Sunday 24 June 2018

『映画』Have a Nice Day(好极了/ハヴ・ア・ナイス・デイ)


2018223
Have a Nice Day)」・・・SCUFF(Singapore Cult & Underground Film Festival)
公開年: 2017
製作国:  中国
監督:  Liu Jian(劉健/リウ・ジエン)
見た場所: *Scape

 Scum CinemaによるSCUFFSingapore Cult & Underground Film Festival)の時期がやって来てしまった。一年の経つのが早すぎて早すぎて。今年のプログラムは、このアニメーション「Have a Nice Day」、梶芽衣子主演の「銀蝶渡り鳥」、少年達が主人公のスリラー「Super Dark Times(ぼくらと、ぼくらの闇)」、バイオレンス・ホラーの「Killing Ground(キリング・グラウンド)」の四本だった。子供達が恐ろしい秘密を持ち合うことにも、キャンプに行ってひどい目にあうことにも、あまり興味がわかなかった(というよりも、私には恐すぎる)ので、「Have a Nice Day」と「銀蝶渡り鳥」を見に行った。ちなみに「銀蝶」は旧作のためか、無料だった。


 Xiao Zhangは、ギャングのボスの100万元を運ぶ途中、その金を奪って逃走。目的は、美容整形に失敗したガールフレンドを韓国に連れて行き、整形手術のやり直しをさせてあげるためだった・・・。ここから、100万元を取り戻そうとするボスを始めとして、大金を巡る様々な人々の姿が描かれる。自分の女を寝取った幼なじみの絵描きを締め上げるボス、ボスにXiao Zhangの追跡を依頼された表の職業は肉屋の殺し屋、アホなのか天才なのかよくわからない発明狂の麺屋のおやじ、なぜかシャングリラを夢見るXiao Zhangのガールフレンドの従姉妹等々、おかしな人達満載。しかし、なんとなく、地球のどこかにこういう人達がいるのではないかという、妙なリアル感がある。


 映像についても同様で、設定では中国南部の都市ということになっており、いかにもこういう町がありそうと思わせるほど巧みに描かれている一方、どこか違う惑星の都市のような雰囲気がある。全体的な色調が緑色っぽいせいかもしれない。そして、この独特の雰囲気があるからこそ、ラスト近くの怒濤の展開にも、なんとなく納得がいってしまった。

 大金が手に入ったらシャングリラに行くと言う従姉妹の言葉を受けて、突然始まるカラオケ映像風のシーン。監督自らが作詞した歌「I Love Shangri-La」に合わせてイメージ映像が展開していくわけだが、往年の共産主義ポスターのような絵柄になっている。従姉妹とその彼氏が二人並んで斜め上を向いている構図で、健康的に農作業をしたり家畜を育てたりしているのだが、二人とも青く染めた髪と長髪のままである。いや、なんだこの唐突なミュージカル・シーンは。可笑しい。

 ガールフレンドに整形手術を受けさせるのも、発明家として事業を興すのも、子供を海外に留学させるのも、全てに先立つものはお金である。それは確かにそうなのだが、第五世代の登場から30年を経て、まずは金、という作品を見ようとは。劇中、建設現場のセキュリティ・ガードの会話の中で、「三段階の自由」というものが語られている。第一段階は、「市場で買い物する自由」。商品は限られているが、交渉によって値引きを得ることも可能。第二段階は、「スーパーマーケットで買い物する自由」、そして最後の段階が、「オンライン・ショッピングの自由」。この最終段階では、人は世界中の商品を自分の好きなだけ買うことができる。友人からこの説を唱えられて、相手のセキュリティ・ガードは言う。「俺はまだ、第一段階の自由も十分に得ていない」。金を使えることが自由なのか、それとも、自由とは金で買うものなのか。ユニークな映像とともに面白いブラック・コメディだった。
 (なお、今回上映されたのは、2017年のベルリン映画祭出品時のバージョンだった。)

 翌日、「銀蝶渡り鳥」を見た。このタイトル、生物の名前が二つ入っていて、蝶なんだか鳥なんだかよくわからないなーと思った。それはともかく、梶芽衣子って美人だなーと思いながら見始めたのだが、予想外に、見ていくうちに渡瀬恒彦のことがどんどん好きになっていった。渡瀬恒彦、素晴らしいよ。これも面白い映画だった。201834日)

