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Sunday, 5 August 2018

『映画』LÖSS(八里沟/八里溝)、Stories About Him(关于他的故事/彼についての物語)、The Giant(巨人)他


2018429
Animation Shorts(短編アニメーション特集)」・・・Singapore Chinese Film Festival
 Singapore Chinese Film Festival(シンガポール・チャイニーズ・フィルム・フェスティバル)の短編映画プログラムの一つで、短編アニメーションを特集している。Lasalle College of the Arts(ラサール・カレッジ・オブ・アーツ)が映画祭のパートナーで(上映会場もラサールのスクリーニング・ルームだった)、ラサールの学生による作品も2作上映された。上映終了後には、それぞれの作品の監督たるElliot Chong Jia EnSarah Cheok、そして「The Giant」を作ったZhuang兄弟とのトークが行われた。上映されたのは、以下の8作品

LÖSS(八里/八里溝)
公開年: 2016
製作国: 中国/ベルギー/オランダ
監督:  Zhao Yi易)
見た場所: Lasalle College of the Arts


 八里溝(八里沟、中国河南省新郷市の八里溝か)の農夫の元に、「妻」として売られた女性の半生を描く。時に夫から虐待を受けつつも、暗赤色の泥で小さな人形を作ることを慰めとしながら、彼女は貧しくて過酷な生活を生きる。アニメーションだが貧農のセックスが赤裸裸に描かれており、何となく今村昌平作品を思い出させる。彼女の作る人形(ちょっと「さるぼぼ」っぽい)は赤ん坊を模しているように見える。夫は、セックスを強要する恐ろしい存在であると同時に、人並みの幸せを与えてくれる存在かもしれない。そのアンビバレンスを、主人公の現実生活の中に(アニメーションなだけに)無理なく幻想を織り交ぜることで表現する。最初からハッピーエンドで終わる気の全くしない作品なので、来るべき破綻がいつ来るかいつ来るかと、見ている方は緊張しながら待つことになる。ちょっとじりじりさせられる(長い)。その間、四季が移り過ぎてゆき、ついには予期していたような出来事が起こる。でも、そこで映画が終わるのではなく、もう少し続きがあるのだった。

 暗くみじめな話なのだが、その一方で実に美しいアニメーション作品でもある。セリフのない作品だが、雪道を踏みしめて歩く足音や、生の薩摩芋をかじる音など、音響効果が印象的だった。201855日)

Fundamental(基石/ファンダメンタル)
公開年: 2017
製作国: 台湾
監督:  Chiu Shih Chieh邱士杰)
見た場所: Lasalle College of the Arts


 この短編アニメーション特集にはゲイをテーマとしたものが2作品あり、シンガポールの映画レイティングではR2121歳以上のみが鑑賞できる)になっている。しかし、その2作品よりもさらに問題だったのがこの「Fundamental」で、IMDAInfo-communications Media Development Authority、情報通信開発庁、レイティングを付与している政府機関)に三度申請を却下され、映画祭側が(たぶん)拝み倒してようやくR21で上映許可を得たのだった。見ると、政府が良しとしなかった理由がわかる。冒頭、「個人的な物語である」とことわっているものの、いわゆる「キリスト教原理主義」と言われるような、極めて保守的なキリスト教徒の家庭に育った少年の宗教体験が風刺的に描かれているのだ。多民族の調和と治安の維持に厳しいシンガポール政府的には、宗教がらみの作品には特に神経質である。しかしこの作品は、確かに保守派を揶揄していると言えるが、と同時に、(宗教に限らず)大人の押しつけに対して疑問や反抗心を抱く一方、そうした異議を持つことに罪悪感も感じるという思春期の子供の矛盾した感情を、被害妄想的な幻想という形で上手く描き出している。だからこそ可笑しい作品になったと思う。201856日)

Losing Sight of a Longed Place(暗房夜空)
公開年: 2017
製作国: 香港
監督:  Shek Ka Chun(石家俊)、Wong Chun Long俊朗)、Wong Tsz Ying黃梓瑩)
見た場所: Lasalle College of the Arts


