Saturday 28 July 2018

『映画』Manfei(曼菲/マンフェイ)


2018427
Manfei(曼/マンフェイ) 」・・・Singapore Chinese Film Festival
公開年: 2017
製作国: 台湾
監督:  En Chen怀恩)
見た場所: Golden Village Vivo

 今年のSingapore Chinese Film FestivalSCFF、シンガポール・チャイニーズ・フィルム・フェスティバル)のオープニング作品。中国本土の作品に限らず、マレーシアやシンガポールまで各国・各地の中国語映画を集め、今年も無事開催されたのだった。ちなみに今年、Singapore International Festival of ArtsSIFA、シンガポール国際芸術祭)と日程が完全にかぶっており、鑑賞予定を立てることが困難だった。SCFFが例年この時期に開催しているにも関わらず、今年SIFAの方が前倒ししてきた(昨年までは9月頃開催だった)結果である。いい迷惑だったよ、SIFA

 そういうわけで、あまり思ったように見に行けなかったというのが、今年のSCFFだった。オープニングは、このドキュメンタリー作品「Manfei(曼/マンフェイ)」。レトロスペクティブのタイトルは「Loving Leslie」、2003年に亡くなった俳優レスリー・チャンの特集で、彼の「Happy Together(春光乍洩/ブエノスアイレス)」がクロージング作品となった。あまり見に行けなかったわりに、オープニングとクロージング両方の上映に行ったという、自分にとっては珍しい年となった。

 「Manfei」は、2006年に50歳で亡くなった台湾のダンサー/コリオグラファー、Lo Man-fei(羅/ロー・マンフェイ)についてのドキュメンタリーで、彼女の死後に製作された。台湾の名門コンテンポラリー・ダンス・カンパニー、Cloud Gate Dance Theatre(雲門舞集/クラウド・ゲイト・ダンス・シアター)でのダンスとともに最もよく知られているダンサーである。

今年のSCFFのプログラムの表紙。踊る美しいロー・マンフェイ

 しかし、彼女の功績はそこに止まらない。ニューヨークで学び、恵まれた容姿と優れた技量で台湾を代表するダンサーとなっただけではなく、指導者として多くの教え子を育てた。台湾の若手ダンサー達が活動できる場を、というクラウド・ゲイトの創立者、Lin Hwai-min(林懐民/リン・ファイミン)と理想を同じくし、リンとCloud Gate 2(クラウド・ゲイト2、若いコリオグラファー、ダンサーに特化したカンパニー)を立ち上げ、その芸術監督となった。後進の指導だけではなく、40歳を過ぎて新たにTaipei Crossover Dance Companyを結成して踊った。癌を患い闘病を続けながら、それでも踊り続け、そして最期まで若いダンサー達の指導に当たった。作品は、ロー・マンフェイの家族や友人、リン・ファイミンを始めとするコリオグラファー、教え子だったダンサー達へのインタビューを中心に構成され、彼女の足跡を辿りつつ、その功績を讃えている。

 この作品を見て、もし原節子が1962年の映画出演を最後に不慮の事故か病気で亡くなってしまい、その10年後にドキュメンタリー映画を作ったら、こういう感じになるのではないか、となんとなく思った。このドキュメンタリーを見ると、ロー・マンフェイのダンサーや教師としての素晴らしさはよくわかる。しかし一方で、彼女自身についてはよくわからない。美しい人なのだが、同時にミステリアスでもある。コンテンポラリー・ダンスの定義というのは難しいが、ダンサーが自身の経験や感情を反映させることをその特徴の一つと言うならば、ロー・マンフェイは、時に自分の人生を刻みつけるかのように踊っていたように思える。そういう意味では、まさにコンテンポラリー・ダンサーだったと言えるだろう。作品中の彼女のダンス・シーンはどれも素晴らしい。しかし、彼女が話しているシーンはほとんどなく、ロー・マンフェイが実際に何を思って踊っていたのかはよくわからない。インタビューを受けた関係者の話によってしか、彼女を知ることができないのだ。一人のダンサーの功績がつまびらかにされる一方、ここに、解き明かされることのない永遠の謎がある。

