Tuesday 20 March 2018

『ダンス』Mark(マーク)


201792
Mark(マーク)」・・・Singapore International Festival of Arts (SIFA)
国: シンガポール
製作: Singapore International Festival of Arts
振付: Daniel Kok
台本: Claudia Bosse
出演: Lee Mun Wai, Melissa Quek, Patricia Toh, Jereh Leong, Yazid Jalil, Felicia Lim, Elizabeth Chan, Phitthaya Phaefuang “Sun”, Otniel Tasman
見た場所: Marina Bay Sands Event Plaza


 シンガポールのダンサー/コリオグラファー、Disco DannyことDaniel Kok振付によるダンス公演である。ただし公演場所は屋外の公共スペース。しかも公演日によって異なっており、National Library(国立図書館)の前、Scapeの広場ときて、私が行った最終日の会場は、Marina Bay Sands Event Plaza、マリーナベイ・サンズ・ホテルに併設している高級ショッピング・モール前の広場だった。(ちなみにScapeがどのような場所なのか説明するのが難しいのだが、簡単に言うと、今時な感じの青少年センターである。)開始時間は常に午後5時半から。夕日とともに行われ、シンガポールの日没時刻、午後7時頃に終了するよう設定されている。当たり前だが、公共スペースで行われる公演なので、無料である。通りがかったら何かやっているので立ち止まって見てみた、という感じでももちろん大丈夫。

 しかし、私はわざわざこのために、時間を合わせて見に行った。滅多に行かないマリーナベイ・サンズに。5時半前には着いていたが、マリーナ湾に面しているこの広場、湾から西日が直接当たって、暑かった。この公演を見るためにやって来た、私のようなごくろうな人々が結構いて、なんとなく中心を空けた感じで(実際に広場のどの辺りで行われるのかはっきりしないため)、海側の手すりの傍とか音響装置の近くとか、それぞれ思い思いの場所で待っていた。

公演前。暑い。

 プログラムでは5時半開始となっていたものの、実際に始まったのは6時近くになってからだった。間隔を置いて聞こえてくる、モワーン、モワーンという音とともに、9人のダンサー達がバラバラにポーズを取り、そして少しずつ動く。ダンサー達はお互いにかなり離れて立っており、しかも地味な色のトレーニングウェアを着ているので目立たない。だから最初は、いつ始まったのか気づかないくらいである。しかし、常でない場所での公演で、これから何が起こるかとわくわくした。

実のところ始まっている(右端)。左端で黄色の帽子をかぶって腕を組んで立っている人がDaniel Kok。
 
 ダンサー達の動きは滑らかではなく、カクカクとしたものである。そして時々、場所を変える。見ている方としては、自分の目の前でダンサーが動きをとっている時もあれば、全員が反対側の方にいるような時もある。別に同じ場所で見ている必要もないので、自分が見たいように時々移動をした。

 そのうち、ダンサー達は色とりどりの糸巻きを放り投げ、その糸に自らが絡めとられるかのように動く。そして近くの観客に糸の一方の端を持っているように頼む。もう一方の端にいるダンサー達はますます絡めとられるかのようになり、その動きは激しくなる。全身に絡み付いた糸から抜け出られずにあえいでいるようで、回転したり倒れたり。


 その後、ここで一旦仕切り直しがされるかのように、あらかじめ巻いて置いてある白いプラスチックシートの前でダンサー達が整列する。全員でそれを広げ、テープで端を止める。面白いことに、それまで(ダンサーがどれくらい動くかわからないため)遠巻きに見ていた観客達が、シートが敷かれた途端に、そのシートの端ぎりぎりまでスペースを詰め始めた。私も近寄って行った。今まで場というものがはっきりしていなかったのが、シートが敷かれた途端に、観客にも上演される場がわかってしまったゆえである。その場所全体が上演スペースに成り得た時は、観客の方に若干の緊張が無意識にあったのではないかと思う。

巻かれたプラスチックシートの前に並ぶダンサー達

 シートを設置した後、ダンサー達は黒いチョークを折ってバラバラにし、それを体で押しつぶして、白いシートの上に黒い後を残して行く。そのうち一人が袋から白い粉を出して、地面に叩きつけるようにしながら撒き始める。このシートの上でのパートになって初めて———一組だけではあるが———二人のダンサーが絡み合って踊る姿を見ることができる。今までは全員が、それぞれ思い思いの動きをしていたのだ。やがて他のダンサー達も、異なる色の粉をやはり叩きつけながらまき散らし出す。何人かの観客が任意で呼ばれ、ダンサー達とともにシートにチョークで線を描くことに参加させられる。ますます大量の粉が撒かれ、這いつくばった人達が落書き様の線を描き、一組はレスリングのように体を打ち付け合い、ダンサーも参加している観客も粉で汚れて見分けがつかなくなり———そんな何がなんだかよくわからないドロドロの状態になる。そして最後は、全員一丸となって盛大に色粉をまき散らして終了。湾の西日は落ちて、夕闇が近かった。

