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Monday, 28 October 2019

『パフォーマンス』0600 --- シンガポール・インターナショナル・フェスティバル・オブ・アーツ


2018510
0600」———Singapore International Festival of ArtsSIFA
国: シンガポール
演出: Zelda Tatiana Ng(ゼルダ・タティアナ・ン)
カンパニー: GroundZ-0(原。空間)
見た場所: National Gallery Singapore

 2018年のSingapore International Festival of ArtsSIFA、シンガポール国際芸術祭)で、私が見た最後のプログラムだった。GroundZ-0は俳優で演出家のZelda Tatiana Ng(ゼルダ・タティアナ・ン)が立ち上げたカンパニー。文化やジャンルの枠を越え、多様な専門的分野に関わる作品を作り出すことを目標としているらしい。と書くと、どういうことなのかあまりよくわからないが、この作品に限って言えば、寸劇と観客体験型の展示で、シンガポールの死刑制度について皆に考えてもらう、という趣向である。


 会場はNational Gallery Singapore(ナショナル・ギャラリー・シンガポール)内だった。ナショナル・ギャラリーは元々、City Hall(行政庁舎)とSupreme Court(最高裁判所)であった建物をギャラリーとして復活させたもので、ここの最高裁判所は、2005年まで実際に使用されていた。現在も法廷の一つやHolding Cells(公判中の被告を拘置する待機房)などが残されており、作品はそれらの場所を利用して「上演」された。観客体験型のため、参加者は各回20人くらいに限定されており、145分くらいの長さだった。

ナショナル・ギャラリーの模型。左の建物が旧最高裁判所。

 集合場所は、ナショナル・ギャラリーのSupreme Court Wing(最高裁判所翼)にある、Holding Cells(待機房)前。受付で手荷物を預けて待っていると、開始時間に看守っぽい案内人が現れる。そして看守っぽくいろいろな注意事項を告げる。携帯電話の電源は切れとか、速やかに行動しろとか、オープンマインドでアクティビティに参加しろとか。本物の看守を見たことはないが、とりあえずなんとなく怒られている感じでいろいろ言われる。

 そして最初は、スクリーンに投影されたプレゼンテーション資料を参加者全員で見る。いわく、10年間で173人(だったかな)。人口に比して世界で最も死刑率の高い国が、このシンガポールである。国民の80%が死刑制度を支持しているが、その是非は自分自身で判断しろ。この作品は全て調査に基づいて作られているのだ、という。最初看守に怒られて恐かったのに、さらにこのプレゼンの有様が恐い。それから各人に手紙が渡されるので、それを読む。それは、死刑執行の予定を死刑囚の家族に告げる内容の手紙で、なんだかますます恐くなってくる。

Prison Serviceからの手紙。
家族は死刑執行に立ち会えないが、最後の数日間に面会や
執行前の写真撮影用の衣服を送ることはできる、と書いている。
また、葬儀の手配をするようにとも。できない場合は、政府で火葬に付する。


 手紙の後、参加者はそれぞれ小さいロウソク型のライトを手にとり、看守みたいな案内人に連れられて、薄暗い待機房の並ぶ廊下を歩く。一つ目の待機房の中に、若い女性がいる。麻薬密輸の罪で死刑を宣告された18歳の女の子だ。彼女が絶望の中に語る所によれば、バンコク旅行中にある女性と知り合いになり、彼女に「プレゼント」されたスーツケースを持って入国したら、その中味が麻薬であったと。中国語で語られるが、事前に英語訳の紙を配ってくれたので、理解できた。その隣の待機房には三台のビデオモニターが設置されており、複数の人物の映像が切り替わりながら表示されている。そのうちのメインとなるのが、マレー系の女性の話。彼女は言う。息子を殺され、加害者は死刑となった。しかし、10年ほどの月日が流れた今、後悔している。なぜ自分は相手に寛恕の気持ちを持てなかったのか、なぜ謝罪する機会を与えなかったのかと。

