Saturday 17 August 2019

『演劇』One Meter Square: Voices From Sungei Road(1平方メートル:スンガイ・ロードからの声)--- シンガポール・シアター・フェスティバル


2018721
One Meter Square: Voices From Sungei Road1平方メートル:スンガイ・ロードからの声) 」———Singapore Theatre Festival
国: シンガポール
製作: Wild Rice(ワイルド・ライス)
作: Sanmu(サンムー), Zelda Tatiana Ng(ゼルダ・タティアナ・ン)
演出: Zelda Tatiana Ng(ゼルダ・タティアナ・ン),
台本: Alfian Sa’at(アルフィアン・サアット)
出演: Ong Kian Sin, Tan Beng Tian, Michael Tan, Tay Kong Hui, Yong Ser Pin
見た場所: The Singapore Airlines Theatre, Lasalle College of the Arts

 Wild Rice(ワイルド・ライス)の主催するSingapore Theatre Festival(シンガポール・シアター・フェスティバル)で上演された一本。シンガポールのガイドブックにも載っていた蚤の市、the Sungei Road Market(スンガイ・ロード・マーケット)に取材した作品である。80年にわたる歴史を持つこの蚤の市は、20177月、政府によって閉鎖された。作品はその前後を描いており、登場人物達は、作のSanmuがインタビューを通して出会った出店者達をモデルとしている。


 私はフリーマーケットで掘り出し物を見つけることも、楽しく値段交渉することも苦手なので、スンガイ・ロードで買い物をしたことはない。しかし、2017年に閉鎖された時のことはよく覚えている。当時話題になっていたということもあるが、閉鎖前の最後の週末にスンガイ・ロードで買い物をした知人に行き会ったからである。その人とは映画館で偶然会ったのだが、映画好きで日本映画にも造詣が深い(好きな女優は大原麗子と栗原小巻)彼が、その日買ったものを見せてくれたのだった。「これは女性だけの劇団なんだよね?」と言って、カバンから取り出したのが、宝塚歌劇団のLPレコードだった。そしてそのアルバムの、曲名だかレヴューのタイトルだかの、「フィーリング・タカラヅカ」という言葉を(英語に)訳してほしいと言われ、難儀をした。意味は感覚的に一瞬でわかるのだが、それを英語に訳すって、どうやって・・・いや、すでに半分英語だし(カタカナだけど)・・・、私の英語力には難易度が高すぎる質問だよ・・・と思ったのだった。そして、なぜシンガポールのフリーマーケットでこんな昔の宝塚のレコードが売られているのだろうと、不思議だった。そういうわけで、それまで縁のなかったスンガイ・ロード・マーケットが、最後の最後になって、私の心に残ることになったのだった。

 それはともかく、この「One Meter Square」について。セットはシンプルで、舞台の上に四つの四角い壇が設けられ、そこを四人の出店者達が占めている。その背後にはフェンスがあり、実際のスンガイ・ロード・マーケットを模している。さらに舞台奥の壁にはスクリーンが設置され、字幕が表示される。この作品では英語の他に、マンダリン(標準中国語)、福建語、広東語が使用されるためである。

 四人の出店者達は、それぞれ「The Gangster」「The Top Student」「Liang Po Po」「The Poet」とあだ名されている。彼らの売り物は様々で、修理して使えるようにした古い電化製品だったり、衣料品だったり、廃品回収から得た骨董品もどきの品だったりする。作品は、彼らの人となりや人生、思いを描きつつ、随所に政府のマーケット閉鎖に関する発表や見解を挟み込む。時々登場するマーケットの世話役的なおじさんも含め、出演者は全部で五人。そのわずか五人の出演者で、メインである出店者だけでなく、政府の人間、通りすがりの観光客等まで演じている。それぞれを演じ分けるために、カードに書かれた政府の発表を読む時は黒のサングラス、観光客を演じる時は派手なレジャー用の眼鏡、とかける眼鏡の種類を変えている。サングラスをかけるだけで、瞬時に政府の代表になれるわけで、この手法は上手いと思った。