 彼女のプライベートでの素顔や、芸術論というかダンス論が描かれない、ということ自体は悪いわけではない。一人の芸術家についてのドキュメンタリーを作る際、どこに着眼点を置くかは作り手それぞれだろうから。しかしこの作品が、120分間を長く感じさせるわりにはどこか物足りないのは、功績の称賛を超える、大切な何かを今にも提示しそうで、結局は十分に提示することがなかったからだと思う。

 作品の冒頭、「私がダンスを選んだのではない。ダンスが私を選んだのだ。」というロー・マンフェイの言葉が引用される。芸術家が用いがちな言葉の綾と取れなくもないこの言葉に、どれほどの思いが込められていたのか。実際にダンスに一生をかけたロー・マンフェイにとって、彼女の言うダンスとは一体何だったのか。それがはっきりしないからこそ謎を感じるわけだが、この謎にもう少しフォーカスした方がよかったのではないか。もちろん、作品中でその答えを出す必要は全くない。ただそこにフォーカスすることで、単なる偉大なダンサーの功績を知るためのドキュメンタリーではなく、そもそもダンスとは何かという問いかけを備えた、より深い作品になったのではないか、と思う。

 作品の最後は、インタビューに答えたコリオグラファーやダンサー達が、それぞれ生き生きと仕事をしている姿で終わる。ロー・マンフェイのレガシーが引き継がれている様を描いており、このドキュメンタリーの意図としては正しい終わり方だったかもしれない。しかし、そのシーンより前に、ここで作品を終えた方が良かったのではないか、と思うシーンがあった。ロー・マンフェイの友人へのインタビューで、その友人は、ダンサーとは壊れやすいものであり、理解するのは難しいというようなことを語っていたのだ。さらに、彼女はこう言った。「ダンサーが去る時、ダンスもまた去る。」彼女のダンスを掴もうとしても、もはや不可能であると言いたかったのだろうか。それはまさに、舞台芸術、とりわけある種のコンテンポラリー・ダンスのように、演者と演ずる内容との私的な関わりが強いものの本質を突いているようでもある。謎は永遠に謎のままなのだ。2018615日)

Sunday 15 July 2018

[Film] The Great Buddha+ (大佛普拉斯)


18 April 2018
“The Great Buddha+ (大佛普拉斯)”---‘What is your background?’
Release Year: 2017
Country: Taiwan
Director: Huang Hsin-yao(黃信堯)
Cast: Cres Chuang(莊益增), Bamboo Chen Chu-sheng(陳竹昇), Leon Dai(戴立忍)
Location I watched: Golden Village Paya Lebar

Story from SFS (Singapore Film Society) website:
Pickle is a night security guard at a bronze statue factory, who also plays in a band at funerals when time permits. Earning a meager income, Pickle lives with his elderly mother. His best friend Belly Button works as a recycling collector during the day, and Pickle’s biggest pleasure in life is flicking through Belly Button’s collection of porn magazines. One day, their television is damaged, changing their lives forever. At first, they watch the footages recorded on their boss’s dash cam for fun, and soon they get addicted to peeping into the boss’s colorful private life and accidentally discover the boss’s unspeakable secret...


This film was shown as part of the regular screening of Singapore Film Society (SFS).

Recently, I am always worried about income and money. So I did not feel that the 2 middle-aged protagonists of this film are living in a different world from me. In a way, we are the same.

When the opening credits begin, we hear the voice of a narrator speaking to the audience. He thanks the producer, following the credits on the screen. It is really funny. Throughout the film, the narrator sometimes inserts comments about the characters or situations. He mentions even when the film reached the halfway point, or what will happen on a character from now. His plain narration with the black-and-white images makes this film like a documentary, while at the same time, like an old allegory. This mixture of realism and poetry strikes the audience.

The 2 protagonists, Pickle and Belly Button have a tough and miserable life. The world is ugly. Rich are rich and poor are poor. “The Great Buddha+” is a gloomy film, but for some reason, at the same time, it is funny.

For example, in a scene where Belly Button is talking to Pickle in his security guard room.
Belly Button, “To become rich, 30% comes from cheating and 70% comes from your background. What is your background?”
Pickle, “...”
Belly Button, “What is your background? Huh?”
Pickle, ”Orange, pineapple, banana...”
(Belly Button notices a calendar with a fruit design on the wall behind Pickle.)
Belly Button, “...You forgot one more thing.”
Pickle, “Water Apple?”

