ・サウス・オーストラリア)がオーストラリア・キャストで上演したバージョンである。と思う。

 鑑賞に先立って、原作の日本語訳を読み始めたのだが、当日までに読み終わらなかった。そのため、主人公ウィンストン・スミスの運命を知らないで見に行ったのだが、まぁー予想通り嫌な話だった。

SIFAのプログラムから(上の写真も同様)

 作品は、現代の市民達が読書会(?)でウィストン・スミスの日記を読んで議論しているというシーンから始まる。この現代の枠の中に、原作通り、「ビック・ブラザー」率いる党による1984年の全体主義的社会と、党の真理省に勤務する一党員ウィストン・スミスの生活が描かれている。昔ながらの羽目板張りの部屋、コミュニティ・センターの図書室のような所で話し合っている男女が、1984年の世界の登場人物をそれぞれ演じている。現代から1984年に移っても、セットは同じで登場人物達の服装も基本的には同じ。部屋のセットの上半分にはスクリーンがあり、最初はそこにウィストンの日記が投影されている。1984年の物語の後、また現代に戻って作品は幕となる。この現代の枠組みは、原作にある附録「ニュースピークの諸原理」が過去形で描かれていることから想を得たものかもしれない(ニュースピークは、党が考案した新英語で、これまでの英語に変わるもの。党の奉ずるイングソック(イギリス社会主義)以外による思考様式を不可能にするよう、単純化された英語)。それはともかく、1949年にジョージ・オーウェルの描いた未来世界を現代の我々と結びつけて見てほしいという、作り手側の思いであろう。しかし、私個人的には、この現代シーンは若干蛇足だったのではないかと思っている。

 さて、装置や衣装が変わらないということは、どちらかと言えば居心地よく見える部屋や、シャツにズボン、スカートといった普通の服装で1984年のシーンが演じられるということである。それは、一見快適に見えても、水面下で全体主義のような事態が進行しているかもしれないという現代に呼応させているのかもしれない。しかしその一方で、ウィンストンがなぜ党の支配に疑問を持つに至ったかを、あまりよく説明することができなくなってしまった気がする。原作を引き合いに出すべきではないのかもしれないが、原作でウィンストンは次のように考えている。
 「暮らしの物質面に思いをめぐらせると腹を立てずにはいられない。昔からずっとこんなふうだっただろうか?食べ物はずっとこんな味だっただろうか?」(高橋和久訳「一九八四年」より)
 この、生活感覚から来る体制への疑問、だからこそ決してぬぐい去ることのできない疑問を、端的に視覚的に見せてほしかったと思う。

 また、ウィンストンが恋人のジュリアと、骨董品店の二階で逢い引きをするシーンで、ジュリアは派手に化粧をして赤いドレスを着てみせる。原作では、男も女も党員はオーバーオールを着ており、女性党員は決して化粧をしないとされているが、この舞台でのジュリアの衣装は、それまでブラウスとスカートだった(そして舞台なのでもちろん化粧もしている)。実際に赤いドレスを着るというのは、舞台の工夫なのだが、それでも、以前の衣装が特殊なものでもみじめなものでもないため、残念ながらそれほどのインパクトはなかった。現代と1984年とで同じセット、衣装を共有することによって、与えられる効果があった一方、失われたものもあったと思った。

 もう一つ、与えられたものと失われたものを感じたのが、ウィンストンが勤める真理省の食堂でのシーンである。食堂ではいつも同じニュースが流され、同僚達の間では同じ会話が繰り返されている。しかし、ある日忽然と同僚の一人の姿が消える。しかし、流れて来る同じニュース対し、同僚達はやはり同じリアクションを繰り返している。消えた同僚に気づかないかのように、というよりもむしろ、最初からそのような同僚は存在しなかったかのように。否定するどころか、存在そのものをなかったことにする粛清の恐ろしさが表現されているのだが、原作で私が一番恐ろしいと思ったのはそこではない。

 また原作の話で恐縮だが、党は何もかもが右肩上がりによくなっていると常に宣伝している。しかし、その一方で生活のみじめさは全く変わらない。ウィンストンは何かが間違っていると思うのだが、そこに確証はない。もしかしたら党の支配以前よりもましなのかもしれない。わからない。なぜなら、比べることのできるものが何もないからだ。歴史どころか昨日のニュースも間断なく書き換えられていく。個人が記憶していたことを、それが実際にあったことだと肯定する公的な記録は何もない。私的なものももちろん存在しない。自分以外に支持するもののない記憶は、当人の中でもやがて曖昧になっていく。そもそもタイトルになっている「1984」さえ、今が本当に1984年なのかどうか、ウィンストンには確かなことはわからないのだ。

 いつもの生活のなかで、人一人消えて気づかれない「ことになっている」恐怖、変化のない日常の水面下の恐怖が上手く描かれてはいる。しかし一方、歴史や情報が間断なく変更され、依るべきものが(今の体制以外に)何もないという恐怖は強調されない。後者の恐怖こそ、原作で私が一番恐ろしいと感じたことである。そしてウィンストンが、自分自身情報の書き換えを仕事としていながらも、党による支配前の(本当の)過去を知りたいと切に願った、また個人の記録として日記をつけるという許されない行為を始めた動機も、そこにあったのではないだろうか。

 この舞台作品の一番の見所であり、視覚的な表現が上手くいっているのは、ウィンストンとジュリアが骨董品店の二階の部屋で逮捕されるシーンである。ウィンストン達の密会部屋は、通常のセット(羽目板張りの部屋)の裏にあり、二人が会っている様子はスクリーンで映し出されるようになっている。観客は部屋にいる彼ら二人を直接見ることはない。しかし、ある時突然、二人以外の声が聞こえ、表のセットが二つに割れると、裏にある彼らの部屋———舞台裏に作られたセットにすぎない———が剥き出しにされる。そして部屋にいる二人の前に、現れる思考警察。結局、二人の密会は最初から監視されていたのである。観客がスクリーンで覗き見ていたように。

 このダイナミックな屋台崩しによって示される演劇的虚構は、ウィンストン達が党の介在しないところだと信じていた場所すら、党のお膳立てであったことを強調する。この痛烈な挫折の後、ウィンストンが政治犯として送り込まれるのは、むしろ「闇の存在しない」真っ白い空間であるという皮肉。そして、ウィンストンの運命は悲劇的な結末を迎える。

 ここで話は現代に戻る。ウィンストンの日記を検証し終わった人々は、次のように言う。「こんなことがあったはずがない。そもそも私達はニュースピークで話していないし。これはフェイクニュースだ」と。確かに、「1984」はフィクションなのだけど・・・ということではなく。要は、「1984」の世界を作り話だと思ってたかをくくっていると、今そこにある危機を見過ごしてしまいますよ、この作品を警鐘と思ってくださいよ、ということなのだと思う。しかし、観客というのは、そこまで親切にフェイクニュースという流行言葉まで用いて敷衍しないと、作品と現実とを結びつけることができないものだろうか。良識ある一般市民が全体主義社会の党員にもなりうる、「1984」の世界は他人事ではないという点で、この現代の枠組みはそれなりに効果のあるものだったかもしれない。しかし、この締めのセリフはやり過ぎのように感じた。

 そういうわけで、見に行った当初は、印象的ではあったが、同時に不満も残る作品だった。枠組みの是非はともかくとして、原作は結構な長編なので、そこから何を取って何を取らないかの問題もあると思う。それが、私が原作を読んで強調してほしいと思っている点とはちょっと違っていた。しかし、この芝居を見に行った後でようやく原作を読了し、それから改めて考え直して見ると、良くまとまった劇化ではあったと感心した。そうかと言って、内容が内容なので、何度も見たいとは思わないが・・・。2019714日)

劇場の入口

ボケた写真だが、カーテンコールの様子

Victoria Theatre前で行われたSIFAのイベントの様子

Saturday, 17 August 2019

『演劇』One Meter Square: Voices From Sungei Road(1平方メートル:スンガイ・ロードからの声)--- シンガポール・シアター・フェスティバル


2018721
One Meter Square: Voices From Sungei Road1平方メートル:スンガイ・ロードからの声) 」———Singapore Theatre Festival
国: シンガポール
製作: Wild Rice(ワイルド・ライス)
作: Sanmu(サンムー), Zelda Tatiana Ng(ゼルダ・タティアナ・ン)
演出: Zelda Tatiana Ng(ゼルダ・タティアナ・ン),
台本: Alfian Sa’at(アルフィアン・サアット)
出演: Ong Kian Sin, Tan Beng Tian, Michael Tan, Tay Kong Hui, Yong Ser Pin
見た場所: The Singapore Airlines Theatre, Lasalle College of the Arts

 Wild Rice(ワイルド・ライス)の主催するSingapore Theatre Festival(シンガポール・シアター・フェスティバル)で上演された一本。シンガポールのガイドブックにも載っていた蚤の市、the Sungei Road Market(スンガイ・ロード・マーケット)に取材した作品である。80年にわたる歴史を持つこの蚤の市は、20177月、政府によって閉鎖された。作品はその前後を描いており、登場人物達は、作のSanmuがインタビューを通して出会った出店者達をモデルとしている。


 私はフリーマーケットで掘り出し物を見つけることも、楽しく値段交渉することも苦手なので、スンガイ・ロードで買い物をしたことはない。しかし、2017年に閉鎖された時のことはよく覚えている。当時話題になっていたということもあるが、閉鎖前の最後の週末にスンガイ・ロードで買い物をした知人に行き会ったからである。その人とは映画館で偶然会ったのだが、映画好きで日本映画にも造詣が深い(好きな女優は大原麗子と栗原小巻)彼が、その日買ったものを見せてくれたのだった。「これは女性だけの劇団なんだよね?」と言って、カバンから取り出したのが、宝塚歌劇団のLPレコードだった。そしてそのアルバムの、曲名だかレヴューのタイトルだかの、「フィーリング・タカラヅカ」という言葉を(英語に)訳してほしいと言われ、難儀をした。意味は感覚的に一瞬でわかるのだが、それを英語に訳すって、どうやって・・・いや、すでに半分英語だし(カタカナだけど)・・・、私の英語力には難易度が高すぎる質問だよ・・・と思ったのだった。そして、なぜシンガポールのフリーマーケットでこんな昔の宝塚のレコードが売られているのだろうと、不思議だった。そういうわけで、それまで縁のなかったスンガイ・ロード・マーケットが、最後の最後になって、私の心に残ることになったのだった。