SCFFオリジナルデザイン、「銀蝶渡り鳥」のポスター

Monday 18 June 2018

『アートエキシビション』Making Chinatown(映画「チャイナタウン」を作る) Ming Wong(ミン・ウォン)


2018218
Making Chinatown(映画「チャイナタウン」を作る)」・・・またミン・ウォンだらけ
制作年: 2012
形態: 5つのビデオ・チャンネルによるミクストメディア・インスタレーション
作:  Ming Wong(ミン・ウォン)

 「Making Chinatown」は、Singapore Art Museumの分館SAM at 8Qで現在開催されている「Cinerama」という展覧会の中の一作品。シンガポール出身のアーティストMing Wong(ミン・ウォン)の旧作である。

「Cinerama」のプログラムの表紙。これがミン・ウォン。

 映画を模倣した映像作品を作るミン・ウォン。私が以前に見たのは、シンガポールのHermes Gallery (エルメスのブティックの上にあるギャラリー)での「Life and Death in Venice」だった。ルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」のパロディ。あるいは、脱構築というかアーティスト本人による再構築である。第53回ヴェネツィア・ビエンナーレの時に始まったプロジェクトで、主人公の老作曲家も美少年タジオも彼自身が演じている。老作曲家に扮してベニスの街をウロウロするミン・ウォンの姿が印象的だった(面白かった)。ちなみにミン・ウォンには悪いが、この作品のタジオは美少年でもなんでもなかった。

 今回の作品は、ロマン・ポランスキーの「チャイナタウン(Chinatown)」である。作品中のいくつかの名シーンを、やはりミン・ウォン本人が演じている。ジャック・ニコルソンが演じた主人公ギテスはもちろんのこと、フェイ・ダナウェイもジョン・ヒューストンもベリンダ・パルマーも、彼らの役は全てミン・ウォンによって演じられる。スクリーンの至るところにチャイニーズ系シンガポーリアンのミン・ウォンがいるという、まさに一人「チャイナタウン」。ジャック・ニコルソンのミン・ウォンに仕事の依頼をするジョン・ヒューストンのミン・ウォンとか、ジャック・ニコルソンのミン・ウォンとフェイ・ダナウェイのミン・ウォンとのベッド・シーンとか。ちなみに芝居は熱演。特にフェイ・ダナウェイのモーレイ夫人を演じる際は。

フェイ・ダナウェイのミン・ウォンに
ジャック・ニコルソンのミン・ウォン
一つの画面に二人のミン・ウォン
とにかくミン・ウォン

 ポイントは、予算の許す限りオリジナル作品に寄せてきている、模倣しているのだが、あえて完全にコピーしないという点にあると思う。例えば、フェイ・ダナウェイの扮装をした際には、眉毛の上に肌色のテープを張って、そこに細い眉を描いていることが明らかにわかる。ジャック・ニコルソンが怪我をした鼻に当てていたガーゼを取ると、必要以上に血だらけでひどい傷が現れる。パロディとして可笑しい。私は「チャイナタウン」を見て、ジャック・ニコルソンがジョン・ヒューストンに会ってあれこれ言わなかったら、あんなことにはならなかったのではと思い、なんとなく不愉快になった。でもこの作品を見て(もちろんラスト・シーンも模倣されている)、なんとなく気が晴れた。

展示の様子。スクリーンとともに背景映像のコピーが壁に張られ、小道具が置かれている。

 作品中がミン・ウォンだらけなのを見て、ジョン・チョー(映画「スター・トレック」のスールー役が有名な韓国系アメリカ人)が主役のハリウッド映画があってもいいんじゃないか、みたいな話を思い出した。「チャイナタウン」は、白人で部外者であるギテスがかつて警察官としてチャイナタウンに勤務していたからこそ、象徴的な意味合いとともに「チャイナタウン」というタイトルだったはず。しかし、「Making Chinatown」では、人種もジェンダーも、オリジナル作品が依ってきた全てのものが曖昧になる感じ。あのジャック・ニコルソンがフェイ・ダナウェイを殴る有名なシーンでも、ミン・ウォンのモーレイ夫人は「my sister, my daughter」だけでなく、「my son, my brother」とも言うのだ。一回見たら忘れられない作品。2018221日)