Their lackluster daily life goes on between pathos and humour. Then its “peace” is broken when Pickle and Belly Button accidentally find a horrible crime committed by the boss who runs the factory making a big bronze Buddha statue. However, what impressed me more is not about the boss’s secret, but about Pickle’s thought for Belly Button. After Belly Button’s death (which unfortunately happens in the middle of the film), Pickle visits his house for the first time. Pickle realizes that he did not actually know anything about what Belly Button was thinking despite having been always together. The narrator says that even in the era we can go to outer space using rockets, we still do not know about the inner space of a person. Mystery about humans is deeper than mysteries on crime.

“The Great Buddha+” has not only a chilling climax. The final scene during the ending credits also should not be missed. The conclusion is a big stroke maybe by the bronze Buddha or something above us seeing the human realm: the world of ugly, miserable, weak, silly, sad and mysterious human beings. (28 April 2018)

Sunday 8 July 2018

『映画』Ramen Teh(ラーメンテー)


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Ramen Teh(ラーメンテー)」・・・ようこそ、シンガポール!
公開年: 2018
製作国:  シンガポール/日本/フランス
監督:  Eric Khoo(エリック・クー)
出演: 斎藤工、Mark Lee(マーク・リー)、Jeanette Aw(ジャネット・アウ)、伊原剛志、松田聖子
見た場所: Golden Village Paya Lebar

 Eric Khoo(エリック・クー)の最新作は、食、シンガポールと日本の文化交流、地域振興という三大題目の人情ドラマである。Singapore Film Society(シンガポール・フィルム・ソサエティ)の上映会だったので、ゲストでEric Khooとプロデューサーで脚本も担当したFong Cheng Tang、劇中で主人公の祖母を演じたBeatrice Chienが来場。上映後にQ&Aコーナーがあったのだが、まーエリック・クーがしゃべるわしゃべる。

 ストーリーはいうと、群馬県高崎市で父(伊原剛志)、叔父(別所哲也)とともに人気ラーメン店を営んでいる真人(斎藤工)が主人公。父の死をきっかけに、子供の頃に亡くなった母(ジャネット・アウ)の家族を探すため、シンガポールに渡った真人。そこで、フード・ブログを通じて知り合った日本人女性(松田聖子)の助けを借りて、音信不通になっていた母の弟(マーク・リー)を探し当てる。母の実家は代々バクテーの食堂を営んでおり、店を継いでいた叔父は、真人との再会を喜んでくれたが、日本人嫌いの祖母(Beatrice Chien)の心は頑なだった・・・。


 バクテー(Bak kut teh、肉骨茶)は、シンガポール、マレーシア一帯で食されている、骨付きの豚肉をハーブやスパイスで煮込んだ中華系のスープ料理である。劇中では松田聖子演じる美樹が、その発祥から詳しく説明してくれている。実は私は、結構シンガポールに長く住んでいるのだが、一度もバクテーを食べたことがない。なので、若き日の真人の父が、「バクテーはラーメンに似ている」と言うのを、「そうなのかー」と思って見ていた次第である。

 上映時間89分。シンガポールの美味しそうな料理とその蘊蓄とともに、家族の心暖まるストーリーが展開する小品。良い言い方をすればそうなのだが、悪い言い方をすればなんとなく物足りない作品である。

 理由の一つは、この作品にはカットされている部分があるためではないかと。父の死後、結構サクッと真人はシンガポールに来てしまうのだが、実はその前に、真人とガールフレンドとのシーンがあったそうなのだ。しかし、ガールフレンドが半分裸だったため、そのシーンを入れると、シンガポールではレイティングPGparental guidance、日本のGPG12の間的なレイティング)にはならない。PGでないと興行主が嫌がり、配給が難しくなるので、カットしてしまったと。

 主人公真人は、母の死後、すっかり寡黙になった父を理解する機会のないまま、父に先立たれてしまったことを後悔している。また、早くに亡くなった母への思慕と、シンガポールに住んでいた子供時代、家族三人で食べたバクテーへの思い入れがあり、自宅では中華スープの研究に余念がない。そうした様々な思いが高じて、思い切ってシンガポールに行くことにしたはずなのだが、この高崎パートは前置き的な感じになっていて、なんだか物足りない。カットした分、短くなっているためではないかと思う。