 それはともかく、この「One Meter Square」について。セットはシンプルで、舞台の上に四つの四角い壇が設けられ、そこを四人の出店者達が占めている。その背後にはフェンスがあり、実際のスンガイ・ロード・マーケットを模している。さらに舞台奥の壁にはスクリーンが設置され、字幕が表示される。この作品では英語の他に、マンダリン(標準中国語)、福建語、広東語が使用されるためである。

 四人の出店者達は、それぞれ「The Gangster」「The Top Student」「Liang Po Po」「The Poet」とあだ名されている。彼らの売り物は様々で、修理して使えるようにした古い電化製品だったり、衣料品だったり、廃品回収から得た骨董品もどきの品だったりする。作品は、彼らの人となりや人生、思いを描きつつ、随所に政府のマーケット閉鎖に関する発表や見解を挟み込む。時々登場するマーケットの世話役的なおじさんも含め、出演者は全部で五人。そのわずか五人の出演者で、メインである出店者だけでなく、政府の人間、通りすがりの観光客等まで演じている。それぞれを演じ分けるために、カードに書かれた政府の発表を読む時は黒のサングラス、観光客を演じる時は派手なレジャー用の眼鏡、とかける眼鏡の種類を変えている。サングラスをかけるだけで、瞬時に政府の代表になれるわけで、この手法は上手いと思った。

 サングラスの彼らが読んでいくカードには、閉鎖の理由として衛生上の問題や近所迷惑等、いろいろなことが述べられている。カードを読んでいく度に、それらをどんどん放り投げて行く。撒き散らされる言葉。しかし、実際問題として、出店者には高齢の人が多く、かつ、ちょっとした店を持てるような経済的余力を持つ人も少ない。およそ200人いる出店者の中で、店を持って商売が始められるのはわずか一割くらいの人達である。にも関わらず、政府からは閉鎖するので新しいキャリアを求めるようにと言われ、放り出されてしまう。

 作品の後半は、マーケットが閉鎖された後の話となる。Carousell(日本のメルカリのようなオンライン・フリーマーケット)にも出品を始めた「The Gangster」。年老いた「The Poet」は、街中に別の場所を見つけたものの、そこはオフィス街で商売が苦しく、10ドル(約800円)の場所代を払うことさえも重く、昼食に1ドルのコーヒーを買うこともためらうと言う。衣料品を扱っている「Liang Po Po」は、Woodlands(ウッドランズ)のフリーマーケットに移動したが、彼女の固定客の大半は外国人ヘルパー(メイド)や労働者である。北の端のウッドランズは彼ら彼女らには不便で、街中のスンガイ・ロードからLiangおばさんが去ったことが嘆かれる。世話役のおじさんは言う。手紙を書いて政府に訴え続けているが駄目だった。若い人達がマーケット存続のためにがんばってくれているけど、失敗することできっと彼らの熱意も失われていくだろう、と。出店者達のその後だけではなく、政府の見解やジャーナリストの記事、リサイクリング・センターの人の談なども語られ、後半はかなり見応えがあった。

 実のところ、この作品は多言語で上演されているにも関わらず、字幕が読みづらいという技術的な欠点があった。しかも、セリフが早くて多いものだから、出店者達の人生譚などの話についていけず、前半は正直ちょっと退屈だったのだ。しかし、出店者達のその後を描き、様々な意見の飛び交う後半は、展開はスピーディでも話はわかりやすく、より印象的だった。

 建国50年を経て、シンガポールは、文化遺産を保存、引き継いでいくことに大きな関心を寄せるようになった。1930年代から存在していたスンガイ・ロード・マーケットこそ、「cultural heritage」ではなかったのか。貧しい、underclass(下層階級)の人々を放り出し、街中に建てるのはコンドミニアム(シンガポールではプール等の設備を完備した高級マンションのこと)。そして集まるのは国内外の投資家。ここに、シンガポールの負と言うべきものを明らかにしている。しかし、この作品が優れているのは、単にスンガイ・ロード・マーケットの出店者達が気の毒だ、というような話に終わらない点である。出店者側から、政府側から、そして第三者の側から、多角的にこの閉鎖問題を取り上げることでこの作品が一石を投じたのは、シンガポールという国の行き方そのものについてだと思う。すなわち、「シンガポール=私達(いや私は外国人だけれども)はどこに行こうとしているのか?」という問いかけである。そう問いかけながら、「では、シンガポール=私達はどこに行くべきなのか?」と、この作品は観客に一考させる。社会的なテーマを取り扱って、見終わった後ハッピーな気持ちになれるわけではないが、知的に心をゆさぶられる作品だった。2019613日)

会場になったLasalleに設置されたワイルド・ライスの電光掲示板

Monday, 12 August 2019

『演劇』Building a Character(キャラクターを築き上げる)--- シンガポール・シアター・フェスティバル


201877
Building a Character(キャラクターを築き上げる) 」———Singapore Theatre Festival
国: シンガポール
製作: Wild Rice
演出: Teo Mei Ann
作: Ruth Tang
出演: Rebekah Sangeetha Dorai
見た場所: Creative Cube, Lasalle College of the Arts

 Wild Rice(ワイルド・ライス)の主催するSingapore Theatre Festival(シンガポール・シアター・フェスティバル)が開催されたのだった。このフェスティバル、二年に一回なのかと思ったが、過去の開催年を確認してみると、きっちり二年毎というわけでもなかった。それはともかく、会場は2016年の時と同じ、Lasalle College of the Artsだった。前回と同様、盛況な様子だった。

このプログラムに映っている4人とも同一人物(主演のサンギータ)である。

 インド系シンガポーリアンであるRebekah Sangeetha Dorai の一人芝居。タイトルの「Building a Character」は、コンスタンチン・スタニスラフスキーの演技メソッドに関する著作から取られている。日本では「俳優修業 第二部」として訳されている本である。今年のシアター・フェスティバルでは、同じくスタニスラフスキーの著作「An Actor Prepares(俳優修業 第一部)」にインスパイアされた、「An Actress Prepares」も上演された。こちらはマレー系シンガポーリアンのSiti Khalijah Zainalによる一人芝居。この作品も見に行きたかったけど、チケットが売り切れだった。どちらの作品も、シンガポールでは人種的マイノリティであるインド系とマレー系の女優の一人芝居、という共通点がある。

 まず、登場したRebekah Sangeetha Doraiが自己紹介をするのだが、彼女の名前、Sangeetha(サンギータ)の発音を観客に練習させるところから、話は始まる。サンギータという名前はインド系では一般的な名前らしいが、他の人種にとっては覚えづらく、彼女のかつての学校の先生(中華系)などは、「サンサン」と呼んでいたらしい。いかにも中華系っぽい名前に勝手にアレンジされているわけである。

 こうして、ソファ等が置かれたリビングルーム風のセットの中で、「サンサン」、もといサンギータが、自らの生い立ちと俳優としての人生を語る。それは、いかにも面白可笑しく語られるが、しかし、時に鋭い批判と悲哀が閃くものでもあった。

 キャスト募集の通知を見れば、「中華系か汎アジア系(Chinese or Pan-Asian)が好ましい」という但し書きに落胆し、まれにインド系で募集があれば、政府のRacial Harmony(人種間の調和)のコマーシャル出演だったりする。低所得(ゆえに教育レベルも高くない)のインド系、というのが役柄の一つの典型となっているため、サンギータ自身は美しい英語を話すにも関わらず、もっとインド人っぽく(訛って)話すようにという演出指導に出くわしたりする。一度くらい高級マンションに住むマダムの役をやってみたいものだと、彼女は訴える。また、かつてサンギータがワイルド・ライスの舞台「Boeing Boeing(ボーイング・ボーイング)」(フランスのマルク・カモレッティの戯曲、3人の国際線スチュワーデスと三又をかけてつき合っているプレイボーイを主人公とした喜劇)に出演した時、「顔が真っ青だ!」と言われるシーンがあったのだが、「あのシーンの度に客席から笑いが起こったのよね」と言っていた。浅黒いサンギータの顔が「真っ青」になるとは、と観客には可笑しく感じられたのだろう。

 自分自身の生活体験や演技技術とは別な所で、人種や肌の色からくる固定概念に基づいた役柄と折り合いをつけつつ、俳優人生を歩んでいかざるを得ない。その大変さが可笑しく、悲しく、そして力強く語られている。

 しかし、私はこの作品を見て、心打たれるという気持ちにはならなかった。それは私の英語の理解力の足りなさかもしれない。それもあるのだが、ただそれだけではなく、この作品が、サンギータ本人が本人自身を演じているということにも、一因があると思う。この作品の台本は、彼女自身の体験を元に作られているのであろう。彼女は彼女自身として、その心情を吐露しているように見える。しかし、その一方で私はどうしても、彼女がサンギータという彼女自身の役を演じていることを忘れることができない。サンギータという俳優を仕事にしている女性を見ながら、同時にインド系女優サンギータというキャラクターを見ている感じ。それが、通常の舞台作品で登場人物に感情移入するような気持ちを妨げたのだと思う。

