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Saturday, 13 February 2021

『映画』Suk Suk (叔・叔)

20201010

Suk Suk ()」・・・Singapore Chinese Film Festival

公開年: 2020

製作国: 中国(香港)

監督: Ray Yeung ()

出演: Tai Bo (太保), Ben Yuen (袁富), Au Ga Man Patra (区嘉)

見た場所: Filmgarde Bugis+

 

 今年のChinese Film Festivalのクロージング作品だった。チケットは売り切れとなったのだが、入場者数が制限されているため、満席でも盛況な感じがしないというのがちょっと悲しい。

 

 70歳のタクシー運転手のおじいさんと65歳の定年退職したおじいさんとの恋愛を描く。それぞれ子供も孫もおり、「ストレート」としての社会生活を送る一方、実は隠れゲイとして生きて来たという設定である。この二人の出会いと別れを通して、自分らしく生きるとはどういうことなのか、また、人生の黄昏時をどのように生きるかといった、重いテーマを描いた恋愛映画だ。

 

 

 Tai Bo 演じるPak(パク)さんは、70歳の今も元気にタクシー運転手として働いている。長年連れ添った妻との間に息子と娘、二人の子供がいる。息子は結婚してすでに子供がおり、パクさんは息子夫婦の代わりに、孫娘の学校のお迎えをしたりもしている。一般的な婚期を逸しかけている娘の方は、無職で(でもいい人そうだが)年下の男とつき合っており、パクさんの妻の悩みの種となっている(パクさんの方はあまり気にしていない)。娘の彼氏も含めて家族全員がパクさん夫婦のアパートに集まり、夕食のテーブルを囲む時、そこにはなんの屈託もなさそうな一家の姿がある。しかし、パクさんには秘密があった。かつては一日18時間をタクシーの中で過ごして働き続けたパクさんだが、子供達が自立して子育てが終わってから、男漁りを嗜むようになっていたのである。そしてある日、真っ昼間の公園で、一人ベンチに座るHoi(ホイ)さん(演じるのはBen Yuen)と出会う。

 

 ホイさんは65歳で、すでに勤め先の工場を定年退職した身である。若かりし頃に一度結婚して息子を一人設けた。しかし、ゲイであったためか、妻と上手く行かずに離婚してしまったのである。自由に再婚したかった妻は子供を置いて去ってしまったので、ホイさんが男手一つで息子を育て上げた。現在は息子一家と同居している。息子は頭良さそうなだけに神経質そう。ゆえにホイさんにも口うるさいが、それだけホイさんを気遣っているとも言える。お嫁さんは気だてが良くて優しく、孫娘はかわいい。一家は(ホイさんも含めて)熱心なキリスト教徒でもある。そういうわけで、なんの屈託もない退職ライフを送ることのできそうなホイさんだが、やはり息子達に秘密の活動をしていた。高齢のゲイの仲間達と、ゲイ専用の老人ホームを建てるための募金活動をしているのである。具体的には、街の通りでクッキーを販売し、その収益をホーム建設のための基金とするという、ガールガイドの活動などと同じ方式を取っている。平日昼間の活動とはいえ、街角でばったり息子に会ってしまったらどうするのだろうと思わなくもない。

 

 それはさておき、二人は出会い、はっきりと口に出さずとも、目と目でお互いにゲイだとわかりあい、つき合い始めていく。ゲイであることは二人とも家族に秘密だが、特に妻のいるパクさんは神経質である。夜、自宅にいる時にホイさんに電話しなくてはならない時には、口実を作ってわざわざ外に出てから電話する入念さ。そういうわけで最初のうちはホイさんの方が積極的なのだが、ほどなくして二人は、ゲイの集う古いサウナの一室で結ばれる。秘密の関係なので、二人の逢瀬は平日の昼間に限られている(どちらも夜は家族と過ごすため)。ちなみに平日のゲイサウナは、お客さんのほとんどがシニア世代である。

 

