Sunday 29 September 2019

『演劇』Taha(タハ)--- シンガポール・インターナショナル・フェスティバル・オブ・アーツ


201854
Taha(タハ)」———Singapore International Festival of ArtsSIFA
国: パレスチナ
演出: Amir Nizar Zuabi
作: Amer Hlehel(アメル・レヘル)
出演: Amer Hlehel(アメル・レヘル)
見た場所: KC Arts Centre

 Singapore International Festival of ArtsSIFA、シンガポール国際芸術祭)のプログラムの一つ。イスラエルのハイファを拠点とするパレスチナ人俳優、Amer Hlehel(アメル・レヘル)作、出演による一人芝居である。1931年にパレスチナのガリラヤ地方(現在はイスラエル領)に生まれ、2011年にイスラエルのナザレで亡くなったパレスチナの詩人、Taha Muhammad Ali(タハ・ムハンマド・アリ)の生涯を描く。


 舞台にはベンチが一つと書類カバン。装置と小道具はそれだけ。アメル・レヘル演じるタハが登場すると、次のように観客に語りかける。
 「容易なことは何一つない。」


 そして物語は、彼の生まれた頃の時代に遡る。赤ん坊の誕生を、彼の両親や親族は祝った。しかし、その子は間もなく死んでしまった。その後、また彼の母親は出産した。また彼の両親や親族は祝った。しかし、やはりその子も間もなく死んでしまった。タハが生まれた時、誰も祝わなかった。またこの子も死んでしまうに違いないと、あきらめたからである。しかし、この成長することを期待されないで生まれた子は、生き延びた。・・・と、書くとなんだか重々しいが、実際に演じられるのを見ると、このリピートされるエピソードが可笑しい。生と死の間にある皮肉とユーモア。

 貧しい家に生まれたタハは、子供の頃から商いでお金をかせいで家計を助けた。その一方で、詩が毎日の生活の喜びであった。しかし、第二次大戦後の1948年、第一次中東戦争が勃発。難民となり、家族とともにレバノンに逃れた。タハが17歳の時である。そして一年後、父の独断で家族は故郷に戻った。しかし、故郷の村、ガリラヤ地方のセフォリス(またはアラビア語でSaffuriya)は、すでにイスラエル領になっていた。もはや戻ることはできなかったため、結局ナザレで土産物店を営むこととなった・・・。彼と同じく難民となり、そのままレバノンに留まって結婚してしまった初恋の相手(彼の従姉妹だった)。折り合いの悪かった父の死。様々な困難の中、結局詩を書くということが、タハが生きるために必要なことであった。ラストでは、イギリスで開催されたアラブ詩人の集まりに招かれて、自作の詩を朗読した時のことが語られる。カバンを引きずったタハは、持って来たはずの詩の原稿が見つからず、パニックになる。そんな滑稽な状況で彼が読む詩は、「Revenge(復讐)」。余計可笑しい。この詩の大まかな内容は、父を殺し、家を破壊し、自分を迫害した人間に復讐をしたい。しかし、もしも彼に彼を失ったら悲しむ人がいるのなら、彼を殺さないだろう。もしも彼が人々から切り離された、孤立した人間だったら、彼に注意を払わず無視することが、自分の復讐だ。というものである。作品は、朗読後の聴衆の反応を語り、そこで終わる。ちなみに劇中、タハの詩がアラビア語のままいくつか織り込まれているが、この「Revenge」は英語で語られている。

 パレスチナの歴史をにじませつつ、苦労の多いタハの一生を語って、アメル・レヘルが熱演。タハは生きることに苦闘する中で、詩作に生を見いだした。戦争のために人並みはずれた苦労を背負い、失われた土地を嘆く一方、バイタリティを持って生きるタハの姿は、見る者に勇気を与える。この作品は宗教的でも政治的でもなく、一人の人間の人生の闘いを描いている。だからこそ戦争の不条理さが感じられるが、しかし、タハの苦闘は涙を誘うものではない。そこが良かった。「容易なことは何一つない」人生を語っているにも関わらず、どこかユーモラスで、不思議と明るい作品だった。

プログラムより。タハを演じたアメル・レヘル

 会場だったKC Arts Centreは、Singapore Repertory TheatreSRT、シンガポール・レパートリー・シアター)の本拠地。席の列と列との間隔は狭いのだが、座席から舞台の近い、良い劇場だった。芝居の内容が内容なので、一般的なマレー系のお客さんも結構いたけど、SRTの客層というのはSingapore Tatler族だなーと思ったのだった。(「Singapore Tatler」はイギリスの雑誌「Tatler(タトラー)」のシンガポール版。アッパーミドル以上の人々のための、ライフスタイルマガジン。)私の偏見なんだけども。2019727日)

KC Arts Centre

Sunday 15 September 2019

『演劇』1984(1984年)--- シンガポール・インターナショナル・フェスティバル・オブ・アーツ


2018428
1984(1984年)」———Singapore International Festival of ArtsSIFA
国:  イギリス、オーストラリア
原作: George Orwell(ジョージ・オーウェル)
演出: Robert Icke(ロバート・アイク), Duncan MacMillan(ダンカン・マクミラン)
出演: Tom Conroy, Terence Crawford, Rose Riley
見た場所: Esplanade Theatre(エスプラネード・シアター)

