Monday 28 October 2019

『パフォーマンス』0600 --- シンガポール・インターナショナル・フェスティバル・オブ・アーツ


2018510
0600」———Singapore International Festival of ArtsSIFA
国: シンガポール
演出: Zelda Tatiana Ng(ゼルダ・タティアナ・ン)
カンパニー: GroundZ-0(原。空間)
見た場所: National Gallery Singapore

 2018年のSingapore International Festival of ArtsSIFA、シンガポール国際芸術祭)で、私が見た最後のプログラムだった。GroundZ-0は俳優で演出家のZelda Tatiana Ng(ゼルダ・タティアナ・ン)が立ち上げたカンパニー。文化やジャンルの枠を越え、多様な専門的分野に関わる作品を作り出すことを目標としているらしい。と書くと、どういうことなのかあまりよくわからないが、この作品に限って言えば、寸劇と観客体験型の展示で、シンガポールの死刑制度について皆に考えてもらう、という趣向である。


 会場はNational Gallery Singapore(ナショナル・ギャラリー・シンガポール)内だった。ナショナル・ギャラリーは元々、City Hall(行政庁舎)とSupreme Court(最高裁判所)であった建物をギャラリーとして復活させたもので、ここの最高裁判所は、2005年まで実際に使用されていた。現在も法廷の一つやHolding Cells(公判中の被告を拘置する待機房)などが残されており、作品はそれらの場所を利用して「上演」された。観客体験型のため、参加者は各回20人くらいに限定されており、145分くらいの長さだった。

ナショナル・ギャラリーの模型。左の建物が旧最高裁判所。

 集合場所は、ナショナル・ギャラリーのSupreme Court Wing(最高裁判所翼)にある、Holding Cells(待機房)前。受付で手荷物を預けて待っていると、開始時間に看守っぽい案内人が現れる。そして看守っぽくいろいろな注意事項を告げる。携帯電話の電源は切れとか、速やかに行動しろとか、オープンマインドでアクティビティに参加しろとか。本物の看守を見たことはないが、とりあえずなんとなく怒られている感じでいろいろ言われる。

 そして最初は、スクリーンに投影されたプレゼンテーション資料を参加者全員で見る。いわく、10年間で173人(だったかな)。人口に比して世界で最も死刑率の高い国が、このシンガポールである。国民の80%が死刑制度を支持しているが、その是非は自分自身で判断しろ。この作品は全て調査に基づいて作られているのだ、という。最初看守に怒られて恐かったのに、さらにこのプレゼンの有様が恐い。それから各人に手紙が渡されるので、それを読む。それは、死刑執行の予定を死刑囚の家族に告げる内容の手紙で、なんだかますます恐くなってくる。

Prison Serviceからの手紙。
家族は死刑執行に立ち会えないが、最後の数日間に面会や
執行前の写真撮影用の衣服を送ることはできる、と書いている。
また、葬儀の手配をするようにとも。できない場合は、政府で火葬に付する。


 手紙の後、参加者はそれぞれ小さいロウソク型のライトを手にとり、看守みたいな案内人に連れられて、薄暗い待機房の並ぶ廊下を歩く。一つ目の待機房の中に、若い女性がいる。麻薬密輸の罪で死刑を宣告された18歳の女の子だ。彼女が絶望の中に語る所によれば、バンコク旅行中にある女性と知り合いになり、彼女に「プレゼント」されたスーツケースを持って入国したら、その中味が麻薬であったと。中国語で語られるが、事前に英語訳の紙を配ってくれたので、理解できた。その隣の待機房には三台のビデオモニターが設置されており、複数の人物の映像が切り替わりながら表示されている。そのうちのメインとなるのが、マレー系の女性の話。彼女は言う。息子を殺され、加害者は死刑となった。しかし、10年ほどの月日が流れた今、後悔している。なぜ自分は相手に寛恕の気持ちを持てなかったのか、なぜ謝罪する機会を与えなかったのかと。

かつての待機房


 この後、狭い階段を一列になって上がって行くのだが、その途中で、録音された検察官の談話が流れて来る。いわく、つまるところ死刑制度は必要なものである。なぜなら麻薬は多くの人々に害をなすからだ。また、死刑判決に至るまでには、多くの人が関わって様々なチェックがなされているのだ、云々。

 階段を上がると狭い廊下に出る。参加者は三人一組に分かれ、それぞれ番号の入ったシールを胸に貼られて「死刑囚」になる。そして死ぬ前にしたいこと、また最期の食事のリクエストを紙に書いて、設置されたボードに貼る。「死刑囚」の参加者達は、廊下を進みながら一人一人順番に体重を測り、写真を撮られる。そのように死刑執行を疑似体験しつつ、壁に展示されている様々な資料を見てゆく。それは実際の死刑執行の手順についてで、死刑囚は死刑執行人による説明を受けるとか、死刑囚の家族は別室で待ち、カウンセラーも待機しているとか、詳しい説明がなされている。また、死刑執行数の年次推移や、体重と死に至るまでの時間を対比した表などの資料も展示されている。ちなみに前年(2017年)の死刑執行数は3件で、全て麻薬がらみの犯罪だった。また、死に体重が関係することでわかるように、シンガポールの死刑は、日本と同じ絞首刑である。薄暗い廊下で「死刑囚」になって写真を撮られたり、死刑にまつわる資料を見たりしていると、気が滅入って恐くなるのと知的好奇心がかき立てられるのとがないまぜになる。それにしても、いろいろな資料を見た中で、死刑囚の家族に対する配慮のあることが印象的だった。ちなみに、死刑執行の日、死刑囚は午前3時に起こされる。シンガポールでは死刑の執行は金曜日の午前6時と決まっており、この作品のタイトル「0600」はそこから取られている。

 一通りの「手続き」を済ませ、いよいよ私達「死刑囚」は死刑執行室に連れていかれるのか・・・と思ってしまったのだが、あにはからんや。さらに階段を上がって行くと、広々とした絵画の展示室に出る(忘れていたが、会場はナショナル・ギャラリーだった)。現在は展示室として使用しているこの部屋は、かつて死刑宣告を行った最高裁判所の法廷であった。法廷の名残を今も留めるこの場所に、一人のインド系の青年がいて、参加者達を待っている。そしておもむろに語り始める。彼の兄は麻薬の過剰摂取で亡くなった。兄と麻薬を運んでいたという、兄の友人は死刑になった。兄は利用されただけだと、自分は信じている。だから、少なくとも彼が死刑になったことで、自分達家族はいくらか平穏を取り戻せた、と。この青年は、兄が友人に渡された麻薬で死んだと見れば被害者の家族であり、兄は麻薬の運び屋だったが、亡くなったために仲間だけが罰せられたと見れば加害者の家族である。その微妙さが興味深かった。

現在はギャラリーとして使用されているかつての法廷

この上げ蓋の下が階段になっており、かつての被告人がそうしたように私達はそこから上がって来た。

 さて、ここで「0600」は終了する。案内人はまだ案内人役を演じているのだが、「リラックスして」などと言って、急に優しくなる。いや、これまであんなに恐かったのに、今さら優しくされても。最後に、さらなる情報が得られるようにGroundZ-0FaceBook等が案内され、また、配られたアンケート用紙に回答をした。