ダンサーが観客を引き込む。


 公演が行われた三カ所のうち、マリーナベイ・サンズは、新しく観光向けに整備されているがゆえに最も美しい場所だった。また、プログラム記載の紹介文や、先のNational Libraryでの公演写真を見る限り、なんとなく美しいパフォーマンスが見られるものと思っていた(時間も日没に合わせていることだし)。しかし実際には、このリッチできれいな場所には似合わないパフォーマンスが繰り広げられたのだった。
 
 この「Mark」の台本を担当したClaudia Bosseによると、作品を作っていく上でDaniel Kokが挙げたのは、以下の三つの要素だったという。一つは、インドのホーリー祭(色粉や色水を掛け合うヒンドゥー教のお祭り)、もう一つはPink Dot(ピンク・ドット)、そして最後の一つはより抽象的で、現在の世界的な政治秩序に関連してどんなアートが必要とされるか、という一般的な問いかけ。ちなみにピンク・ドットとは、シンガポールで年に一度行われている、LGBTのコミュニティを支援するイベントである。行われるのは毎年6月頃(今年は71日だった)なのだが、社会と愛の多様性を認め、LGBTの権利拡大を支援したいと思ったら、この日の定められた時間にピンク色の入った服を着てHong Lim Parkに行くと良い。そこに集まった皆で、ピンク色の点(ドット)を形づくって上から写真を撮る、というのが基本の活動だと思う。(私も、参加している知り合いはいるが、自分が行ったことがあるわけではないので、さらにどんなことが行われているのかはわからないのだが。)
 
 こう言ってはなんだけど、概してコリオグラファーのコンセプトに関する話というのは難しいことが多いので、この三つの要素が作品にどう反映されているか、と考えてもあまりよくわからない。色粉をまき散らすのは、ホーリー祭からなんだろうな、とは思うけど。また、ホーリー祭にしろピンク・ドットにしろ、公共の場において、多くの人を巻き込んで記憶されるべき特別なことを行うというコンセプトは共通している。ただ、先に書いたマリーナベイ・サンズに似合わない作品の過激さは、これらの要素がコンセプトとしてあるからではないかと思う。
 
 ダンサー達のぎこちない動きや、細い糸に絡めとられ、色粉の中でのたうち回る様は、なんとなく地獄絵図的だと、私は思ったのだった。しかも、地獄と言っても真っ黒でも真っ赤でもない。糸も粉も色とりどりで美しい。皮肉にも非常に魅力的である。自然の美が輝く夕日の時刻、しかしそんなことには構わないかのように、美しい色糸に取り巻かれて苦しむ。ネット社会の現代の縮図と取れなくもない。やがて色粉を叩き付けながら、荒ぶる感情を解き放っていく。全員が汚れて何がなんだかわからない状態になるにつれ、地獄絵図的なものが、祝祭的になっていく気がした。そしてラストの、参加している観客も一緒になって色粉をまき散らして終わるというパートでは、もはや祭りのフィナーレを見る楽しさがあった。観客をパフォーマンスに巻き込む意味は、このラストで見ている側との一体感を強めるためにあったのではないかと思う。彼らの祭りの終わりではなく、私達の祭りの終わり。そしてあくせくとした時間から解放される、今日一日の終わりであった。2017107日)

フィナーレ
 

Tuesday 13 March 2018

『コンサート』My Lai(ミライ)



2017825
My Lai(ミライ)」・・・Singapore International Festival of Arts (SIFA)
国: アメリカ
製作: Kronos Performing Arts Association
作曲: Jonathan Berger
台本: Harriet Scott Chessman
演出: Mark DeChiazza, Rinde Eckert
歌手: Rinde Eckert
演奏: Kronos Quartet, Van-Anh Vo
見た場所: Drama Centre Theatre

 毎年SIFAの音楽プログラムを楽しみにしている。昨年は中国出身のピパ(中国琵琶)奏者Wu Manとウイグルのミュージシャン達によるコンサートだった。一昨年は、伝統的なアボリジナル音楽を現代的なスタイルと融合させたパフォーマンスを行うBlack Arm Bandや、トイ・ピアノ奏者Margaret Leng Tanの公演を見た。イギリスのSouthbank CentreLondon Sinfonietta による、20世紀のクラッシク音楽を聞くという一連のコンサートに、4日間行った年もある。