 2018年のSingapore International Festival of ArtsSIFA、シンガポール国際芸術祭)、メイン・プログラムの一本である。この2018年から、Theatre Works(シアター・ワークス)のOng Keng Sen(オン・ケンセン)に代わり、The Singapore Repertory Theatre(シンガポール・レパートリー・シアター)のGaurav Kripalani(ガウラ・クリパラ—二)がフェスティバル・ディレクターに就任した。新しいディレクターの元、まず日程が89月から45月に変わった。これは、毎年4月後半から5月にかけて開催されているChinese Film Festival(チャイニーズ・フィルム・フェスティバル)と完全にスケジュールがかぶっているので、正直迷惑だった。いや、映画を見に行く人は、普通演劇は見に行かないのかもしれない。しかし、SIFAには映画上映のプログラムもあるのだけど。それはともかく、プログラム自体は、オン・ケンセン時代の、演劇やダンス、コンサートといったジャンルの枠を越え、表現形式そのものから前衛を志向していたような作品群に比べ、よりオーソドックスなものだった。しかし、比較的オーソドックスな表現形式を持ちながらも、社会的でかつ重いテーマを取り扱った作品が多かった、という印象。メイン会場であるエスプラネード・シアターでのオープニングがこの「1984」なら、クロージングはドイツのSchaubuhne Berlin(ベルリン・シャウビューネ)による、ヘンリック・イプセンの「民衆の敵」。どれだけ観客を嫌な気持ちにさせれば気が済むんだよ、と思った。(もう「民衆の敵」は見に行かなかった。)


 この「1984」は、ジョージ・オーウェルが1949年に発表したディストピア小説「Nineteen Eighty-Four1984年)」の舞台翻案作品である。ちょっとややこしいのだが、今回上演された作品は、元々ロバート・アイクとダンカン・マクミランが台本、演出にあたったイギリスのHeadlong(ヘッドロング)、Nottingham Playhouse(ノッティンガム・プレイハウス)、Almeida Theatre(アルメイダ・シアター)のプロダクションだった。それをオーストラリアのState Theatre Company of South Australia(ステイツ・シアター・カンパニー・オブ・サウス・オーストラリア)がオーストラリア・キャストで上演したバージョンである。と思う。

 鑑賞に先立って、原作の日本語訳を読み始めたのだが、当日までに読み終わらなかった。そのため、主人公ウィンストン・スミスの運命を知らないで見に行ったのだが、まぁー予想通り嫌な話だった。

SIFAのプログラムから(上の写真も同様)

 作品は、現代の市民達が読書会(?)でウィストン・スミスの日記を読んで議論しているというシーンから始まる。この現代の枠の中に、原作通り、「ビック・ブラザー」率いる党による1984年の全体主義的社会と、党の真理省に勤務する一党員ウィストン・スミスの生活が描かれている。昔ながらの羽目板張りの部屋、コミュニティ・センターの図書室のような所で話し合っている男女が、1984年の世界の登場人物をそれぞれ演じている。現代から1984年に移っても、セットは同じで登場人物達の服装も基本的には同じ。部屋のセットの上半分にはスクリーンがあり、最初はそこにウィストンの日記が投影されている。1984年の物語の後、また現代に戻って作品は幕となる。この現代の枠組みは、原作にある附録「ニュースピークの諸原理」が過去形で描かれていることから想を得たものかもしれない(ニュースピークは、党が考案した新英語で、これまでの英語に変わるもの。党の奉ずるイングソック(イギリス社会主義)以外による思考様式を不可能にするよう、単純化された英語)。それはともかく、1949年にジョージ・オーウェルの描いた未来世界を現代の我々と結びつけて見てほしいという、作り手側の思いであろう。しかし、私個人的には、この現代シーンは若干蛇足だったのではないかと思っている。

 さて、装置や衣装が変わらないということは、どちらかと言えば居心地よく見える部屋や、シャツにズボン、スカートといった普通の服装で1984年のシーンが演じられるということである。それは、一見快適に見えても、水面下で全体主義のような事態が進行しているかもしれないという現代に呼応させているのかもしれない。しかしその一方で、ウィンストンがなぜ党の支配に疑問を持つに至ったかを、あまりよく説明することができなくなってしまった気がする。原作を引き合いに出すべきではないのかもしれないが、原作でウィンストンは次のように考えている。
 「暮らしの物質面に思いをめぐらせると腹を立てずにはいられない。昔からずっとこんなふうだっただろうか?食べ物はずっとこんな味だっただろうか?」(高橋和久訳「一九八四年」より)
 この、生活感覚から来る体制への疑問、だからこそ決してぬぐい去ることのできない疑問を、端的に視覚的に見せてほしかったと思う。