会場であるSAM at 8Q

Tuesday 12 June 2018

『映画』Momotaro, Sacred Sailors(桃太郎 海の神兵)


2018126
Momotaro, Sacred Sailors(桃太郎 海の神兵)」・・・シンガポール陥落のあの時
公開年: 1945
製作国:  日本
監督:  Seo Mitsuyo(瀬尾光世)
見た場所: National Museum of Singapore

 National Museum of Singapore(シンガポール国立博物館)で20179月から「Witness to War: Remembering 1942」という展示が始まった。太平洋戦争について、1942年の日本軍によるシンガポール陥落を中心に、その歴史的資料や市井の人々による戦争体験の証言を集めた展示である。その関連企画が、「Witness to War, Memories and Screens」と題する映画プログラム。第二次世界大戦に関する各国の映画作品を集めており、この「桃太郎 海の神兵」もその一本。他の日本映画としては、「一番美しく」「戦場のメリークリスマス」「火垂るの墓」など。いまいち選択基準がよくわからないのだが、とりあえずこの「桃太郎 海の神兵」だけ見に行った。

 上映が無料で、かつアニメーションのためか、観客は親子連れ(子供に見せてどうなんだ、という気はちょっとするのだが)から戦争体験のありそうなお年のご夫婦まで、様々だった。しかし、プログラムのテーマがテーマなだけに、平均年齢は高め。まぁヒップスターな若者は、こういう歴史的な映画をわざわざ見に行ったりしないのだろう。

 「桃太郎 海の神兵」は、当時の海軍省支援の元に製作された日本初の長編アニメーションで、今回、デジタル修復版での上映だった。映画が始まる前に、戦時下の国策映画ではあるが、日本のアニメーション映画史において非常に重要な作品である点を理解してほしいという字幕が出る。

 映画は、海軍の兵隊さんであるサル吉達が、休暇で故郷の村(富士山の裾野にあるっぽい)に帰って来るところから始まる。この前半の帰省パートが結構に長い。山や田畑、家々はいかにも日本の田舎らしいが、小鳥は歌い、泉はきらめくその風景は、往年のディズニー映画っぽくもある。山を渡る爽やかな風に空を仰ぐサル吉達。叙情的でかつ流れるような動きの映像が美しい。

帰省したサル吉と弟のサンタ

 ちなみにこの作品、後で登場する桃太郎隊長以外は全員動物(例: サル吉→猿)。一応「桃太郎」が下敷きになっているので、東南アジアに駐留している欧米の兵士達が、もちろん鬼である。時おり歌が挿入され、ミュージカル仕立てになっている。

 そして後半は、東南アジアと思しき島での作戦行動が描かれる。そもそもこの映画は、メナド(またはマナド。インドネシア、スラウェシ島の都市)の降下作戦に参加した落下傘部隊の話から、という字幕がオープニングで出る。蘭印作戦の実話を元にしていることをことわっているわけだ。それでこの後半パートだが、ある南の島に海軍本部を設営する所から描かれている。本部設営は、象やサイなど現地の動物達を労働力としてなされる。動物の種類で日本兵と現地住民とを区別しているのだが、その中で、ボルネオ島名物、天狗ザルのおじさんがSongkok(ソンコ、背の高いつば無しの帽子で、一般的にムスリムの男性がかぶる)をかぶっていることに驚く。この細かーい部分でのリアリティ・・・。

 それはともかく、本部が建てられ、桃太郎隊長以下、海軍の兵隊達を載せた輸送機が到着し、訓練が開始される。(ちなみに、私が桃太郎隊長、桃太郎隊長と呼んでいるのは、劇中、桃太郎が胸に付けている名札に「隊長」とだけ書いてあるから。)家族からの郵便を楽しみにする兵士達の姿や、現地の住民に日本語の授業を行う模様などを挟みつつ、作戦の準備は進められる。偵察隊が出て敵地の写真地図が作成され、パラシュートが準備され、いよいよ輸送機に乗って出発。目標地点に辿り着いて、降下———速やかに戦闘態勢を整えると、電光石火の攻撃で敵地を制圧。そして、会談の席でイギリス軍(とおぼしき)角をはやした鬼の司令官に降伏を迫る桃太郎隊長———日本の勝利である。