 二人は70歳と65歳だが、恋愛の緊張とときめきは変わらない。サウナでお互いの裸をきれいだと誉め合ってみたり、「うちに泊まりに来る?」などとホイさんがさり気なくも緊張してパクさんを誘ってみたり、「スーパーは冷房が効いていて苦手」などと言いつつ(ここがシニアっぽい)二人で市場に夕食の材料を買いに行ったり。ちなみにホイさんがお泊まりの誘いをしたのは、息子一家が週末旅行に出かけて家を空けたため。もちろん息子夫婦はホイさんも旅行に誘ったのだが、ホイさんが(パクさんと過ごしたいという下心があって)断ったのだった。

 

お泊まりしてホイさん(手前)の手料理に舌鼓を打つパクさん(後方)
 

 そういうわけで、老人二人の恋愛がガッツリ描かれるのだが、人目を忍ぶ彼らの恋には様々な障害がある(そもそもゲイであるないに関わらず、パクさんに妻がいるということはいわゆる不倫の恋なのだ)。そこで感心するのは、脚本の巧みさである。言葉にして語らせずとも登場人物の心情を語るシーンの数々。二人の恋愛の推移が、家族関係や社会生活とそれとなく、だが緊密に結びついている構成。

 

 例えば、パクさんは妻に対してなんとなく味気なさを感じている。パクさんが大切にしているシャツを、妻は古いからと言って捨てようとする。長年の夫婦ならさもありなんという小さな出来事なのだが、パクさんの方は齢70にしてまだまだ色気というか、ロマンチックなところがあるのだ。一方、ホイさんの老人ホーム設立のための活動では、誰か代表となって議会(?)でスピーチをしてはどうかという話が持ち上がる。もしホイさんが代表になれば、息子にはもちろんのこと、世間に対してカミングアウトすることになってしまう。このような、それとなく二人を後押しするようないくつかの出来事が、恋の盛り上がっていく過程で起こる。そして、パクさんの娘の結婚という出来事とともに、二人の恋は頂点を迎える。

 

 パクさんの娘は妊娠し、件のいい人そうではあるが無職の彼氏と結婚することになる。もちろんパクさんの妻は不満たらたらだが、パクさんは「(妊娠を知って)相手が逃げ出さなかっただけ良かった」と、相変わらず淡白な態度である。何はともあれ、金のない彼氏に代わり、パクさん一家が費用を負担して、結婚披露宴を行うことになった。この披露宴に、パクさんはホイさんを「職場の同僚」として招待する。つまり、(「友人」としてだが)パクさんはホイさんを自分の家族に紹介するのだ。

 

結婚披露宴の記念写真。前方がパクさん夫妻と息子一家。後方が新郎新婦。
 

 この、二人にとってのエポックメイキングな出来事は、娘の結婚にまつわって起こった。しかし、同時にまた、この結婚披露宴が大きな転換点となって、二人の関係は下降に向かっていくことになる。披露宴の後、いまだ就職活動中の娘婿と話したパクさんは、タクシー運転手になることを勧める。お金がなくてタクシーのレンタルもできない彼に、パクさんは無償で自分のタクシーを貸すことを申し出る。引退を拒んでいたパクさんの、突然の決意である。こうしてパクさんは、娘婿にタクシー運転手としての心得を教えたり、彼を同僚達に紹介したりと、引き継ぎを進めていく。その中でパクさんが改めて感じるのは、自分の老いである。そして年月をかけて築いてきた家族の絆である。娘婿のタクシー運転手としての初日、パクさんは娘とともに出発する彼を見送る。その後、娘はパクさんに礼を言うと、少し微笑んで、

 「私は今まで、お父さんは私より兄さんのことが好きなんだと思ってた。」

パクさんは答える。

 「何をバカなこと言っているんだ。」

そして、「さぁ、朝飯を食いに行こう。」と、パクさんは娘と連れ立って歩いて行く。これまで娘に対して淡白に見えたパクさんだけに、娘とのこのシーンは、非常に感動的だった。

 

 こうしてパクさんが引退すると、息子の方はパクさんにお金の入った封筒をくれるようになる。パクさんが電話して断ると、息子は言う。

 「僕たち(一家)は十分やっていけるから気にしないでいいよ。母さんを旅行にでも連れて行ってやってよ。」

 「......

