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Monday, 12 March 2018

『ダンス』Le Syndrome Ian(ル・シンドローム・イアン)


2017825
Le Syndrome Ian(ル・シンドローム・イアン)」・・・Singapore International Festival of Arts (SIFA)
国: フランス
カンパニー: ICI (Institut Choregraphique International)-CCN Montpellier
振付: Christian Rizzo(クリスチャン・リゾ)
見た場所: SOTA Drama Theatre

 6、7月に開催されたプレ・フェスティバル「The O.P.E.N.」を経て、メインである「Singapore International Festival of Arts」(シンガポール国際芸術祭、SIFA)が始まった。今年はフェスティバル・ディレクターであるOng Keng Sen(オン・ケンセン)にとって最後の年であるが、本年もやはり知的でエッジの効いた作品や企画が揃ったと思う。観客として、演出家のオン・ケンセンには言いたいこともあるのだが、芸術祭のディレクター、キュレイターのオン・ケンセンの目は素晴らしいものだった。名残惜しく別れを告げる今年のSIFAである。

 「Le Syndrome Ian」は、コリオグラファー、クリスチャン・リゾによる三部作の三番目の作品にあたるのだそうだ。この三部作のテーマは、アーティストによるダンスと、無名の「発見されたダンス」との関係についてだと言う。他の二作品は見ていないので何とも言えないのだが、この「Le Syndrome Ian」について言えば、クラブ・ダンスをダンスする、ということだと思う。タイトルの「Ian」は、ポストパンクの代表的なバンド、ジョイ・ディヴィジョンのボーカリスト、イアン・カーティスの「Ian」である。


 そういうわけで、舞台ではループするビート——しかし速すぎず、音と音との間隔が広い——が流れている。このもぁっとした、全く明るくないビートが流れる中、10人ほどのダンサーが二つの塊を作っている。それぞれ体を寄せ合って丸くなったまま、ビートに合わせて心なし体を揺らしている。全員同じ、白い半袖ポロシャツに黒のパンツ、白いスニーカーという衣装。二つの塊はビートとともにゆっくりと解けていき、ダンサー達はそれぞれ踊り出す。彼らの動きは難しそうには見えない。横に揺れ、時おりその場でターンしたり、片手を上げてみたりする。また、ペアになってただ揺れていたりする。それを見ていて改めて思ったのが、人が曲に乗ってちょっと(決して激しくではない)体を揺らす時、たいてい横揺れだよな、ということだった。クラブやライブハウスで人が踊る姿を模している一方、その動きは次第にシャープになっていく。ついにはパフォーマンスとしてのダンスらしく、フォーメーションを作るのだが、すぐ崩れてしまう。そしてまた、クラブ・ダンスに戻って行く。時おりスモークが舞台を覆い、可動式の風車型の照明はダンサー達によって移動させられ、ライトを当てる場所を変えていく。ビートに乗ったユルい踊りは、「見せる」ダンスとして形をなし、そしてまたグダグダになっていく。その繰り返しに、見ていて若干気が遠くなった。あのビートにまた、催眠効果があると思う。

 皆が同じ日常的な衣装を着て踊る姿に、ふと、かつての勤め先で参加させられたチーム・ビルディングを思い出した。別にチーム・ビルディングで同じ服装をさせられるわけではないが、なぜかグループに分かれてダンスを踊らされたなぁ、と。そこでリーダーになったのはスポーツの得意な同僚だったが、たとえ有名体育学科を卒業した彼女のふさわしい指導を持ってしても、素人の大人が完全にシンクロナイズしてピシピシ踊るというのは(よほど練習しない限り)不可能なのである。身体的にも心理的にも。今回、フォーメーションを作って、てんでバラバラに片手を上げる動作をするダンサー達を見ていたら、我々のあのダラッダラッとした集合ダンスを、なんとなく思い出したのだった。しかし、彼らのバラバラ感はもちろんわざとなのであって、かつての我々のようにできないからではない。てんでバラバラと言っても、それぞれのダンサーがタイミングを見計らって手を上げているのであって、揃ってはいないが、しかし美しいと言える一定のまとまりと流れを持っている。素人が自分の楽しみのために踊りとも言えないダンスをしているように見せかけつつ、訓練を受けたダンサーが他人に見せるために踊っている。「Le Syndrome Ian」は、この境界を曖昧に行き来する。

 作品の後半に入ると、全身長い毛で覆われ、顔も見えない雪男のような怪物が舞台に現れる。彼(彼女?)は踊る人達を眺めて、また引っ込む。何かの表象かもしれないが、こういうわけのわからないものが登場すると、いかにも「コンテンポラリー」ダンスっぽくなる。とりあえず、反復ビートで気が遠くなりそうだったのが、ハッとなった。そのうち、二人の女性ダンサーを残して、他の人達は舞台から去る。ここで初めて、これまでと同様の見せるダンスを作りつつ同時に崩れていくということを、ペアで行う。そのうちに、先ほどの怪物が人数を増やして登場。舞台を占めると、これまでと同じダンス——横ゆれ、回転、片手を上げる——を始めるが、すぐに倒れてしまう。こうなるともはや、クラブ・ダンスの考察から生まれた、他人に見せるためのダンスというよりも、クラブ・ダンスのパロディのようである。

 最後は、怪物の一人がその着ぐるみを脱ぐ。中から登場するのはピンクのTシャツにレギンスの女性である。風車型の照明に向かい、大音量の音楽(この最後の曲だけ歌詞がある)に合わせて、体を後ろ方向に引きながら狂ったように踊り始める。ここでこの作品は幕となり、本当に幕が降りるのだった。(自分が)行うダンスと(他人に)見せるダンスのバランスは、怪物の登場から、見せるダンスへとぐっと傾き、「作品」になっていく。しかし最後にまた、無名の人(を装う人)によるダンス——踊り手自身の楽しみのためのダンス——へと戻って行ったのだろうと思う。

 ジョイ・ディヴィジョンを聞くことはあっても、いかんせんクラブ・ダンスに思い入れがないせいか、仕事帰りで疲れたのか、眠くなった部分も正直ある。あるが、知的という意味では刺激的で、かつユニークな作品だと思う。曖昧に往き交う、行うダンスと見せるダンスを見ていると、そもそも観客としてダンスを見るとはどういうことなのかと、改めて思い悩みたくなってくる。ところで、見ている間、この作品のループするビートは、どことなく「Blue Monday」っぽいと思っていたのだが、知人は「The Perfect Kiss」を思い出したと言っていた。どっちの曲もジョイ・ディヴィジョンではなくて、ニュー・オーダーだけど。2017918日)

終演後。風車型の照明と脱ぎ捨てられた着ぐるみ(左端)
  
 関係ないのだが、この日、Singapore Night FestivalがBras Basah Road界隈で開催されていた。数々のイベントが行われていたが、下記は、Singapore Art Museumの建物全体を利用したライトアップ。