 また、ウィンストンが恋人のジュリアと、骨董品店の二階で逢い引きをするシーンで、ジュリアは派手に化粧をして赤いドレスを着てみせる。原作では、男も女も党員はオーバーオールを着ており、女性党員は決して化粧をしないとされているが、この舞台でのジュリアの衣装は、それまでブラウスとスカートだった(そして舞台なのでもちろん化粧もしている)。実際に赤いドレスを着るというのは、舞台の工夫なのだが、それでも、以前の衣装が特殊なものでもみじめなものでもないため、残念ながらそれほどのインパクトはなかった。現代と1984年とで同じセット、衣装を共有することによって、与えられる効果があった一方、失われたものもあったと思った。

 もう一つ、与えられたものと失われたものを感じたのが、ウィンストンが勤める真理省の食堂でのシーンである。食堂ではいつも同じニュースが流され、同僚達の間では同じ会話が繰り返されている。しかし、ある日忽然と同僚の一人の姿が消える。しかし、流れて来る同じニュース対し、同僚達はやはり同じリアクションを繰り返している。消えた同僚に気づかないかのように、というよりもむしろ、最初からそのような同僚は存在しなかったかのように。否定するどころか、存在そのものをなかったことにする粛清の恐ろしさが表現されているのだが、原作で私が一番恐ろしいと思ったのはそこではない。

 また原作の話で恐縮だが、党は何もかもが右肩上がりによくなっていると常に宣伝している。しかし、その一方で生活のみじめさは全く変わらない。ウィンストンは何かが間違っていると思うのだが、そこに確証はない。もしかしたら党の支配以前よりもましなのかもしれない。わからない。なぜなら、比べることのできるものが何もないからだ。歴史どころか昨日のニュースも間断なく書き換えられていく。個人が記憶していたことを、それが実際にあったことだと肯定する公的な記録は何もない。私的なものももちろん存在しない。自分以外に支持するもののない記憶は、当人の中でもやがて曖昧になっていく。そもそもタイトルになっている「1984」さえ、今が本当に1984年なのかどうか、ウィンストンには確かなことはわからないのだ。

 いつもの生活のなかで、人一人消えて気づかれない「ことになっている」恐怖、変化のない日常の水面下の恐怖が上手く描かれてはいる。しかし一方、歴史や情報が間断なく変更され、依るべきものが(今の体制以外に)何もないという恐怖は強調されない。後者の恐怖こそ、原作で私が一番恐ろしいと感じたことである。そしてウィンストンが、自分自身情報の書き換えを仕事としていながらも、党による支配前の(本当の)過去を知りたいと切に願った、また個人の記録として日記をつけるという許されない行為を始めた動機も、そこにあったのではないだろうか。

 この舞台作品の一番の見所であり、視覚的な表現が上手くいっているのは、ウィンストンとジュリアが骨董品店の二階の部屋で逮捕されるシーンである。ウィンストン達の密会部屋は、通常のセット(羽目板張りの部屋)の裏にあり、二人が会っている様子はスクリーンで映し出されるようになっている。観客は部屋にいる彼ら二人を直接見ることはない。しかし、ある時突然、二人以外の声が聞こえ、表のセットが二つに割れると、裏にある彼らの部屋———舞台裏に作られたセットにすぎない———が剥き出しにされる。そして部屋にいる二人の前に、現れる思考警察。結局、二人の密会は最初から監視されていたのである。観客がスクリーンで覗き見ていたように。

 このダイナミックな屋台崩しによって示される演劇的虚構は、ウィンストン達が党の介在しないところだと信じていた場所すら、党のお膳立てであったことを強調する。この痛烈な挫折の後、ウィンストンが政治犯として送り込まれるのは、むしろ「闇の存在しない」真っ白い空間であるという皮肉。そして、ウィンストンの運命は悲劇的な結末を迎える。

 ここで話は現代に戻る。ウィンストンの日記を検証し終わった人々は、次のように言う。「こんなことがあったはずがない。そもそも私達はニュースピークで話していないし。これはフェイクニュースだ」と。確かに、「1984」はフィクションなのだけど・・・ということではなく。要は、「1984」の世界を作り話だと思ってたかをくくっていると、今そこにある危機を見過ごしてしまいますよ、この作品を警鐘と思ってくださいよ、ということなのだと思う。しかし、観客というのは、そこまで親切にフェイクニュースという流行言葉まで用いて敷衍しないと、作品と現実とを結びつけることができないものだろうか。良識ある一般市民が全体主義社会の党員にもなりうる、「1984」の世界は他人事ではないという点で、この現代の枠組みはそれなりに効果のあるものだったかもしれない。しかし、この締めのセリフはやり過ぎのように感じた。

 そういうわけで、見に行った当初は、印象的ではあったが、同時に不満も残る作品だった。枠組みの是非はともかくとして、原作は結構な長編なので、そこから何を取って何を取らないかの問題もあると思う。それが、私が原作を読んで強調してほしいと思っている点とはちょっと違っていた。しかし、この芝居を見に行った後でようやく原作を読了し、それから改めて考え直して見ると、良くまとまった劇化ではあったと感心した。そうかと言って、内容が内容なので、何度も見たいとは思わないが・・・。2019714日)

劇場の入口

ボケた写真だが、カーテンコールの様子

Victoria Theatre前で行われたSIFAのイベントの様子