 今年は、サンフランシスコに拠点を置くKronos Quartet(クロノス・クァルテット)とベトナム伝統楽器の奏者であるVan-Anh Voによるモノドラマ「My Lai」だった。この場合のモノドラマとは、弦楽四重奏楽団とベトナム伝統楽器奏者の演奏による一人オペラである。実は内容をあまりきちんと確認しないでチケットを買ったので、行ってみてオペラだったことに驚いた(演奏だけだと思っていたのだ)。

会場であるDrama Centre入口

 上演内容を確認しない私が言うのもなんだが、「My Lai」は、ベトナム戦争中に起こったMy Lai Massacre(日本語ではソンミ村虐殺事件)、およそ500人にものぼる非武装のベトナム人住民が米軍によって虐殺された事件を題材としている。一人オペラであるこの作品の主人公は、当時、第23歩兵師団第123航空大隊の准士官であったHugh Thompson Jr.(ヒュー・トンプソン・ジュニア)である。1968316日朝、偵察ヘリコプターを操縦していたトンプソンは、ソンミ村のミライ集落上空で米軍による住民への攻撃を目撃する。トンプソンは、二人の部下とともに虐殺を止めようとし、また生存者を探して安全な場所に避難させようとした。そして、自分が目撃した殺戮行為を上官に報告した。

 作品は三部構成になっており、それぞれ「1st Landing」「2nd Landing」「3rd Landing」と題されている。時は200512月、癌を患って入院しているトンプソンが、あの虐殺の悪夢を思い起こすという回想形式で物語は進められる。ちなみに実際の彼は、2016年1月6日に62歳で亡くなった。つまり作品は、死の数週間前という設定なのである。

 舞台装置はシンプルで、舞台向かって左手にクロノス・クァルテット、右手にVan-Anh Voと様々なベトナム楽器、そして中央のもう一段高く設けられたステージに歌手のRinde Eckertが立つようになっている。そこには椅子2脚と毛布があるぐらい。背後は(病室を仕切るような)カーテンがかかっており、そこに映像が映し出される。上空から見たジャングルや煙だったりするが、カーテンには襞が入っているし、映像自体があまりはっきりとしたものではない。そのため、それらの映像は淡くぼんやりとしており、何が映っているのかよくわからない時もある。恐らくトンプソンの追憶であることを表現しているのだろう。

開演前の舞台

 クロノス・クァルテットは幅広い音楽活動を繰り広げているようだが、ざっくりとジャンル分けすると現代音楽に当たる。今回の作品では、クロノスの弦楽器演奏に、ベトナムの琴、木琴、銅鑼のような楽器からの音が組み合わされている。これを音楽に詳しくない私が聞いて思い起こしたのは、武満徹の音楽である。不協和音や鋭い響き、予想できない音の上がり下がり。乗ることもできなければ、一緒に歌うこともできない。就寝前に聞いてもあまり心が安らがない音楽である。

 物語は全編ほぼ歌によって語られている。歌詞は基本的にシンプルで、全ての状況説明や発言、思いが歌にされている(オペラは得てしてそういうものであろうが)。例えば、「これを見ろ〜」「あれは何だ〜」「死体が山積みだ〜」みたいな感じである。

 三部構成の第一部「1st Landing」では、2005年のトンプソンが虐殺の日を回想し始める。美しい朝にヘリコプターを操縦していた彼は、米軍が村人達を虐殺しているのを見つける。思い起こすに当たり、トンプソンは病室内をウロウロ歩き回ったり、毛布をたたんでみたり、逆に身にまとってみたりと、落ち着かなげである。一部の終わりには、病室のTV(が実際に置いてあるわけではないが)からと思われるクイズ番組の音声が流れて来る。司会は解答者の一人としてなぜかトンプソンを紹介している。クイズは、赤、白、青、三つのドアの一つを選べ、というもの。ドアは三つとも赤いと答えるトンプソン。このクイズ番組のシーンは、歌にはなっておらず、通常のセリフの形式である。

 第二部「2nd Landing」では、トンプソンと彼の二人の部下が殺戮を止めようとする。二部の終わりにも、やはりクイズ番組が流れて来る。先ほどと同じ司会が、トンプソンが部下に何を命じたかを質問している。トンプソンが説明している間に司会は時間切れだとし、「(米兵に対して)こいつらを撃て」、が正解だと告げる。(正しくは、逃げる住民達に対して米兵が銃を向けるようなら、米兵の方に向かって撃てと命令した。実際には撃たなかった。)トンプソンが、彼らの行っていたことは殺人であって、兵士のすることではないと言っても、聞き入れてはもらえない。