 旧最高裁判所という場所が上手く使われた作品。「死刑囚」になって、死刑執行前の写真撮影をされたりするので、恐い。死刑について、事件の被害者、加害者、さらには検察といった様々な視点からの意見が取り上げられており、参加者に死刑制度の是非を考えることを促している。・・・のだが、こうして執行までの様々なプロセスを少しでも体験すると、考えるよりもまず、人の命を奪うことの重みと死の恐怖を感じる。おもしろいという言い方をするとあれなのだが、観客参加型の作品として、おもしろい体験ができた。それは、人が今まで観念的にしか考えたことのない問題を、もう少し実際的な側面を持ちつつ考える契機となるべきものだったと思う。作り手側の試みが成功した作品だった。

 それにしても、私はなぜ最期の食事のリクエストで、「クリームシチューとロールパン」と書いてしまったのか。クリームシチューが大好きというわけでもないのに。最期の食事にしては、お安いメニューである。たぶん、寒い冬の夜に温かい家でシチューというイメージがあって、それが人生と家庭の安らぎを連想させるからだろう。シンガポールに冬はないのだけど。2019831日)

今回私達が辿った待機房から裏の廊下を通って法廷へというルートは、通常公開されていない
(待機房は見学できる)が、定期的にナショナル・ギャラリーがガイド・ツアーを行っている。

旧最高裁判所と旧市庁舎の建物をつないでいるロビー。
正面の窓の向こうにマリーナ・ベイ・サンズが見えている。

Sunday 29 September 2019

『演劇』Taha(タハ)--- シンガポール・インターナショナル・フェスティバル・オブ・アーツ


201854
Taha(タハ)」———Singapore International Festival of ArtsSIFA
国: パレスチナ
演出: Amir Nizar Zuabi
作: Amer Hlehel(アメル・レヘル)
出演: Amer Hlehel(アメル・レヘル)
見た場所: KC Arts Centre

 Singapore International Festival of ArtsSIFA、シンガポール国際芸術祭)のプログラムの一つ。イスラエルのハイファを拠点とするパレスチナ人俳優、Amer Hlehel(アメル・レヘル)作、出演による一人芝居である。1931年にパレスチナのガリラヤ地方(現在はイスラエル領)に生まれ、2011年にイスラエルのナザレで亡くなったパレスチナの詩人、Taha Muhammad Ali(タハ・ムハンマド・アリ)の生涯を描く。


 舞台にはベンチが一つと書類カバン。装置と小道具はそれだけ。アメル・レヘル演じるタハが登場すると、次のように観客に語りかける。
 「容易なことは何一つない。」


 そして物語は、彼の生まれた頃の時代に遡る。赤ん坊の誕生を、彼の両親や親族は祝った。しかし、その子は間もなく死んでしまった。その後、また彼の母親は出産した。また彼の両親や親族は祝った。しかし、やはりその子も間もなく死んでしまった。タハが生まれた時、誰も祝わなかった。またこの子も死んでしまうに違いないと、あきらめたからである。しかし、この成長することを期待されないで生まれた子は、生き延びた。・・・と、書くとなんだか重々しいが、実際に演じられるのを見ると、このリピートされるエピソードが可笑しい。生と死の間にある皮肉とユーモア。

 貧しい家に生まれたタハは、子供の頃から商いでお金をかせいで家計を助けた。その一方で、詩が毎日の生活の喜びであった。しかし、第二次大戦後の1948年、第一次中東戦争が勃発。難民となり、家族とともにレバノンに逃れた。タハが17歳の時である。そして一年後、父の独断で家族は故郷に戻った。しかし、故郷の村、ガリラヤ地方のセフォリス(またはアラビア語でSaffuriya)は、すでにイスラエル領になっていた。もはや戻ることはできなかったため、結局ナザレで土産物店を営むこととなった・・・。彼と同じく難民となり、そのままレバノンに留まって結婚してしまった初恋の相手(彼の従姉妹だった)。折り合いの悪かった父の死。様々な困難の中、結局詩を書くということが、タハが生きるために必要なことであった。ラストでは、イギリスで開催されたアラブ詩人の集まりに招かれて、自作の詩を朗読した時のことが語られる。カバンを引きずったタハは、持って来たはずの詩の原稿が見つからず、パニックになる。そんな滑稽な状況で彼が読む詩は、「Revenge(復讐)」。余計可笑しい。この詩の大まかな内容は、父を殺し、家を破壊し、自分を迫害した人間に復讐をしたい。しかし、もしも彼に彼を失ったら悲しむ人がいるのなら、彼を殺さないだろう。もしも彼が人々から切り離された、孤立した人間だったら、彼に注意を払わず無視することが、自分の復讐だ。というものである。作品は、朗読後の聴衆の反応を語り、そこで終わる。ちなみに劇中、タハの詩がアラビア語のままいくつか織り込まれているが、この「Revenge」は英語で語られている。

 パレスチナの歴史をにじませつつ、苦労の多いタハの一生を語って、アメル・レヘルが熱演。タハは生きることに苦闘する中で、詩作に生を見いだした。戦争のために人並みはずれた苦労を背負い、失われた土地を嘆く一方、バイタリティを持って生きるタハの姿は、見る者に勇気を与える。この作品は宗教的でも政治的でもなく、一人の人間の人生の闘いを描いている。だからこそ戦争の不条理さが感じられるが、しかし、タハの苦闘は涙を誘うものではない。そこが良かった。「容易なことは何一つない」人生を語っているにも関わらず、どこかユーモラスで、不思議と明るい作品だった。

プログラムより。タハを演じたアメル・レヘル

 会場だったKC Arts Centreは、Singapore Repertory TheatreSRT、シンガポール・レパートリー・シアター)の本拠地。席の列と列との間隔は狭いのだが、座席から舞台の近い、良い劇場だった。芝居の内容が内容なので、一般的なマレー系のお客さんも結構いたけど、SRTの客層というのはSingapore Tatler族だなーと思ったのだった。(「Singapore Tatler」はイギリスの雑誌「Tatler(タトラー)」のシンガポール版。アッパーミドル以上の人々のための、ライフスタイルマガジン。)私の偏見なんだけども。2019727日)

KC Arts Centre

Sunday 15 September 2019

『演劇』1984(1984年)--- シンガポール・インターナショナル・フェスティバル・オブ・アーツ


2018428
1984(1984年)」———Singapore International Festival of ArtsSIFA
国:  イギリス、オーストラリア
原作: George Orwell(ジョージ・オーウェル)
演出: Robert Icke(ロバート・アイク), Duncan MacMillan(ダンカン・マクミラン)
出演: Tom Conroy, Terence Crawford, Rose Riley
見た場所: Esplanade Theatre(エスプラネード・シアター)

