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Monday, 18 June 2018

『アートエキシビション』Making Chinatown(映画「チャイナタウン」を作る) Ming Wong(ミン・ウォン)


2018218
Making Chinatown(映画「チャイナタウン」を作る)」・・・またミン・ウォンだらけ
制作年: 2012
形態: 5つのビデオ・チャンネルによるミクストメディア・インスタレーション
作:  Ming Wong(ミン・ウォン)

 「Making Chinatown」は、Singapore Art Museumの分館SAM at 8Qで現在開催されている「Cinerama」という展覧会の中の一作品。シンガポール出身のアーティストMing Wong(ミン・ウォン)の旧作である。

「Cinerama」のプログラムの表紙。これがミン・ウォン。

 映画を模倣した映像作品を作るミン・ウォン。私が以前に見たのは、シンガポールのHermes Gallery (エルメスのブティックの上にあるギャラリー)での「Life and Death in Venice」だった。ルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」のパロディ。あるいは、脱構築というかアーティスト本人による再構築である。第53回ヴェネツィア・ビエンナーレの時に始まったプロジェクトで、主人公の老作曲家も美少年タジオも彼自身が演じている。老作曲家に扮してベニスの街をウロウロするミン・ウォンの姿が印象的だった(面白かった)。ちなみにミン・ウォンには悪いが、この作品のタジオは美少年でもなんでもなかった。

 今回の作品は、ロマン・ポランスキーの「チャイナタウン(Chinatown)」である。作品中のいくつかの名シーンを、やはりミン・ウォン本人が演じている。ジャック・ニコルソンが演じた主人公ギテスはもちろんのこと、フェイ・ダナウェイもジョン・ヒューストンもベリンダ・パルマーも、彼らの役は全てミン・ウォンによって演じられる。スクリーンの至るところにチャイニーズ系シンガポーリアンのミン・ウォンがいるという、まさに一人「チャイナタウン」。ジャック・ニコルソンのミン・ウォンに仕事の依頼をするジョン・ヒューストンのミン・ウォンとか、ジャック・ニコルソンのミン・ウォンとフェイ・ダナウェイのミン・ウォンとのベッド・シーンとか。ちなみに芝居は熱演。特にフェイ・ダナウェイのモーレイ夫人を演じる際は。

フェイ・ダナウェイのミン・ウォンに
ジャック・ニコルソンのミン・ウォン
一つの画面に二人のミン・ウォン
とにかくミン・ウォン

 ポイントは、予算の許す限りオリジナル作品に寄せてきている、模倣しているのだが、あえて完全にコピーしないという点にあると思う。例えば、フェイ・ダナウェイの扮装をした際には、眉毛の上に肌色のテープを張って、そこに細い眉を描いていることが明らかにわかる。ジャック・ニコルソンが怪我をした鼻に当てていたガーゼを取ると、必要以上に血だらけでひどい傷が現れる。パロディとして可笑しい。私は「チャイナタウン」を見て、ジャック・ニコルソンがジョン・ヒューストンに会ってあれこれ言わなかったら、あんなことにはならなかったのではと思い、なんとなく不愉快になった。でもこの作品を見て(もちろんラスト・シーンも模倣されている)、なんとなく気が晴れた。

展示の様子。スクリーンとともに背景映像のコピーが壁に張られ、小道具が置かれている。

 作品中がミン・ウォンだらけなのを見て、ジョン・チョー(映画「スター・トレック」のスールー役が有名な韓国系アメリカ人)が主役のハリウッド映画があってもいいんじゃないか、みたいな話を思い出した。「チャイナタウン」は、白人で部外者であるギテスがかつて警察官としてチャイナタウンに勤務していたからこそ、象徴的な意味合いとともに「チャイナタウン」というタイトルだったはず。しかし、「Making Chinatown」では、人種もジェンダーも、オリジナル作品が依ってきた全てのものが曖昧になる感じ。あのジャック・ニコルソンがフェイ・ダナウェイを殴る有名なシーンでも、ミン・ウォンのモーレイ夫人は「my sister, my daughter」だけでなく、「my son, my brother」とも言うのだ。一回見たら忘れられない作品。2018221日)

会場であるSAM at 8Q

Saturday, 7 April 2018

『パフォーマンス』/『アートエキシビション』The Nature Museum(ネイチャー・ミュージアム)


201797
The Nature Museum(ネイチャー・ミュージアム)」・・・Singapore International Festival of Arts (SIFA)
国: シンガポール
製作: Singapore International Festival of Arts
: Institute of Critical Zoologists
パフォーマンス: Robert Zhao, Joel Tan
見た場所: 72-13


  Institute of Critical Zoologists(批判的動物学者協会)は、写真家・ビジュアルアーティストのRobert Zhaoによるプロジェクトである。今回の「The Nature Museum」では、19世紀から現在までのシンガポールの自然史を取り上げている。会場は、Ong Keng Sen(オン・ケンセン)のカンパニー、Theatre Worksの本拠地である72-13の二階。観客は、開演時間まで72-13の外で待ち、開演時間になるとスタッフに案内されて二階に行く。そこは、写真や標本、見本が展示され、ちょっとした博物館の一室のようになっている。Robert Zhaoと解説用の台本を書いたJoel Tanが観客を迎えてくれる。それからおよそ一時間、観客は彼ら二人が交替で解説するのを聞きながら、会場内の展示物やスクリーンに映された資料写真を自由に見てまわるのである。

開演まで72-13の外で待つ。

解説を聞きながら展示を見る。立っている白い服の男性が、解説者の一人Joel Tan。

 彼らの調査・研究の結果を要約すると、19世紀末から現在までのシンガポールの自然や生物が、環境の変化とともにどのように変容していったか、ということになると思う。展示は美しく、解説は説得力にあふれている。