 作戦の準備から実行までの、段取りのリアリティと描写の詳細さに驚かされる。例えば、兵達が各自パラシュートを巻いて紐で結んで準備した後、それをきちんと装着できるかどうかを上官がチェックする。敵地に向かう途中で雨に振られるのだが、輸送機の天井から雨漏りがするので、兵達はパラシュートが濡れないように抱えこむ。かわいい猿や犬、熊に見えるが、皆プロの兵隊なのである。

 メナドの降下作戦とことわってはいるものの、恐らくシンガポール国民なら誰でも気づくのだが、桃太郎隊長と鬼の司令官との会談は、1942215日、フォード社の工場で行われた日本の山下奉文中将とイギリスのアーサー・パーシバル中将との降伏交渉から取られている。戦争末期の19454月に公開されたこの映画を何人の人が見ることができたのかは不明だが、当時の日本の観客もすぐ気づいたと思う。戦闘シーンがリアルなために、むしろうっかり日本軍がパラシュートを使ってシンガポールに上陸したかのような錯覚を起こしそうだが、実際はそうではない。蘭印作戦にシンガポール陥落、そして劇中で挿入されるゴアの王様の挿話(ゴアの王様が西洋人に国をだまし取られるが、やがて救い主が現れるであろうというお話。ゴアはインドのゴアなのだろうか)———具体的に東南アジアのどこということは明確にせず、戦争の正当性を暗示しつつ、大日本帝国軍の「栄光」の部分を組み合わせて見せている。具体性を欠くことが逆にイメージ戦略としては効果的。しかも、作戦遂行の描写そのものは非常にリアリティがあるため、おとぎ話のように全く違う世界の話をしているようには見えない。動物達は私達の戦争を戦っている。でもその戦争は、実体のない理論的なものなのだ。それは、パラシュートによる上陸後、流れ作業のように訓練された動きで戦闘を開始するにも関わらず、敵側においてさえ決してその血や死が描かれないことにも起因している。兵隊達が家族からの郵便を楽しみにしている一方、偵察に出て戦死した兵の死は悼まれない。いくら「名誉の戦死」と言っても、死はまるで存在しないもののようである。

 国策映画でかつ子供向けであると言ってしまえばそれまでなのだが、かわいい動物達のプロフェッショナルぶりと、しかし血は流れないという不自然さで、ある意味シュールな作品である。見終わった後に不思議な気持ちにさせられる。内容に含まれるプロパガンダを加味せず、アニメーションの技術的及び審美的側面に目を向けると、非常に良く出来た作品だと思う。輸送機等をリアリスティックに描いたタッチと、動物達を可愛く描いたタッチとは異なっており、かつ挿入されるゴアの王様のエピソードは影絵アニメーション風である。感心するシーンがいくつもあるのだが、とりわけモブシーンの動物達の動きの素晴らしさには目を見張る。

 前半の帰省パートで、たくさんのタンポポの冠毛が風にとばされていく様を見て、サル吉は落下傘部隊が降下する光景を夢想する。実際に後の戦闘では、落下傘部隊がパラシュートを広げて降下していく様が俯瞰でとらえられており、そのシーンは叙情的で非常に美しい。戦争を美化していると言えるが、その一方で、ここに否応なしの戦争の美というべきものがあるのかもしれないと思った。映画のラストでは、サル吉の故郷の子供達が落下傘部隊のマネをして遊んでいる。木の上から地面に描かれた地図に向かって飛び降りているのだが、その地図はシンガポールのように、あるいは中国のように見える。プロパガンダとしての意味を考えると個人的には不愉快だが、この作品のラスト・シーンとしてはやはり印象的だった。2018215日)

ちなみにメインである展示「Witness to War」のパンフレット

中味はこんな感じ

展示の一部