 2018年のSingapore International Festival of ArtsSIFA、シンガポール国際芸術祭)、メイン・プログラムの一本である。この2018年から、Theatre Works(シアター・ワークス)のOng Keng Sen(オン・ケンセン)に代わり、The Singapore Repertory Theatre(シンガポール・レパートリー・シアター)のGaurav Kripalani(ガウラ・クリパラ—二)がフェスティバル・ディレクターに就任した。新しいディレクターの元、まず日程が89月から45月に変わった。これは、毎年4月後半から5月にかけて開催されているChinese Film Festival(チャイニーズ・フィルム・フェスティバル)と完全にスケジュールがかぶっているので、正直迷惑だった。いや、映画を見に行く人は、普通演劇は見に行かないのかもしれない。しかし、SIFAには映画上映のプログラムもあるのだけど。それはともかく、プログラム自体は、オン・ケンセン時代の、演劇やダンス、コンサートといったジャンルの枠を越え、表現形式そのものから前衛を志向していたような作品群に比べ、よりオーソドックスなものだった。しかし、比較的オーソドックスな表現形式を持ちながらも、社会的でかつ重いテーマを取り扱った作品が多かった、という印象。メイン会場であるエスプラネード・シアターでのオープニングがこの「1984」なら、クロージングはドイツのSchaubuhne Berlin(ベルリン・シャウビューネ)による、ヘンリック・イプセンの「民衆の敵」。どれだけ観客を嫌な気持ちにさせれば気が済むんだよ、と思った。(もう「民衆の敵」は見に行かなかった。)


 この「1984」は、ジョージ・オーウェルが1949年に発表したディストピア小説「Nineteen Eighty-Four1984年)」の舞台翻案作品である。ちょっとややこしいのだが、今回上演された作品は、元々ロバート・アイクとダンカン・マクミランが台本、演出にあたったイギリスのHeadlong(ヘッドロング)、Nottingham Playhouse(ノッティンガム・プレイハウス)、Almeida Theatre(アルメイダ・シアター)のプロダクションだった。それをオーストラリアのState Theatre Company of South Australia(ステイツ・シアター・カンパニー・オブ・サウス・オーストラリア)がオーストラリア・キャストで上演したバージョンである。と思う。

 鑑賞に先立って、原作の日本語訳を読み始めたのだが、当日までに読み終わらなかった。そのため、主人公ウィンストン・スミスの運命を知らないで見に行ったのだが、まぁー予想通り嫌な話だった。

SIFAのプログラムから(上の写真も同様)

 作品は、現代の市民達が読書会(?)でウィストン・スミスの日記を読んで議論しているというシーンから始まる。この現代の枠の中に、原作通り、「ビック・ブラザー」率いる党による1984年の全体主義的社会と、党の真理省に勤務する一党員ウィストン・スミスの生活が描かれている。昔ながらの羽目板張りの部屋、コミュニティ・センターの図書室のような所で話し合っている男女が、1984年の世界の登場人物をそれぞれ演じている。現代から1984年に移っても、セットは同じで登場人物達の服装も基本的には同じ。部屋のセットの上半分にはスクリーンがあり、最初はそこにウィストンの日記が投影されている。1984年の物語の後、また現代に戻って作品は幕となる。この現代の枠組みは、原作にある附録「ニュースピークの諸原理」が過去形で描かれていることから想を得たものかもしれない(ニュースピークは、党が考案した新英語で、これまでの英語に変わるもの。党の奉ずるイングソック(イギリス社会主義)以外による思考様式を不可能にするよう、単純化された英語)。それはともかく、1949年にジョージ・オーウェルの描いた未来世界を現代の我々と結びつけて見てほしいという、作り手側の思いであろう。しかし、私個人的には、この現代シーンは若干蛇足だったのではないかと思っている。

 さて、装置や衣装が変わらないということは、どちらかと言えば居心地よく見える部屋や、シャツにズボン、スカートといった普通の服装で1984年のシーンが演じられるということである。それは、一見快適に見えても、水面下で全体主義のような事態が進行しているかもしれないという現代に呼応させているのかもしれない。しかしその一方で、ウィンストンがなぜ党の支配に疑問を持つに至ったかを、あまりよく説明することができなくなってしまった気がする。原作を引き合いに出すべきではないのかもしれないが、原作でウィンストンは次のように考えている。
 「暮らしの物質面に思いをめぐらせると腹を立てずにはいられない。昔からずっとこんなふうだっただろうか?食べ物はずっとこんな味だっただろうか?」(高橋和久訳「一九八四年」より)
 この、生活感覚から来る体制への疑問、だからこそ決してぬぐい去ることのできない疑問を、端的に視覚的に見せてほしかったと思う。

 また、ウィンストンが恋人のジュリアと、骨董品店の二階で逢い引きをするシーンで、ジュリアは派手に化粧をして赤いドレスを着てみせる。原作では、男も女も党員はオーバーオールを着ており、女性党員は決して化粧をしないとされているが、この舞台でのジュリアの衣装は、それまでブラウスとスカートだった(そして舞台なのでもちろん化粧もしている)。実際に赤いドレスを着るというのは、舞台の工夫なのだが、それでも、以前の衣装が特殊なものでもみじめなものでもないため、残念ながらそれほどのインパクトはなかった。現代と1984年とで同じセット、衣装を共有することによって、与えられる効果があった一方、失われたものもあったと思った。

 もう一つ、与えられたものと失われたものを感じたのが、ウィンストンが勤める真理省の食堂でのシーンである。食堂ではいつも同じニュースが流され、同僚達の間では同じ会話が繰り返されている。しかし、ある日忽然と同僚の一人の姿が消える。しかし、流れて来る同じニュース対し、同僚達はやはり同じリアクションを繰り返している。消えた同僚に気づかないかのように、というよりもむしろ、最初からそのような同僚は存在しなかったかのように。否定するどころか、存在そのものをなかったことにする粛清の恐ろしさが表現されているのだが、原作で私が一番恐ろしいと思ったのはそこではない。

 また原作の話で恐縮だが、党は何もかもが右肩上がりによくなっていると常に宣伝している。しかし、その一方で生活のみじめさは全く変わらない。ウィンストンは何かが間違っていると思うのだが、そこに確証はない。もしかしたら党の支配以前よりもましなのかもしれない。わからない。なぜなら、比べることのできるものが何もないからだ。歴史どころか昨日のニュースも間断なく書き換えられていく。個人が記憶していたことを、それが実際にあったことだと肯定する公的な記録は何もない。私的なものももちろん存在しない。自分以外に支持するもののない記憶は、当人の中でもやがて曖昧になっていく。そもそもタイトルになっている「1984」さえ、今が本当に1984年なのかどうか、ウィンストンには確かなことはわからないのだ。

 いつもの生活のなかで、人一人消えて気づかれない「ことになっている」恐怖、変化のない日常の水面下の恐怖が上手く描かれてはいる。しかし一方、歴史や情報が間断なく変更され、依るべきものが(今の体制以外に)何もないという恐怖は強調されない。後者の恐怖こそ、原作で私が一番恐ろしいと感じたことである。そしてウィンストンが、自分自身情報の書き換えを仕事としていながらも、党による支配前の(本当の)過去を知りたいと切に願った、また個人の記録として日記をつけるという許されない行為を始めた動機も、そこにあったのではないだろうか。