 その割に、「ようこそシンガポール」的な、シンガポールの料理紹介には十分な時間を使っている感じがする。美樹に案内されて、チキンライスやらフィッシュヘッドカレーやらに真人が舌鼓を打つのだが、それは・・・必要なの?観客に対するシンガポール観光案内以外の意図としては、真人にシンガポールの食の深さを見せるとか、美樹と真人が親密になっていく様を表現するとか考えられる。でも、この食紹介のシーンで印象に残るのは、料理であって登場人物達ではない。そしてこれらの料理は、映画の本筋とは全く関係がないのだ。

 この作品の肝は、真人が祖母のためにRamen Teh(ラーメンテー)、つまりバクテーのレシピを元にしたスープを使ったラーメンを作る所にある。この料理が表現しているのは、中華系シンガポール人の母と日本人の父との間にあった深い愛、ひいてはその証でもある真人自身である。この真人のメッセージに答える形で、祖母は真人に料理を教える。真人の持っていた母の日記にあるレシピを、実際に彼と一緒に作るのだが、母のレシピはとりもなおさず、この祖母のレシピでもある。そしてここに、祖母、母、息子、三代に渡る和解と新しい門出が祝福される。この感動に落とし込むためには、これまでのエピソードが全て有機的につながっているべきなのだが、どうも部分的に観光案内を見せられたような、ちょっとバラバラな印象を受ける。

 あまり他の作品と比べてどうこう言いたくないのだが、この一週間前に、シンガポール人シェフが沖縄で郷土料理を学ぶ映画「Jimami Tofu(ジーマーミ豆腐)」を見た。日本の料理人がシンガポールに渡る「ラーメンテー」のちょうど反対になっている作品なのだが、その主人公ライアンが、沖縄に住んでいる感の非常にあった映画だった。ライアンがどういう種類のビザで沖縄滞在しているのか、むしろ心配になるくらいだった。一方この「ラーメンテー」を見ると、真人がシンガポールにやって来て一ヶ月くらいの間に、バクテーを習い、ラーメンテーを作り、祖母と和解して、自分の店を開いた、みたいに見える。特にラスト、真人がシンガポールにラーメンテーの店を開いていて、かつそれが人気店で、「こんな上手くいくんだ・・・」と驚く。このラストシーンに時間の経過がはっきりわかるものがあったら良かったのに、と思う。また、祖母との和解に至るまでに、もっと真人のシンガポールでの日常が描かれても良かったのではないかと思う。

 というわけで、面白いか面白くないかと聞かれると、面白い映画なのだが、どうも物足りないというか、もっと良くなったのでは、というちょっと残念な感じが残った。

 なお、私は個人的に高崎市に思い入れがあるので、劇中で松田聖子が「高崎市」という名前を出してくれていて、嬉しかった。しかし、高崎市といえば、ダルマと高崎観音になってしまうのね。201847日)

上映会当日。シネコンのロビーに設けられたシンガポール・フィルム・ソサエティのカウンター。

上映後のトーク。左からエリック・クー、
祖母役のBeatrice Chien、プロデューサーのFong Cheng Tang。

Sunday 1 July 2018

『映画』Jimami Tofu(ジーマーミ豆腐)


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Jimami Tofu(ジーマーミ豆腐)」・・・「ジーマーミ豆腐は毎日食べるもの」
公開年: 2018
製作国:  シンガポール/日本
監督:  Jason Chan(ジェイソン・チャン)、Christian Lee(クリスチャン・リー)
出演: Jason Chan(ジェイソン・チャン)、仲宗根梨乃、山本真理、津嘉山正種
見た場所: Golden Village VivoCity

 「Jimami Tofu(ジーマーミ豆腐)」のシンガポール・プレミアに行って来た。この映画は、シンガポールの映画製作会社Banana Mana Filmsが、沖縄県のOkinawa Film Officeの支援を受けて製作した作品である。Banana Mana Filmsは、二人の監督、Jason Chan(ジェイソン・チャン)とChristian Lee(クリスチャン・リー)による、いわゆる独立系のプロダクション。この「ジーマーミ豆腐」も、自分達で脚本を書いて監督し、それぞれ主演と助演で出演もしている。彼らが英語によるアジア映画を志向しているため、主演のジェイソン・チャン以外のメイン・キャストは全て日本人なのだが、英語のセリフの割合が多い。そんなわけで、仲宗根梨乃と山本真理がサシで話すシーンでは、二人が英語で話し合っている。私には違和感があったのだが、バイリンガルが一般的、マルチリンガルも珍しくないシンガポール人的には、さして違和感を感じないらしい。