 香港に生きるゲイの若者が、家族(特に父)や、権利を求めて活動するLGBTのコミュニティといった、自分自身と自身の周囲を振り返るという、社会的かつ内省的な作品。基本的に、線画に水彩絵の具やクレヨンで色を付けたようなアニメーション。その中でなぜか、蛇口から流れ出た水がバスタブに溜まって行くシーンが印象的だった。夜の暗さと孤独とやり切れなさと、若干のエロスが感じられるからだろう。201857日)

Between Us Two(当然)
公開年: 2017
製作国: シンガポール
監督:  Tan Wei Keong
見た場所: Lasalle College of the Arts


 アメリカで同性と結婚したシンガポールの男性が、亡くなった母に語りかける。実写を利用したアニメーションで、同性婚のシーンもある。「Losing Sight of a Longed Place」と同じく、ゲイをテーマとしているわけだが、この作品もやはり内省的。母へのもの思いを、アニメーションだからこその自由な心象風景に重ね合わせ、5分間で描き切っている。201857日)

Stories About Him于他的故事/彼についての物語)
公開年: 2017
製作国: 台湾
監督:  Yang Yung-Shen咏亘
見た場所: Lasalle College of the Arts


 ナレーターである「私(監督)」はある日、肖像画でしか知らない祖父について、 数多いおばさん達に質問してみた。すると、彼らの話はバラバラで、祖父の瞳の色や彼がどこからやって来たのかさえもはっきりしない・・・。そんな親族達の曖昧な話から組み上げられる、亡き祖父の一代記。おばさん達の説明が逐一アニメーションで表現されるのだが、様々な技法が使われている。そのイマジネーションの広がりが、とても豊かで楽しい。一家族の私的な話なのだが、それと同時に台湾の歴史を語るものであり、また記憶の不確かさについての作品でもある。201857日)

Loop(回路)
公開年: 2017
製作国: シンガポール
監督:  Elliot Chong Jia En佳恩
見た場所: Lasalle College of the Arts


 会場であるラサール・カレッジ・オブ・アーツの学生の作品。孤独な若者が、(たぶん離れて暮らしている)両親への思いを振り払えないで、さらに孤独を感じるという堂々巡りを描いている。のだが、私の察しがよくないせいか、ちょっとわかりづらかった。201858日)

Tiger Baby虎儿/タイガー・ベビー)
公開年: 2017
製作国: シンガポール
監督:  Sarah Cheok石凌菲
見た場所: Lasalle College of the Arts


 こちらもラサールの学生の作品。ストレスだらけの日々の暮らしから、虎になって抜け出すことを夢見る女性。彼女が虎を夢想する時のきっかけとして、かの有名なタイガーバーム(シンガポールのハウ・パー・コーポレーションが作っている軟膏)が使われている。タイガーバームの匂いをかいだり腕に塗ったりすると、すっきりして虎になれるような気が・・・。(別にこの作品がハウ・パー・コーポレーションと提携しているわけではない。)冒頭で、彼女が近所の野良猫達にもタイガーバームの匂いをかがせていて、それが可笑しかった。201858日)

The Giant(巨人)
公開年: 2017
製作国: シンガポール
監督:  Harry & Henry Zhuang
見た場所: Lasalle College of the Arts


 シンガポールの芸術家Tan Swie Hian瑞献)の詩から着想を得た作品。地球を動かす巨人、そして不毛の島に打ち上げられた魚達。そのうちの一匹は海に戻らず、島の地下を探検する。やがて、不毛の島に緑が生まれる。・・・ストップモーション・アニメーションの力作で、島、海、魚などのあらゆるものが細かく切った新聞紙から作られている。張り子の魚等、質感としても味わいがあるが、作品中に時おり文字が読めたり、有名人の写真が見えたりし、新聞紙を材料としていることそれ自体が、人類の歴史のメタファーとしても機能している。上映終了後のトークで監督のZhuang兄弟が、ディズニーのアニメなどだけを見ているとよくわからないが、短編アニメーションを見ると、アニメーションには様々な技法があることに気づかされると言っていた。それがアニメーションの良さであろうと。そこでは作り手の個性が強烈に発揮されるのであり、そしてそれがアニメーションの魅力であると、私も思ったのだった。2018513日)