 サングラスの彼らが読んでいくカードには、閉鎖の理由として衛生上の問題や近所迷惑等、いろいろなことが述べられている。カードを読んでいく度に、それらをどんどん放り投げて行く。撒き散らされる言葉。しかし、実際問題として、出店者には高齢の人が多く、かつ、ちょっとした店を持てるような経済的余力を持つ人も少ない。およそ200人いる出店者の中で、店を持って商売が始められるのはわずか一割くらいの人達である。にも関わらず、政府からは閉鎖するので新しいキャリアを求めるようにと言われ、放り出されてしまう。

 作品の後半は、マーケットが閉鎖された後の話となる。Carousell(日本のメルカリのようなオンライン・フリーマーケット)にも出品を始めた「The Gangster」。年老いた「The Poet」は、街中に別の場所を見つけたものの、そこはオフィス街で商売が苦しく、10ドル(約800円)の場所代を払うことさえも重く、昼食に1ドルのコーヒーを買うこともためらうと言う。衣料品を扱っている「Liang Po Po」は、Woodlands(ウッドランズ)のフリーマーケットに移動したが、彼女の固定客の大半は外国人ヘルパー(メイド)や労働者である。北の端のウッドランズは彼ら彼女らには不便で、街中のスンガイ・ロードからLiangおばさんが去ったことが嘆かれる。世話役のおじさんは言う。手紙を書いて政府に訴え続けているが駄目だった。若い人達がマーケット存続のためにがんばってくれているけど、失敗することできっと彼らの熱意も失われていくだろう、と。出店者達のその後だけではなく、政府の見解やジャーナリストの記事、リサイクリング・センターの人の談なども語られ、後半はかなり見応えがあった。

 実のところ、この作品は多言語で上演されているにも関わらず、字幕が読みづらいという技術的な欠点があった。しかも、セリフが早くて多いものだから、出店者達の人生譚などの話についていけず、前半は正直ちょっと退屈だったのだ。しかし、出店者達のその後を描き、様々な意見の飛び交う後半は、展開はスピーディでも話はわかりやすく、より印象的だった。

 建国50年を経て、シンガポールは、文化遺産を保存、引き継いでいくことに大きな関心を寄せるようになった。1930年代から存在していたスンガイ・ロード・マーケットこそ、「cultural heritage」ではなかったのか。貧しい、underclass(下層階級)の人々を放り出し、街中に建てるのはコンドミニアム(シンガポールではプール等の設備を完備した高級マンションのこと)。そして集まるのは国内外の投資家。ここに、シンガポールの負と言うべきものを明らかにしている。しかし、この作品が優れているのは、単にスンガイ・ロード・マーケットの出店者達が気の毒だ、というような話に終わらない点である。出店者側から、政府側から、そして第三者の側から、多角的にこの閉鎖問題を取り上げることでこの作品が一石を投じたのは、シンガポールという国の行き方そのものについてだと思う。すなわち、「シンガポール=私達(いや私は外国人だけれども)はどこに行こうとしているのか?」という問いかけである。そう問いかけながら、「では、シンガポール=私達はどこに行くべきなのか?」と、この作品は観客に一考させる。社会的なテーマを取り扱って、見終わった後ハッピーな気持ちになれるわけではないが、知的に心をゆさぶられる作品だった。2019613日)

会場になったLasalleに設置されたワイルド・ライスの電光掲示板

Monday 12 August 2019

『演劇』Building a Character(キャラクターを築き上げる)--- シンガポール・シアター・フェスティバル


201877
Building a Character(キャラクターを築き上げる) 」———Singapore Theatre Festival
国: シンガポール
製作: Wild Rice
演出: Teo Mei Ann
作: Ruth Tang
出演: Rebekah Sangeetha Dorai
見た場所: Creative Cube, Lasalle College of the Arts

 Wild Rice(ワイルド・ライス)の主催するSingapore Theatre Festival(シンガポール・シアター・フェスティバル)が開催されたのだった。このフェスティバル、二年に一回なのかと思ったが、過去の開催年を確認してみると、きっちり二年毎というわけでもなかった。それはともかく、会場は2016年の時と同じ、Lasalle College of the Artsだった。前回と同様、盛況な様子だった。