かつての待機房


 この後、狭い階段を一列になって上がって行くのだが、その途中で、録音された検察官の談話が流れて来る。いわく、つまるところ死刑制度は必要なものである。なぜなら麻薬は多くの人々に害をなすからだ。また、死刑判決に至るまでには、多くの人が関わって様々なチェックがなされているのだ、云々。

 階段を上がると狭い廊下に出る。参加者は三人一組に分かれ、それぞれ番号の入ったシールを胸に貼られて「死刑囚」になる。そして死ぬ前にしたいこと、また最期の食事のリクエストを紙に書いて、設置されたボードに貼る。「死刑囚」の参加者達は、廊下を進みながら一人一人順番に体重を測り、写真を撮られる。そのように死刑執行を疑似体験しつつ、壁に展示されている様々な資料を見てゆく。それは実際の死刑執行の手順についてで、死刑囚は死刑執行人による説明を受けるとか、死刑囚の家族は別室で待ち、カウンセラーも待機しているとか、詳しい説明がなされている。また、死刑執行数の年次推移や、体重と死に至るまでの時間を対比した表などの資料も展示されている。ちなみに前年(2017年)の死刑執行数は3件で、全て麻薬がらみの犯罪だった。また、死に体重が関係することでわかるように、シンガポールの死刑は、日本と同じ絞首刑である。薄暗い廊下で「死刑囚」になって写真を撮られたり、死刑にまつわる資料を見たりしていると、気が滅入って恐くなるのと知的好奇心がかき立てられるのとがないまぜになる。それにしても、いろいろな資料を見た中で、死刑囚の家族に対する配慮のあることが印象的だった。ちなみに、死刑執行の日、死刑囚は午前3時に起こされる。シンガポールでは死刑の執行は金曜日の午前6時と決まっており、この作品のタイトル「0600」はそこから取られている。

 一通りの「手続き」を済ませ、いよいよ私達「死刑囚」は死刑執行室に連れていかれるのか・・・と思ってしまったのだが、あにはからんや。さらに階段を上がって行くと、広々とした絵画の展示室に出る(忘れていたが、会場はナショナル・ギャラリーだった)。現在は展示室として使用しているこの部屋は、かつて死刑宣告を行った最高裁判所の法廷であった。法廷の名残を今も留めるこの場所に、一人のインド系の青年がいて、参加者達を待っている。そしておもむろに語り始める。彼の兄は麻薬の過剰摂取で亡くなった。兄と麻薬を運んでいたという、兄の友人は死刑になった。兄は利用されただけだと、自分は信じている。だから、少なくとも彼が死刑になったことで、自分達家族はいくらか平穏を取り戻せた、と。この青年は、兄が友人に渡された麻薬で死んだと見れば被害者の家族であり、兄は麻薬の運び屋だったが、亡くなったために仲間だけが罰せられたと見れば加害者の家族である。その微妙さが興味深かった。

現在はギャラリーとして使用されているかつての法廷

この上げ蓋の下が階段になっており、かつての被告人がそうしたように私達はそこから上がって来た。

 さて、ここで「0600」は終了する。案内人はまだ案内人役を演じているのだが、「リラックスして」などと言って、急に優しくなる。いや、これまであんなに恐かったのに、今さら優しくされても。最後に、さらなる情報が得られるようにGroundZ-0FaceBook等が案内され、また、配られたアンケート用紙に回答をした。

 旧最高裁判所という場所が上手く使われた作品。「死刑囚」になって、死刑執行前の写真撮影をされたりするので、恐い。死刑について、事件の被害者、加害者、さらには検察といった様々な視点からの意見が取り上げられており、参加者に死刑制度の是非を考えることを促している。・・・のだが、こうして執行までの様々なプロセスを少しでも体験すると、考えるよりもまず、人の命を奪うことの重みと死の恐怖を感じる。おもしろいという言い方をするとあれなのだが、観客参加型の作品として、おもしろい体験ができた。それは、人が今まで観念的にしか考えたことのない問題を、もう少し実際的な側面を持ちつつ考える契機となるべきものだったと思う。作り手側の試みが成功した作品だった。

