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Tuesday, 12 June 2018

『映画』Momotaro, Sacred Sailors(桃太郎 海の神兵)


2018126
Momotaro, Sacred Sailors(桃太郎 海の神兵)」・・・シンガポール陥落のあの時
公開年: 1945
製作国:  日本
監督:  Seo Mitsuyo(瀬尾光世)
見た場所: National Museum of Singapore

 National Museum of Singapore(シンガポール国立博物館)で20179月から「Witness to War: Remembering 1942」という展示が始まった。太平洋戦争について、1942年の日本軍によるシンガポール陥落を中心に、その歴史的資料や市井の人々による戦争体験の証言を集めた展示である。その関連企画が、「Witness to War, Memories and Screens」と題する映画プログラム。第二次世界大戦に関する各国の映画作品を集めており、この「桃太郎 海の神兵」もその一本。他の日本映画としては、「一番美しく」「戦場のメリークリスマス」「火垂るの墓」など。いまいち選択基準がよくわからないのだが、とりあえずこの「桃太郎 海の神兵」だけ見に行った。

 上映が無料で、かつアニメーションのためか、観客は親子連れ(子供に見せてどうなんだ、という気はちょっとするのだが)から戦争体験のありそうなお年のご夫婦まで、様々だった。しかし、プログラムのテーマがテーマなだけに、平均年齢は高め。まぁヒップスターな若者は、こういう歴史的な映画をわざわざ見に行ったりしないのだろう。

 「桃太郎 海の神兵」は、当時の海軍省支援の元に製作された日本初の長編アニメーションで、今回、デジタル修復版での上映だった。映画が始まる前に、戦時下の国策映画ではあるが、日本のアニメーション映画史において非常に重要な作品である点を理解してほしいという字幕が出る。

 映画は、海軍の兵隊さんであるサル吉達が、休暇で故郷の村(富士山の裾野にあるっぽい)に帰って来るところから始まる。この前半の帰省パートが結構に長い。山や田畑、家々はいかにも日本の田舎らしいが、小鳥は歌い、泉はきらめくその風景は、往年のディズニー映画っぽくもある。山を渡る爽やかな風に空を仰ぐサル吉達。叙情的でかつ流れるような動きの映像が美しい。

帰省したサル吉と弟のサンタ

 ちなみにこの作品、後で登場する桃太郎隊長以外は全員動物(例: サル吉→猿)。一応「桃太郎」が下敷きになっているので、東南アジアに駐留している欧米の兵士達が、もちろん鬼である。時おり歌が挿入され、ミュージカル仕立てになっている。

 そして後半は、東南アジアと思しき島での作戦行動が描かれる。そもそもこの映画は、メナド(またはマナド。インドネシア、スラウェシ島の都市)の降下作戦に参加した落下傘部隊の話から、という字幕がオープニングで出る。蘭印作戦の実話を元にしていることをことわっているわけだ。それでこの後半パートだが、ある南の島に海軍本部を設営する所から描かれている。本部設営は、象やサイなど現地の動物達を労働力としてなされる。動物の種類で日本兵と現地住民とを区別しているのだが、その中で、ボルネオ島名物、天狗ザルのおじさんがSongkok(ソンコ、背の高いつば無しの帽子で、一般的にムスリムの男性がかぶる)をかぶっていることに驚く。この細かーい部分でのリアリティ・・・。

 それはともかく、本部が建てられ、桃太郎隊長以下、海軍の兵隊達を載せた輸送機が到着し、訓練が開始される。(ちなみに、私が桃太郎隊長、桃太郎隊長と呼んでいるのは、劇中、桃太郎が胸に付けている名札に「隊長」とだけ書いてあるから。)家族からの郵便を楽しみにする兵士達の姿や、現地の住民に日本語の授業を行う模様などを挟みつつ、作戦の準備は進められる。偵察隊が出て敵地の写真地図が作成され、パラシュートが準備され、いよいよ輸送機に乗って出発。目標地点に辿り着いて、降下———速やかに戦闘態勢を整えると、電光石火の攻撃で敵地を制圧。そして、会談の席でイギリス軍(とおぼしき)角をはやした鬼の司令官に降伏を迫る桃太郎隊長———日本の勝利である。

 作戦の準備から実行までの、段取りのリアリティと描写の詳細さに驚かされる。例えば、兵達が各自パラシュートを巻いて紐で結んで準備した後、それをきちんと装着できるかどうかを上官がチェックする。敵地に向かう途中で雨に振られるのだが、輸送機の天井から雨漏りがするので、兵達はパラシュートが濡れないように抱えこむ。かわいい猿や犬、熊に見えるが、皆プロの兵隊なのである。

 メナドの降下作戦とことわってはいるものの、恐らくシンガポール国民なら誰でも気づくのだが、桃太郎隊長と鬼の司令官との会談は、1942215日、フォード社の工場で行われた日本の山下奉文中将とイギリスのアーサー・パーシバル中将との降伏交渉から取られている。戦争末期の19454月に公開されたこの映画を何人の人が見ることができたのかは不明だが、当時の日本の観客もすぐ気づいたと思う。戦闘シーンがリアルなために、むしろうっかり日本軍がパラシュートを使ってシンガポールに上陸したかのような錯覚を起こしそうだが、実際はそうではない。蘭印作戦にシンガポール陥落、そして劇中で挿入されるゴアの王様の挿話(ゴアの王様が西洋人に国をだまし取られるが、やがて救い主が現れるであろうというお話。ゴアはインドのゴアなのだろうか)———具体的に東南アジアのどこということは明確にせず、戦争の正当性を暗示しつつ、大日本帝国軍の「栄光」の部分を組み合わせて見せている。具体性を欠くことが逆にイメージ戦略としては効果的。しかも、作戦遂行の描写そのものは非常にリアリティがあるため、おとぎ話のように全く違う世界の話をしているようには見えない。動物達は私達の戦争を戦っている。でもその戦争は、実体のない理論的なものなのだ。それは、パラシュートによる上陸後、流れ作業のように訓練された動きで戦闘を開始するにも関わらず、敵側においてさえ決してその血や死が描かれないことにも起因している。兵隊達が家族からの郵便を楽しみにしている一方、偵察に出て戦死した兵の死は悼まれない。いくら「名誉の戦死」と言っても、死はまるで存在しないもののようである。

