Sunday 25 November 2018

[Film] Tulipani: Love, Honour and a Bicycle (Tulipani: Liefde, Eer en een Fiets)


12 May 2018
“Tulipani: Love, Honour and a Bicycle (Tulipani: Liefde, Eer en een Fiets)”---European Union Film Festival
Release Year: 2017
Country: The Netherlands
Director: Mike van Diem
Cast: Ksenia Solo, Gijs Naber
Location I watched: National Gallery Singapore

Story from the programme booklet:
It tells the story of a romantic Dutch farmer named Gauke (Gijs Naber) who after losing his farm during the floods of 1953 is determined to never ever have wet socks again. He cycles to the sizzling hot south of Italy to start a new life. Due to his miraculous tulip trade, his passionate love life and his turbulent scuffles with the dubious local business practices, he becomes a living legend – to then suddenly disappear. Thirty years later, an Italian police inspector (Giancarlo Giannini) attempts to unravel the story, but struggles to distinguish fact from fiction. With the help of a young Canadian woman Anna (Ksenia Solo) he discovers what truly happened.


European Union Film Festival came back this year. Last year, when I watched a Dutch film, “Beyond Sleep”, I saw many quite tall people in the audience. This year at the screening of “Tulipani”, I saw many quite tall people in the audience again; I suspect maybe Dutch people. The film features tulips, a bicycle and a legendary Dutchman in Italy---three things praising the Netherlands. The bicycle is actually not related to the story very much. The first scene is set in Canada and the main scenes are set in Italy. For that reason, attending this screening were not only the ambassador of the Netherlands, but also the ambassador of Italy and the High Commissioner of Canada.

The programme booklet says, “he (the police inspector) discovers what truly happened”. However, it is slightly doubtful whether the past events from thirty years ago are true or not. I think that is also the reason why “Tulipani: Love, Honour and a Bicycle” is a charming film

When the film starts, the protagonist, Anna is cycling to see her mother in the hospital in Canada. Before Mother passes away, she asks Anna to bring her ash to her hometown, a village in South Italy. Anna turns her down because doing that is not allowed by law. But Mother replies that if you put it to a container and secretly bring it overseas, nobody will notice that. After her death, Anna finds that Mother has already prepared a cheap plastic container. Although the film begins with the death of Mother, it is already funny.

Anna travels to Italy with the container. In the next scene, she is carried on the back seat of a motorcycle. She is lying her face down and exposing her injured buttock with panties. The motorcycle is running through the deserted brown lands and a small village with stone pavements. In spite of her injury, Anna is happily laughing for some reasons. After Anna is admitted to a hospital for treatment, a police inspector visits her. He says that he came to arrest Anna on suspicion of murder. From here, Anna, the motorcycle driver and his mother (a widow who is her late mother’s friend) start telling the inspector the story of what happened after Anna came to their village nine days ago. They also tell the story of what happened after a Dutchman called Gauke suddenly came to their village thirty years ago, just like the current Anna.

Anna was laughing as she was carried with her injured buttocks exposed in public. That shocking scene grips the audience’s heart from the film’s start. Why is she so happy? Eventually that funny mystery is revealed at the end of their story, but as mentioned before, the story, especially the parts told by the widow, seems to be doubtful or exaggerated. For example, according to the widow, Gauke came to their village after riding a bicycle from the Netherlands to Italy in just five days. If it is true, to come straight to Italy, he must have crossed the mountains in Switzerland or Austria by bicycle... Understandably, the inspector interrupts them when he comes to a point where it is difficult to believe the story. Gradually, however, he becomes attracted by that suspicious story.

There is a story having Gauke as the protagonist thirty years ago. And there is another story about Anna who heard Gauke’s story. However, these two stories are told later as one connected story in front of somebody completely unrelated. This structure is quite effective for this film, I think. It is like an oral tradition. The entire story sounds to be true, but some parts are too unrealistic and fantastic to believe. However, when the story mixed with fantasy is told, that storytelling makes Gauke the legend of the village. After all, in the end, the inspector has chosen to believe the story as Anna had believed before him. For me, this probable and improbable story is funny, touching and enjoyable. In this film, the only disappointing point is Computer Graphics for an explosion scene in a cave. The fire did not look like real fire very much.