 それにしても、私はなぜ最期の食事のリクエストで、「クリームシチューとロールパン」と書いてしまったのか。クリームシチューが大好きというわけでもないのに。最期の食事にしては、お安いメニューである。たぶん、寒い冬の夜に温かい家でシチューというイメージがあって、それが人生と家庭の安らぎを連想させるからだろう。シンガポールに冬はないのだけど。2019831日)

今回私達が辿った待機房から裏の廊下を通って法廷へというルートは、通常公開されていない
(待機房は見学できる)が、定期的にナショナル・ギャラリーがガイド・ツアーを行っている。

旧最高裁判所と旧市庁舎の建物をつないでいるロビー。
正面の窓の向こうにマリーナ・ベイ・サンズが見えている。

Saturday, 17 August 2019

『演劇』One Meter Square: Voices From Sungei Road(1平方メートル:スンガイ・ロードからの声)--- シンガポール・シアター・フェスティバル


2018721
One Meter Square: Voices From Sungei Road1平方メートル:スンガイ・ロードからの声) 」———Singapore Theatre Festival
国: シンガポール
製作: Wild Rice(ワイルド・ライス)
作: Sanmu(サンムー), Zelda Tatiana Ng(ゼルダ・タティアナ・ン)
演出: Zelda Tatiana Ng(ゼルダ・タティアナ・ン),
台本: Alfian Sa’at(アルフィアン・サアット)
出演: Ong Kian Sin, Tan Beng Tian, Michael Tan, Tay Kong Hui, Yong Ser Pin
見た場所: The Singapore Airlines Theatre, Lasalle College of the Arts

 Wild Rice(ワイルド・ライス)の主催するSingapore Theatre Festival(シンガポール・シアター・フェスティバル)で上演された一本。シンガポールのガイドブックにも載っていた蚤の市、the Sungei Road Market(スンガイ・ロード・マーケット)に取材した作品である。80年にわたる歴史を持つこの蚤の市は、20177月、政府によって閉鎖された。作品はその前後を描いており、登場人物達は、作のSanmuがインタビューを通して出会った出店者達をモデルとしている。


 私はフリーマーケットで掘り出し物を見つけることも、楽しく値段交渉することも苦手なので、スンガイ・ロードで買い物をしたことはない。しかし、2017年に閉鎖された時のことはよく覚えている。当時話題になっていたということもあるが、閉鎖前の最後の週末にスンガイ・ロードで買い物をした知人に行き会ったからである。その人とは映画館で偶然会ったのだが、映画好きで日本映画にも造詣が深い(好きな女優は大原麗子と栗原小巻)彼が、その日買ったものを見せてくれたのだった。「これは女性だけの劇団なんだよね?」と言って、カバンから取り出したのが、宝塚歌劇団のLPレコードだった。そしてそのアルバムの、曲名だかレヴューのタイトルだかの、「フィーリング・タカラヅカ」という言葉を(英語に)訳してほしいと言われ、難儀をした。意味は感覚的に一瞬でわかるのだが、それを英語に訳すって、どうやって・・・いや、すでに半分英語だし(カタカナだけど)・・・、私の英語力には難易度が高すぎる質問だよ・・・と思ったのだった。そして、なぜシンガポールのフリーマーケットでこんな昔の宝塚のレコードが売られているのだろうと、不思議だった。そういうわけで、それまで縁のなかったスンガイ・ロード・マーケットが、最後の最後になって、私の心に残ることになったのだった。

 それはともかく、この「One Meter Square」について。セットはシンプルで、舞台の上に四つの四角い壇が設けられ、そこを四人の出店者達が占めている。その背後にはフェンスがあり、実際のスンガイ・ロード・マーケットを模している。さらに舞台奥の壁にはスクリーンが設置され、字幕が表示される。この作品では英語の他に、マンダリン(標準中国語)、福建語、広東語が使用されるためである。