 でも、だからこの作品はあまりよくない、と言うような単純なことではない。この、サンギータを二重に見ているような感じは、「顔が真っ青だ!」というセリフを聞きながら、その女優の肌色を見て思わず笑ってしまうことに似て。舞台で役を演じるということにある曖昧さ。役が演じられる他人であると同時に、(単に外見だけではなく)演技者自身の身内に備わっているものを表してしまうような瞬間。サンギータのようにマイノリティ人種であると、(理不尽なことに)人種そのものが俳優としての「個性」と見なされることがあるため、本人と役との結びつきはさらに密接になってしまうことがあるだろう。サンギータがサンギータを演じることに、感動するというよりも、むしろちょっと考えさせられたのだった。2019526日)

会場のLasalle College of the Arts

Sunday, 16 September 2018

『演劇』Ingatan(インガタン) --- ジョージタウン・フェスティバル


2018812
Ingatan(インガタン)」---George Town Festival(ジョージタウン・フェスティバル)
国: マレーシア
カンパニー: Main Theatre(マイン・シアター)
演出: Fasyali Fadzly(ファシャリ・ファズリ)
見た場所: The Star Pitt St., George Town, Penang, Malaysia

 ジョージタウン・フェスティバルのプログラムの一つ。元々は、201710月、東京は杉並区の芸術会館、座・高円寺で開催されたイベント「ひとつの机とふたつの椅子と越境者たち」という、アジア各国の舞台芸術家によるワークショップや作品上演のイベントで上演されたらしい。情報が少ないのでよくわからないのだが、この時の作品は上演時間も短く(20分くらい?)、出演者も二人だったようだ。今回の上演では上演時間はおよそ一時間で、登場人物も三人いた。


 作品が始まると、舞台では一組の若夫婦が引っ越しの用意をしている。夫の実家を今日引き払うのだ。夫の妹も手伝いに来ている。荷物を片付けながら、夫婦の話題は、亡くなった夫の両親に及ぶ。先に逝った母、その後認知症を発症した父。母が亡くなったことも忘れてしまった父との最期の日々。

 父母と過ごした思い出深い家を去る時の感傷を、現代の老いの問題と絡めて描いた、ストーリーとしてはシンプルな作品である。しかし、この作品は「iPuppad theatre」と銘打っている。いわく、「iPadと人形劇のハイブリッド」。夫、妻、妹の三人の他に、作品の主要部分を占める回想パートでは、夫の両親が登場する。登場するが、この両親は、等身大の段ボール製の人形によって演じられる。人形はデッサン用のモデル人形のようで、(マレーのおじさん・おばさんが通常着ている)伝統的なマレー服を着ている。デッサン人形なので顔に目鼻はない。その代わり、顔にはタブレット(iPuppadと言うからにはiPadなのだろう)が装着されており、その画面全体に顔写真が表示されている。写真データが人形の顔なのだ。三人の出演者達は、人形の腕に付けられた棒を操作して人形を操るとともに、顔のタブレットに録音されたセリフを流すことで、人形と会話のやり取りもする。だから、「iPuppad tehatre」なのだ。

終演後に撮影したお父さん人形

 等身大の人形を操作するのも大変なら、タイミングを合わせて人形と対話をするのも大変だと思う。そういう進行の大変さの上に(と言うよりもだからこそ)上演時間が一時間で短いということもあり、内容的には老いや家族の問題を突き詰めるようなものではない。認知症となった父との葛藤が描かれているわけではなく、シンプルで優しい筋運びである。両親に対する息子の惜別の情が伝わってくる反面、物語としては今一つ物足りない感じがする。

 しかし、この作品が問題としているのは、実のところ老いや家族ではないのではないか、と思う。もちろん、それもテーマの一つではあるだろうが、タイトルの「Ingatan」がマレー語で記憶という意味であるように、ここで扱われているのは、記憶そのものについてである。作品の冒頭、夫と妻はそれぞれのタブレットに保存されている写真を見て、思い出を語る。夫よりも早くに両親を亡くしている妻は、写真を見ながら言う。「私、写真を消さないわ。(消さなければ)いつでも彼らが私と一緒にいるような気持ちになれるから。」そう彼女が言う通り、人形に顔写真の表示されたタブレットが取り付けられた時、亡くなった夫の両親は蘇る。写真技術が変貌を遂げても、人が何かを記憶に留めておきたいと思って写真を撮るのは変わらない。本棚のフォト・アルバムだろうがクラウドサービスだろうが、自分の脳の記憶だけに頼らず、写真を撮ってはせっせと溜め込んでいる。一方で夫の父は、自分の妻の死という忘れたいことも、自分の息子の顔という忘れたくないことも、本人の思いに関わらず全て忘れていってしまう。しかし、息子は、自分の父を決して忘れたくはない。

 ここで、もし通常の芝居のように、回想シーンが両親役の俳優によって演じられたのなら、なんていうこともない良い話で終わってしまっただろう。しかし、両親を演じるのはタブレットの顔をつけた人形である。それは、彼らの不在を強烈に感じさせ、もはや彼らが写真の中、息子が留めておきたいと願った記憶の中にしか存在しないことを意味する。しかも、タブレットの写真の顔は、父の方が息子である夫の顔で、母の方は妻なのだ。それは、過去の両親の姿であると同時に、未来の彼ら夫婦を暗示しているようでもある。また、思い出す両親が自分達自身であることに、一見客観的な素材である写真を介してさえも、記憶とはつまるところ当人自身の内にのみ存在する問題なのだと、示しているようでもある。記憶、思い出で問題となるのは、それが過去実際に起こったということ自体ではなく、それによって自分がどう感じたか、あるいは感じているか、ということだと思う。タブレット人形のギミックは、息子の記憶を通した生前の両親を描き出す。それは記憶、思い出に過ぎない。しかしだからこそ、彼の亡き両親への愛情が、見ている者に切なく伝わる作品となった。

会場のThe Star Pitt St.

 タブレット人形のアイデアがどうやって生み出されたのかは知らないが、マレーシアはタブレット・ユーザーが多いと思う。あくまでも私見だし、今はスマートフォン全盛なのでそうではないのだけど。今より6、7年前、マレーシアで集合写真を撮る場面に出くわすと、たいていグループの中のおじさんかおばさんの誰かがタブレットを持っていた。大きい分だけ、デジタルカメラや携帯電話よりも扱いにくいのでは、と当時の私は思っていたのだが、タブレットを構えて記念撮影をする姿をよく見かけたものである。ちなみにシンガポールでは、この「おじさん、おばさんがタブレットを持ち歩いている」という現象のないまま、スマートフォン時代になったと思う。

 ところで、今回急にペナン島に行くことを決めたので、あまり事前に下調べをしなかった。そういうわけで、食が有名なペナン島だけど、あまり名物は食べられなかった。と言いつつ、海沿いのEsplanade Park Food Courtのミーゴレン(マレーシア、インドネシア、シンガポール一帯の焼きそば料理)は食べた。行列ができる有名なお店である。確かに、今まで食べたことのあるミーゴレンとは全く違った。通常のミーゴレンの上にイカ(カトルフィッシュと思われる)のソースがかかっていて美味しかった。しかし、とても濃いお味だった。なんと言うか、例えるなら、十二分にたっぷりソースのかかったお好み焼きの上に、さらにこれでもかと言うくらいにマヨネーズをかけた、みたいな感じ。値段は一人前で5マレーシアリンギットだったと思う。安い。201898日)

Esplanade Parkのミーゴレン。これはちょっと多めのラージサイズ(7リンギット)。

Sunday, 1 April 2018

『演劇』Germinal(ジェルミナル)


201792
Germinal(ジェルミナル)」・・・Singapore International Festival of Arts (SIFA)
国: フランス
製作: L’Amicale de Production
コンセプト・演出: Halory Goerger, Antoine Defoort
出演: Jean-Baptiste Delannoy, Beatriz Setien, Denis Robert, Halory Goerger
見た場所: SOTA Drama Theatre

舞台の床下には何が・・・
 
 まず、舞台上の照明が上手くつかない。変な緑色のスポットライトになってしまう。それでもようやくまともにつくと、舞台上には4人の人々がいる。彼らはその場にある、昔のラジオコントロールの送信機みたいな機械を操ってみる。すると、自分達の考えていることが英語の字幕となって背後の壁に!そのうち、実は送信機は必要のないことがわかる。さらに、(4人いるので)誰の考えであるのかがわかるように、字幕の頭にそれぞれの名前をつけることが思いつかれる。
 
 やがて舞台の床からマイクを見つける。わざわざ英語で話さなくとも、マイクを通してフランス語を話せば英語の字幕が表示されることがわかる。そのうちマイクは必要なくなり、それぞれが普通にフランス語で会話をすれば、背後に英語字幕が現れるようになる。
 
 この4人———HaloryJean-BaptisteBeatrizDenis———は、舞台上の閉じられた世界にいる人々である。そして今彼らが体験し、観客の私達が目撃したものは、非常にひねくれた形の、または、舞台上の登場人物の視点からの、舞台作品における字幕の誕生である。
 
 さらに彼らの冒険は続く。舞台上に存在しているものについて、床、壁、マイク、ガラクタといった物質的なものから、一緒にいること、愛といった抽象的なものまでを挙げていく。彼らが思いついて言うごとに、それらの単語はプロジェクターによって背後の壁に映し出される。さらに、それらを実際にマイクで叩くと、「パクパク」という音がするかしないかという基準によって、分類化を図るようになる。いや何よ、「パクパク」って。ゆるーい感じの分類は、いくつかの派生的なカテゴリーを生み、意外に複雑になってゆく。
 
 エレキ・ギターが発見され、歌うことが思いつかれ、アンプが床から取り出される。創造主(?)のカスタマーサービスに電話をかけ、アドバイスを受けた結果、彼らは黒い箱を見つける。ウィンドウズ・ビスタ(だと思う)を搭載したノート・パソコンである。パソコン画面は壁に映写され、それによって舞台の背景を変えることも言語設定を変える(例えば言語設定を日本語に変えると、Halory達は日本語を話すことができる)ことも、今や自由自在となった。そして床の下に、細かい発砲スチロールで作られた「沼」(舞台装置)を発見し、電子ドラムで効果音を手に入れる。
 