 国策映画でかつ子供向けであると言ってしまえばそれまでなのだが、かわいい動物達のプロフェッショナルぶりと、しかし血は流れないという不自然さで、ある意味シュールな作品である。見終わった後に不思議な気持ちにさせられる。内容に含まれるプロパガンダを加味せず、アニメーションの技術的及び審美的側面に目を向けると、非常に良く出来た作品だと思う。輸送機等をリアリスティックに描いたタッチと、動物達を可愛く描いたタッチとは異なっており、かつ挿入されるゴアの王様のエピソードは影絵アニメーション風である。感心するシーンがいくつもあるのだが、とりわけモブシーンの動物達の動きの素晴らしさには目を見張る。

 前半の帰省パートで、たくさんのタンポポの冠毛が風にとばされていく様を見て、サル吉は落下傘部隊が降下する光景を夢想する。実際に後の戦闘では、落下傘部隊がパラシュートを広げて降下していく様が俯瞰でとらえられており、そのシーンは叙情的で非常に美しい。戦争を美化していると言えるが、その一方で、ここに否応なしの戦争の美というべきものがあるのかもしれないと思った。映画のラストでは、サル吉の故郷の子供達が落下傘部隊のマネをして遊んでいる。木の上から地面に描かれた地図に向かって飛び降りているのだが、その地図はシンガポールのように、あるいは中国のように見える。プロパガンダとしての意味を考えると個人的には不愉快だが、この作品のラスト・シーンとしてはやはり印象的だった。2018215日)

ちなみにメインである展示「Witness to War」のパンフレット

中味はこんな感じ

展示の一部

Monday, 14 May 2018

『映画』Operation Lipstick(諜網嬌娃/オペレーション・リップスティック)+ パネル・ディスカッション「Secret Spies Never Die!」


20171126
Operation Lipstick(諜網嬌娃/オペレーション・リップスティック)」・・・Singapore International Film Festival
公開年: 1966
製作国: 香港
監督:  Inoue Umetsugu(井上梅次)
出演: Cheng Pei-Pei(チェン・ペイペイ), Chin Fei, Paul Chang-chung
見た場所: National Museum of Singapore

 やはりSingapore International Film Festivalのスパイ映画特集である。日本の井上梅次監督が香港のショウ・ブラザーズで撮った作品で、やはりジェームズ・ボンドの007シリーズから始まった当時のスパイ映画ブームに乗っかっている。1960年代にショウ・ブラザーズと契約していた井上梅次は、「Hong Kong Nocturne(香江花月夜)」(1967年)や「Hong Kong Rhapsody(花月良宵)」(1968年)のようなミュージカル作品の監督として、ショウ・ブラザーズ栄光の歴史にその名を刻んでいる。そしてこの作品もまた、主演のCheng Pei-Pei(チェン・ペイペイ)のキュートさ満載の、モダンなスパイ・ミュージカル・コメディとなっている。

プログラムのスパイ映画特集のページデザイン。すてき。

 さて、「Operation Lipstick」は前述の「The Hand of Fate」と同日に、同じNational Museum(シンガポール国立博物館)で上映された。14時から「The Hand of Fate」、そして19時から「Operation Lipstick」だったが、その間に「Secret Spies Never Die!」という、特集上映と同じタイトルのパネル・ディスカッションが行われた。「The Hand of Fate」の観客数も多くなかったが、このパネル・ディスカッションの参加者も20人いないくらいで寂しかった。しかし、内容はたいへん興味深く、かつ始まる前にビュッフェ式の軽食が出され、なんかもうけた気がした。ちなみに映画は有料だが、パネル・ディスカッションは無料イベントである。3人のスピーカーが、各々15分間の持ち時間でスパイ映画に関するプレゼンを行い、その後参加者からの質問を受け付けるという形だった。3人とも内容が濃いため、持ち時間15分はそれほど守られていなかったけど。各スピーカーのテーマはまちまちだったが、大枠としては、007シリーズのヒットに端を発するスパイ映画ブームがアジア各国に与えた影響について。モデュレーターは、「The Hand of Fate」上映前に作品紹介を行ったNanyang Technological University(南洋理工大学)のAssistant ProfessorMr. Lee Sang Joon。各スピーカーとテーマは以下の通りである。

       Mr. Leong Yew (Senior Lecturer, National University of Singapore)
シンガポールのスパイ映画「Gerak Kilat」、その作品と当時の社会的反響
       Mr. Tan See-KamAssociate Professor, University of Macau
映画会社ショウ・ブラザーズのスパイ映画戦略
       Mr. Andrew Leavold(著述家・映画作家)
ジェームズ・ボンド映画大国フィリピン、その究極である「For Your Height Only

向かって左から、Mr. Leavold、Mr. Tan、Mr. Yew、Mr. Lee(モデュレーター)

  このパネル・ディスカッションの後、「Operation Lipstick」を見ることになっていたので、Tan先生に質問をしてみた。なぜ、香港のショウ・ブラザーズが日本の映画監督を雇っていたのか、という質問。Tan先生いわく、井上梅次は実名でクレジットされているが、実は当時、作品に日本人名でクレジットされていないものの、多くの日本人スタッフがショウで働いていた。(ちなみに「Operation Lipstick」の撮影は西本正(賀蘭山)、音楽は服部良一である。)Tan先生が思うところでは、ショウは日本映画のある種の洗練さやポルノ的なエロ要素というものを取り入れたかったのではないかと。そもそもショウ・ブラザーズは、日本人に限らず、西洋音楽を使いたかったらフィリピンからミュージシャンを、というように適材適所で人を雇った。それはおそらく、中国大陸を除く東・東南アジア全てをターゲット・マーケットと見なしていたショウにとって、理に叶ったことであっただろう。スパイ映画についても、彼らが作っていたのは無国籍的というか、汎アジア的な作品だった。どこの国の観客が見ても接点が感じられるような作りだったのである。