 例えば、1970年代のシンガポール。東部海岸で大規模な干拓が開始され、干拓地は人もめったに訪れない、広大な砂丘となった。しかし、1979年にThe Coast Exploration Society(海岸探査協会)なる、砂丘の魅力に惹かれた人達による団体が結成された。彼らは砂丘を巡るツアーやピクニックなど、様々なアクティビティを実行運営し、砂丘の魅力を一般に広めた。また、砂丘を調査することによって、いくつかの発見をした。今回展示している彼らの発見の一つが、フルグライト(閃電岩)である。フルグライトは、落雷の電流によってできるガラス質の岩石。砂が熱せられ、雷が通った経路に沿った形でガラス管が作られるのである。年に186回落雷のあるシンガポールだけに、砂丘では小さなものがちょくちょく発見されたが、最も大きなフルグライトは、Tanah Merah(タナ・メラ)の砂丘から出たもの。もう一つの発見は、白いゴキブリである。砂丘に住む白いゴキブリは、昆虫学者達によって理論化されるまでは、脱皮中か白子のように考えられていた。しかし実は、70年代の干拓事業の結果として起こった現象であった。砂丘となった場所に住む上で、保護色としてふさわしい、より色の薄いゴキブリが生存、交配していくことによって、白いゴキブリへと進化をしていったのである。いわゆるadaptive melanism(適応暗化)、大気汚染の著しい工業地帯のガなどで暗化型の個体が増加することと同様である。展示されている白いゴキブリは、協会メンバーであったSong Pack Choon氏が捕獲した。

白いゴキブリ

 上記のように、現代シンガポールの歩みとともに変容していった自然環境を解説していく。うーん、勉強になるなぁ。

 ・・・・・・いや、待て待て待て待て、ちょっと待て。

 シンガポールは、19世紀初頭から干拓によって土地を造成してきた。1966年から東海岸の干拓事業が開始され、70年代を通して行われてきたことは本当。でも、The Coast Exploration Societyって何よ。フルグライトという物質はある。でも、シンガポールで取れるのか?工業地帯のガが黒っぽくなるという工業暗化(industrial melanism)は確かに議論されている。しかし白いゴキブリって?Institute of Critical Zoologistsの「調査」って何?彼らの解説は本当なの?展示は?そもそもInstitute of Critical Zoologists(批判的動物学者協会)って・・・名前からして怪しい。

 Institute of Critical Zoologistsは、史実の中にさももっともらしい空想を織り込んだ物語を作り出した。そして、やはりさももっともらしい展示物を見せながら、もっともらしく解説してみせる。参加者はここで、いわば架空のシンガポール自然史博物館のガイド・ツアーを体験することができるのだ。なんとなく思い出すのは、ピーター・シェーファーの戯曲「レティスとラベッジ」である。観光ガイドのレティスは、歴史ある貴族の屋敷を観光客に案内しながら、その屋敷にまつわるエピソードに尾ひれをつけて、面白可笑しく語る。屋敷という実物を前に、しかもホラ話は正しい時代考証に則っているため、もっともらしく、かつ楽しい。この「The Nature Museum」もしかり。知っていると思い込んでいたシンガポールの過去が、退屈だと感じていたその歴史が、新しい興味を持って開けて来る。楽しい。

 解説が終わった後も、Robert ZhaoJoel Tanの二人にいろいろ質問することができる。さて、彼らの解説の中に、ティラピアの話があった。ティラピアという食用魚は、第二次世界大戦中に日本軍がジャワ島からシンガポールに持ち込んだものである。戦時中の植民地におけるタンパク源確保のためであった。それから歳月が流れ、シンガポールのティラピアの外見が、当初日本軍が持ち込んだものから変化していることが確認された。シンガポールで養殖されている同科他種との自然交配によって、シンガポール独自のハイブリット種となっていたのである、云々。・・・このティラピアの挿話に関して、日本軍がなぜ特にティラピアを持ち込んだのかを質問した人がいた。Robert Zhaoいわく、食料増産が急務だったのだが、ティラピアのような魚は養殖がしやすいためであろう。他にも食用のために養鶏などが行われたのだ。・・・などとまぁ、まことしやかに答えているのを、私は聞いた。自分の知識だと、第二次世界大戦中、日本がシンガポールを占領していたこと以外、どこまでが史実なのかよくわからない。とりあえず、シンガポールのハイブリッド・ティラピア、というのはうさんくさい。

ティラピアの養殖場を見学する日本のお役人・・・だそうだ・・・
 
このジャワ島のティラピアが、

シンガポールでこうなった。

 しかし、この作品は単に、史実や自然科学の知識に基づいた作り話の披露、というに止まらない。Institute of Critical Zoologistsの意図するところは、現代都市としてのシンガポールの発展が、シンガポールの自然環境にいかに影響を与えて来たか、そこに参加者達を着目させることにあったと思う。それは、私達の生活、活動が、一見そうは見えなくとも、自然と密接に結びついていることを思い起こさせる。彼らの生き生きとした「調査・研究」結果は、常にそこに観点が置かれている。
 人と自然の結びつきをテーマとして事実に空想を織り込む、というその手並みの鮮やかさだけでなく、この作品を一種の演劇的パフォーマンスと考えても、その丸ごと信じてしまいたくなるような作り込んだ展示と解説は極めて印象的だった。舞台の上のことはみんな嘘、とかっこ良く言い捨てられない、この、虚実の間にあるパフォーマンスには、なんだかわくわくさせられるものがある。たぶん、自分の知っていると思っている世界を、違ったものに———刺激的で豊かなものに———見せてくれるからだろう。20171117日)

 下記はその展示の数々である。 




民間の博物学者Francis Leowの書斎


鳥の捕獲器