 最後は、先に分類した単語を列挙した順に(ウィンドウズを使って)時系列に並べ直すと、その各単語とともに、これまで自分達がしてきたことを歌い上げる。この時とばかりに照明効果もばっちり使い、バカバカしくも楽しいフィナーレだった。
 
 こうやって説明すると何がなんだかよくわからないようだが、75分間のこの作品が明示したもの、それは、歴史的知識に依らないテクノロジーの歴史である。歴史的知識によらない歴史という言い方だと何だかよくわからないので、別の言い方をすると、舞台上の登場人物の視点から見た、テクノロジー発見の歴史である。そしてここでのテクノロジーは、特に舞台で使用されるものについてのように見える。発見されたテクノロジーは解体され、そしてまた別の技術へと引き継がれて行く。その過程がちょっとトボケた風味で面白く表現されており、私達観客を時々笑いへと誘う。舞台上の世界の住人から見た時、普段私達が当たり前に受け入れているテクノロジーは新鮮なものとして映り、私はその斜め上からの視点にハッとさせられもした。そんな知的な冒険を彼らと共にできる一方、子供向け芝居のような遊びもあって、楽しかった。
 
 ところで、わざとというわけではないのだろうが、なぜか今回、字幕がちょっと薄くて読みづらかった。それがちょっと困った。20171011日)

Monday, 6 March 2017

『演劇』Hotel Part 2(ホテル パート2)


2016713
Hotel Part 2(ホテル パート2)」・・・「わしは、このホテルで死にたい」
国: シンガポール
カンパニー: Wild Rice(ワイルド・ライス)
演出: Ivan Heng(アイヴァン・ヘン)、Glen Goei(グレン・ゴエイ)
作: Alfian Saat(アルフィアン・サアット)、Marcia Vanderstraaten(マルシア・ヴァンダーストラッテン)
出演: Ivan Heng(アイヴァン・ヘン)、Pam Oei(パム・オエイ)
見た場所: The Singapore Airlines Theatre, Lasalle

 「ホテル」公演の二日目、パート2である。パート1のラスト・エピソードで、一国家として独立したシンガポール。パート2は、その10年後の1975年のエピソードから始まる。

くどいようだが、真ん中のおじさんは単なるイメージ・キャラクター

1975
 ベトナム戦争末期。アメリカ兵スティーブンは、シンガポールでの休暇を楽しむため、ブギス・ストリートで拾ったブリジットとモニカを宿泊先のホテルの部屋に連れ込む。泥酔しているスティーブンが認識していたかどうか不明だが、(再開発以前の)当時のブギス・ストリートで拾われる「女の子」といえば、今風に言えばトランスジェンダー、昔の言い方をすれば「おかま」である。コカインでハイになって昏倒したスティーブンから、財布を抜き取って逃げるモニカ。一方、「バージン」のブリジットは、どうしていいかわからずにその場でオロオロ。そのうち、ブリジットの前に様々な幻覚が見えてきて…。

 ブリジットのサイケデリックな幻覚の中では、聖母マリアみたいなブリジット(旧名ブライアン)の母は嘆き、等身大の着ぐるみのペニスは踊り、手術服を着た外科医は性転換手術を勧める。そんな収拾がつかないどころか、わけのわからない状況が笑えるのだが、特に可笑しいのが、クローゼット(!)の中から飛び出してくる、白シャツに白いズボンというPAP党(人民行動党)の衣装を身にまとった男。言わずと知れた、「アイアン・フィスト」を持って国民を指揮し、シンガポールの経済的繁栄を築いた故リー・クアンユー元首相である。

 「男のくせにその髪型はなんだ!」から始まって、ブリジットを叱り飛ばすミスター・リーに対し、「シンガポールでは1973年に、性転換手術を受けた後、身分証明書の性別を変更できるようになったのよ?」などと抗弁するブリジット。そんな彼女は、胸は手術で豊胸しているが、股間はまだ(予算の都合もあり)男性のままなのである。議論はさらに進み、外科医は「男になるなら男らしく、女になるなら女らしく」と手術を詰め寄り、ミスター・リーも「曖昧なのは許さん!」と怒鳴る。しかし、ついに彼女が出した答えは、「このままでいい。これが自分。上から半分は女で、下半分は男。」…息を吹き返したスティーブンを、今や自信をもって妖しく誘うブリジットがいた。

 1979年のピーター・ボグダノヴィッチ監督作「Saint Jack」でも、ベン・ギャザラ演じる主人公ジャックが、シンガポールで休暇を過ごす米兵達のため、娼婦付きレクリエーション・センターを切り盛りしていた。そんな70年代の裏面史がサイケデリックで狂騒的な幻想とともに描かれているのだが、このエピソードもまた、昨今の性的マイノリティーやトランスジェンダーを巡る問題が、1975年に仮託して語られている。

 性転換者が身分証明書の性別を変更することがいち早く可能になったシンガポールだが、映画や舞台作品等々における性表現、ことに同性愛表現に対する検閲は厳しい。(ちなみに20162月に来星したマドンナのコンサートはR1818歳以上のみが入場可)だった。)同性婚なども認められておらず、その点では保守的な国であるが、こうした問題に関する政府の答えは、「国民にまだその準備ができていない」というものである。では、いつになったら準備できるのかなぁと思うのだが、その割には、下手に東京の街を歩くよりも、同性のカップルを普通に見かける国でもある(これは憶測なのだが、国が小さいために、同性愛者であろうが誰であろうが、人が休日に遊びに行く場所が限られているためではないかと)。

 性的に複雑だが、人種的にもいろいろ混ざっているブリジットが、シンガポールの掲げる四つの人種---中国、マレー、インド、Others(アザーズ、その他の人種)---をあげつらい、「この「アザーズ」って何よ、曖昧なのが嫌なら、なんで私のことも「ダッチ=ユーラシアン」とかってきちんと定義しないのよ!」と、ミスター・リーに問うシーンがあり、それもまた可笑しい。曖昧であるということ。男性でいられないのなら女性になるべきだという、性転換の先にもある性差の押しつけに対し、ブリジットは最終的に今の自分---男でもなく女でもない、あるいは男でもあり女でもある自分---曖昧な自分自身を受け入れる。政府に対する揶揄を含んだサイケデリックなパーティーから、トランスジェンダーのアイデンティティに触れるところまで行き着き、うならせられた。

ブギスの女の子達(なのか?)と踊る米兵スティーブン

1985
 1945年のエピソードの後日談となっている。松田大尉とシャリファとの間に生まれたナツオもすでに40歳。日本で育った彼は、今や「ウォークマン」の立派な営業マンになっていた。所有している彼女の写真を返したいという名目で、つてを辿ってシャリファを探しだしたナツオは、父母が暮らした思い出のホテルの部屋で、ついに彼女と会うことになった。孫娘に付き添われてやってきたシャリファには、大尉のために慣れない着物を着ていた頃の、若く初々しかった面影はどこにもない。孫の押す車椅子に乗り、口をモグモグさせた痩せこけた老婆になっていた。

 マレー語しか話さない祖母のため、片言の英語を話すナツオとの間で英語・マレー語の通訳をする孫娘。「おばあちゃん、まだ62なんだけど、もの忘れがひどくて。あまり昔のことを覚えてないの。」しかし、ナツオが持ってきたウォークマンに入っている曲を聞かせると、突然、ウォークマンを床に投げつけるシャリファおばあちゃん。彼女の記憶が少しずつ蘇ってくる。「いぬ」「こめ」「みず」、日本語を口にし始めるシャリファに喜ぶナツオ。しかし次の瞬間、彼女の口から出た言葉は、「ひざまずけ」「シナの犬!跪け、跪け、跪け!」というかつての日本兵の怒号だった…。

 感情を高ぶらせる祖母を見て、「私達そろそろ」と帰ろうとする孫娘。そこでナツオは一枚の写真をシャリファに見せる。「これは(死んだ)私の父です。私に似ていますか?」。ナツオは(孫娘にはわからない)日本語でシャリファに言う。「父は本当にシンガポールに戻って来たいと思っていました。でも、できませんでした。あなたを探してほしいというのが、父の最期の願いでした。私はもう二度とあなたにお目にかからないでしょう。」シャリファも日本語で答える。「私はあなたのお父さんを許すことができない。彼を許せない私を、あなたも許すことができないでしょう。日本語を話すのは40年ぶりです。私には子供がいます。孫もいます。昔のことを知られたくないんです。もう、会いに来ないで下さい。」そして、「いいですか、一度しか言わないので、よく聞いてくださいよ。」。そう前置きしてシャリファは言う。「私のぼうや…」。「お母さん!」。ナツオは床にがっくりと跪き、深々と頭を下げるのだった。日本語だったため、今までのやり取りがわからなかった孫娘が問う。「ねぇ、あの人、なんであんなことをしているの?」シャリファおばあちゃんは答える。「彼らがしたことを謝っているんだよ。」「?」

 二人が帰った後、ナツオはシャリファに渡そうとして渡すのを思いとどまった紙包みを開く。中からは、美しいバティックのサロンが(おそらくシャリファのもので、父が持っていたのだろう)。バティックを握りしめながら、さめざめと泣くナツオ。そこにあの、シャリファにウォークマンで聞かせた曲、父の歌う「軍国子守歌」が重なる・・・。

 11エピソード中屈指の感涙ストーリーである。会場のそこかしこから聞こえてくるすすり泣きの声。初演を見に行った知り合いも、自分の座っていた席の横一列、全員が泣いているのを見たと言っていた。さて、日本人の私からすると、確かに感動的な話は話だけど、もしこの台本を書いたのが日本の作家だったなら、ちょっと都合良すぎるのではないかと思っただろう。しかし、シンガポールの作家の手になることを初めから知っていただけに、被害国側が描くこの母子再会の物語に、私も大いに心動かされたのだった。21世紀の現代であっても、やはり作品鑑賞の際にテキスト外のことを加味しないではいられないのだ。