 この舞台作品の一番の見所であり、視覚的な表現が上手くいっているのは、ウィンストンとジュリアが骨董品店の二階の部屋で逮捕されるシーンである。ウィンストン達の密会部屋は、通常のセット(羽目板張りの部屋)の裏にあり、二人が会っている様子はスクリーンで映し出されるようになっている。観客は部屋にいる彼ら二人を直接見ることはない。しかし、ある時突然、二人以外の声が聞こえ、表のセットが二つに割れると、裏にある彼らの部屋———舞台裏に作られたセットにすぎない———が剥き出しにされる。そして部屋にいる二人の前に、現れる思考警察。結局、二人の密会は最初から監視されていたのである。観客がスクリーンで覗き見ていたように。

 このダイナミックな屋台崩しによって示される演劇的虚構は、ウィンストン達が党の介在しないところだと信じていた場所すら、党のお膳立てであったことを強調する。この痛烈な挫折の後、ウィンストンが政治犯として送り込まれるのは、むしろ「闇の存在しない」真っ白い空間であるという皮肉。そして、ウィンストンの運命は悲劇的な結末を迎える。

 ここで話は現代に戻る。ウィンストンの日記を検証し終わった人々は、次のように言う。「こんなことがあったはずがない。そもそも私達はニュースピークで話していないし。これはフェイクニュースだ」と。確かに、「1984」はフィクションなのだけど・・・ということではなく。要は、「1984」の世界を作り話だと思ってたかをくくっていると、今そこにある危機を見過ごしてしまいますよ、この作品を警鐘と思ってくださいよ、ということなのだと思う。しかし、観客というのは、そこまで親切にフェイクニュースという流行言葉まで用いて敷衍しないと、作品と現実とを結びつけることができないものだろうか。良識ある一般市民が全体主義社会の党員にもなりうる、「1984」の世界は他人事ではないという点で、この現代の枠組みはそれなりに効果のあるものだったかもしれない。しかし、この締めのセリフはやり過ぎのように感じた。

 そういうわけで、見に行った当初は、印象的ではあったが、同時に不満も残る作品だった。枠組みの是非はともかくとして、原作は結構な長編なので、そこから何を取って何を取らないかの問題もあると思う。それが、私が原作を読んで強調してほしいと思っている点とはちょっと違っていた。しかし、この芝居を見に行った後でようやく原作を読了し、それから改めて考え直して見ると、良くまとまった劇化ではあったと感心した。そうかと言って、内容が内容なので、何度も見たいとは思わないが・・・。2019714日)

劇場の入口

ボケた写真だが、カーテンコールの様子

Victoria Theatre前で行われたSIFAのイベントの様子

Saturday 17 August 2019

『演劇』One Meter Square: Voices From Sungei Road(1平方メートル:スンガイ・ロードからの声)--- シンガポール・シアター・フェスティバル


2018721
One Meter Square: Voices From Sungei Road1平方メートル:スンガイ・ロードからの声) 」———Singapore Theatre Festival
国: シンガポール
製作: Wild Rice(ワイルド・ライス)
作: Sanmu(サンムー), Zelda Tatiana Ng(ゼルダ・タティアナ・ン)
演出: Zelda Tatiana Ng(ゼルダ・タティアナ・ン),
台本: Alfian Sa’at(アルフィアン・サアット)
出演: Ong Kian Sin, Tan Beng Tian, Michael Tan, Tay Kong Hui, Yong Ser Pin
見た場所: The Singapore Airlines Theatre, Lasalle College of the Arts

 Wild Rice(ワイルド・ライス)の主催するSingapore Theatre Festival(シンガポール・シアター・フェスティバル)で上演された一本。シンガポールのガイドブックにも載っていた蚤の市、the Sungei Road Market(スンガイ・ロード・マーケット)に取材した作品である。80年にわたる歴史を持つこの蚤の市は、20177月、政府によって閉鎖された。作品はその前後を描いており、登場人物達は、作のSanmuがインタビューを通して出会った出店者達をモデルとしている。


 私はフリーマーケットで掘り出し物を見つけることも、楽しく値段交渉することも苦手なので、スンガイ・ロードで買い物をしたことはない。しかし、2017年に閉鎖された時のことはよく覚えている。当時話題になっていたということもあるが、閉鎖前の最後の週末にスンガイ・ロードで買い物をした知人に行き会ったからである。その人とは映画館で偶然会ったのだが、映画好きで日本映画にも造詣が深い(好きな女優は大原麗子と栗原小巻)彼が、その日買ったものを見せてくれたのだった。「これは女性だけの劇団なんだよね?」と言って、カバンから取り出したのが、宝塚歌劇団のLPレコードだった。そしてそのアルバムの、曲名だかレヴューのタイトルだかの、「フィーリング・タカラヅカ」という言葉を(英語に)訳してほしいと言われ、難儀をした。意味は感覚的に一瞬でわかるのだが、それを英語に訳すって、どうやって・・・いや、すでに半分英語だし(カタカナだけど)・・・、私の英語力には難易度が高すぎる質問だよ・・・と思ったのだった。そして、なぜシンガポールのフリーマーケットでこんな昔の宝塚のレコードが売られているのだろうと、不思議だった。そういうわけで、それまで縁のなかったスンガイ・ロード・マーケットが、最後の最後になって、私の心に残ることになったのだった。

 それはともかく、この「One Meter Square」について。セットはシンプルで、舞台の上に四つの四角い壇が設けられ、そこを四人の出店者達が占めている。その背後にはフェンスがあり、実際のスンガイ・ロード・マーケットを模している。さらに舞台奥の壁にはスクリーンが設置され、字幕が表示される。この作品では英語の他に、マンダリン(標準中国語)、福建語、広東語が使用されるためである。

 四人の出店者達は、それぞれ「The Gangster」「The Top Student」「Liang Po Po」「The Poet」とあだ名されている。彼らの売り物は様々で、修理して使えるようにした古い電化製品だったり、衣料品だったり、廃品回収から得た骨董品もどきの品だったりする。作品は、彼らの人となりや人生、思いを描きつつ、随所に政府のマーケット閉鎖に関する発表や見解を挟み込む。時々登場するマーケットの世話役的なおじさんも含め、出演者は全部で五人。そのわずか五人の出演者で、メインである出店者だけでなく、政府の人間、通りすがりの観光客等まで演じている。それぞれを演じ分けるために、カードに書かれた政府の発表を読む時は黒のサングラス、観光客を演じる時は派手なレジャー用の眼鏡、とかける眼鏡の種類を変えている。サングラスをかけるだけで、瞬時に政府の代表になれるわけで、この手法は上手いと思った。

 サングラスの彼らが読んでいくカードには、閉鎖の理由として衛生上の問題や近所迷惑等、いろいろなことが述べられている。カードを読んでいく度に、それらをどんどん放り投げて行く。撒き散らされる言葉。しかし、実際問題として、出店者には高齢の人が多く、かつ、ちょっとした店を持てるような経済的余力を持つ人も少ない。およそ200人いる出店者の中で、店を持って商売が始められるのはわずか一割くらいの人達である。にも関わらず、政府からは閉鎖するので新しいキャリアを求めるようにと言われ、放り出されてしまう。