 そんなわけで、私にとっては充実したイベントだった。なお、Mr. Leavoldが紹介していた小人の「エージェント00」が活躍するスパイ映画「For Your Height Only」が見たくてたまらなくなった。(Mr. Leavoldは、この「For Your Height Only」に主演した身長83cmの俳優、Weng Wengについての映画「The Search for Weng Weng」の監督でもある。)

参加者は少なかったが・・・

軽食も出たよ。

 そして話は戻って、「Operation Lipstick」である。元スリで今はナイトクラブの歌手をしているLee Bing(チェン・ペイペイ)は、ひょんなことから新型の原子力兵器に関する秘密(どういうものだったのか、この辺は記憶が曖昧。すまない)が記されたマイクロフィルムを巡る争奪戦に巻き込まれる。政府の諜報機関に雇われたLee Bingは、悪のシンジケートや謎のフリーランス(って・・・)のエージェント(Paul Chang-chung)を向こうに回して大騒動を繰り広げる、というお話。

美女三人の死闘

 冒頭で、その原子力兵器の生みの親である博士が誘拐され、殺される。クレジットを表示しつつ、そこまででわずか56分くらい。素晴らしい手際の良さである。そんな犯罪アクションの後、次のシーンで突如現れるのは、ステージ上の巨大なハリボテのケーキ。二人の踊り子が、ケーキに向けて大砲を放つと・・・中から出て来たのは、キュートでセクシーなヒロイン、チェン・ペイペイ!そして歌って踊り出す。この最初の10分間くらいの澱みなさと楽しさは格別。これから見る映画に対する期待が、ぐっと盛り上がる所である。

 この映画はスパイものであるとともに音楽映画でもあるので、ナイトクラブのシーンだけではなく、「泥棒の王様」、Lee Bingの父が地下のアジトで手下達と歌ったりもする。そんなミュージカル・シーンも楽しいが、一番の見所は、トルコ風呂でLee Bing以下美女三人が、バスタオル一枚の姿で繰り広げるマイクロフィルムの奪い合い。(ちなみにこのトルコ風呂は、昔日本で使われていた意味の「トルコ風呂」ではない。マッサージ師は女性だが、サウナ等の設備を備えた男性向け大浴場である。)この映画の上映前、前述したTan先生が作品紹介を行ったが、子供の頃にこの作品を見たという先生の思い出は、「シャンデリアか何かの下で、バスタオル姿の女達が騒いでいる」(だったかな)。まさにその通り。このトルコ風呂のキャットファイトに続く、香港島・九龍間のフェリー上でのスラップスティックな大乱闘も、素晴らしい演出。

 今見てもおしゃれでモダンな感じがし、切るべき所は切り見せるべき所は見せるメリハリで、最後まで楽しい映画である。最近の娯楽映画は、上映時間が余裕で2時間を超えるようなエピックのため、「真面目に」見ないといけないような作品が多い。音や色の贅沢さを味わいながら気軽に楽しめ、見終わった後、「あぁ、面白かった」と自然に思える、この映画のような作品は得難くなってしまったような気がする。私が見た他のスパイ映画に比べると、観客が結構いて(100人くらい?)良かった。家で一人で見ても面白い作品だが、たくさんの人と笑いながらスクリーンで見るとより楽しいと思う。 

 ところで、悪のシンジケートが巣食うナイトクラブにやって来たLee Bingは、ステージで歌う三人の殺し屋達に命を狙われる。岡本喜八監督「暗黒街の対決」で3人のギャングが「月を消しちゃえ」を歌うのを思い出した。あれは口パクという設定だったけど、こちらは実際に歌っている体だった。そして曲調は、歌う殺し屋達を斜め構図で撮って緊迫感を高めているにも関わらず、やたら楽しげだった。2018125日)

Sunday, 29 April 2018

『映画』The Hand of Fate(運命の手)


20171126
The Hand of Fate(運命の手)」・・・Singapore International Film Festival
公開年: 1954
製作国: 韓国
監督: Han Hyeong-mo
出演: Yoon In-ja, Lee Hyang
見た場所: National Museum of Singapore

 「Gerak Kilat(ガラック・キラット)」と同じSingapore International Film Festival(シンガポール国際映画祭)のスパイ映画特集なのだが、こちらの作品はずっとシリアスで、朝鮮戦争休戦直後の韓国を舞台としたメロドラマ的スパイ映画である。バーのホステス、Margaret(マーガレット)と貧しい大学生、Young-chul(ヨンチョル)が恋に落ちるが、実は女は北朝鮮から来たスパイ、男は防諜捜査に従事する政府機関の捜査員であった。互いの正体を知らずに愛し合う男女の悲劇が描かれており、メロドラマ的スパイ映画というよりも、スパイもの設定のメロドラマ、という感じである。


 バーホステスを装った女スパイというと、ハニートラップとかそういう言葉が頭に浮かぶが、1954年の映画なので、そういうシーンはない。店に出る前に港や駅に立ち寄っては、到着する韓国軍の兵力を目測するという、むしろかなり地味なスパイ活動に従事するマーガレットの姿が描かれる。映画の途中で銃撃戦もあるにはある。またラストでは、マーガレットのボスである北朝鮮スパイと、貧乏学生の振りをしていたが実は捜査員なヨンチョルとの格闘シーンも見られる。しかし、それらに見応えがあるわけではなく、(表の顔においても)異なる世界に生きる男女二人の交情を描くことが中心になっているように見える。作品全体を通して、二人が彼女のアパートにいるシーンばかりが印象に残る。

 マーガレットは、泥棒に間違われて警察に捕まったヨンチョルを助けたことをきっかけに、以降彼に何くれとなく世話を焼き始める。貧相なハンサムに人目惚れしたと言ってしまえばそれまでだが、「なぜ?」とは彼自身も観客も不思議に思う。しかし、それはマーガレットに言わせると、彼女のような職業の女にとっては、夢のあることなのだ。「水商売の女が、貧しい学生に経済的な援助を施していた。数年後、罪を犯した女が法廷に立った時、それを裁くのは立派な法律家になったかつての学生だった。」というような話をヨンチョルにするのだが、彼女が言及しているのは「滝の白糸」ではなかろうか。韓国にも同じような物語があるのかもしれない。お金は持っているが社会的地位の低い女性が、貧しいゆえに将来を閉ざされている若者を身を挺して助けるというロマンに、彼女が自分の夢を仮託している点がいじらしい。マーガレットのボスは、「西側の自由に味をしめやがって」みたいに彼女をなじるのだが、彼女にとっての「西側の自由」とは、資本主義社会のひずみにひっそり咲いた恋である。西側にいれば万事解決というものでもなく、表の顔の方であっても二人の恋には悲恋の予感がある。