 第三部「3rd Landing」の始まりでは、2005年のトンプソンが、かつての部下の一人、ラリーの家に電話をしている。その後再び回想に戻り、一人の少年を救い、自分のヘリに乗せて飛び立ったことが歌われ、作品は終わる。

 この作品の内容からも察せられるように、己が正しいと思ったことをしたトンプソンだったが、その結果は、必ずしも彼に幸福をもたらしたとは言えなかったらしい。便利な時代なので、彼が亡くなった時のThe New York Timesの記事をインターネットで読むことができた。この虐殺事件について、トンプソンは軍法会議等で証言を行っているが、当時の世間は(虐殺を行った方ではなく)彼の方が有罪であるかのように見なした。脅迫電話がかかってきたり、自宅のポーチに動物の死体が投げ込まれたりしたらしい。功績を讃えられて勲章を授与されたのは、虐殺事件から30年後の1998年になってからだった。

 この作品では、時間を要したものの、結果的には勲章をもらって報われた、ということは描かれていない。曲調からしてあまり楽しげではないように(むしろ不穏な感じ。三部は若干哀切である)、ここで描かれているのは、当時24歳の青年だった主人公の、人生に大きな影響を与えたあの朝、虐殺のトラウマであり、その後の苦悩である。というわけで、作品の全体的な雰囲気は苦い。しかし、それでもラストで、自分は自分にできることをしたのだという救いは描かれている。行為の称賛を押し付けたり、無理に感動させたりせず、主人公の個人的な虐殺にまつわる記憶を辿る、という作り方に好感がもてる。

 それにしても、「いつも空を飛びたかった〜」と飛翔への希求が最初に歌われ、それに呼応する形で、少年を救ってヘリコプターで飛び去ったというラストで締めているのだと思うが、今ひとつこの空への憧れに共感できない。曲や舞台の雰囲気が醸し出す神経症的な重苦しさのためではなかろうかと思う。確かに明るい話題の作品ではないのだが、この憧れが共感できないと、主人公に対する共感も減じるので、そこに多少の物足りなさは感じたのだった。2017924日)

ピントが合っていないがカーテンコールの様子。カーキ色のジャンパーのおじさんが歌手のRinde Eckert

Monday 12 March 2018

『ダンス』Le Syndrome Ian(ル・シンドローム・イアン)


2017825
Le Syndrome Ian(ル・シンドローム・イアン)」・・・Singapore International Festival of Arts (SIFA)
国: フランス
カンパニー: ICI (Institut Choregraphique International)-CCN Montpellier
振付: Christian Rizzo(クリスチャン・リゾ)
見た場所: SOTA Drama Theatre

 6、7月に開催されたプレ・フェスティバル「The O.P.E.N.」を経て、メインである「Singapore International Festival of Arts」(シンガポール国際芸術祭、SIFA)が始まった。今年はフェスティバル・ディレクターであるOng Keng Sen(オン・ケンセン)にとって最後の年であるが、本年もやはり知的でエッジの効いた作品や企画が揃ったと思う。観客として、演出家のオン・ケンセンには言いたいこともあるのだが、芸術祭のディレクター、キュレイターのオン・ケンセンの目は素晴らしいものだった。名残惜しく別れを告げる今年のSIFAである。

 「Le Syndrome Ian」は、コリオグラファー、クリスチャン・リゾによる三部作の三番目の作品にあたるのだそうだ。この三部作のテーマは、アーティストによるダンスと、無名の「発見されたダンス」との関係についてだと言う。他の二作品は見ていないので何とも言えないのだが、この「Le Syndrome Ian」について言えば、クラブ・ダンスをダンスする、ということだと思う。タイトルの「Ian」は、ポストパンクの代表的なバンド、ジョイ・ディヴィジョンのボーカリスト、イアン・カーティスの「Ian」である。