 この映画には「えっ?」と思う点がある。それは、ジェイソン・チャン演じる主人公が、なぜそんなにモテるのか?という謎。しかしこれはまぁ、ラブコメ少年漫画的な設定だと思えば、受け入れられなくもない。こういう主人公は、めちゃくちゃかっこいいわけでもなく、かと言って不細工でも全くない。清潔感があって、人畜無害な感じが女性に受けるのだろう(か?)。

 あらすじを簡単に言うと、チャイニーズ・シンガポーリアンの料理人ライアン(ジェイソン・チャン)が、沖縄に自分の人生を見つける姿が、二人の日本人女性、ユキ(山本真理)とナミ(仲宗根梨乃)との三角関係を絡めて描かれている。この映画の難点は、比較的シンプルなストーリーが、回想シーンを断片的に挿入することで若干不必要に複雑になっていることにある。そこでその流れを直線的にまとめ直すと、以下のようになる。

 チャイニーズ・シンガポーリアンの料理人ライアンは、東京の日本料理店で修行している。ある日、閉店間際に一人の若い女性が彼の店を訪れる。すでに厨房は片付けてしまったからこれを食べて帰ってくれと、Char Kway Teowらしきものを出すライアン。Char Kway Teow粿條、チャークイティオ)は、米粉から作る平たい麺の焼きそばで、シンガポール、マレーシア一帯の屋台料理である。ライアンのバージョンには、目玉焼きらしきものが載っているのが珍しい(普通は載っていない)。一口食べて、「むっ、これは・・・」と感じ入る女性。実はこの女性、ユキは日本でトップの料理評論家(この設定がなんか笑えるんだが)だった。そんなわけで以降、わざと閉店間際に押し掛けては、ライアンにチャークイティオを振る舞わせるユキ。いや、確かにチャークイティオは美味しいけど、毎日食べてたら病気になるで。基本的に前のめりな性格のユキは、(詳細は省くが)ちょっとおかしな手管でライアンを絡めとり、二人はめでたく恋人同士になるのだった。

 ユキはライアンに有名シェフ、ツジさんの元で働くことを勧め、自らのコネクションでツジさんをライアンの店に招待する。なお、ツジさんを演じるのは服部幸應氏である。ライアンのチャークイティオを一口食べて、自分の名刺を置いて帰るツジさん。ライアンがツジさんの食べ残し(一口しか食べてないけど)の皿を下げようとすると、ユキはそれを押しとどめて残りを食べようとする。概してこのユキという女性は、偉そうで独り善がりなため、あまり好感がもてないのだが、このシーンを見ると嫌いになりきれない。お高くとまっていても、その底にどこか垢抜けない素朴さみたいなものがあって、そこらへんが演じた山本真理の匙加減だったろうと思う。

 かくしてライアンは有名シェフの元で研鑽を積むことになり、一方ユキの方も自分の批評が有名グルメ雑誌に大きく掲載され、さらにキャリアに磨きがかかってくる。今の時代に雑誌かい、と思うのだが、この映画は沖縄のロハスを強調するためか、インターネットもスマホも登場しない(見せない)。ちなみにこの有名グルメ誌は、英語雑誌で広く世界に流通しているという設定のようなので、ミシュランガイド的なものだと思えばよいのかもしれない。

 しかし、二人の関係は曲がり角に来ていた。私の先入観では、料理評論家、フード・ライターという職業の人達は、自分自身もある程度は料理のできる人達ではないかと。しかし、ユキはできないどころか、トースト一枚上手く焼けない女なのだった。というわけで、家で過ごす時にもライアンの方が料理をするのだが、よせばいいのにユキに感想を聞いてしまう。しかもさらによせばいいのに、本当のことを言ってもらっても構わないと、突っ込んで聞いてしまう。そうなると味覚が尋常でなく鋭いユキは、評論家としての誠実を発揮して料理にダメを出してしまい、それに対してライアンがキレる、という泥沼に陥るようになっていった。二人の関係がぎくしゃくしてライアンの料理を楽しめなくなったユキは、夜中ライアンが寝ている間に、自分で作ったインスタント・ラーメンを鍋から食べるような振る舞いをするようになる。そしてある日、何も告げずにライアンの前から姿を消した。