 休戦直後にして(それとも休戦直後だからなおさらなのか)、マーガレットが「なぜ38度線なんてものがあるの」と、直球でヨンチョルに嘆いていて印象的だった。ラストは、ヨンチョルを救うために仲間を裏切り、ボスに瀕死の重傷を負わせられたマーガレットが、あなたの手で死なせてほしいとヨンチョルに頼む。(ラストでは、お互いの正体はすでに明らかになっている。)ヨンチョルはマーガレットに口づけると、悲しみをこらえて彼女を撃つ。

 上映前に、Nanyang Technological University(南洋理工大学)のAssistant ProfessorLee Sang Joon氏の作品紹介があった。この映画は、韓国で初めて女性スパイが描かれた作品というだけではなく、韓国で初めてキスシーンが描かれた作品としても記憶されている。それが前述したマーガレットの最期のシーンである。ヒロインの美しさが極まった美しいシーンではあるけれども、キスそのものは今ならちょっとしたもので、紹介したLee先生も「あまり期待しないで」と上映前に言っていた。しかし、当時はセンセーショナルに受け取られたようだ。監督のHan Hyeong-moは、日本の東宝で撮影技術を学び、第二次大戦後に映画監督としてデビューした。1950年代の韓国映画史において、最も重要な監督の一人と見なされている。

 アクションものを期待するとがっかりするのだが、メタシアター的に「滝の白糸」を演ずる東西スパイ男女の悲恋メロドラマだと思うと、味わい深い。この時代の韓国映画を見る機会があまりないので、貴重な体験でもあった。オープニングのタイトル「運命の手」の表記が、当時は漢字とハングル混じりで、それもまた興味深かった。2018111日)

Tuesday, 24 April 2018

『映画』Gerak Kilat (Operation Lightning/ ガラック・キラット)


20171124
Gerak KilatOperation Lightning/ガラック・キラット)」・・・Singapore International Film Festival
公開年: 1966
製作国: シンガポール
監督:  Jamil Sulong
出演: Jins Shamsudin, Sarimah, Salleh Kamil
見た場所: National Museum of Singapore

 ここ数年、開催時期にシンガポールにいなかったため行けていなかった、Singapore International Film Festival (シンガポール国際映画祭)に久しぶりに行ったのだった。でも、11日間の開催期間中で、見に行ったのは5本だけだった。仕事が忙しかったり、チケットが売り切れだったりしたためだが、そのうちの3本は、クラシック映画特集からの作品だった。今年のクラシック映画プログラムはスパイ映画の特集で、そのタイトルも「Secret Spies Never Die!」。1950年代から80年代までのアジア各国のスパイ映画6本を集めて上映を行い、映画研究者によるパネル・ディスカッションも行われた。行けたら全部見ても良かったくらいだった。1967年のタイのスパイ・コメディ「Operation Revenge」など、いかにも面白そうだった。しかし、そう思っている人間はシンガポールにはあまり多くなかったらしく、観客の少ない上映もあって残念だった。今や日本でもそうではなかろうかと思っているのだが、シンガポールでは、わざわざお金を払って昔の映画を見に行く人はそうはいないのだ。

 さて、この「Gerak Kilat(ガラック・キラット)」である。1962年に「007 ドクター・ノオ」が公開されて以降、ジェームズ・ボンドとスパイ映画ブームはシンガポールにも及んだ。マレー語タイトル「Gerak Kilat」、日本語で「電光石火」とでも訳すことのできるこの映画は、「シンガポール国自身のジェームズ・ボンド」、Jefri Zain(ジェフリ・ザイン)を主人公としたスパイ・アクションものである。製作は、映画会社ショウ・ブラザーズのマレー語映画製作会社であるMalay Film ProductionsMFP)。かつてシンガポールのJalan Ampasにスタジオを持ち、P. ラムリーを代表とするスター達の映画を製作してきたMFP落日の時期の作品である。しかし、この「Gerak Kilat」はヒットし、続編が製作されてシリーズ化されていった。

ヒーローのジェフリ・ザインと仲間の女性スパイ、ティナ

 ある日、海水浴客で賑わうチャンギ・ビーチ(というところからしてローカル色豊か)に男の死体が上がった。男は、秘密諜報員ジェフリの仲間で、何者かによって消されたものらしい。ジェフリは、殺された仲間の残したネガフィルムから、大量の武器を保有する巨大な地下組織の存在を知る。平和のために、このどこにあるかもわからない謎の組織を壊滅させよう!といきり立つジェフリ。一方、ネガフィルムがジェフリの手に渡ったことを知った悪の組織は、彼の正体を突き止め、フィルムを取り戻そうと画策する・・・。というように、話は始まっていく。

 映画の冒頭、殺される諜報員が海岸の岩場を逃げているのだが、その後を追うのは、悪の組織のナンバー2か3の通称「Botak」(マレー語で禿げのこと。Botak氏は禿げているというかスキン・ヘッドである)。海岸に向かう斜面を駆け下りる、強面のBotak氏の走り方が女子!肘から上に挙げた腕を、外側に向けて走る姿が女子!なことにまず驚いた。いや、これがBotakのキャラクター設定からくるものだったら別に驚かない。でも、明らかにそうではない。たぶん足場が悪いので急いで下ろうとしたら、自然に腕がああなってしまったんだろうと思う。ここは監督がダメを出すべきところではなかろうか。冒頭にあるべき緊迫感がだだ崩れである。さらに、この諜報員の死体が発見されるビーチの、第一発見者である白人カップルのセリフが棒読み!またしても萎える緊張感。