After the screening, when the audience left the venue, beautiful live tulips were handed out one by one. The Netherlands Embassy was working very hard to promote their country. (September 18, 2018)

The tulip I brought back home

Sunday 11 November 2018

『映画』Tom of Finland(トム・オブ・フィンランド)


201810月14日
Tom of Finland(トム・オブ・フィンランド)」・・・火を点けろ!
公開年: 2017
製作国: フィンランド
監督: Dome Karukoski(ドメ・カルコスキ)
出演: Pekka Strang, Lauri Tilkanen, Jessica Grabowsky, Taisto Oksanen, Seumas Sargent, Jakob Oftebro
見た場所: The Projector

 1011日から21日まで、フィンランド大使館の後援を得て、Finnish Film Festival(フィンランド映画祭)が開催された。新作8本の他、アキ・カウリスマキ監督のレトロスペクティブとして、「敗者三部作」を含む6本が上映された。映画祭のオープニングを飾ったのが、この「Tom of Finland(トム・オブ・フィンランド)」。レザーを着た筋肉美の男達をエロティックに描き、20世紀後半のゲイ・カルチャーに影響を与えた画家、「トム・オブ・フィンランド」ことトウコ・ラークソネン(Touko Valio Laaksonen)の伝記映画である。メディア検閲が日本よりもずっと厳しいシンガポールだが、ノーカット、R2121歳以上のみが視聴可)でレイティングされ、無事上映の運びとなった。

トム・オブ・フィンランドの作品が表紙となっている映画祭のプログラム。
帰宅後よく見てみたら、ちゃんとコンドームを持っている。

 私はそのオープニング上映ではなく、二度目の上映の時(日曜の夜8時から)に見に行った。映画館に着いた時、ちょうど開場したところだったので、入口で人々が列をなしてどんどん入って行っていた。列を作っているのは男性ばかりだった・・・。アジア人だろうが白人だろうが何人だろうが、カップルだろうがグループだろうが一人だろうが、とにかく男、男、男だらけだった。女一人で来てしまった私は、あまりのアウェー感にいつになく気もそぞろになり、そそくさと中に入ったのだった。そうして客席に座って眺め回して見ると、もちろん女性の観客もいた。しかし、男性観客の方がずっと多く、それこそトムの絵に出て来るようなマッチョな人もたくさんいて、こういう地味な映画祭(シンガポールにとってフィンランドは特になじみある国というわけではない)の客層としては異色。映画館側によると、この日の上映チケットは売り切れとなったらしい。

 この映画祭で、今まで見逃していたアキ・カウリスマキの作品を何本か見た。カウリスマキの映画ばかり見ていると、ヘルシンキには貧しい人とダサい人しかいないように思えてくるが、それはもちろん誤解なのだった。この映画で見るヘルシンキは素敵な北欧の街で、主人公のトウコ・ラークソネンは立派なジェントルマンだった。逆に紳士なだけあって、映画後半で見せる革ジャン姿が似合っているかと言われると、ぶっちゃけそんなに似合っていない(劇中でも妹に笑われている)。自分が描く男達のようにワイルドに着こなしていないのだが、それは別に問題ではないのだろう。自分がなりたい自分であるということが、この映画のトウコ・ラークソネンが歩む人生であって、似合うとか似合わないとかはどうでもいいのだと思う。