 ユキに去られて料理する気力のなくなったライアンは、彼女の故郷である沖縄の某村に来ていた。ユキを探してというよりはむしろ、(同じ料理業界にいて、有名グルメ評論家の彼女を探すのは、それほど難しいことではないと思われるので)まぁ彼女の面影を偲んでメソメソするために来た、というべきであろう。そこで上手い具合に、ユキの幼なじみで陶芸工房を営んでいる女性ナミと親しくなり、フリーダイバーでもある彼女に海に連れて行ってもらったりしている。明らかにナミはライアンに好意を寄せているのだが・・・女に振られてクヨクヨしている点が、逆にロマンチックに見えるのだろうか。

 それはともかく、ある日ナミは「心を癒すための食事」として、近所の真南風という食堂にライアンを連れて行く。そこはサクモトさん(津嘉山正種)という初老のおじさんが一人で切り盛りする、沖縄家庭料理の店だった。ジーマーミ豆腐を食べたライアン、「むっ、これは・・・」となる。ここの料理が気に入ったらしいライアンを見て、ナミは数年前の調理アシスタント募集の張り紙を引っ張り出してくると、ここで働いてはどうかと、彼に勧めるのだった。

 かくして、英語がカタコトのサクモトさんと日本語が流暢ではないライアンの間に、ナミが通訳に入って面接が行われる。
 サクモトさん「へー、ツジシェフのところで働いてたの?なんで辞めたの?」
 ナミ(通訳)「合わんかったんだって。」
 サクモトさん「合わんかったんだ・・・」
 まさか失恋して気力がなくなったなどという説明はできないので、漠然としたこの回答。もちろん雇ってはもらえない。しかし、ライアンはあきらめなかった。毎朝サクモトさんの買い出しのお供を勝手にして、荷物持ちを買って出ることを続けたのだった。そしてついにサクモトさんに、厨房に入れてもらえるようになる。サクモトさんを演じた津嘉山正種が名演。サクモトさんの出ているシーンは、他のシーンよりもずっと生き生きして見えて楽しい。ちなみに、終映後に監督二人によるQ&Aコーナーがあったが、観客から最初に質問が出たのは、津嘉山正種についてだったと思う。監督達によると、スタッフが津嘉山正種に(ギャラがそんなに払えないから)恐る恐る出演交渉の電話をかけ、台本のサクモトさんのパートを送った所、全部日本語で送ってほしい、しかも伝統的な日本の縦書きの台本の形で、と言われた。そこでシフトを組んで24時間体制で台本を日本語に訳して送ると、津嘉山正種は、ぜひ出たい、ギャラについては心配しなくていい、と言ってくれたのだそうだ。

プレミアの日の映画館のロビー

ロビーに設けられた真南風のセットの写真パネル。ここで記念写真が撮れるようになっていた。

 さて、晴れてサクモトさんの弟子になったライアンだが、なかなか料理を教えてもらえず、一人で試行錯誤する日々が続いていた。ある日、ジーマーミ豆腐の仕込みをしなかったライアンは、普段は茫洋としたサクモトさんに、小突かれて怒られる。そして、「今日はもう料理はしない。こんな料理じゃなく、タコライスとかドーナツとか若い子の好きなものがあるだろう。ナミと一緒に食事に行ってこい」と言われる。腹が立ちつつも、師匠の言うことを聞いてナミを誘うライアン。実はサクモトさん、娘のように可愛がっているナミが、ライアン目当てに店にやって来ては相手にされず、寂しそうにしている姿に心を痛めていたのだ。しかし、沖縄料理の取得に夢中のライアンは、ナミの気持ちには全く気づいていない。楽しいデートのはずなのに、サクモトさんへの不平不満で暗いままのライアン。たまりかねた彼女は言う。「(サクモトさんにだって辛いことはあるという意味で)サクモトさんの秘密を教えてあげる。実は、サクモトさんはユキの父親なのよ。」