 四人の出店者達は、それぞれ「The Gangster」「The Top Student」「Liang Po Po」「The Poet」とあだ名されている。彼らの売り物は様々で、修理して使えるようにした古い電化製品だったり、衣料品だったり、廃品回収から得た骨董品もどきの品だったりする。作品は、彼らの人となりや人生、思いを描きつつ、随所に政府のマーケット閉鎖に関する発表や見解を挟み込む。時々登場するマーケットの世話役的なおじさんも含め、出演者は全部で五人。そのわずか五人の出演者で、メインである出店者だけでなく、政府の人間、通りすがりの観光客等まで演じている。それぞれを演じ分けるために、カードに書かれた政府の発表を読む時は黒のサングラス、観光客を演じる時は派手なレジャー用の眼鏡、とかける眼鏡の種類を変えている。サングラスをかけるだけで、瞬時に政府の代表になれるわけで、この手法は上手いと思った。

 サングラスの彼らが読んでいくカードには、閉鎖の理由として衛生上の問題や近所迷惑等、いろいろなことが述べられている。カードを読んでいく度に、それらをどんどん放り投げて行く。撒き散らされる言葉。しかし、実際問題として、出店者には高齢の人が多く、かつ、ちょっとした店を持てるような経済的余力を持つ人も少ない。およそ200人いる出店者の中で、店を持って商売が始められるのはわずか一割くらいの人達である。にも関わらず、政府からは閉鎖するので新しいキャリアを求めるようにと言われ、放り出されてしまう。

 作品の後半は、マーケットが閉鎖された後の話となる。Carousell(日本のメルカリのようなオンライン・フリーマーケット)にも出品を始めた「The Gangster」。年老いた「The Poet」は、街中に別の場所を見つけたものの、そこはオフィス街で商売が苦しく、10ドル(約800円)の場所代を払うことさえも重く、昼食に1ドルのコーヒーを買うこともためらうと言う。衣料品を扱っている「Liang Po Po」は、Woodlands(ウッドランズ)のフリーマーケットに移動したが、彼女の固定客の大半は外国人ヘルパー(メイド)や労働者である。北の端のウッドランズは彼ら彼女らには不便で、街中のスンガイ・ロードからLiangおばさんが去ったことが嘆かれる。世話役のおじさんは言う。手紙を書いて政府に訴え続けているが駄目だった。若い人達がマーケット存続のためにがんばってくれているけど、失敗することできっと彼らの熱意も失われていくだろう、と。出店者達のその後だけではなく、政府の見解やジャーナリストの記事、リサイクリング・センターの人の談なども語られ、後半はかなり見応えがあった。

 実のところ、この作品は多言語で上演されているにも関わらず、字幕が読みづらいという技術的な欠点があった。しかも、セリフが早くて多いものだから、出店者達の人生譚などの話についていけず、前半は正直ちょっと退屈だったのだ。しかし、出店者達のその後を描き、様々な意見の飛び交う後半は、展開はスピーディでも話はわかりやすく、より印象的だった。

 建国50年を経て、シンガポールは、文化遺産を保存、引き継いでいくことに大きな関心を寄せるようになった。1930年代から存在していたスンガイ・ロード・マーケットこそ、「cultural heritage」ではなかったのか。貧しい、underclass(下層階級)の人々を放り出し、街中に建てるのはコンドミニアム(シンガポールではプール等の設備を完備した高級マンションのこと)。そして集まるのは国内外の投資家。ここに、シンガポールの負と言うべきものを明らかにしている。しかし、この作品が優れているのは、単にスンガイ・ロード・マーケットの出店者達が気の毒だ、というような話に終わらない点である。出店者側から、政府側から、そして第三者の側から、多角的にこの閉鎖問題を取り上げることでこの作品が一石を投じたのは、シンガポールという国の行き方そのものについてだと思う。すなわち、「シンガポール=私達(いや私は外国人だけれども)はどこに行こうとしているのか?」という問いかけである。そう問いかけながら、「では、シンガポール=私達はどこに行くべきなのか?」と、この作品は観客に一考させる。社会的なテーマを取り扱って、見終わった後ハッピーな気持ちになれるわけではないが、知的に心をゆさぶられる作品だった。2019613日)

会場になったLasalleに設置されたワイルド・ライスの電光掲示板