このプログラムに映っている4人とも同一人物(主演のサンギータ)である。

 インド系シンガポーリアンであるRebekah Sangeetha Dorai の一人芝居。タイトルの「Building a Character」は、コンスタンチン・スタニスラフスキーの演技メソッドに関する著作から取られている。日本では「俳優修業 第二部」として訳されている本である。今年のシアター・フェスティバルでは、同じくスタニスラフスキーの著作「An Actor Prepares(俳優修業 第一部)」にインスパイアされた、「An Actress Prepares」も上演された。こちらはマレー系シンガポーリアンのSiti Khalijah Zainalによる一人芝居。この作品も見に行きたかったけど、チケットが売り切れだった。どちらの作品も、シンガポールでは人種的マイノリティであるインド系とマレー系の女優の一人芝居、という共通点がある。

 まず、登場したRebekah Sangeetha Doraiが自己紹介をするのだが、彼女の名前、Sangeetha(サンギータ)の発音を観客に練習させるところから、話は始まる。サンギータという名前はインド系では一般的な名前らしいが、他の人種にとっては覚えづらく、彼女のかつての学校の先生(中華系)などは、「サンサン」と呼んでいたらしい。いかにも中華系っぽい名前に勝手にアレンジされているわけである。

 こうして、ソファ等が置かれたリビングルーム風のセットの中で、「サンサン」、もといサンギータが、自らの生い立ちと俳優としての人生を語る。それは、いかにも面白可笑しく語られるが、しかし、時に鋭い批判と悲哀が閃くものでもあった。

 キャスト募集の通知を見れば、「中華系か汎アジア系(Chinese or Pan-Asian)が好ましい」という但し書きに落胆し、まれにインド系で募集があれば、政府のRacial Harmony(人種間の調和)のコマーシャル出演だったりする。低所得(ゆえに教育レベルも高くない)のインド系、というのが役柄の一つの典型となっているため、サンギータ自身は美しい英語を話すにも関わらず、もっとインド人っぽく(訛って)話すようにという演出指導に出くわしたりする。一度くらい高級マンションに住むマダムの役をやってみたいものだと、彼女は訴える。また、かつてサンギータがワイルド・ライスの舞台「Boeing Boeing(ボーイング・ボーイング)」(フランスのマルク・カモレッティの戯曲、3人の国際線スチュワーデスと三又をかけてつき合っているプレイボーイを主人公とした喜劇)に出演した時、「顔が真っ青だ!」と言われるシーンがあったのだが、「あのシーンの度に客席から笑いが起こったのよね」と言っていた。浅黒いサンギータの顔が「真っ青」になるとは、と観客には可笑しく感じられたのだろう。

 自分自身の生活体験や演技技術とは別な所で、人種や肌の色からくる固定概念に基づいた役柄と折り合いをつけつつ、俳優人生を歩んでいかざるを得ない。その大変さが可笑しく、悲しく、そして力強く語られている。

 しかし、私はこの作品を見て、心打たれるという気持ちにはならなかった。それは私の英語の理解力の足りなさかもしれない。それもあるのだが、ただそれだけではなく、この作品が、サンギータ本人が本人自身を演じているということにも、一因があると思う。この作品の台本は、彼女自身の体験を元に作られているのであろう。彼女は彼女自身として、その心情を吐露しているように見える。しかし、その一方で私はどうしても、彼女がサンギータという彼女自身の役を演じていることを忘れることができない。サンギータという俳優を仕事にしている女性を見ながら、同時にインド系女優サンギータというキャラクターを見ている感じ。それが、通常の舞台作品で登場人物に感情移入するような気持ちを妨げたのだと思う。

 でも、だからこの作品はあまりよくない、と言うような単純なことではない。この、サンギータを二重に見ているような感じは、「顔が真っ青だ!」というセリフを聞きながら、その女優の肌色を見て思わず笑ってしまうことに似て。舞台で役を演じるということにある曖昧さ。役が演じられる他人であると同時に、(単に外見だけではなく)演技者自身の身内に備わっているものを表してしまうような瞬間。サンギータのようにマイノリティ人種であると、(理不尽なことに)人種そのものが俳優としての「個性」と見なされることがあるため、本人と役との結びつきはさらに密接になってしまうことがあるだろう。サンギータがサンギータを演じることに、感動するというよりも、むしろちょっと考えさせられたのだった。2019526日)

会場のLasalle College of the Arts