上映後のトークで撮影に使われた魚の模型を見せる庄兄弟。
双子なのだがどちらがハリーでどちらがヘンリーだったか・・・すまない

会場のラサール・カレッジ・オブ・アーツ

Tuesday, 19 December 2017

『映画』The Song of Plastic(Le Chant du Styrene/プラスチックの歌)


The Song of PlasticLe Chant du Styrene/プラスチックの歌)」
  The Art Commission(短編映画特集)より・・・Painting with Light (International Festival of Films on Art)
公開年: 1958
製作国: フランス
監督:  Alain Resnais(アラン・レネ)
見た場所: National Gallery Singapore

 フランスのSociete Pechiney(ペシネー社)が、自社工場で製造されているポリスチレン製品を称揚するために製作を依頼した作品。プラスチックの花園から始まるこの映画は、完成品から原料へと製造工程を逆に辿っていく点がミソである。オーケストラの音楽に合わせて展開する映像は、いかにも往年の短編芸術映画っぽい。素材そのものが持つ意味を伝えるという目的以上に、カメラワークや編集や色や音楽やナレーション、そうしたものの集合による一つの体験として、作品が作られている。あのカラフルで身近なプラスチック製品が、その製造工程を巻き戻して行くと、どんどん大がかりな重化学工業へと変貌していく。あぁ、プラスチックって、石油から作られるんだよなぁ、物からではないんだよなぁ、としみじみ思い出した。その点、教育映画的でもあった。20171111日)

映画の最初、咲き誇るプラスチック
 

『映画』The Diamond Finger(Niew Petch/ダイヤモンド・フィンガー)


The Diamond FingerNiew Petch/ダイヤモンド・フィンガー)」
  The Art Commission(短編映画特集)より・・・Painting with Light (International Festival of Films on Art)
公開年: 1958
製作国: タイ
監督:  R. D. Pestonji
見た場所: National Gallery Singapore

 こちらはタイ政府の芸術局によって作られた作品。タイの伝統的な仮面舞踊劇Khon(コーン)のパフォーマンスを撮っている。お話は、「ラーマキエン」という「ラーマーヤナ」を元としたタイの叙事詩からのエピソードによる。巨人の国に生まれた小人のNontukは、それゆえにアプサラス(天界のニンフ)達にからかわれ、ハゲるまで髪の毛を抜かれていじめられる。そんなNontukを不憫に思ったシヴァ神が、彼に“ダイヤモンド・フィンガー”、指し示すだけで相手を殺すことのできる魔法の指を与える。この指を得て、アプサラス達を指差ししまくるNontuk。しかし、過ぎた殺戮に対し、ついに美しい女性に化身したヴィシュヌ神が現れる。ヴィシュヌ神は、Nontukがダイヤモンド・フィンガーで彼自身を指し示すように仕向けるのだった。

井戸に映った自分の姿を見つめるNontuk

 舞踊劇をフィルムにおさめているのだが、単に舞台上演を撮影したという類のものではない。映画のために行われたパフォーマンスで、舞台上演的な表現をベースに、映画的な表現も用いられている。きらびやかな衣装にダンサー達の優雅な踊り。例えば、Nontukのダイヤモンド・フィンガーに2030人からのアプサラス達が打ち倒されて行くシーン。彼女達が次々と画面からはけていくのだが、全員一様ではなく、様々な動きで倒れ去って行く。その極めて流麗で美しい有様が俯瞰撮影で捉えられていて、とても印象的だった。

 この作品、タイ製作だが、英語作品である。物語を説明するナレーションが入っているのだが、それが英語。今回ゲストとして来星したタイ国立フィルム・アーカイブのPutthapong Cheamrattonyuさんによると、それはこの作品が、そもそもタイの文化芸術を海外に宣伝するために作られたからである。1950年代、映画「王様と私」のヒット等によって欧米諸国の関心がタイに向けられるようになった。しかし、そうした海外の作品では、タイの文化が必ずしも正しく描かれているわけではない。そうした状況を受けて作られた作品らしい。こうした努力によって、タイは観光大国になっていったんだなーと思った。

 ところで、この舞踊劇のストーリーだが、破壊の神による破壊の後、その混沌から世界を復する維持の神が現れ、それで世界のバランスが保たれる、ということなのだろう。でも、主人公Nontukのことを考えると、憐れまれてダイヤモンド・フィンガーをもらったのに、使ったら懲らしめられて殺されたという、神様達の都合に踊らされているようで、なんかちょっと釈然としない。20171111日)