 最初のうちからこんなユルさを見せられて、大丈夫なのかこの映画、と思ってしまった。と思ってしまったのだが、以降だんだん調子が上がって来て、結果的にはなかなか楽しいスパイ映画になっていたと思う。高い予算をかけて作っているようには見えない。しかし、そのつつましい予算で、ジェフリの自宅地下の秘密基地やちょっとした発明品、海底に入口を持つ悪の組織の巨大基地など、いろいろ見せてくれる。ジェフリの自宅が高層マンションではなく、しゃれた平屋の一軒家というところに、時代を感じた。場所がシンガポールの設定で、今これはあり得ないなーと。当時のシンガポールの風景は、今のように(高層ビルやアパートで)縦長になってはいないのだ。

 ジェフリのガールフレンドが誘拐されて殺されたり、ジェフリ自身も死の危険に曝されたりするのだが、全体的にのどかな印象。「007」の東南アジア版を見ているというよりは、なんとなく少年探偵団的な、子供向けの冒険活劇ものを見ているような気持ちになる。たぶんどことなくゆとりを感じさせる作りだからだろう。例えば、悪者を追ってジェフリがシンガポールの街中を走り続けるシーンなど、長い長い。Capitol Theatre周辺など、ありし日のシンガポールの姿を見ることができて興味深い。が、もう少しメリハリをつけてほしいと思う。加えてジェフリのキャラクターが、複雑な過去を背負ったクールなタフガイ、というようなものではない。ちょっとハンサムな近所のお兄さんという感じ。どんな時でも不敵な笑みを絶やさないというよりは、あまり何も考えていないのでは・・・と思ってしまう。仲間の中の紅一点、焼き餅焼きのTina(ティナ)とのやり取りも、なんだかラブコメみたいである。

 そんなわけで、南国(だからなのか?)のゆったり感を備えたスパイ映画「Gerak Kilat」、仕事帰りの金曜の夜(だった)に見るにはふさわしい楽しい映画だった。なお、ここで私が悪の組織、悪の組織と繰り返しているのは、最後まで見ても悪の組織の組織名がよくわからなかったからである。ボスが、Commander Jeeman(ジーマン司令官)と名乗っているのはわかった。しかし、どこの何という組織だったのか・・・。構成員の制服も、男性は半袖ワイシャツにジーンズ、女性は全身黒タイツという質素さで特徴がない。そもそも組織名以前に、武器を集め構成員に戦闘訓練を施している彼らの目的がなんなのか、それも最後まで定かではなかった。しかしそれを言うなら、ジーマン司令官が知りたくて知りたくてたまらなかったこと———ジェフリが所属している国際的な組織(らしい)がなんなのかも、やはり最後までわからなかった。いや、ジーマン司令官じゃなくても、私も知りたかったよ。201818日)

Monday, 3 July 2017

『映画』恋愛与義務(恋爱与义务/Love and Duty)


201757
恋愛与義務(恋爱与义务/Love and Duty)」・・・Singapore Chinese Film Festival
公開年: 1931
製作国: 中国
監督: Bu Wan-cang卜万
出演: Ruan Ling-yu阮玲玉Jin Yan
見た場所: National Museum of Singapore

あらすじ:
 女学生Yang Nai-fan乃凡)は、近所の大学生Li Zu-yi(李祖义)と恋に落ちるが、両親に逆らうことのできぬまま、決められた結婚相手の元に嫁ぐ。それから5年後、夫婦仲は冷めているものの、二人の子供に恵まれた乃凡は、偶然に李祖と再会する。お互いにまだ相手を思っていることを知った二人の仲は、急速に深まっていくが・・・

 今年のChinese Film Festivalのクロージング作品である。「Restored Classics」プログラムの一つで、主人公の乃凡を演じるのは「サイレント映画の女神」、阮玲玉(ロアン・リンユィ)。長らく失われた作品とされていたが、1990年代に完全なプリントが(なんと南米の)ウルグアイで発見され、2014年に2Kデジタルレストア版として蘇ったものである。

 クロージング作品なので上映前に主催者の挨拶があったが、この作品を選んだ理由は、昨年のクロージングがスタンリー・クワン監督の「ロアン・リンユィ 阮玲玉」だったからだそう。これでfull circleになる、という意味合いをこめているのだ。

不倫デート中の乃凡(阮玲玉)

   無声映画ではあるが、ピアノ音楽がついている。これは、ドイツの作曲家がレストア版のためにつけたもの。字幕は元からあったもので、中国語と英語の対訳になっている。新しいキャラクターが登場するたびに、役名と演じる俳優名が字幕で紹介される。紹介されるとそれが重要な役どころかと思ってしまうのだが、実は端役ということも多くて拍子抜けする。名前のある役については、全員を劇中で紹介していくシステムらしい。

 152分という長尺のメロドラマである。しかし、一人の女性の一代記でもあり、もちろんいろいろなことが起こるので、長く感じるということはない。(サイレント映画とはいえ)白塗りも甚だしい女学生から、美しく着飾った裕福な若妻、駆け落ち後の質素な若い母親、そして生活に疲れた中年女性という変遷を、阮玲玉が演じ切っている。ちなみに後で気づいたけど、主人公乃凡が夫との間に儲けた娘の、15年後の姿も彼女によって演じられている。乃凡と娘が同時に登場する場面もあるので、そこは演出と撮影技術が駆使されている。

 若い頃を演じる阮玲玉もかわいいが(と言っても、そもそも本人が当時まだ21才かそこらなのだ)、中年になってからの姿が圧巻。愛する男性と駆け落ちして結果的に不幸になる若い女性、という話で終わってもいいようなものの、その15年後というプラス・アルファのストーリーが余計に感じられないのは、彼女の芝居を飽きずに見ていられるからだと思う。ちなみに、映画「ロアン・リンユィ 阮玲玉」で、主演のマギー・チャンが指摘していた「腕を引き絞る」という演技が、この映画でも随所で見られる。言われてみると、阮玲玉に特徴的な演技の一つだと思う。華奢なこともあって(腕とかすごく細い)、腕を引き絞る動作が、感情表現としてわかりやすく、印象的。