 物語は第二次世界大戦中、トウコがフィンランド軍の将校として戦っていた所まで遡る。戦争が終わり、トウコはヘルシンキで広告デザインの仕事に就く。仕事は順調だったが、彼の心には常にわだかまるものがあった。現在LGBTの権利について最も進歩的な国の一つであるフィンランドだが、当時、同性間の性的行為は全くもって反社会的な違法行為と見なされていた。同性愛者であったトウコは、世間にそれをひた隠し、警察の取り締まりにおびえつつ、夜の公園で出会いを求める悶々とした日々を送っていた。その中で彼は、戦争中に自分が殺したロシアの落下傘兵、公園でゲイを打ち据える警官、革ジャンを身にまとったバイカー達——自身の心を掴んで離さない様々なイメージから、ゆっくりとあの絵のスタイルを作り上げていく。どちらかと言うと、負のイメージに彼が取り憑かれていることが興味深かった。心を悩ますそうしたイメージを、トウコは絵を描くことで自身のファンタジーと結びつけ、見事に昇華させていったのだった。しかし、描き続けるものの、発表する場がない。失敗や苦難の末、ついにアメリカのBeefcake magazine(ビーフケーキ・マガジン、アメリカで検閲の厳しかった時代にフィットネス雑誌を装って発行されていた、ゲイ男性向けの雑誌)の一誌に自作が掲載される。トウコ・ラークソネン=トム・オブ・フィンランドのデビューである。アメリカのゲイ・カルチャーの開放とともに、トム(トウコ)の人気も高まるが、恋人の死やエイズ禍と言った試練にまたもや襲われる。しかし、それでも描き続けることを決意し、友人達の協力を得て、画集「Tom of Finland: Retrospective」を出版する——映画は、1940年代から晩年まで、およそ50年間のトウコの半生が描かれている。

 良い作品だけど、エロティックな絵を描くゲイの画家の伝記映画と聞いて、過剰な何かを期待する人が見るとがっかりすると思う。狂った芸術家の生涯というのは映画で好まれる題材だが、この映画のトウコは狂っているどころか、良き友人、楽しい同僚、優しい恋人として、ごく全うな人である。トウコが良い人な上に、端正で抑制の効いた演出のために、(事件はいろいろ起こるけれども)若干起伏に欠ける作品ではある。

 また、時間経過が分かりづらいというのが難点。冒頭のシーンでは、公会堂のロビーらしき所で、晩年のトウコが友人のダグと出番を待っている。そこから(恐らく)時間が少し戻って、(後になってわかることだが)エイズ禍の中で自分が何をすべきかと思い悩むトウコの姿が描かれる。さらにそこからトウコの回想であるかのように、時代が1940年代に戻るのだが、私がフィンランドの歴史に詳しくないこともあり、今がいつで前のシーンから何年たったのか、今一つわかりにくかった。戦後のトウコが戦争中の出来事を思い起こしたり、トウコの美しい恋人ニパが不老(不死ではないが・・・)だったりして、それがますます私を混乱させる・・・。

 例えば、ある日トウコがハッテン場になっている公園に行ったら、「ヘルシンキ・オリンピック開催のために」警察が取り締まりを行っており、その場をなんとかごまして切り抜けるというシーンがあった。映画が終わった後でヘルシンキ・オリンピックを調べて、「あー1952年の出来事だったのね」などと今さらのように思ったのだった。しかし、そうかと言っていちいち「1952年」などとキャプションを出したらつまらなくなるので、これはこれでよしとするしかないのだけど。ちなみに、1970年代にトウコが初めてアメリカに渡って以降の話は、わりとよく知られたアメリカのゲイの歴史と重なっているため、より理解しやすい。

 この映画は、トウコがトム・オブ・フィンランドとして世に出る前と後で、大きく前半と後半に分けられる。前半では、世に出せない絵を描きながらゲイとして生きることを模索するトウコの姿が、対して後半では、彼がゲイ・カルチャーに革新をもたらしたアーティストとして成功していく様子が描かれている。私がより好きなのは、少々駆け足気味で滑らかに描かれる後半よりも、隠れゲイとしての日々を送る、わりと地味な前半の方だ。

 そして最も印象的なシーンは、この前半と後半をつなぐ転機となる場面で、その時、トウコは一切をあきらめて、自分が描いてきた絵を燃やそうとする。ライターで火を点けようとするのだが、なぜかライターの火が点かない。何度も試しているうちにふと部屋の向こうを見ると、幻の男——黒い口髭をたくわえた、逞しい、トウコの空想の中の美しい男——が座っていて、手にしたライターの火を点ける。トウコは、夢をあきらめてはいけないことを悟る。時おりこうした幻想が彼の日常の中に織り込まれているのだが、このシーンでのそれは効果的で、かつ感動的だった。そしてこの「ライターを点けようとして火が点かない」というのは、冒頭の思い悩むトウコのシーンにもある。前に書いたように時間軸が若干複雑なために、ちょっとわかりづらかったのだけれども、冒頭のシーンはこのシーンのエコーとなっている。