 作品の後半は、マーケットが閉鎖された後の話となる。Carousell(日本のメルカリのようなオンライン・フリーマーケット)にも出品を始めた「The Gangster」。年老いた「The Poet」は、街中に別の場所を見つけたものの、そこはオフィス街で商売が苦しく、10ドル(約800円)の場所代を払うことさえも重く、昼食に1ドルのコーヒーを買うこともためらうと言う。衣料品を扱っている「Liang Po Po」は、Woodlands(ウッドランズ)のフリーマーケットに移動したが、彼女の固定客の大半は外国人ヘルパー(メイド)や労働者である。北の端のウッドランズは彼ら彼女らには不便で、街中のスンガイ・ロードからLiangおばさんが去ったことが嘆かれる。世話役のおじさんは言う。手紙を書いて政府に訴え続けているが駄目だった。若い人達がマーケット存続のためにがんばってくれているけど、失敗することできっと彼らの熱意も失われていくだろう、と。出店者達のその後だけではなく、政府の見解やジャーナリストの記事、リサイクリング・センターの人の談なども語られ、後半はかなり見応えがあった。

 実のところ、この作品は多言語で上演されているにも関わらず、字幕が読みづらいという技術的な欠点があった。しかも、セリフが早くて多いものだから、出店者達の人生譚などの話についていけず、前半は正直ちょっと退屈だったのだ。しかし、出店者達のその後を描き、様々な意見の飛び交う後半は、展開はスピーディでも話はわかりやすく、より印象的だった。

 建国50年を経て、シンガポールは、文化遺産を保存、引き継いでいくことに大きな関心を寄せるようになった。1930年代から存在していたスンガイ・ロード・マーケットこそ、「cultural heritage」ではなかったのか。貧しい、underclass(下層階級)の人々を放り出し、街中に建てるのはコンドミニアム(シンガポールではプール等の設備を完備した高級マンションのこと)。そして集まるのは国内外の投資家。ここに、シンガポールの負と言うべきものを明らかにしている。しかし、この作品が優れているのは、単にスンガイ・ロード・マーケットの出店者達が気の毒だ、というような話に終わらない点である。出店者側から、政府側から、そして第三者の側から、多角的にこの閉鎖問題を取り上げることでこの作品が一石を投じたのは、シンガポールという国の行き方そのものについてだと思う。すなわち、「シンガポール=私達(いや私は外国人だけれども)はどこに行こうとしているのか?」という問いかけである。そう問いかけながら、「では、シンガポール=私達はどこに行くべきなのか?」と、この作品は観客に一考させる。社会的なテーマを取り扱って、見終わった後ハッピーな気持ちになれるわけではないが、知的に心をゆさぶられる作品だった。2019613日)

会場になったLasalleに設置されたワイルド・ライスの電光掲示板

Monday 12 August 2019

『演劇』Building a Character(キャラクターを築き上げる)--- シンガポール・シアター・フェスティバル


201877
Building a Character(キャラクターを築き上げる) 」———Singapore Theatre Festival
国: シンガポール
製作: Wild Rice
演出: Teo Mei Ann
作: Ruth Tang
出演: Rebekah Sangeetha Dorai
見た場所: Creative Cube, Lasalle College of the Arts

 Wild Rice(ワイルド・ライス)の主催するSingapore Theatre Festival(シンガポール・シアター・フェスティバル)が開催されたのだった。このフェスティバル、二年に一回なのかと思ったが、過去の開催年を確認してみると、きっちり二年毎というわけでもなかった。それはともかく、会場は2016年の時と同じ、Lasalle College of the Artsだった。前回と同様、盛況な様子だった。

このプログラムに映っている4人とも同一人物(主演のサンギータ)である。

 インド系シンガポーリアンであるRebekah Sangeetha Dorai の一人芝居。タイトルの「Building a Character」は、コンスタンチン・スタニスラフスキーの演技メソッドに関する著作から取られている。日本では「俳優修業 第二部」として訳されている本である。今年のシアター・フェスティバルでは、同じくスタニスラフスキーの著作「An Actor Prepares(俳優修業 第一部)」にインスパイアされた、「An Actress Prepares」も上演された。こちらはマレー系シンガポーリアンのSiti Khalijah Zainalによる一人芝居。この作品も見に行きたかったけど、チケットが売り切れだった。どちらの作品も、シンガポールでは人種的マイノリティであるインド系とマレー系の女優の一人芝居、という共通点がある。

 まず、登場したRebekah Sangeetha Doraiが自己紹介をするのだが、彼女の名前、Sangeetha(サンギータ)の発音を観客に練習させるところから、話は始まる。サンギータという名前はインド系では一般的な名前らしいが、他の人種にとっては覚えづらく、彼女のかつての学校の先生(中華系)などは、「サンサン」と呼んでいたらしい。いかにも中華系っぽい名前に勝手にアレンジされているわけである。

 こうして、ソファ等が置かれたリビングルーム風のセットの中で、「サンサン」、もといサンギータが、自らの生い立ちと俳優としての人生を語る。それは、いかにも面白可笑しく語られるが、しかし、時に鋭い批判と悲哀が閃くものでもあった。

 キャスト募集の通知を見れば、「中華系か汎アジア系(Chinese or Pan-Asian)が好ましい」という但し書きに落胆し、まれにインド系で募集があれば、政府のRacial Harmony(人種間の調和)のコマーシャル出演だったりする。低所得(ゆえに教育レベルも高くない)のインド系、というのが役柄の一つの典型となっているため、サンギータ自身は美しい英語を話すにも関わらず、もっとインド人っぽく(訛って)話すようにという演出指導に出くわしたりする。一度くらい高級マンションに住むマダムの役をやってみたいものだと、彼女は訴える。また、かつてサンギータがワイルド・ライスの舞台「Boeing Boeing(ボーイング・ボーイング)」(フランスのマルク・カモレッティの戯曲、3人の国際線スチュワーデスと三又をかけてつき合っているプレイボーイを主人公とした喜劇)に出演した時、「顔が真っ青だ!」と言われるシーンがあったのだが、「あのシーンの度に客席から笑いが起こったのよね」と言っていた。浅黒いサンギータの顔が「真っ青」になるとは、と観客には可笑しく感じられたのだろう。

 自分自身の生活体験や演技技術とは別な所で、人種や肌の色からくる固定概念に基づいた役柄と折り合いをつけつつ、俳優人生を歩んでいかざるを得ない。その大変さが可笑しく、悲しく、そして力強く語られている。

 しかし、私はこの作品を見て、心打たれるという気持ちにはならなかった。それは私の英語の理解力の足りなさかもしれない。それもあるのだが、ただそれだけではなく、この作品が、サンギータ本人が本人自身を演じているということにも、一因があると思う。この作品の台本は、彼女自身の体験を元に作られているのであろう。彼女は彼女自身として、その心情を吐露しているように見える。しかし、その一方で私はどうしても、彼女がサンギータという彼女自身の役を演じていることを忘れることができない。サンギータという俳優を仕事にしている女性を見ながら、同時にインド系女優サンギータというキャラクターを見ている感じ。それが、通常の舞台作品で登場人物に感情移入するような気持ちを妨げたのだと思う。