 シンガポールは第二次世界大戦中に日本が行ったことを、忘れてもいなければ、次世代に教えることを怠っているわけでもない。ただ声高に言わないのである。また、劇中でナツオが、「日本では(戦争について)語られないことが多くあります。」とチラッと言うように、歴史を巡る日本の葛藤についても、こちらが思っているよりもよく知っている。そうした知識があった上でのこの、ウェル・メードでウェットなストーリーである。過去の憎悪と苦しみを了解しながら、それを乗り越える人と人との結びつきを希求している点で、1915年のエピソードと通じるものがある。

 シャリファ役は1945年のエピソードと同じくSharda Harrison(シャルダ・ハリソン)が演じ、「こういうマレーのおばあさんいるなぁ」と思わせる好演。ナツオは、1945年で松田大尉を演じたMoo Siew Keh(モー・シュウケー)が演じる。ナツオのセリフは平易な口語のためか、1945年の時よりも彼の日本語が聞きやすかった。しかし、水を差すようなことを言ってしまうと、クライマックスでナツオがシャリファに頭を下げるシーン。将軍に謁見する侍みたいな下げ方だったが、この場合はもう少し脇を締めてすると、儀式ばった所がなくなってより良かったのではないかと思う。いや、男だからこれでいいのかも。自分のお母さんに礼を尽くしたことのない私が言うことでもないんだけど。

1995
 今日はリサの結婚披露宴がホテルで行われている。花嫁の控室となっているこの部屋に、当の本人がお色直しに戻って来る。スケジュールをこなしていかなくてはならない慌ただしさにうんざり気味の花嫁。そこへ現れる妹と母親、そして新郎の姉妹。リサ一家は中国系だが、花婿一家はインド系であることがわかる。共通語として英語を話してはいるものの、親族同士、お互いの名前の正しい発音もおぼつかない、微妙な間柄である。「あんた、お色直しのチョンサム(いわゆるチャイナドレス)はどこにあるの?」と問う母に、なんだか曖昧な返答をするリサ。

 そこへオネエ言葉のマレー系のメイクアップアーティストが登場。「それで、ドレスは何色なの?」「青よ」とリサ。「何言ってるの、チョンサムは赤よ」と母。何かがおかしい・・・。いや、とにかく早く準備しなくては、という状況の中、花嫁の父と花婿の母も登場。こういう場合、花嫁の姉妹は妙に冷静で、母はカッカッし、父は役ただずである。マイペースなオネエのメイクアップアーティストも、時間感覚がおおらかで、他人事のようにのんきに構えるインド系の花婿の親族も、母のイライラを募らせる一方。そんな中、ついに明らかになったリサのお色直しの衣装は、赤のチョンサムではなく、なんと青のサリー。

 怒り爆発の母。自分たちの親族の手前もあり、中国式の披露宴を望んでいる母にとってはとんでもないリサの裏切りである。そこへ、花婿の登場。「お義母さん」と、なんと見事なマンダリンで語りかける花婿。違う文化からの二人が出会い、二つの家族が一つの家族になることの喜ばしさを説く花婿。リサも言う、「この国にはいくらでも中国系がいるのだから、そのうちの誰かと結婚すれば簡単だったのに、ってお母さんは思っているんでしょう。でも、私は彼と出会い、彼と人生をともにすることを決心したの。」人種と文化的背景の違いを超えて愛し合い、ともに生きていく決意をした二人の姿に、心打たれるその場の人たち。しかし、花嫁の母一人だけはやはり納得がいっていない。「車に置いてある予備のチョンサムを取って来る」と部屋を出ていく母。一方、「そらっ、このスキに着ちまえ!」とばかりに、皆に手伝ってもらってサリーを着てしまうリサだった。

 結婚披露宴を舞台としているだけに、衣装も華やかで登場人物も多い、賑やかなエピソードである。披露宴特有の混乱に加えて、人種や文化の違いが笑いを誘う。昨今は地味婚も流行りのようだが、一般的に日本よりも親兄弟や親族同士の結びつきが強いお国柄のため、結婚式も派手にならざるを得ない。ただ通常、日本のように高額なご祝儀を期待しないため、呼ぶ方も心やすいが、出席する方も気軽に出席する。というわけで、必然的に日本なら芸能人の結婚式のような出席者数の大規模披露宴になりがちである。このエピソードを気が利いていると思うのは、最後まで花嫁の母が娘達の説得に応じないため、単なる「いい話」で終わらないところである。派手な結婚式であるだけにいっそう、出席者を前にしての面子もあれば、自分たちのルーツに対する誇りもある。また、母が娘に夢見る、理想の結婚パーティーというものもあるだろう。譲れないものは譲れないのだ。

 様々な人種・民族が調和して暮らしているというイメージのあるシンガポール。それは確かにその通りだが、その一方で感じるのは、やはり中国系なら中国系、マレー系ならマレー系といった付き合いをしがちで、意外と他の民族の文化や習慣を知らない。特にシンガポール社会における多数派である中国系は。個人的には、こんなマンダリンを流暢に話す娘婿なら百点満点だよ、なかなかいないよ、と思うのだが、母にはそれでも不満だったのだろう。多民族であっても安定した社会を築くことに心血をそそいできただけあって、政府も国民も人種に絡む発言にセンシティブである。ここでは、表立って言われることのない母の本音を、「中国系と結婚すれば簡単(なぜ中国系以外の人間と結婚するのか理解できない)」と、リサが端的に代弁している。調和の中に存在するある種の断絶を、明るさの中にそこはかとなく示したエピソードだったと思う。

2005
 1955年のエピソードから50年。マレーシアのビジネスマン、ハキム氏は、母と息子の3人でシンガポールを訪れた。この日政府要人の来訪があるためか、ホテルのセキュリティは厳重で、単なる泊り客であるハキム氏一行も、チェックインして部屋に入るまでに随分時間と手数がかかってしまった。

 チェックインの手続きが進まなかったことに対し、ハキム氏は立腹。暇を持て余し、息子はホテル内を見学しに行ってしまった。しかし、母親は部屋に入って嬉しそうである。「ここで、私はP・ラムリーと初めて出会ったの。とってもチャーミングな人だったわ。」そう、彼女は50年前、映画スターP・ラムリーと歌い踊った、あの時の若い娘である。「ボタニック・ガーデンとか、シンガポールのあちこちで撮影をしたのよ。残念ねぇ、当時はモノクロ映画だったから。あれがカラーだったらどんなにきれいだったでしょうねぇ。」この旅行は、ハキム氏が老いた母のために企画した、センチメンタル・ジャーニーだったのだ。

 そこへ、3人の警察官が部屋を訪れる。彼らはハキム氏達のパスポートを求め、職業や渡航目的などいろいろ尋ね始める。「中東へ頻繁に渡航しているな。」「パスポートを見ているなら、同じだけヨーロッパやアメリカにも行っているのがわかるだろう。」すでにチェックイン時に足止めされたため、イライラしながら答えるハキム氏。スーツ⁻ケースを開けるように要求する警官。年老いた母のまで!と鼻白む彼だが、渋々スーツケースを開ける。ハキム氏のスーツケースから「コーラン」が何冊か見つかる。「なんでこんなに持っているんだ?」「私は輸出入業者だ。休暇で来ても、新規の顧客を見つけた時のため、配布できるように持ってきているんだ。」警察官とハキム氏との間で、じわじわと増していく険悪な雰囲気。そこへ、彼の息子も部屋に戻ってくる。

 ハキム氏のブリーフケースを開けると、中からは金色の帯剣(「アリババと40人の盗賊」が持っているようなやつである)が。「武器を持っているぞ!」色めきたつ警官達。「それはただの顧客へのお土産だ!」というハキム氏に、警官達は銃を向けて迫る。そんな彼らに対し、「そうだよ、この鞘の中は・・・」と帯剣に触ろうとする息子。たちまち息子を押さえつける警官。「息子に何をする!」と彼らに向かうハキム氏。・・・結局、彼はその場で逮捕されてしまう。

 2人の警察官に挟まれて連行されていくハキム氏の後を、3人目の警官---女性で、取り調べの間中、ハキム氏の母親に付き添い、保護していた---が追おうとした時、母は言う。「どうしてこんなことをするの?あなたもムスリムでしょ?」。それを聞いた女性警官はため息をつきながら去って行く。父が警察官に暴力的に連れ去られるのを見た息子の目には、憎しみの光が宿る。母は言う。「モノクロームのシンガポール・・・もう思い出の中のものに過ぎない。映画の夢を映した世界は、もうここにはない・・・。」

 「様々な人種の人間が集まって一つの映画を作る」…明るい未来に向けた1955年のエピソードの後日談としては、あまりにも痛切である。しかもこのエピソードは2005年のものであり、現在にも直接つながる問題をストレートに取り扱っている。

 あらすじを書いて説明すると、警察の取り調べがなんだかあまりにも短絡的でコメディのように見えかねないが、これは作品中、最も暗いエピソードとなっている。作中のハキム氏はマレーシア国籍という設定だが、「イスラム教徒らしい名前(モハメドやアブドゥル等々)だと欧米の入国審査でテロリストと疑われる」というのは、それが冗談として言われることも含め、シンガポールのイスラム教徒の間にある一種潜在的な不安なのではないかと思う(そして恐らく世界のイスラム教徒の間にある)。また実際、トランジットでアメリカに入国しようとした際、いかにもな名前のために、家族の中で自分1人別室に呼ばれた、というような話も聞く。