『映画』Raid into Tibet(レイド・イントゥ・チベット)


Raid into Tibet(レイド・イントゥ・チベット)
  The Art Commission(短編映画特集)より・・・Painting with Light (International Festival of Films on Art)
公開年: 1966
製作国: イギリス
監督:  Adrian Cowell
見た場所: National Gallery Singapore


  この作品は、当時あったイギリスのTV会社ATVAssociated Television)の企画により製作された。チベット動乱そして1959年のダライ・ラマ14世亡命後の1964年、中国軍と戦うチベット人ゲリラを取材している。監督のAdrian Cowell、カメラマンのChris Menges(クリス・メンゲス)、ジャーナリストのGeorge Patterson(ジョージ・パターソン)は、ネパール中部、ヒマラヤの山々に囲まれたTsum Valley(ツム谷)へ向かう。隔絶されたこの土地には、チベット人ゲリラの分遣隊の拠点がある。彼らの許可を得た監督達は、行を共にしてヒマラヤの峠を巡る。ゲリラ達は、チベットからネパールへ抜ける街道を建設中の中国軍に対し、奇襲作戦を行っているのだ。チベット仏教の祈りに支えられながらチベット独立のために戦うゲリラ達を取材したこの作品は、資料的な価値の高いものだと思う。
 
 しかしそれだけではなく、壮大なヒマラヤ山脈を背景に、人の通わぬ道を歩んで行くゲリラ達を捉えた映像は、驚くほど美しい。モノクロの16mmプリントからレストアされているのだが、この美しさは単にレストア・バージョンだから、と言うにとどまらない。そういう意味でも心に残る作品だった。20171111日)

 

『映画』The Crown Jewels of Iran(Ganjineha-ye Gohar/イランのクラウン・ジュエル)


The Crown Jewels of Iran (Ganjineha-ye Gohar/イランのクラウン・ジュエル)
 The Art Commission(短編映画特集)より・・・Painting with Light (International Festival of Films on Art)
公開年: 1965
製作国: イラン
監督:  Ebrahim Golestan
見た場所: National Gallery Singapore

 産業界や政府の依頼によって作られた短編4作品を集めている。どれも過去作品なのだが、全てレストアされたバージョンでの上映。事情によりチケットの一般販売が途中からできなくなったため、私はこの映画祭の運営に関わっている知人から直接チケットを買った。そのような事情があったため、ゲストも来ていたのだが、観客が少なくて残念だった。  

写真ではキラキラさ加減は伝わりませんが・・・

 イラン中央銀行の依頼によって作られたこの作品は、過去300年にわたるイラン王朝の宝物を紹介している。これらの宝石は非常に高価なため、イラン通貨の保証として銀行が保管しているのである。レストア・バージョンのこともあり、ビロードのような真っ黒な背景に次々と登場する宝石は、まさに目が眩むような輝きである。非常に手の込んだ美しい品ばかりで、各王朝の勢威が偲ばれる。

 しかし、ただそれだけなら、国の宝をスタイリッシュに紹介した作品に過ぎないのだが、この作品には微妙に批判的な視点が入っている。映画の最初に映されるのは、広大な大地で働く農民達の姿である。国の歴史がこのような名も無き人々によって築かれてきたことを前提とし、この宝石コレクションはその対極として位置づけられているかのようである。(あるいは、本当の宝は彼らなのだと言いたいのかもしれない。)ナレーションでは、コレクションを王達の退廃の歴史としている。微妙に批判的なゆえに、(中央銀行なので)国がスポンサーにも関わらず、この作品は当時の検閲に引っかかった。その際にカットされたナレーションが復活しているのだが、それは、現在の王が最後の王になる、という意味合いことを言っている部分である。皮肉なことに、1979年のイラン革命により、この映画製作当時のシャー(王)、モハンマド・レザー・シャーが最後の王となった。

 映画上映後のQ&Aコーナーに、この作品の監督Ebrahim Golestanについての映画を製作中である、イランの映画監督Mitra Farahaniさんが登場。フレンドリーかつ、ゴージャスな女性だった。2017119日)