 でも、だからこの作品はあまりよくない、と言うような単純なことではない。この、サンギータを二重に見ているような感じは、「顔が真っ青だ!」というセリフを聞きながら、その女優の肌色を見て思わず笑ってしまうことに似て。舞台で役を演じるということにある曖昧さ。役が演じられる他人であると同時に、(単に外見だけではなく)演技者自身の身内に備わっているものを表してしまうような瞬間。サンギータのようにマイノリティ人種であると、(理不尽なことに)人種そのものが俳優としての「個性」と見なされることがあるため、本人と役との結びつきはさらに密接になってしまうことがあるだろう。サンギータがサンギータを演じることに、感動するというよりも、むしろちょっと考えさせられたのだった。2019526日)

会場のLasalle College of the Arts

Sunday 21 July 2019

『映画』Shirkers(消えた16mmフィルム)


20181020
Shirkers(消えた16mmフィルム)」・・・戦慄のノスフェラトゥ
公開年: 2018
製作国: アメリカ
監督: Sandi Tan(サンディ・タン)
出演: Sandi Tan(サンディ・タン), Jasmine Kin Kia Ng, Sophia Siddique Harvey, Ben Harrison
見た場所: Capitol Theatre


 Singapore Film Society(シンガポール・フィルム・ソサエティ)創立60周年記念の上映作品は、アメリカ在住のシンガポール人作家サンディ・タンによるドキュメンタリー「Shirkers(消えた16mmフィルム)」だった。シンガポール・プレミアとなった上映は、1929年建設のかつての映画館、今や美しく復元されたCapitol Theatreで賑々しく行われた。


会場のCapitol Theatre

 SFS60周年記念ということで、ロビーにはSFS60年の歩みがパネル展示され、特別ゲストとして財務大臣Heng Swee Keatが来場。SFSの会長Kenneth Tanの紹介で、上映前に大臣のスピーチが行われた。なぜ財務大臣が?というと、Mr. Heng Swee KeatはかつてSFSの会員で、若い頃SFSの上映会でリトアニア(だったと思う)映画を見たら、最初9人くらいしかいなかった観客が、終わった時には自分と(未来の)妻を入れてさらに4人に減っていた、という思い出話ができるほどの映画好きなのだ。

SFS60年の歩みと「Shirkers」のパネル展示

「Zombie Dogs」を監督した故Toh Hai Leong(右上)もSFSのメンバーだった

「Shirkers」の展示(右はロケ地の当時と現在を比較したもの)

 「Shirkers(消えた16mmフィルム)」は、サンディ・タンが19歳の頃に仲間達と製作しようとし、完成されることのなかった映画「Shirkers」を巡るドキュメンタリーである。今回のプレミアでは、監督のサンディや出演者だけでなく、オリジナルの「Shirkers」の出演者達もゲストとして来場した。オープニングでは「Shirkers(消えた16mmフィルム)」(ドキュメンタリー「Shirkers」)の主題歌を担当したweishのライヴ・パフォーマンス、そして上映終了後は、オリジナル「Shirkers」でサウンドトラックを担当するはずであったBen Harrisonのバンドによるライヴが行われた。最後は、来場した20人ほどのゲスト全員での記念撮影が行われ、オリジナル版でプロデュースを担当し、現在はアメリカ在住のSophia Siddique Harveyもビデオ通話で参加。約900席のCapitol Theatreがほぼ満席となる大きなイベントだったが、「Shirkers同窓会」のようなアットホームな雰囲気をたたえつつ、上映会は賑やかに終了したのだった。

weishのライヴ(ソロミュージシャンで伴奏も自分でしている)

Ben Harrison(中央)とバンドのライヴ


 1990年代の始め。サブカルチャーにどっぷり浸かってとんがった女の子に成長したサンディ(Sandi Tan)は、友達のジャスミン(Jasmine Kin Kia Ng)とソフィア(Sophia Siddique Harvey)とともに、自主映画製作を試みる。脚本は、サンディが書いた「Shirkers(逃避者)」。J.D.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」に影響を受けたこの作品は、殺人者である少女が「友人」となった子供達を連れてシンガポール中を旅するという、30分も車で走ればマレーシアとの国境に行き着く、小さな国のロードムービーだった。脚本だけでなく、主人公の少女もサンディ自身が演じることとなった。そして肝心の監督を担当するのは、彼らが以前受講していた映画製作講座の先生、ジョージ・カルドナ(Georges Cardona)である。そもそもジョージが、サンディの脚本に感銘を受けて、彼女に映画化を勧めたのだった。サンディら三人娘は、それぞれ海外の留学先から夏期休暇でシンガポールに一時帰国すると、他の仲間達とともに精力的に活動を開始した。16mmフィルムを無料で使わせてもらえるよう写真店と交渉し、ロケハンをし、オーディションをして俳優を募る。監督のジョージ以外は皆、10代の少年少女だった。

 ゲリラ撮影を敢行し、数々のトラブルはあれど、なんとか撮影を終えたサンディ達は、学期の始まりとともにシンガポールを発った。後に編集を請け合ったジョージを残して。しかし、待ち焦がれているジョージからの連絡は一向に来なかった。そして、ジョージは消えた。彼とともにフィルムの行方もわからなくなった・・・。

 それから約20年後の2011年、ジョージの未亡人から突然サンディに連絡が入る。「フィルムを返しましょうか?」。なんとジョージは、「Shirkers」の16mmフィルム70缶を持ったまま各国を転々とし、最後にアメリカで亡くなったのだ。失われた映画と20年ぶりに対面するサンディ。それは自分の過去との対面でもあった。

 映画は、サンディの生い立ちから始まり、親友ジャスミンとの出会い、「Shirkers」撮影の顛末、そしてフィルムの出て来た20年後、サンディが調べた亡きジョージの足取りまでを、オリジナル「Shirkers」の映像や関係者達へのインタビューを交えながら描いている。

 サンディ達は認めたくなかっただろうが、簡単に言うと、彼女達は大人に騙されてしまったのである。言うなれば、「映画作る作る詐欺」。彼女達全員の努力の結晶となるはずだった映画は、「監督」一人に横取りされ、しかも映画は決して完成しなかった。無形の努力だけではなく、撮影の最後の方で資金が尽きて来ると、ジョージはサンディ達を自分の車に乗せてATMを回り、学生である彼女達の口座からあるだけの預金を引き出させている。

 そもそも撮影中からジョージにはうろんな所が多かった。特にジャスミンはそう感じていたようだ。彼女に限らず、プロデューサーとして資金の話をつけてミーティングを設定したにも関わらず、ジョージに当のミーティングから追い払われたソフィアもしかり。当初サントラを担当していたベン(Ben Harrison)は、ジョージに「サントラはプロに頼むから外れろ」と脅されるように言われ、一本しか持っていなかったマスターテープも取り上げられてしまった(「プロ」に頼むなら、ベンのマスターテープは必要なくないか?)。ジョージと二人でアメリカ旅行をしたこともあり、恐らく最もジョージに心酔していたサンディは、その点で他の皆よりも鈍かったのだろうが、そのサンディでさえ、実のところ撮影の最後の方で脚本に全くないシーンを取るジョージをおかしいと感じていた。