 どんな宗教にも様々な派があり、またカルト的な団体というものも存在すると思うのだが、なぜかイスラム教徒については、十把一絡げにイスラム教徒としがちである。しかし、例えば日本の多くの人が、キリスト教についてほどには、イスラム教については知らないのではないだろうか。一方シンガポールは、日本に比べてはるかにイスラム教徒の多い国である。しかし、そのシンガポールであっても、総人口の14%ほどを占めるイスラム教徒はマイノリティーであり、1995年のエピソードにもあるように、他人種や他宗教同士だと意外とお互いに知らないことが多い。

 このエピソードには3人の警察官が登場するが、取り調べをする2人は男性で中国系、1人は女性でマレー系という設定である。2人の中国系警察官の態度には、見知らぬ恐怖に対するヒステリックな感情が感じられるが、それはまた、国家や権力機関にありがちな反応を体現しているともいえる。その中でハキム氏の母に付き添うマレー系(ゆえにイスラム教徒であると推測される)女性警官は、静かに板挟みになっているわけだが、このエピソードではっとさせられたのは、彼女に対する母の、「あなたもムスリムじゃないの?」という言葉である。

 このエピソード以前にも、人種的に見てイスラム教徒であろうという登場人物は結構いた。1945年と85年のシャリファや1965年の客室メイドの一人、1995年のオネエのメイクアップアーティスト等々。しかしこのエピソードまで、「ムスリム」という言葉をセリフの中で聞いた覚えはない。考えてみれば当たり前で、職場の同僚や友人とのつきあいで、特に必要とされる場合でなければ、お互いに信仰している宗教をことさら取り上げたりしないからだ。それがここでは、イスラム教徒がイスラム教徒であるというアイデンティティを第一に主張し、相手が同じイスラム教徒であることに依って、酌量や理解を求めざるを得ない。ハキム氏の母がこのセリフを言わなくてはならない状況は、国籍が違っても同じ宗教に属していれば連帯できることの証左ではなく、国籍の違い以前に宗教の違いによって人が分断させられてしまったことを示しているに他ならない。経済的不平等、テロリズム、21世紀…人と人とを分断をしたのは宗教そのものではなく、政治が宗教による分断を作ったのだと、このエピソードは伝えているように思う。1955年の映画人の集まりや、65年の客室メイド達の無邪気なおしゃべりは遠く、それはもう、母が言うように、思い出の中にしかない世界になってしまうのだろうか。

2015
 「ホテル」、最後のエピソードである。ヘンリーとマーガレットのヤオ夫妻は、ホテルの長期滞在客である。病床のヘンリー氏は、自前で看護師をつけて堂々居座っているが、ホテル側としては、下手にホテル内で死なれたら困ると、戦々恐々である。できることなら出て行ってほしい。今日もサービス・マネージャーの懇願をはねのけたヘンリー氏の前に、ついに支配人自らが説得すべく登場。彼らの話し合いは、たまたま見舞いに来た孫娘とそのボーイフレンドも巻き込んで、顔なじみのホテル従業員を呼び出してヘンリー氏が質問を試みるという展開へと・・・。

 最終章のため、出演者ほぼ全員が登場する総まとめ的なエピソードとなっている。ヤオ夫妻はシンガポール人であるが、支配人も含めたホテルの従業員や看護婦、孫娘のボーイフレンドでさえ外国人という設定になっており、近年のシンガポールの状況を象徴的に描いている。ホテル自体がアメリカのホテルの経営傘下となってしまったため、支配人はアメリカ人。しかし、ホテル・オーナーはUAE(アラブ首長国連邦)の大金持ちのため、そのチャラい現代っ子の甥が「インターン」として支配人にくっついてくる。サービス・マネージャーと看護師はフィリピン人、2人の客室係は中国人、ランドリー係はマレーシア人、ホテルのインターンで来ているのはブラジル人という具合である。

 総まとめのためか、これまでのようにストーリーの中に上手く社会問題やテーマを組み込む形にはなっておらず、製作者側の言いたいことがやや前のめりに表されている。しかし、それだけにはっとさせられたり、うならせられたりするセリフも多い。例えば、「多民族国家のシンガポールの会社で、ダイバーシティ(多様性)が学べると思って」と語る、ブラジルからの若い女性インターンに対し、ヘンリー氏はこう答える。「そうかい?しかし、我々はいまだ我々(シンガポール)の多様性というものを模索しているんだ」。

 典型的なシンガポールの富裕層で、余命幾ばくも無いヘンリー氏が終の住処として選んだのが、このホテルだった。「(余生を暮らすために)妻とオーストラリアに移住してみたが、(死ぬには)あそこではないと思った。コンドミニアム(日本のいわゆるマンションだが、セキュリティ・ガードが常駐し、プールやスポーツ・ジム等の施設が完備したもの)は3戸持っている。一つに私達夫婦が住み、もう一つに娘夫婦が。残りの一つは将来孫娘が使えるように、今は人に貸している。でも、どれも私の「家」ではない。」。国土が狭く土地が高いため、シンガポール国民のおよそ8割はHDB、日本のいわゆる公営住宅団地に住んでいる。そのようなお国柄で、民間企業によるコンドミニアムを持つということは一つのステイタスであるが、日本と異なり、シンガポールでは家(といってもほとんどがアパートメント・フラットだが)も消費物、という概念があると思う。日本でもライフ・ステージに応じて住む家を変えていくが、シンガポールではHDB住まいのままでも、住み替え住み替えしていくことが普通である。また、投資としてHDBやコンドミニアムを買うことも積極的に行われている。昨今の不動産の高騰にともない、シンガポールの家はますます、末永い安住の地であるよりはむしろ、金を生み出す不動産資産となっているように見える。そしてそれは、変わり続ける(発展し続ける)ことを美徳とした、忘れる都市、シンガポールを端的に表してもいると思う。

 話が少しそれるが、筆者がシンガポールに移住した2004年当時は、シンガポールがSARSの猛威から立ち直ったばかりでもあり、まだ変わり続けることが称揚されていた。「4か月前の地図は焼き払ってしまおう(現在と全く違っているので役に立たない)」というのが、ガイドマップに載っていた宣伝文句だったように思う。しかしそれから10年以上が経ち、近年のシンガポールは、振り返る、ということをするようになっていった。195060年代のオールド・シンガポールが懐かしまれ、「古臭いもの」を歴史や文化として認識、保存する意識が強くなっていった。それは、民間の側からだけに起こっている現象ではない。1965年の独立当時に働き盛りで国を支えた世代が高齢者となり、国自体が経済的に豊かになって発展した今、シンガポールという国家の歴史を打ち立てようという、政府の動きとも合致している。発展を見て、ついに振り返ることを始めた忘れる都市。

 このラスト・エピソードでホテルにもはやシンガポール人の従業員が見当たらないように、現在のシンガポールでは、あらゆる職業が外国人によって支えられている。短期で来る者もいれば、そのまま定住する者もいるが、外国人の増加が問題視される一方で、彼らがいなければ新築団地一つ作れないこともまた事実である。振り返った政府はシンガポールの歴史をまとめ上げていく。それは畢竟、ナショナリズムを高揚していくことであるが、では、シンガポールという国とは何か、シンガポール人とは誰か。それが、この作品が最終章で問うたことだったと思う。

 成功して財産を築き上げたヘンリー氏は、シンガポールの象徴でもある。そんなヘンリー氏が老境に入って永住の地を求めた時、意外にも落ち着くことのできた場所、それがホテルだった。従業員もお客も、来ては去り、集まっては消えていく。また戻ってくるかもしれないし、二度と戻ってこないかもしれない。ヘンリー氏はホテルの従業員を「家族のように」思っているわけでもなんでもない。むしろ赤の他人が行き交う場所であるからこそ、その永遠の他人同士の中で死にたい、というのがヘンリー氏の願いである。

 ヘンリー氏は淋しい人間だろうか?よく会社や国が家族に例えられることがある。「家族」というと聞こえがいいが、しかしこの「家族」とは何か?血がつながっていることだろうか?同じ人種のことだろうか?同じ社会で育ったことだろうか?そこに長く留まっていることだろうか?ホテルに集う人たちを他人同士にすぎないとし、「家族」という名前の元に甘えて寄りかかったりしない。しかし、他人同士だからこそ、お互いが協力しあわなければ、上手く運営できないし、快適に過ごせもしない。ホテル=シンガポール。緩やかで変化し続ける共同体。たまたま一緒になった他人同士が支えあって生きる国。ヘンリー氏にここが彼の死に場所、いわばふるさとであると言い切らせることで、この作品は、最近の世界的潮流である内向きのナショナリズムとは異なる愛国心というものを描いて見せた。

 ホテルで死にたいというヘンリー氏の願いに助け舟を出したのは、ランドリー係のマレーシア女性だった。長年にわたり毎日国境を越えてジョホール・バルから勤めに来ている彼女は、新参のアメリカ人支配人よりもホテルの歴史に詳しかった。彼女は支配人に言う。以前にも2度ほどホテルで泊り客が死亡した例があるが、特に問題なく処理されて評判が落ちるようなこともなかった、と。これで話し合いの決着はつき、部屋を辞去する支配人や従業員達。ヘンリー氏の妻がランドリー係の女性に礼を言うと、(すでに自分の夫は亡くなっている)彼女はこう答える。「(大変だろうけど)乗り切っていかなくてはね。」

 シンガポールはマレーシア連邦から脱退させられて独立したわけだが、マレーシアとシンガポールとの関係には常に微妙なものがある。そのマレーシア人とシンガポール人とが手を携え、ともに苦難を乗り越えていくことを励ましあう形でこのエピソードは終わる。100年の歴史の中、多くの苦難があった。そして現在様々な社会問題があり、これからもまた様々な苦難があるだろう。今、忘却と回顧との拮抗の中にあるシンガポールの未来は、多種多様な人と人との結びつきをなくしてはない、という覚悟を静かに、そして力強く希求して、「ホテル」の5時間半は幕を閉じたのだった。