 そういうわけで、舞台ではループするビート——しかし速すぎず、音と音との間隔が広い——が流れている。このもぁっとした、全く明るくないビートが流れる中、10人ほどのダンサーが二つの塊を作っている。それぞれ体を寄せ合って丸くなったまま、ビートに合わせて心なし体を揺らしている。全員同じ、白い半袖ポロシャツに黒のパンツ、白いスニーカーという衣装。二つの塊はビートとともにゆっくりと解けていき、ダンサー達はそれぞれ踊り出す。彼らの動きは難しそうには見えない。横に揺れ、時おりその場でターンしたり、片手を上げてみたりする。また、ペアになってただ揺れていたりする。それを見ていて改めて思ったのが、人が曲に乗ってちょっと(決して激しくではない)体を揺らす時、たいてい横揺れだよな、ということだった。クラブやライブハウスで人が踊る姿を模している一方、その動きは次第にシャープになっていく。ついにはパフォーマンスとしてのダンスらしく、フォーメーションを作るのだが、すぐ崩れてしまう。そしてまた、クラブ・ダンスに戻って行く。時おりスモークが舞台を覆い、可動式の風車型の照明はダンサー達によって移動させられ、ライトを当てる場所を変えていく。ビートに乗ったユルい踊りは、「見せる」ダンスとして形をなし、そしてまたグダグダになっていく。その繰り返しに、見ていて若干気が遠くなった。あのビートにまた、催眠効果があると思う。

 皆が同じ日常的な衣装を着て踊る姿に、ふと、かつての勤め先で参加させられたチーム・ビルディングを思い出した。別にチーム・ビルディングで同じ服装をさせられるわけではないが、なぜかグループに分かれてダンスを踊らされたなぁ、と。そこでリーダーになったのはスポーツの得意な同僚だったが、たとえ有名体育学科を卒業した彼女のふさわしい指導を持ってしても、素人の大人が完全にシンクロナイズしてピシピシ踊るというのは(よほど練習しない限り)不可能なのである。身体的にも心理的にも。今回、フォーメーションを作って、てんでバラバラに片手を上げる動作をするダンサー達を見ていたら、我々のあのダラッダラッとした集合ダンスを、なんとなく思い出したのだった。しかし、彼らのバラバラ感はもちろんわざとなのであって、かつての我々のようにできないからではない。てんでバラバラと言っても、それぞれのダンサーがタイミングを見計らって手を上げているのであって、揃ってはいないが、しかし美しいと言える一定のまとまりと流れを持っている。素人が自分の楽しみのために踊りとも言えないダンスをしているように見せかけつつ、訓練を受けたダンサーが他人に見せるために踊っている。「Le Syndrome Ian」は、この境界を曖昧に行き来する。

 作品の後半に入ると、全身長い毛で覆われ、顔も見えない雪男のような怪物が舞台に現れる。彼(彼女?)は踊る人達を眺めて、また引っ込む。何かの表象かもしれないが、こういうわけのわからないものが登場すると、いかにも「コンテンポラリー」ダンスっぽくなる。とりあえず、反復ビートで気が遠くなりそうだったのが、ハッとなった。そのうち、二人の女性ダンサーを残して、他の人達は舞台から去る。ここで初めて、これまでと同様の見せるダンスを作りつつ同時に崩れていくということを、ペアで行う。そのうちに、先ほどの怪物が人数を増やして登場。舞台を占めると、これまでと同じダンス——横ゆれ、回転、片手を上げる——を始めるが、すぐに倒れてしまう。こうなるともはや、クラブ・ダンスの考察から生まれた、他人に見せるためのダンスというよりも、クラブ・ダンスのパロディのようである。

 最後は、怪物の一人がその着ぐるみを脱ぐ。中から登場するのはピンクのTシャツにレギンスの女性である。風車型の照明に向かい、大音量の音楽(この最後の曲だけ歌詞がある)に合わせて、体を後ろ方向に引きながら狂ったように踊り始める。ここでこの作品は幕となり、本当に幕が降りるのだった。(自分が)行うダンスと(他人に)見せるダンスのバランスは、怪物の登場から、見せるダンスへとぐっと傾き、「作品」になっていく。しかし最後にまた、無名の人(を装う人)によるダンス——踊り手自身の楽しみのためのダンス——へと戻って行ったのだろうと思う。

 ジョイ・ディヴィジョンを聞くことはあっても、いかんせんクラブ・ダンスに思い入れがないせいか、仕事帰りで疲れたのか、眠くなった部分も正直ある。あるが、知的という意味では刺激的で、かつユニークな作品だと思う。曖昧に往き交う、行うダンスと見せるダンスを見ていると、そもそも観客としてダンスを見るとはどういうことなのかと、改めて思い悩みたくなってくる。ところで、見ている間、この作品のループするビートは、どことなく「Blue Monday」っぽいと思っていたのだが、知人は「The Perfect Kiss」を思い出したと言っていた。どっちの曲もジョイ・ディヴィジョンではなくて、ニュー・オーダーだけど。2017918日)

終演後。風車型の照明と脱ぎ捨てられた着ぐるみ(左端)
  
 関係ないのだが、この日、Singapore Night FestivalがBras Basah Road界隈で開催されていた。数々のイベントが行われていたが、下記は、Singapore Art Museumの建物全体を利用したライトアップ。