 恋人李祖役は、当時「映画の皇帝」と呼ばれた人気スター、焰。最初に大学生で登場した時には、(若さを強調するためだろうが)阮玲玉以上の白塗りだが、非常なハンサムである。その男ぶりは、それほど白塗りでなくなった5年後の時によくわかる。なお、李祖阮玲玉の乃凡との再会のきっかけは、公園の池で溺れた彼女の子を、たまたま李祖が助けたことによる。が、その池があきらかに浅くて、子供(幼児)の足がつくくらいの深さなので笑える。いやまぁ、そうじゃないと本当に溺れさすことになってしまうんだけど、それは。

 ところで今回この作品を見ていて、劇中の阮玲玉の姿勢がなんとなく気になった。富裕な若妻を演じている時でも、(私の目の迷いかもしれないが)常に心持ち猫背な気がする。でもこれは、彼女の姿勢が悪いというのではなく、当時はそれが女性のあるべき姿勢だったのではないかと思った。つまり、今のように胸を張ってしゃんとしているのが美しい、という感覚ではなかったのではないかと。あるいは、貞淑で善良な人妻(彼女は恋人と駆け落ちするが、悪女ではない)を表す身体表現として、体を内向き加減にするということをしていたのかもしれない。単なる憶測なんだけど。

 何はともあれ、上映が終わった時、「見たわ〜」ということが実感される、ボリュームある作品だった。201762日)

Sunday, 25 June 2017

『映画』海上花(Immortal Story)


201756
海上花Immortal Story)」・・・Singapore Chinese Film Festival
公開年: 1986年
製作国: 香港
監督:  Yon Fan
出演:  Sylvia Chang艾嘉)、TSURUMI Shingo(鶴見辰吾)、Yao Wei
見た場所: National Museum of Singapore

あらすじ:
 マカオで一人の女性が日本人男性を殺害した容疑で逮捕された。容疑者であるMei Lingは、弁護士の求めに応じて、殺された男性との関係を語り始める。10年前、1970年代の古き良きマカオ。レストランの歌手をしていたMei Lingは、旅行中の日本人学生中村と恋に落ちるが、彼はマカオを去って行った。その後、新しい恋人に騙され、絶望の淵に陥ったMei Lingは、高級ナイトクラブの女性経営者、Pak Lanによって救われた。Pak Lanのクラブで歌い、今や売れっ子ホステスとなったMei Lingだったが、再びマカオを訪れた中村と偶然再会する・・・。

中村氏殺害容疑で法廷に立つシルヴィア・チャンのMei Ling

 Chinese Film Festival、「Restored Classics」カテゴリーの一本。当時21歳だった鶴見辰吾が、Sylvia Chang(シルヴィア・チャン)演じる主人公Mei Lingの恋人、日本人青年中村さんを演じる。俳優の実年齢が演じている役の年齢より上で、この役にしては老けてるなー、という苦情は一般的によくある。しかし、この映画では逆に、10年後にマカオに戻って来た鶴見辰吾の中村さんが、若すぎて全くビジネスマンに見えない。でも、大丈夫。この映画の鶴見辰吾は主人公の思い出の中の青年であって、彼に限って言えば、10年前のパートの方が重要。つまり、10年前の学生の姿に真実味があった方が良いのだ。ちなみに、相手役のシルヴィア・チャンは当時すでに30歳過ぎていたが、役柄上は鶴見辰吾とほぼ同い年か、むしろシルヴィアの方が年下という設定である。

 冒頭、弁護士に被害者との関係を問われ、「私は彼を知らなかった。10年前に知っていたかもしれない、いえ、やはり知らない。」などと、まるで「二十四時間の情事」みたいな応答をする主人公Mei Ling。しかし、ひとたび彼女が語り出してみれば、「初恋の思い出はいつまでも美しい」という「冬のソナタ」のような話から、次第にナイトクラブ、ホステス、ヤク中と、夜の世界のメロドラマになっていく。

 この映画を見てしみじみ思う教訓は、貧しい娘が美人であるのに野心がないと、ろくなことにならない、ということである。ギラギラしていれば逞しくのし上がっていく女一代記ができるのだが、そうでないと、美人なだけに、他人の仕掛ける罠にはまって堕ちて行ってしまうのだ。

 単にそういう筋であれば、わりと古典的なメロドラマと言える。しかし、この作品が特徴的なのは、主人公を巡る三角関係が、初恋の男性と現在の雇用主の女性という点。Mei Lingが歌うレストランに毎日通い、恋人に捨てられて弱っている彼女を助け、ついに自分のクラブで雇い、ついでに自分の高級マンションで一緒に暮らすという、やり手ビジネス・ウーマンのPak LanYao Wei)。売れっ子のMei Lingに無理に枕営業をさせておきながら、その後、彼女を風呂に入れて優しく体を洗ってやるというこのアンビバレンス。なお、このお風呂のシーン、見所の一つです。

 ここまで書いてくると、中村さんを殺した犯人が誰なのかは、もう簡単に予想がつくのだが(作品を見ている間でも)、そこはわりとどうでもよいことだと思う。風光明媚なマカオの古い街並も楽しめる、印象的な異色メロドラマ。2017523日)

Monday, 19 June 2017

『映画』日常対話(日常對話/Small Talk)


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日常対話(日常對話/Small Talk)」・・・Singapore Chinese Film Festival
公開年: 2016
製作国: 台湾
監督: Huang Hui-chen惠偵
見た場所: National Museum of Singapore

 Chinese Film Festival、「Documentary Vision」カテゴリーの一作品で、母と娘(監督自身)についてのドキュメンタリーである。プログラム記載のあらすじがえらく漠然とした感じだったのだが、R21指定作品になっていた。シンガポールではレイティングとともに、通常その理由が表示されているが、プログラムには「R21 Homosexual theme」とある。よくありそうな話としては、娘がレズビアンでそれを母に告白して云々というものだ。しかし、この作品は逆で、それと知りつつ今まで踏み込めずにいた母の性的志向について、娘が母と対話を持とうとするという内容。あらすじを知らないで見始めると、この想像の斜め上を行く状況にまず不意を突かれる。

