Thursday 3 December 2020

『映画』Bamboo Theatre (戏棚/劇棚)

 

20201010

Bamboo Theatre (/劇棚)」・・・Singapore Chinese Film Festival

公開年: 2020

製作国: 中国(香港)

監督: Cheuk Cheung(卓翔)

見た場所: Filmgarde Bugis+

 

 毎年45月頃に行われる中国語映画の映画祭、Chinese Film Festivalが、今年はCOVID-19の影響により、10月開催となった。と言っても、シンガポールではまだ映画館は、300席以上の映画館で150席まで、300席より小さい館では座席数の50%までを最大数としている。そのため今年の映画祭は、劇場で上映する作品とオンデマンド配信を行う作品の二種のプログラムを持ち、さらに、開会の挨拶、監督とのQ&Aセッション、パネルディスカッションは、オンラインで行われた。

 

 

 この「Bamboo Theatre」は、映画館で上映された。香港の各地で、祭事の時に寺の門前で行われるチャイニーズ・オペラ(曲)の上演。その会場となるのが、釘を使わずに竹で組み立てられた仮設劇場、「Bamboo Theatre」である。この映画は、出現しては消えていく仮設の劇場と、そこで働く人々を活写したドキュメンタリーである。

 

 映画は、竹の束が船で島へ運ばれて行くシーンから始まる。竹の束は陸に上げられ、作業員達によって劇場となるべく組み上げられて行く。アルミニウムらしき薄い金属を筒状に丸めたものが、竹の骨組みの一番上に上げられ、そこで広げられ、建物を覆う屋根となる。こうして劇場が形作られていった後は、劇団が荷物の搬入を行い、公演初日の準備が進み、初日の幕が開き、人々が集まって賑わう。そして映画の最後に、竹の劇場は解体されていく。

 


 

 大枠としては、劇場の設営から解体まで、その過程を描いているが、どこか一つの劇場や劇団にフォーカスしているわけではない。また、インタビューは一切なく、ただ建設作業員や劇団の面々の仕事ぶり、舞台での上演の模様、舞台裏の様子、劇場が設置された寺の門前の賑わい、そうしたものが淡々と映し出されていく。字幕で説明が入るが、それは最小限に抑えられており、後は前述したような映像とその編集によって、作り手の言わんとすることが表現されている。どのくらい説明がないかと言うと、この映画には複数の一座が登場するが、エンドクレジットで5つくらいの劇団名が出てきて、驚いたくらい。複数の劇団が出て来たとは思っていたが、こんなにあったとは。作品の中では、公演が行われる地名や演目名の字幕表示はあったが、何という劇団かという説明は(映像から分かる場合もあるが)全くなかったのである。役者達の名前も紹介しなかった。

 

 巡業する伝統的なチャイニーズ・オペラの俳優やスタッフと言えば、ちょっと変わった人生を送ってきた人もいるだろうし、面白いエピソードもいろいろ持っているのではないかと思われる。にも関わらず、特に誰かに、またはある集団に焦点を当てるということのないまま、作品は進んで行く。この点が、見る人によっては退屈と感じる部分かと思う。しかし私はむしろ、この場所—-伝統的なチャイニーズ・オペラを上演する仮設の劇場——とは何なのか、という問いかけに振り切った作品として評価をしたい。

 

 説明のための字幕は最小限に抑えられているが、一方、この仮設劇場という場を定義するための字幕は何度か挿入される。例えば、

 「この空間は、神と人を楽しませるための場である。」

 「この空間は、人が己の役割を捜し求め、そして家を見つける場である。」

 その後にそれぞれの定義を敷衍するような映像が続いていく。映画は一貫して、竹で作られた劇場の意義を求めて行く。

 

 香港というと高層ビルの立ち並ぶ風景をイメージしがちだが、約700万人という人口を抱える香港は、実は広かった(シンガポールよりも人口が多い)。多くの離島があり、そこにお寺があり、そして祭事には劇場が立つ。最先端都市の街並とは全く別の風景がそこにはある。芝居を見ている観客はやはり高齢者が多いのだが、しかし、お年寄りばかりでもない。線香が煙る祭壇にも、屋台が並ぶ境内にも、老若男女の賑わいがある。

 


 

 そして劇場内では、スタッフが着々とそれぞれの仕事を進め、俳優達が台本を手に打ち合わせをし、舞台監督が上演の進行を仕切っていく(舞台裏でコーラスにも参加していたりする)。白塗りの舞台化粧のスター俳優が、楽屋で老眼鏡をかけて台本を確認している。しかし、いよいよ本番ともなれば、衣装係の手を借りつつ、あの厚くて重そうな衣装をビシッと着こなす。スターの意気が大いに感じられる。一方、若い俳優は、大部屋で見本の写真を見ながら舞台化粧をする。彼女が舞台袖で出番を待っている時には、その緊張が見ているこちらにも伝わって来る。どちらも終始無言のシーンなのだが、その雰囲気までもが見事に捉えられている。

 


 

 しかし、このドキュメンタリーは、劇場の人々を活写することで、個々の人々を際立たせるというよりも、劇場という世界の森羅万象を描き出そうとしているように見える。劇場が作られ始めてから解体されるまでおよそ2ヶ月、そして劇場として使用されるのはわずか37日というかりそめの場。しかし、それは己の役割を知る人々が、黙々と働くことによって作り上げられる祝祭空間である。神々に感謝を捧げ、そして人々を楽しませるために、幻のように立ち現れる場。劇場とは建造物のことではない。このような特殊な場のことを言うのだと、改めて感じさせられた。作中、劇団の守り神の像を映したシーンが何度か挿入される。人々がそれぞれの仕事を果たし、その祝祭空間がつつがなく運営されている限り、守り神は優しく微笑んでいるかのようである。

 

 ところで、楽屋にいるスター俳優に対して、劇団員達が「おはようございます」と声をかけていくのだが、この、楽屋にいる先輩に「おはようございます」と挨拶をするという、日本の芸能界で行われていそうな習慣が、香港のチャイニーズ・オペラの劇団でも行われていることに感心した。芸能の世界では万国共通なのだろうか。20201025日)