こちらは「ホテル」の公演を含むSingapore Theatre Festivalのパンフ

 ところでこのパート2は、頑固だが少々女好きでチャーミングなヘンリー・ヤオ氏を演じたアイヴァン・ヘンが中心。しかし、私が好きなのは、ヘンリー氏役よりも、1975年のエピソードで全身白づくめの元首相もどきを演じた姿だ。会場が大うけだったせいもあろうが、なんか楽しそうだった。20161214日)

『演劇』Hotel Part 1(ホテル パート1)


2016712
Hotel Part 1(ホテル パート1)」・・・「私たち、強くならなくては」
国: シンガポール
カンパニー: Wild Rice(ワイルド・ライス)
演出: Ivan Heng(アイヴァン・ヘン)、Glen Goei(グレン・ゴエイ)
作: Alfian Sa’at(アルフィアン・サアット)、Marcia Vanderstraaten(マルシア・ヴァンダーストラッテン)
出演: Ivan Heng(アイヴァン・ヘン)、Pam Oei(パム・オエイ)
見た場所: The Singapore Airlines Theatre, Lasalle

 昨年の「Public Enemy」(イプセンの「民衆の敵」)の上演以来、私の中では現在のシンガポール演劇界における「男の中の男」となったIvan Heng(アイヴァン・ヘン)のカンパニー、ワイルド・ライスによる公演。昨年のSingapore International Festival of Arts(シンガポール国際芸術祭)で初演されて評判を呼んだ作品である。今年のワイルド・ライス主催のTheatre Festival(シアター・フェスティバル)で早くも再演がなされた。

パンフレットの表紙。ラッフルズ・ホテルのドアマンみたいなおじさんが中央にいるが、本編には登場しない。(以下の写真もこのパンフレットから。)

 パート1とパート2の二部作からなり、総上演時間五時間半の大作である。私は火曜と水曜の夜にパート12をそれぞれ見に行った。正直、仕事もあるし家も遠いし、平日に二日続けて見に行くのはしんどかったのだが、行って良かったと思ったのだった。

 昨年2015年はシンガポール建国50周年という節目の年であり、それを記念して様々な芸術イベントや作品が発表されたが、この作品もその一つと言える。設定自体はシンプルで、シンガポールの最高級ホテル、ラッフルズ・ホテルをモデルとしたホテルの一室でのエピソードを、1915年から始めて10年ごとに描いていくというものである。2015年までしめて11エピソード。パート1でシンガポール独立の1965年までを、パート2でそれ以後(1975年から)をカバーしている。先ほど大作と書いたが、各エピソード20分~30分程度で、毎回違った趣の話が楽しめるため、一公演が二時間以上あってもわりとあっという間。本作は、私がこの10年ほど見てきた範囲に限られるのだが、シンガポール現代劇における最高の台本の一つだった。

 冒頭、スーツケースを持った出演者達が舞台を行き交い、踊り、スーツケースを開く。中に入っている衣装を身に着けてボーイとメイドになると、ホテルの部屋を用意し始める。ダブルベッドにドレッサー、小テーブル。バスルームに続くドアのついた背景壁。この壁がスクリーンになっており、各エピソードの合間に様々な映像を映し出す。時代によって調度は変われど、全てのエピソードは基本的にこの部屋を舞台としている。以下、各エピソードのあらすじを紹介しながら感想を付していく。

1915
 イギリス植民地時代のシンガポール。新婚旅行に当地を訪れたイギリス人夫妻が、このホテルにチェックインして部屋に入ったところである。時折しもインド人兵士達による反乱が鎮圧され、反乱者達の処刑が被植民地者で構成された銃殺隊によって行われようとしている。この「イベント」にゲストとして参加する「栄誉」を得た夫は妻を誘うが、中国人を母に持ち、博愛的なキリスト教徒である妻は、それにがまんできない。自分に従わない妻に腹を立てて、夫が一足先にでかけた後、妻は顔見知りになった現地のボーイを呼ぶ

 最初のエピソードからこの作品全体の特徴を見ることができる。一つは、過去の時代のエピソードであっても、単なるの過去の物語に終わることなく、現在のシンガポール社会を反映したものになっている点。ここでは、イギリス人夫がガブガブ酒を飲みながら、植民地の連中が酒に酔いつぶれることを批判し、夜10時半以降には彼らに酒を飲ませるべきではない、などとのたまっている。これは、2013年にリトル・インディアで外国人労働者による暴動が起こった後、夜10時半以降に小売り店舗での酒類の販売と公共の場所での飲酒が禁止されたことを揶揄している(アルコール類の値段の高いシンガポールにおいて、店舗で酒を買って外で飲むのは、バーなどに入る金銭的余裕のない外国人労働者が多い)。植民地時代の支配者層と被植民地民との関係が、現在のシンガポール国民と外国人労働者とをそこはかとなく暗示するように描かれている。

 もう一つの特徴は、シンガポールが多民族多言語の社会であることをふまえ、言葉の違い(それは人種、民族の違いを意味するかもしれないし、出身の違いを意味するかもしれない)を積極的にドラマの中に織り込んでいる点である。言葉の違いから来るすれ違いのおかしさや悲しさ、あるいは言葉を超えた理解や、同じ言葉で話していても歩み寄れない葛藤が描かれる。

 このエピソードの妻は、英語が話せるボーイに、お互いの秘密を打ち明け合うことを求める。英語では「(処刑される者達は)悪いことをしたのだから処罰されて当然です。」と言っていたボーイは、妻にはわからないマレー語で「僕が銃を持っていたら、白人どもの頭を打ち抜いてやりたい」と言う。一方の妻は英語で言う、「私は結婚するのが恐い」。それは、男らしくて愛国的という理想的なイギリス人夫の裏側にある、不寛容、憐れみのなさ、人種差別と帝国主義思想を初めて垣間見てしまった新妻の思いだった。しかし、もはや引き返すことはできない。夫の後を追って、妻は処刑場へと向かう。最後にボーイから教わったマレー語、「Maafkan(ごめんなさい)」と言いながら

 妻は自分の気持ちをわかってほしかった。ボーイは理解したかもしれない。しかし、お互いが歩み寄ることなどできないことをボーイは知っている。結局、妻とボーイとはわかり合うことのない異なる世界に住んでいる。しかし、それを了解しながらもなお、イギリス人の妻にマレー語を言わせる所に、この作品全体に通底する願いが込められていたと思う。

1925
 ホテルのランドリー係のロイ・ダイは、中国で同じ村に住んでいた従妹アー・インを見かけ、彼女の部屋を訪ねる。ロイ・ダイの後に村を出たアー・インは、今はペナン在住の金持ちの奥様に女中奉公しているのだった。奥様のいない隙に、彼女の服を着こんだロイ・ダイは、アー・インと「奥様と女中ごっこ」をして楽しむ。そこへ、ホテルで女中の虐待があると聞きつけた「少女駆け込み寺」のインド人シスターが、通訳の二人の巡査を引き連れて登場。慌てた二人は、やむなくそのまま「その部屋に泊まる奥様と女中」として、シスター達を何とかやり過ごそうとする

 インド人シスターがまくしたてる英語を、二人の巡査が英語からマレー語、マレー語から中国語へと通訳していき、最終的に「奥様」のロイ・ダイに伝える。シスターの質問に対して、何とか奥様然として答えようとするロイ・ダイ。そのやり取りの珍妙さが可笑しいエピソードである。

 しかし幕切れ、上手いこと(?)シスター達を追い返したロイ・ダイが知るのは、奥様によるアー・インへの虐待が事実であるという悲しい現実だった。今度は自分が奥様役をやりたいというアー・インに、涙をこらえながらつきあうロイ・ダイ。その顔に悲しみも何もなく、奇妙に充足した表情で奥様を演じるアー・インは言う、「生まれ変わったら奥様になりたい」。

 共働き家庭が多く、統計からすると五世帯に一世帯くらいの割合で外国人メイド(ヘルパー)を雇っていると見受けられるシンガポール。このエピソードも、度々問題とされるヘルパーへの虐待や悪条件での労働を想起させられる。笑いから一転、胸の痛むエピソードは、特にロイ・ダイを演じたパム・オエイの力量が際立った。パート1の最後を飾る1965年のエピソードでも主演を演じたパム・オエイが、この二部作の前半パートを牽引したと思う。

「奥様」になるロイ・ダイ

1935
 まだ戦前の心霊主義が華やかなりし頃。ペラナカンの紳士は、著名なインドの心霊術者プロフェッサー・ラオを招いて交霊会を開く。メンバーは、自分と妻、イギリス人の友人、ジョホール王家の一員たる妻の友人の4人。そのうちイギリス人の友人、ミスター・パーカーは心霊主義に極めて懐疑的だった。しかし、プロフェッサー・ラオの予想を超える霊が招かれてしまった時・・・。

 強力な霊が妻、その友人、ペラナカン紳士へと順々に取り憑いて行く時の、彼らの憑依演技が見物である。特にジョホール王家の令嬢を演じるSiti Khalijah Zainal(シティ・カリジャ・ザイナル)が、イブニングドレス姿で英国の行進曲を歌いながら、軍隊式に足をまっすぐあげて闊歩する姿に爆笑。この人、次の次の1955年のエピソードでも、ノリノリでマレー・ミュージカルを繰り広げていた。

 この想定外の霊とは、第一次世界大戦で命を落としたミスター・パーカーの父であり、大きな戦争が再びやって来ることを警告しに息子の元に現れたのだった。ここに至り、今まで心霊主義をバカにしていたミスター・パーカーは一転、大いに取り乱してプロフェッサー・ラオに助けを求めるが、その豹変ぶりはプロフェッサーを憤らせる。結局なすすべもなく部屋を出て行くミスター・パーカーだった。