 「トム・オブ・フィンランド」は、感情なりテーマなりを、見ている者に有無を言わさず押し付けて来るような、強烈な映画ではない。しかし、不思議と見終わった後、「あぁ、がんばろう」(何を?)と思ったのだった。そういうわけで、日曜の夜という、明日仕事だからあまり外出したくないような時間に見に行ったにも関わらず、わりと心軽やかに家路についた。たぶん、誰に迷惑をかけるでもなく、困難であっても、内なる自由に従ってコツコツと描き続けていくトウコの、その静かな戦いぶりに、ちょっと元気づけられるのだと思う。

トウコ(左)と恋人のニパ

 ところで、トウコには妹がいるのだが、彼女はトウコの恋人となるニパに思いを寄せて振られてしまう。それでもずっと兄達の世話を焼いている感心な妹なのだが、あの後彼女自身はいい人に巡り会うことができたのか、それが映画の終わった後も気になって・・・。(2018116日)

Saturday 3 November 2018

『映画』Marlina the Murderer in Four Acts (Marlina si Pembunuh dalam Empat Babak/殺人者マルリナ)


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Marlina the Murderer in Four ActsMarlina si Pembunuh dalam Empat Babak/殺人者マルリナ)」・・・「最もみじめな女」になるはずだった人殺しの四幕
公開年: 2017
製作国: インドネシア
監督: Mouly Surya(モーリー・スリヤ)
出演: Marsha Timothy, Dea Panendra, Egy Fedly, Yoga Pratama
見た場所: The Projector

 乾いた大地を一人行く、馬に乗った女。「Satay Western(サテー・ウエスタン)」と呼ばれ、イギリスのThe Guardian紙の映画評で「Leone meets Tarantino in Indonesia(レオーネとタランティーノのインドネシアでの出会い)」と書かれた作品である。インドネシアはスンバ島の僻地で、強盗団に襲われた寡婦の、復讐の顛末が描かれる。(ちなみにサテーはインドネシアやマレーシア等で食されている串焼き料理である。日本の焼き鳥に似ているが、鶏肉だけでなく、牛肉を使ったものもおいしい。)


 「Four Acts」とタイトルにあるように、映画は四部構成になっている(注意:以下四段落にあらすじが最後まで書いてあります)

 第一幕「Robbery(強盗)」: 見渡す限り、隆起した乾いた大地が続く土地の一軒家。若い寡婦マルリナの住むその家へ、一人の男が突然やってくる。Markus(マルカス)と名乗る男はマルリナに、後から仲間がやって来て、皆でマルリナの蓄え(主に豚や鶏などの家畜)を奪って彼女を犯すと告げる。実際、都合七人の男達は家に居座ると、マルリナに食事を供させる。マルリナは毒を盛って彼らのうち四人を殺害。残った首領格のマルカスにはレイプされてしまうが、隙を見て彼の刀でその首を切り落とす。

 第二幕「Journey(旅路)」: 翌日。マルカスの首を持ったマルリナは、村の警察署に行くために乗合バス(と言っても軽トラのようなもので、バス停も特にない)に乗る。そこで、臨月の妊婦である友人のNovi(ノビ)と一緒になる。強盗団のうち、生き残った二人(奪った家畜を運搬していて、マルリナの反撃の際に不在だった)がマルリナを追跡、彼女達のバスを乗っ取る。マルリナは、乗客の夫婦が結婚式のお祝いに運んでいた馬と一緒に逃げ延びる。

 第三幕「Confession(告白)」: 馬で警察署に辿りついたマルリナは、警察官達のやる気のなさといい加減さを前に、強盗にあってレイプされたことは供述したが、彼女が一味を殺したことは告白しない。一方、警察署の傍にある食堂の幼い娘(マルリナの早くに亡くなった一人息子と偶然同じ名前を持つ)と仲良くなり、しばし心の安らぐひと時を過ごす。