 監督であるHuang Hui-chenの母は、食事の支度をすると一人外に出かけて行く。背が低くてずんぐりとした体型、髪はベリーショートよりさらに短く、ポロシャツにチノパンという出で立ちである。人のことをおばさんおばさん言える立場ではないが、まぁでも、こういう性別不詳な感じのおばさん、地元のスーパーにもたまにいるな、という雰囲気。しかし、単に女らしいおしゃれをあまりしなくなったおばさんというには、どこかりりしい。一方、娘である監督と彼女の幼い娘は、母が用意しておいた食事を二人だけで食べる。この家庭は、母、娘、孫娘という女三人だけの三世代家族で構成されているのだ。一方、娘達をおいて母が出かけた先は、公園のような場所である。中年の女性達がボードゲームに興じている所へ母がやってくると、一人が別の一人に声をかける。「ほら、あんたのだんなが来たよ。」・・・そういうことかい。

 現在、アジアで初めて同性婚が合法化されるかもしれないと沸いている台湾。LGBTというしゃれた言い回しが一般的に広まる一方で、あるいは広まってきたからこそ、LGBTの人々に対するパブリック・イメージは、型にはまったものになりがちな気もする。しかしここに、グラマラスでもなければビューティフルでもクィアでもなく、ついでに言うと金もあまり持っていなさそうな一市井の人が、同性婚の合法化云々よりもずっと昔から、レズビアンとして人生を過ごしている。

映画祭パンフレットに掲載されているイラスト。
向かって左が娘である監督、右の老けた男子中学生のように描かれてしまっているのが監督のお母さんである。

 Huang監督の母は、当時としては当たり前のこととして、親の手配で結婚し、夫との間に二人の娘(Huang監督と妹)をもうけた。子供の頃からボーイッシュだった母だが、そういうこと以前に、この結婚は不幸だった。博打をして暴力を振るうならず者の夫から、母は二人の娘を連れて逃げた。監督が10歳の頃だった。

 以来母は、寺院での葬儀の際に歌や踊りで死者を送り出す、日本語でいういわゆる「泣き屋」(しかし、日本語からイメージされるものとはかなり違う)を生業として、二人の娘を育て上げた。しかし、娘である監督の思いは複雑だった。幼い頃から母と一緒に寺院で働き、満足に学校に通えなかったこと。台湾でブルーカラーと見なされる「泣き屋」という職業ゆえに、世間の人から見下されていると感じたこと。そして何よりも、彼女の記憶の中では、母はいつも「女友達」と出歩いていて、決して家に居着かなかった。母は自分のことが好きではないのか、娘である自分のことをどう思っているのか。この多年の疑問を抱えたまま、今や三世代同居となったわけだが、母と娘との間に会話はほとんどない。監督自身が娘を持って母親となり、娘が自分の人生に喜びを与えてくれたと実感する今、母はますます不可解な存在と感じられるようになった。そこで、このドキュメンタリー映画である。

 お母さんにだって自分の好きなように生きる権利はあるんだ、などと他人事ならいくらでも言うことはできる。しかし、娘からしてみれば、同性愛者であることを隠さない「異常な」母の娘と見なされるのは辛かった。母を理解したいと思う監督は、うるさがられながらも母にインタビューする。母の故郷に一緒に帰り、母の兄弟達にもインタビューする。自分の妹やその娘達(不思議とこの一家は娘ばかりに恵まれている)にもインタビューする。ちなみに妹は監督に比べ、母に対しておおらかなスタンス(子供の頃手伝っていた母の「泣き屋」の職業を、今も引き続きやってもいるらしい)。

 また監督は、母の歴代のガール・フレンド達にもインタビューをしている。往年の彼女なので若くはないのだが、皆なかなかの美人。・・・やるなぁ、お母さん。冒頭で述べたように、ずんぐりむっくりな感じの母なのだが、実はモテるのだ。彼女達へのインタビューを聞いていると、モテのために大事なことは、容姿ではなく、マメで優しいことなのだとしみじみ思った。それはともかく、インタビューを受けたかつてのガール・フレンドの一人が言う。「彼女に子供はいないわよ。そう言ってたわ。結婚して一週間で夫と別れた後、養子を二人取ったって。」「じゃあ(子供がいないのなら)、今あなたの目の前にいる私は何?」と笑って答える監督の声。そしてこのシーンの後の、監督によるナレーション。「あの時私は笑っていたが、実は子供の頃、母の態度から自分が養子なのではないかと考えたことがあった。母が本当にそう言っていたことを知って、落ち込んだ。」

 母を巡る監督の旅は、母子が一番辛かった時期、ならず者の夫(父)の下で暮らし、そして身一つで逃げ出した頃へと行き着く。監督は、かつて父と一緒に暮らしていた、今や誰も住んでいないアパートの一室を訪れる。10年ほど前に父はすでに他界し、苦い思い出だけがそこにある・・・。

 作品のクライマックスにおいて、娘である監督は、母と話し合うために食卓で差し向かいになる。家族の日常的な風景だが、この母子の間ではこれまで難しかったことである。そこで監督は言う。「私はもうすぐ40になる。でも、いくつになっても、私はあなたの娘なのよ。」・・・それは、多くの人が親に抱く当たり前の感慨かもしれない。しかし、この作品では、それまでの全てが、このセリフに辿り着くためにあったとさえ言える。監督は母を理解したいと思って、このドキュメンタリーを作ることを思いついたのだろう。しかし、最終的に彼女が辿り着いたのは、母が娘の自分をどう思おうが、母がどんな人間であろうが、自分はやはり母を愛しているのだ、ということだった。母への理解を深めるための作品は、転じて、自分が母をどう思っているか、そしてそれを母にもわかってほしいという、自分自身についてのものとなっていた。

 この作品は、映像も演出もよくできているが、特に構成が劇映画のように巧みである。それだからこそ、時代や社会の変化によらない、市井の同性愛者に密着したドキュメンタリーが、親子の葛藤とそれを乗り越えようとする子の、一つの普遍的なドラマへと美しく展開していったと思う。