 撮影終了後、いつまでも連絡の来ないことに業を煮やしたジャスミンは、「私達の映画はどうなったの」とジョージに電話をかけている。それを受けてジョージは、サンディ宛に送ったカセットテープ(ジョージはいつも、手紙のかわりにカセットテープに自分の声を録音して送って来るのだ)で、「彼女(ジャスミン)は「私達」などとアメリカ人みたいな物の言い方をする。もう二度とこんな連絡をしてこないよう言ってほしい」と言っている。いや、じゃあお前はなんでフィルムを預かっておいて何もしないんだ、という話なんだが。

 ジョージが亡くなり、二十年ぶりにフィルムが戻って来た後、サンディは彼の足取りを追ってみる。やはり彼女のように、若い頃ジョージの年下の友人であった人に話を聞いて、彼がアメリカでも同じようなことをしていたことを知る。豊富な映画の知識で映画好きの若者の心を引きつけ、彼らの映画作りへの熱意や努力、才能を利用しようとするのだ(しかし、それでジョージ自身が大きな成功を得ることはない)。ジョージの過去がこの作品の主眼でもないし、サンディも探偵ではないので、ジョージが何者だったかを追い切っているわけではないのだが、このジョージ・カルドナという人物は、自分の生い立ち等についてナチュラルに作り話をする一方、自分で脚本を書いて自分の努力で映画製作にこぎつけようとする人物でもなかった。サンディは彼を「若者の夢を食うノスフェラトゥ」であったと結論づける。

 若者達は騙された。しかし若者達は、こんな駄目な大人に騙されたからと言って、駄目になるわけではない。二十年以上の月日が流れ、今それぞれが元気で頑張っているわけで、この作品もそのような雰囲気を携えながらラストへと向かって行く。しかし、このドキュメンタリー「Shirkers」に味があるのは、単にそれだけで終わっていない点だ。誕生することのなかったオリジナル「Shirkers」を通して、サンディとジャスミンとの間の生じてしまったある種のわだかまりを暗示しつつ作品は終わる。この日、上映前の挨拶でサンディは今にも泣きそうだった。彼女が感無量になったのは、単に自分の映画が母国でプレミア上映されたためだけではなく、それ以上の思いがこの二つの作品———ドキュメンタリー「Shirkers」とオリジナル「Shirkers」———にあったからだと思う。

 もしオリジナル「Shirkers」が完成されたとして、この作品は自主映画の雄となっただろうか。残されている映像を見ると正直微妙である。シンガポール映画史における最初期の長編自主映画作品として、その名を残すかもしれないが、そうでなかったらどうだろう、という感じだ。ちなみにサンディは、ジョージの演出になる一シーンが、明らかにヴィム・ヴェンダースの作品からの借用(オマージュなどと言えば聞こえは良いが)であることに、後年気づいている。

 しかし、1990年代初頭のシンガポールを撮影した映像自体は、現在のように観光産業に力を入れ、やたらとheritage(ヘリテージ)を強調する前のシンガポールの姿を見ることができ、貴重である。家並みや自然が今ほど整備されきっておらず、それが生き生きとした素朴さを見る者に感じさせる。私は外国人だが、シンガポール人なら郷愁をそそられる風景だと思う。

 オリジナル「Shirkers」の映像に今や資料的な価値しかないのだとしたら、そんな未完成作品の製作の顛末を語るドキュメンタリー「Shirkers」とは何であろうか。「Shirkers」は決して完成されなかった。にもかかわらず、この「作品」は、そこでしかない出会いを生み、関係した人達の記憶の中にその時の思いを残した。「Shirkers」は、彼らそれぞれの胸の内で再生され、今やその人なりの「Shirkers」となっているだろう。それは、当時の思いだけではなく、後に彼ら自身に与えた影響までを含めた「Shirkers」となっているだろう。そして今、久しぶりに「Shirkers」を見た彼らは、こんな「作品」だったのかと新鮮な驚きを感じたことだろう。「Shirkers」が存在しない映画であると同時に、それを知っている人々のうちにのみ存在する映画であるということ。それはいかにも個人の映画体験のようだと、私は思ったのだった。結局映画というものは、メディアの側面を考えなければ、各人の記憶や思い入れの中にしか存在しないもののようだからだ(そう言ってしまえば、あらゆる芸術的作品がそうなのかもしれないが)。ドキュメンタリー「Shirkers」は、過ぎ去った青春の日々の話であり、エニグマ的な人物を解明しようとする話である。しかし、そこに止まらずに、さらに未完成の映画を通して映画の何たるかに踏み込んできている点が、このドキュメンタリーを抜きん出たものにしたと思う。

 前述したように、上映会自体は終始温かい雰囲気だったため、その日は「良かったな〜」と思いながら帰ったのだが、翌日ふとジョージのことを考えたら気持ち悪くなった。なぜ彼は、「Shirkers」のフィルムとともに移動をしながら、決して編集さえしなかったのか。「ノスフェラトゥ」なのだから、舌先三寸で映画好きの若者をたぶらかして手伝わせることぐらいできたはずである。ソフィアは、ジョージのこの奇行について、彼は「Shirkers」を愛していたのだと、優しい見解を述べている。でも、私は違うと思う。たぶんジョージは「Shirkers」を完成させることによって、自分に監督の才能がないことを知るのが嫌だったのでないかと。彼の好きだったジャン=リュック・ゴダール、映画批評家から出発して初の長編映画で世界の映画史にその名を残したゴダールのように、自分はとうていなり得ない。その事実を知ることを恐れたのではないか。そう考えたら、私が自分で勝手に推測したことなのに、ジョージの心の闇の深さに戦慄した。ちなみに「Shirkers」とは、責任等を回避する人という意味だが、いや、お前がshirkerかい!と一人で突っ込んだのだった。

上映終了後。左から五人目の赤いドレスの女性がサンディ、右から二人目の女性がジャスミン

こう言ってはなんだけど、ポスターのイラストと比べて、19歳当時のサンディはぽっちゃりしていた

 なお、サンディの親友ジャスミンは、1999年にKelvin Tong(ケルヴィン・トン)と共同で「Eating Air」という作品を監督している。学校をドロップアウトした不良少年と孤独な少女との初恋を描いたこの映画は、私の最も好きなシンガポール映画の一つである。この作品を見たのはもう10年以上前のことだが、その時、この作品は、バイクで国境を超えてシンガポールからマレーシアへ向かう、そういう逃避行を夢見ながら、その夢が決して果たされなかった映画、ロードムービーを夢見た映画だと思ったのだった。ロードムービーにならなかった所に、シンガポールの閉塞感があり、青春の挫折があった。オリジナル「Shirkers」が志向していたものもやはりロードムービーであったことを知り、またしみじみと「Eating Air」のことを思い出したのだった。201955日)

ジャスミンとケルヴィン・トンの「Easting Air」

Saturday 13 July 2019

[Film] Fly Away Home (Maikäfer flieg)


18 May 2017
“Fly Away Home (Maikäfer flieg)---European Union Film Festival
Release Year: 2016
Country: Austria
Director: Mirjam Unger
Cast: Zita Gaier, Ursula Strauss, Gerald Votava, Konstantin Khabenskiy
Location I watched: National Gallery Singapore

Story from the programme booklet:
Vienna 1945: The powder keg of war and the Russian occupation as seen through the innocent eyes of nine-year old Christine. Bombed out and penniless, she and her family are put up in a fancy villa in the outskirts of Vienna, a moment when class differences get amplified and all families in the house just want to survive. After the German soldiers capitulate, the Russians take over the house. Everybody is scared of the Russians, except Christine. Based on a novel by Christine Nöstlinger, the most popular children’s book author in Germany and Austria.