 ・・・かつて東京で働いていたサクモトさんは、お客さんと距離の近い料理人であることを求め、反対する妻と小学生くらいのユキを置いて、故郷の沖縄に帰ってきてしまったのだった。料理を教えてもらえないことと、サクモトさんがユキの父親であることとの関連は全くないのだが、これでなんか気勢をそがれてしまったライアンは、翌日サクモトさんに自分の不手際を素直に詫びる。するとサクモトさんは、「今日は料理しない」と言い出し(またかい、大丈夫かい、店は?)、ライアンを城跡(座喜味城跡)に連れて行く。かつての琉球王国の夢の後で、サクモトさんは沖縄料理の成り立ちからライアンに教え始める。そしてライアンは、料理が悠久の歴史のみならず、個人の心の旅路を映し出すものであることに、改めて感じ入るのだった。

 そして今、サクモトさんと一緒に厨房に立つライアンは、忙しいお昼時でも任せられて一人で切り盛りできるまでになっていた。・・・非常に長くて恐縮だったが、ここが映画の始まりのシーンなのである、実は。一方ライアンと別れたユキは、シンガポールにいた。ライアンがきっかけで東南アジア料理に興味を抱き、料理評論家として相変わらず華々しく活動していた。仕事仲間のシンガポーリアン(もう一人の監督クリスチャン・リーが演じている)に好意を寄せられているが、友達以上恋人未満の関係で進展しない。ユキもまた、シンガポールにライアンの面影を追うようなところがあって、新しい恋に踏み切れないのだ。

 この映画、ほぼ全編に穏やかな音楽が流れていて、そこはあまり好きではない。また、上映時間2時間1分というのが若干長いような。ナミのフリーダイビングのシーンが長いのがその原因ではないかと思うのだが、私がマリンスポーツにあまり関心がないからね・・・。でもいい映画とは思う。たまたま、このプレミアの一週間後に、シンガポールのEric Khoo(エリック・クー)監督作「Ramen The(ラーメンテー)」を見た。食、シンガポールと日本の異文化交流、地域振興という三大題目を同じくする両作品だが、私はこの「ジーマーミ豆腐」の方が好きだ。

 この映画で最も印象的だったのは、外国人ライアンの立ち位置だった。異邦人が地域コミュニティに入り込む話となると、どうしても決定的な事件が描きたくなるし、実際この映画でもいくつかの事件が起こる。しかし、この作品ではそうした出来事が落ち着いて描かれ、ライアンの沖縄移住は自然に見える。

 こういう主人公の成長ものの作品では、物語の途中で師匠はいなくなることになっている。というわけで、サクモトさんは病気で亡くなってしまう。彼の死後、ライアンは真南風を続けようとするのだが、お客さんは来ない。真南風からいつもお弁当を取り寄せていた集会所のおじさん達は、ライアンが一ヶ月で店を閉めるかどうかの賭けをし出す始末である。しかし、件の有名グルメ雑誌のレビューでライアンがコテンパンにされているのを読んだおじさん達、「よそ者に何がわかる」とレビューに腹を立て、ライアンの料理を食べに店にやって来るのである。サクモトさんが存命の頃、しょっちゅうお弁当を頼んではいても、店には来たことのなかった人達が、である。こうした地元の人達のさり気ない思いやりがきっかけで、真南風は回復軌道に乗って行くのだが、彼らとライアンとの間には妙な慣れ慣れしさがない。実のところライアンが本当に親しくなったのは、亡くなったサクモトさんとナミだけなのだが、そういうものだと思う。試行錯誤する毎日の中、気づいたらここに住んでいたという感覚が描き出されている点がとてもいい。ナミと一緒に自転車で木立の中の道を海まで行く、石畳の道沿いの集会所にお弁当を届ける———こうした日常の繰り返しの描写もまた、地元の人達とのさり気ない交流と適度な距離感とともに、自然と住み着いてしまったという感じを上手く敷衍したと思う。(ちなみにライアンがレビューで叩かれたのは、彼らが試食しに来た時、普段のA定食でも出しておけばいいものを、気合いが入り過ぎて妙にファンシーな料理を出そうとし、それで焦って失敗したためである。)