 このエピソードが終わった所で、登場するボーイとメイド達。「チェックアウトですか?」「こちらがご請求書になります。」「ご滞在、どうもありがとうございました。」・・・今、イギリスがシンガポールという「ホテル」をチェックアウトし、また次の者がチェックインしようとしている。

1945
 昭和天皇の玉音放送から六日目。昭南島(シンガポール)ではまだ日本の敗戦は公にされていない頃。マレー語を学びたいという生真面目な広報担当の松田大尉によって、慰安所から救い出されたシャリファは、日本軍将校の宿舎となっているこのホテルで暮らしている。今や二人の間にはナツオという赤ん坊も授かり、シャリファはまだ見ぬ国日本への帰国準備で忙しい。そこへ、松田大尉と上官である大佐が登場。帰国船に空きは少なく、日本人ではないシャリファは乗せられないが、赤ん坊なら日本人だし何とか、と言う大佐。大佐が去った後、やむなくシャリファを説得にかかる松田大尉。

 この「ホテル」は多言語で上演され(英語字幕あり)、多様な俳優達がキャスティングされているが、さすがに日本語を第一言語とする俳優は見つけられなかったらしい。というわけで、日本語を話すことのできる中国系の俳優が松田大尉、大佐、そして日本人の家政婦さん役を演じているのだが、セリフ回しが不自然である。もっともナチュラルに聞こえる家政婦さん役の日本語さえ。日本から来た俳優がハリウッド映画に出演して英語を話しているものの、英語を第一言語とする人からすると、ひどく訛って聞こえるのと同じだと思う。そういうわけで、特に松田大尉と大佐のやり取りなど、非常に聞きづらいのだが、セリフ自体に文法が間違っているような怪しい所はない。むしろアジア同朋のためという美辞麗句の裏側で、何とか体面を保って無条件降伏を報道しようとする虚しさが端的に描かれている。

 「夫でも父でもなく、天皇の兵隊だ。」と大佐に言われ、シャリファとの別れ話を切り出す松田大尉。初めはお互いマレー語で話し合っているのだが、話が紛糾するにつれて、大尉は日本語で話し、シャリファはマレー語で返答するようになる。言語の違いは二人の関係が乖離していく様を表し、終にシャリファは、「もう話さないで。あなたが話せば話すほど、心が傷つく」と叫ぶ。言葉が二人を結びつけ、そして今や言葉は何の役にも立たない。二人の関係の終わりが痛切に胸に迫る名セリフだった。

 なお、シャリファの歌う子守唄があるのだが、調べた所、塩まさる氏の「軍国子守唄」だった。置き去りにされる運命を知る前、シャリファは言う。「私、日本に着いたら、(歌詞の)「満州」の所を、「昭南島」に変えて歌うわ。」・・・いや、それはしなくていい・・・。

 そして日本もチェックアウトして行ったのだった。

別れ話中の松田大尉とシャリファ

1955
 バス会社の労働者によるストライキが全島を揺るがす争乱に発展した年。映画スター、P・ラムリーは、初監督作に意気込んでいる。指導に当たるインド人監督とその秘書、そしてプロデューサーのミスター・ショウの思惑とは裏腹に、インド映画の影響を受けた歌と踊り満載の娯楽作ではなく、混迷する現代社会を反映したリアリティあるドラマを作りたいと言い出すラムリー。ミスター・ショウが相手役として連れて来た新人美人女優も、ラムリーの受けはいまいち悪い。

 そこへ、P・ラムリーの大ファンという若い女性(1935年のエピソードでジョホール王家の令嬢を演じたシティ・カリジャ・ザイナル)が、彼らの部屋を訪ねて来る。体形は太めだが、素晴らしい歌声の彼女にすっかり嬉しくなったP・ラムリー。彼女と一緒に歌い踊りまくる。しかし、次回作ではP・ラムリーは歌わないんだよ、とミスター・ショウが教えると、カッとなって怒る彼女。「P・ラムリーが歌わないなんて!」

ここぞとばかりに、ミスター・ショウはラムリーを説得する。「中国人のプロデューサー、インド人の監督、マレー人の俳優。様々な人種の人材が集まり、様々な要素を取り入れることで、世界中の人達が見てくれる映画を作ろう!(だから歌ってくれよ)」P・ラムリーは同意する。

 P・ラムリーが歌い踊るシーンでは、背景のスクリーンが極彩色のジャングルに(当時のマレー語のミュージカル映画では、舞台がジャングルの中のカンポン(村)なことがよくある)。楽しい歌と踊りにあふれるエピソードで、困難の中にも、映画が人々に夢を与えることのできた時代を描く。

 ここに登場するプロデューサーのミスター・ショウとは、香港、そしてシンガポールを始めとする東南アジア一帯に一大映画帝国を築いた映画会社、ショウ・ブラザーズのランラン・ショウのことと思われる。P・ラムリーは、マレー語圏の伝説的な大スター。自身の主演作の監督、作曲もした。P・ラムリーを演じたGhafir Akbar(ガフィール・アクバル)は決して顔が似ているわけではないのだが、会話の途中でいちいち決め顔を挟むところが、いかにもP・ラムリーっぽい。自分のことが大好きな、明朗で楽天的なスターを好演した。

踊り狂うP・ラムリー達

1965
 シンガポール島がマレーシア連邦を脱退、シンガポール共和国として独立した年。客室部門でホテル初の女性マネージャーとなったオイ・レンは、テレビ修理にかこつけて呼ぶ修理屋のエドワードと、客室を利用して目下逢引き中である。しかし、二人の関係はもはや何か違ってきている。「あなた、私達の将来を考えたことある?」オイ・レンのじわじわと囲い込んでいくような問に対し、エドワードの返答ははかばかしくない。「君は、僕が(マレーシアの)マラッカ(州)出身なのは知っていても、マラッカのどこから来たのか知りもしないだろう。」

 一方リネン室の客室メイド達の間では、シンガポール独立の話題でもちきりである。「独立したら、私達は追い出されてしまう」とおびえるマレー系の娘を、慰める中国系の二人の娘。そのうちの一人が言う、「やだ私、JB(ジョホール・バル)に住んでるのよ。通勤のために毎日スタンプを押していたら、どれだけ私のパスポート、厚くなくちゃいけないの?」やがて三人の娘達は、マレー語の「bodoh(バカ)」を福建語や潮州語で何というかを教えあって、笑いあう。中国系の娘の一人がマレー系の娘を励まして言う。「今からいろいろ心配するなんてバカよ。大丈夫よ、ホテルだって、私達がタオルやシーツを変えても、部屋はいつも同じ部屋じゃない?」

 さらに一方、玄関先では老ベルボーイの指示の元、若い作業員がマレーシアの旗をシンガポールの旗に付け替えている。「わしはこのホテルで働いているうちに、もう70になっちまったよ」老ベルボーイは言う。「50の時に家族とインドに帰ろうと思ったんだけど」。若者は問う、「なんで帰らなかったんだい?」「親族が皆、パキスタンに移っちまって」「政治がね」「政治がな」

 やがてオイ・レン達がいる部屋に、テレビでシンガポール独立のニュースを見るため、メイドやボーイ達が集まってくる。「ねぇ、なんで彼泣いてるの?」メイドの一人が言う。テレビではリー・クアンユー首相が、無念さに泣きながらシンガポールの独立を宣言していた。そして恋人エドワードに去られたオイ・レンもまた、そっと涙を流すのだった。

 このエピソードでは、これまで示唆されてきたことが、客室メイド達の口を通してより明確になる。客であれ従業員であれ、様々な人種、民族、階層、背景を持つ人々が、次々とやって来ては、また去って行く。ホテルとは、シンガポールそのものを表している。一つの国をホテルに例える。それ自体が私には新鮮だった。日本でも一つの場所(例えば地方の素封家の家)を舞台として、人や社会、時代の変遷を描くという構成の物語は珍しくないが、この作品では、場そのものが国を象徴し、しかもそれは家などではなく、ホテル———他人の集まりに過ぎない場所なのだ。

 このパート1の最終エピソードが、私はなかなか好きだ。キャリア女性の先駆けであるオイ・レンは現代のシンガポール女性のプロトタイプであり、また設定上マレー半島出身になってはいるが、恋人のエドモンドもまた一つの典型である。日本よりも女性の社会進出が進んでいるシンガポールにおいて、女性は強く、その一方で男性は優しいというのが、シンガポールの若い男女の一般的イメージである。

 しかし、私が面白いと思うのは、ホテル外でのデートを誘って忙しいと断られ、素直にあきらめたエドモンドに対し、「女は気を持たせるもので、そこを男は簡単にあきらめたりせずに追うもの」なのだと叱るオイ・レンの微妙な「女心」である。メイド達から「決して「bodoh」でない人」と噂されるオイ・レンが、(情事を重ねているにも関わらず)女は焦らし、男は追う、という昔ながらの恋愛作法を持ち出して、素直になれないでいる。それは、「修理屋風情」に恋をした彼女の自尊心のなせるわざだったのかもしれないが、そんなことをしている間に、肝心の相手の心が本当に離れてしまい、今やもう「将来」という言い回しだけが、相手の心を確かめるための切り出しになってしまった。ここでもオイ・レンを演じたパム・オエイが好演した。

 これまで世界情勢と時代に翻弄されてきたシンガポール島が、シンガポールという一つの国として独立したことは、一種の政治の都合であった(リー・クアンユー首相はマレーシア連邦に留まることを望んでいた)。冒頭の「私たち、強くならなくては」とは、皆がテレビで独立宣言を見ている間に、失恋してそっと泣くオイ・レンのセリフである。それはもちろん、彼女自身だけではなく、彼女と同様マレーシアに去られ、独立国としてやっていかなくてはならないシンガポールに生きる人々にも向けられたセリフだった。国家となったホテル・シンガポールに何が待ち受けているのか、それがパート2となる。20161113日)