On the day before this screening, I saw a lady who came to the venue at the wrong time and watched “Kincsen - Bet on Revenge” instead of “Insyriated”. Now, I have made a similar mistake, too. This “Fly Away Home” started from 7pm, but I mistakenly thought the start was 7:30pm. I was near the venue at 7pm. However, thinking I was early, I was innocently eating dinner. When I saw there was nobody in the lobby of the venue, I realized my mistake. I assume that I missed the first 15 minutes or so. When I started watching the film, the protagonist, Christine and her family were already in the villa and her father has just returned to his family.

Generally, I do not like films with children or animals very much. The nine-year old protagonist, Christine is restless and selfish. She is not a likable person for me. “Fly Away Home” is describing the world seen through her eyes, so the camera movement is active like her. As she is a child, she still does not completely understand about war. However, she experiences many things.

There are some memorable scenes. Christina’s mother used to work for Mrs. von Braun, the mistress of the villa. That is why she got Mrs. von Braun’s offer and Christina’s family could stay in her villa. When Mrs. von Braun arrived with her small son later, she found Christine’s father who was hiding there. (Christina’s father is a soldier with the German Army, but he got injured and deserted from the hospital.) Then, Mrs. von Braun voluntarily started telling them how her husband had died by this war, and she did not say anything else. However, both ladies---Mrs. von Braun and Christine’s mother---looked like they understood each other. It does not matter which class people are belonging to. Everybody is suffering from war, but it is precious that we are still surviving. I think that they shared such feelings.

Christina became friends with one of Russian soldiers, Cohn who was in charge of cooking. She asked Cohn to bring her to her grandparents’ place in the town. Christina was proud that her grandmother was a brave woman. However, the grandmother that Christina saw in their apartment had become paranoid for fear of the war. It made Christina disappointed and sad. That scene is also impressive.

After bringing Christina to her grandparents’ place, Cohn was regarded as a deserter and arrested. Christina felt a sense of responsibility to that he could not return. She insisted on sleeping in his hut to wait for him. I did not like her initially, but from this scene, I began to have a good feeling for her.

Finally the Russian troops were departing from the villa. Actually Mrs. von Braun had an affair with the Major of the troops to take advantage of them. When Christina knew they were leaving, she told Mrs. von Braun that the Major would probably visit her again. However, Mrs. von Braun coolly said that she would forget him. Christina did not understand adults’ “situation”. She thought that Mrs. von Braun likes the Major and tried to comfort her. Now I felt Christina more adorable.

Friendship with a kind Russian cook, glancing at the world of adults... through many-sided experiences like a prism by a nine-year old girl, this film describes many things in the “empty” time at the end of the war; hunger, violence, changed people and unchanged family’s tie... It was terribly sorry for me to miss the first part. (5 January 2019)

Sunday 7 July 2019

[Film] Kincsem - Bet on Revenge (Kincsem)


17 May 2017
“Kincsem - Bet on Revenge (Kincsem)”---European Union Film Festival
Release Year: 2017
Country: Hungary
Director: Gabor Herendi
Cast: Ervin Nagy, Andrea Petrik, Tibor Gaspar
Location I watched: National Gallery Singapore

Story from the programme booklet:
Hungarian aristocrat and supreme horse trainer Sandor Blaskovich was accused of treason and killed by his former friend, Austrian officer Otto von Oettingen. His son, the dashing Erno Blaskovich (Ervin Nagy) has lost everything in the aftermath of the 1848-1849 Hungarian revolution, including their family castle which von Oettingen takes over forcing him to move into a labourer’s cottage. Erno’s bohemian lifestyle gets a chance of redemption in the form of Kincsem, the miraculous horse who wins every single race across Europe. Fate offers a shot at revenge, giving Erno the chance to beat his nemesis and father’s murderer, fellow horse owner von Oettingen. However, their rivalry takes an unexpected turn, when Blaskovich falls in love with Klara, von Oettingen’s daughter. Can love triumph revenge?


A man who has lost everything, seeking revenge, falling love with his enemy’s daughter... The first impression from the programme booklet story is that this is a serious film. However, “Kincsem – Bet on Revenge” is actually an enjoyable entertainment film. It is a luxurious, spectacular and light period drama without dignity which is sometimes required for period dramas.

The theme of falling in love with his enemy’s daughter might sound old-fashioned, but the film does not make it so. Erno and Klara, von Oettingen’s daughter, know each other at the beginning of the film. Erno was a hopeless horse owner who bets on other’s horses instead of his own horse. However, he met Kincsem which could not be easily tamed. When Kincsem escaped from Klara’s riding ground, Ermo accidentally chased after this horse. Then he turned to be serious for Kincsem. Eventually Ermo got Kincsem’s ownership from Klara and started to train her. In the meantime, Klara got to know Erno’s talent for horse training and paid respect to him. As the film title shows, Kincsem, the female horse is the center of the story. I like that the film does not go off the track with Kincsem’s story. The last shot in the film is of he (Erno), she (Klara) and of course, the horse, Kincsem.

Although Kincsem is a real racehorse in the 1870s, “Kincsem – Bet on Revenge” is a fictional story, I think. However, since this film is for Kincsem, the most important fact, Kincsem’s unbeaten record cannot be changed. Kincsem is so famous that a lot of audience may know her legendary record even before watching this film, 54 wins out of 54 races. In that case, how was this well-known fact developed into a story to attract the audience?

Firstly, the owner’s character is initially set as a loser. To change his life, he must win with Kincsem. That is why her debut race scene is so exciting. When Kincsem won for the first time, Erno looked as if he almost started to cry and faint before he congratulated himself on this victory. This scene was convincing and funny. Secondly, a special situation is created where the owner does not want Kincsem to win. Erno’s love for Klara, his enemy’s daughter prepares for this situation, too. This unbeaten horse must lose in this film? It makes the audience uncertain and engages them in the race, even if we know Kincsem’s real history.

By the way, when the film ended, a lady sitting next to me asked, “What time will “Insyriated” start?” “Insyriated” is another European Union Film Festival (EUFF) title, a Belgium film about a Syrian family who is desperately trying to be together in their apartment while a war rages outside. Although I have not watched this film, obviously it seems to be a serious film, a perfect opposite of “Kincsem”. I answered her that “Insyriated” is scheduled from 9 pm after “Kincsem”. Then, she said, “Alamak! I watched a wrong film!” Actually she bought a ticket for “Insyriated”, but she came at the wrong time. (For some reasons, the ticket taker did not check the film title of her ticket.) Even after the film started, she did not realize for a while that she came at the wrong time. Since some EUFF screenings show a short film before the main program, she thought that “Insyriated” would start after this “short” film. Of course, “Kincsem” is not a short film, so she noticed her mistake on the half way. But eventually she watched through “Kincsem” till the end. She said, “It’s OK, it was an enjoyable film, right?” (October 7, 2018)