 第四幕「Berth(誕生)」: 一方ノビは、お腹の子は不義の子だとあらぬ疑いをかける夫に殴られ、田舎道(どこもかしこも田舎道なのだが)に置き去りにされたところを、強盗団の生き残りの若者Franz(フランツ)に捕まる。マルリナが帰宅すると、ノビを人質にしたフランツが待ち構えており、マルリナの持っているマルカスの首を要求する。首を渡し、これでおしまいにしようとするマルリナだが、フランツは彼女をレイプする。そこで今度はノビが、刀でフランツの首を切り落とす。産気づいてしまったノビは、マルリナの助けで無事出産する。翌朝、二人の女と赤ん坊は、静かに家から立ち去って行った。

 「サテー・ウエスタン」と言われると楽しそうだが、実のところ辛い話である。バスで馬を運ぶ中年夫婦の夫のような例外はあれど、まー出て来る男出て来る男、皆不愉快。この不愉快な男達が幅を利かす世界と対峙することになってしまうのが、若き寡婦マルリナなわけだが、見終わった後、痛快、爽快な気分になるかと聞かれれば、それほど清々しい気持ちにはならない。数々の苦難が乗り越えられるのを見てほっと一安心するものの、どこか苦さが残るような気持ちにさせられる。人生は続いて行くが、生きて行くのって、大変よ。

 あらすじをそのまま映画にしたら、女性の権利が守られていない開発途上の地域における、寄辺のない未亡人の止むに止まれぬ凶行と逃避行、みたいな辛気くさい作品ができてしまったかもしれない。しかし、この「殺人者マルリナ」は、明るい爽快感とは一味違った味わいをラストに残しつつも、面白い映画なのだ。起承転結を明確にした四部構成の客観的な語り口、西部劇を想起させるイメジャリー、バス道中等でのユーモアや思い切ったバイオレンス。それらが孤立無援の地で強盗団に居座られた寡婦の復讐の話から、最終的には女同士の友情の話となる展開と相まって、「殺人者マルリナ」は、女性を主人公としたドラマ映画以上の独特な作品となった。

 個人的に非常に印象的だったのは、第一幕「強盗」で、一味に居座られ、料理を作らされているマルリナのシーン。強盗団は、彼女の持っている生活の糧を全て奪った挙げ句、マルリナの手料理で酒盛りした後、彼女を輪姦する予定でいる。このシーンでマルリナは無言だが、その表情に何かの力が集中していく感じ、そしてその集中力によって何かが起こるような感じがさせられる。この非常な緊張感の元、平凡な一女性は自分を守るために人殺しとなる。

 見に行ったのはSingapore Film Societyの上映会で、上映終了後に、来場したモーリー・スリヤ監督のトーク・セッションがあった。元々この「殺人者マルリナ」は、インドネシアの映画監督ガリン・ヌグロホの原案で、女性監督を望んでいたヌグロホからスリヤ監督に話が持ちかけられたという。インドネシアの都市生活をテーマとした映画を作って来たスリヤ監督としては、初めての地方を舞台とした作品だった。同じインドネシア国内とはいえ、スンバ島について何も知らず、まずグーグルで検索するところから始めたというのが笑える。そして、乾期になるとインドネシアのようには見えない島の風景を知り、そこからウエスタンという発想が生まれた。そういうわけで、監督自身に元々西部劇に対する特別な思い入れがあったわけではないのだ。島での撮影は、空港で飛行機の着陸に手旗信号を使っているくらいの僻地なのだが、それだけに新鮮だったと言っていた。ジャカルタで撮影していると、常に余計な人が映り込んでいないかをチェックしなくてはならないが、そんなことを気にしなくても、人は全然いない・・・。ちなみにこのスンバ島だが、劇中で見られる限り、独特の文化を持っている。イスラム教徒が80%以上を占めるインドネシアだが、所によって宗教や風習も変わるものだなーと思いながら映画を見ていた。

 ところで、フランツは死んだけど、強盗団の生き残りはもう一人いたと思う。その人がまだいると思うんだけど、大丈夫?と最後までそれが気になった。20181018日)

 以下は、イギリスのバンドThe XXが、YouTubeと共同して製作している「We See You」シリーズの一編、「We See You – Jakarta」。The XXのファンにフォーカスした短編映画で、ジャカルタ編は、モーリー・スリヤ監督による。主演の若者二人のちょっと野暮ったいところが、逆にかわいい。