 なお、作品の最後の方で、同性婚が法的に認められたら結婚したいか、監督が母に訊ねる。母は、「したくない。自由でいたい。」・・・やるなぁ、お母さん。2017519日)

Sunday, 18 June 2017

『映画』超級大国民(超級大國民/Super Citizen Ko)


201752
超級大国民超級大國民/Super Citizen Ko)」・・・Singapore Chinese Film Festival
公開年: 1995
製作国: 台湾
監督: ワン・レン萬仁)
出演: リン・ヤン林揚)、スー・ミンミン蘇明明)
見た場所: National Museum of Singapore

 今年で5回目となるSingapore Chinese Film Festival428日から57日まで開催された。「Chinese」と銘打っていて「China」ではないのは、「中国映画祭」ではなく、「中国語映画祭」だからだと思う。つまり、中国語による映画であれば国を問うていないので、毎年中国に限らず、台湾、マレーシア、シンガポールなどで製作された中国語の映画が上映されている。言語をテーマに据えるという意味では、Alliance Francaise(日本のアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)のような機関と思われる)で毎年催されているFrancophonie Festivalを気持ち連想させる。しかし、フランス語圏の各国大使館が主催者に名を連ねるFrancophonie Festivalと違い、この映画祭は民間団体であるSingapore Film Societyと研究機関であるSingapore University of Social Sciences (Centre for Chinese Studies)が主催。政治的な色合いはなく、映画の好きな人たちが中国語映画の多様性を紹介したいと思ってやっている映画祭、というのが実際のところだと思う。

フェスティバルのパンフレット表紙。今年で5回目なのである。

 作品はいくつかのカテゴリーに分けられており、新作劇映画を紹介する「Chinese Panorama」、ドキュメンタリー作品の「Documentary Vision」、短編作品を集めた「Chinese Shorts Showcase」。そして毎年、過去作品の特集上映を行っているのだが、今年は一人の監督の回顧上映などという形ではなく、近年修復された作品の特集「Restored Classics」だった。超級大国民」は、その「Restored Classics」の一本である。 

あらすじ:
 かつて大学教員であった許(Ko)氏は、仲間達と政治的な勉強会を開いていた罪で16年間投獄され、出所後も養護施設に閉じこもり、長らく世間と隔絶して生きて来た。投獄から30年あまりもの月日が経ち、今や老人となった許氏は、ある日突然養護施設を出て、一人娘の元に身を寄せる。彼の目的は、自分が「裏切った」ことによって逮捕、処刑された友人の墓を探し出すことにあった。


 映画「悲情城市」は二・二八事件を描いた作品として有名だが、この「超級大国民」では、その後の台湾の政治、社会状況が取り上げられている。逮捕された許氏は、取り調べ時の拷問に耐えかね、逃げ延びた友人の名前を「自白」してしまう。捕まった友人は、自分が勉強会のリーダーだったと名乗ることで許氏達仲間の命を救い、自分一人処刑されていった・・・。この友人の墓を探して死んだ彼に詫びるという、許氏の贖罪の旅路が描かれる。

 劇中繰り返し流れる悲しげなテーマ曲が、くどいなとは感じたのだが、いい映画だったと思う。

 友人の情報を得るため、許氏は一緒に逮捕されたかつての仲間達や、自宅の強制捜査を行った元警官のもとを訪れる。その過程で、許氏が自らの過去をも回想するというオーソドックスな構成。脚本が上手くできていて、訪ねた人達との会話の一端から許氏の過去が導きだされ、次第に明らかになっていく。さらに、最初からぎこちなかった彼と娘との間で、しだいに緊張が高まっていき、それが頂点に達した時(それは許氏の捜索の旅が終わりに近づいた時でもある)、娘の口から彼の妻の死が語られる。心から許氏を愛していた妻は、投獄された彼が何の説明もなく彼女に離婚届を突きつけたことにショックを受け、自ら命を断ったのだった。これは、許氏の回想では決して語られなかった(彼が触れたくなかった)部分であり、彼が終に友人の墓を見つける前の一つのクライマックスとなっている。

 日本でいう戦中派の許氏は、第二次世界大戦では若くして日本軍に所属して戦い、辛くも生還した世代である。日本の植民地下の台湾で教育を受けたために日本語を話すことができ、日本語の習慣が端々に残っている(仲間達の間でお互いを呼び合う時も、「許さん」「陳さん」という「さん」付けである)。知識階級の本省人として、日本去りし後の台湾で政治の理想を志向した結果、それが国民党政府による白色テロによって打ち砕かれ、彼は16年間投獄される身となった。許氏の挫折は、ひとえに政治についてだけではなく、暴力に屈して友人を死に追いやったという、自身の人間性に対する挫折でもあった。

 昔ながらにスーツを着こなし、きちんと帽子をかぶった許氏は、白色テロ時代の過去からやって来た「亡霊」として、民主化の推し進められている90年代初頭の台湾を彷徨う。この作品が上手く作られていると思うのは、ただ過去を描くのではなく、現代との対比の上で描いている点にある。かつて彼が取り調べを受けた拘置所も、政治犯の処刑場も今はその名残を留めていない。デモ行進が繰り広げられる一方、政治が金儲けの一種となっている現代の台湾を、半ば呆然と半ば不思議な面持ちで眺める許氏。彼が訪ねる先は、かなり裕福な娘一家の邸宅に始まり、バラック街、中流家庭のアパート、麺屋の屋台、海に近い地方の村と多様で、白色テロ禍に関わった人達のその後もまた、人それぞれである。

 「死んだ友人は、生き残った仲間達に自分の分まで生きてほしいと思っているに違いない。だからがんばって生きればいい。」などという都合のいい前向きな発想は、許氏には全くない。終に打ち捨てられた小さな墓を見つけた許氏は、その墓前で手をついて友人に詫びる(なお、その時素直に出て来るのは日本語の「すみません」である)。そして言う。「30年の辛苦に免じて、自分を許してほしい」と。犠牲者の鎮魂を一生の悲願とした許氏が無念の魂に捧げる灯りは、悲しくも小さく、しかし美しかった。2017514日)