 そして、父親の死により(というよりも、雑誌で叩かれていたライアンを心配して)沖縄に帰って来たユキに、ライアンが真南風で料理を振る舞うシーンが、この映画のクライマックスとなる。彼女のような難しいお客にライアンがどんな料理を出すのかというと、そこはグルメものの王道をいく。つまり、食べる人の記憶の底にある味を思い起こさせる料理、この場合は父サクモトさんの料理である。というわけで、サクモトさんから教わったライアン渾身の沖縄家庭料理が繰り出され、ユキは忘れていた父との思い出を蘇らせて、涙するのだった。いや、実際おいしいそうなのよ、ここで出てくる料理。

 近年、日本全国が外国人向けの観光業に力を入れており、沖縄も例外ではない。しかし、北海道などとは違い、近隣に名だたるビーチリゾートを控える東南アジアで、こちらの人達を沖縄に呼び込むことができるのかと、正直危ぶんでしまう。数年前、私は日本に詳しいシンガポール人二人と話していて、「沖縄料理って、中華料理と一緒だよね。」と言われた。二人とも沖縄に行ったことはないようだったが、どこかで食べる機会があったのだろう。おそらく、彼らのイメージする日本料理のエキゾチシズムが、沖縄料理からは感じられなかったのだと思われる。私は沖縄出身ではないが、「いや違うんだよ、沖縄料理は中華料理と似ているところもあるけれど、そうじゃないんだよ。」と、強く言いたかった、あの時。

 監督二人、沖縄県から支援を得ているものの、別に沖縄のプロモーションのためにこの映画を作ったわけではない。映画を撮りたくて、出資先を探したら沖縄だった、ということだったと思う。その彼らがフォーカスしてきたのは、「中華料理と一緒の」沖縄料理。そしてこの映画では、逆に似ていることが強みとなった。ライアンは伝統的な沖縄家庭料理を学ぶわけだが、沖縄の心を学ばなくては、的な気負いはない。沖縄料理そのものが文化融合の結晶なのだから、ライアンはそのままで沖縄料理のシェフになればいいのだ。そして、以前は決して折り合うことのできなかった中華系シンガポール人のライアンと日本人のユキが、沖縄料理を通じて思いを共有するに至る。

 ライアンがサクモトさんから学び引き継いだものは、伝統という格式ばったものではない。それは一料理人の味、さらに言うなら、お袋ならぬ親父の味であった。父が別れた娘を思いながら作り続けた料理。それが、ライアンがユキに食べさせたかったもの、そしてユキを感動させたものだった。沖縄料理の独自さに二人の和解を象徴させつつ、最終的にこの作品は、料理を通して愛を知るという、より普遍的なテーマに着地をみたのであった。

チラシにロケ地が載っていて、「ようこそ沖縄」になっていた。
そういえばマーチン・スコセッシ監督の「沈黙」にも、(日本のだったけど)こういうチラシがあったな。

 さて、三角関係の結末だが、果たしてライアンは、自分に「料理を教えてくれた」女性か、それとも、もう一度料理をさせてくれた女性か、どちらを選ぶのか。・・・ナミがユキを励まして、「あなたはライアンに料理を教えたのよ」と言っているシーンがあるんだが、いや、それはユキちゃんに優しすぎないかい、ナミちゃん。だってこの人、全然料理できないくせに口だけだしてただけよ。まぁ、ダメ出しで役者を鍛える演出家のようなものかと思えば、そう言えなくもないが・・・。

 今回のプレミアでは、監督二人の他に、ナミのフリーダイビングのシーンでスタントをしたフリーダイビングの世界記録保持者、木下紗由里さんも来ていた。また、本編終了後には、ジーマーミ豆腐等の入った、沖縄料理のちょっとしたお弁当も配られた。そんなわけで盛況のうちに行われたプレミアだった。ところで、私は学生の頃、東京から船で(!)沖縄に行ったことがある。遠かった。そこで当時はまだ知名度の低かった沖縄の紅イモというものを、初めて食べたのだった。中味が紫色のサツマイモというのは、シンガポールのスーパーマーケットでは結構ゴロゴロ売っている。見ると、「あぁ沖縄で食べたなぁ」と思い出すのだった。(201846日)

おまけ。ロビーではTシャツも売っていた。