また、パクさんの奥さんは、「取っておきたいって言ったのあなたでしょ。」と、以前に捨てる捨てないで言い合いになった古いシャツを、ちゃんと洋服ダンスの中に取っておいてくれたのだった......。この妻と子供達に対し、今ホイさんの存在で波風を立たす必要があるのだろうか。

 

 一方ホイさんの方は、一人で暮らす高齢の友達を見るにつけ、ゲイ専用の老人ホームの必要性を感じつつも、「では、自分はどうしたいのか」で悩む。息子一家との夕食の席で、認知症になった知り合いの話を聞いた後、昔の彼氏との写真などの入った「思い出の小箱」(的な箱)を自宅から離れた外のゴミ箱に捨てに行く。自分に万一のことがあった時、所持品を家族に見られても困らないようにするためかと思う。敬虔なクリスチャンの息子(そもそもホイさんがキリスト教徒になったのは、息子の影響なのだ)に、今さら自分がゲイだと言うのか。ついに老人ホーム設立活動の集まりで、ホイさんは皆に言う。

 「ゲイ専用の老人ホームが出来ても、自分は一般の老人ホームに入りたい。息子には自分がゲイだと知られたくない。」

 

ホイさんの老人ホーム設立活動のミーティング風景
  

 こうした様々なエピソードが積み重ねられた結果、パクさんとホイさんの恋は静かな終わりを迎える。二人ともこれまでの人生における苦労と努力が報われて、(ゲイであることを隠しているということを除いては)幸福な老後を迎えてしまった。もしかしたら、パクさんの奥さんとホイさんの息子は、おぼろげに気づいているのかもしれない。しかし、それを本人がはっきりと認めてしまうのは、また別問題である。今、自分がゲイであるとカミングアウトした時、失うものはあまりにも多いように見える。あるいは、失ってそれをまた取り戻すことには、あまりにも多くの労力が必要なように見える。「今さら」自分らしく生きることに、二人は躊躇するのだ。この映画には悪人が出て来ない。しかし、一人も悪人がいないにも関わらず、否、一人も悪人がいないがゆえに、愛し合う二人が別れなくてはならなくなっている。この矛盾に、この作品が描いたテーマの重さがあると思う。

 

 ラストシーンの直前のシーンで、パクさんは孫娘を学校に送り届ける(孫娘のお迎えをする冒頭の方のシーンと対になっている)。お友達と連れ立って校舎に入って行く孫娘の後ろ姿に、パクさんは呼びかける。しかし、お友達に気を取られている彼女は、パクさんの呼びかけに振り向かない。

 

 ところで、この映画には食事のシーンが何度も登場する。家族が一堂に会して食事をすることが、日常生活の象徴であり、家族のつながりの強さの表現でもある。パクさんとホイさんも、二人の仲が最高潮だった時は、一緒に食事をしていた。しかし、家族と言っても各人それぞれの人生がある。いつまで子供達や孫達と一緒に食卓を囲めるのか、それはわからない。パクさんは妻や子供達を思って、半ば自分を犠牲にしてホイさんと別れた。それは、本当に正しかったのか。

 

 前述の、孫娘との何気ない日常のシーンは、ある種の象徴的な意味合いを孕み、パクさんとホイさんの「答え」を揺るがす。そして映画は、明確な正解のないままラストシーンを迎える。

 

 この作品では、ゲイを取り巻く社会の問題のみならず、老後の生き方もまた描かれている。そのため見終わった後、心の中にずっしり来た。自分の人生の黄昏時を思って......。それだけに、良い映画であったわけだが、自分ももう若くないので......

 

 ちなみに、二人の恋が盛り上がっている時にかかる挿入歌「Gentle Breeze and Drizzle(微風細雨)」が印象的で、気を取られる。「微風細雨」は、元は台湾の女性歌手Liu Lanxi(劉藍溪)が1979年に歌った曲ということだが、この映画では男性歌手のQing Shan(青山)のバージョンである。そよ風が吹いて霧雨が降り、二人のいる世界は美しい。僕が風で君が雨だったらいいのに(ここ若干、昔の某少女漫画のタイトルを思い出させる)。みたいな、聞いているこちらが恥ずかしくなるくらいロマンチックな歌詞の曲である。有名な曲のようで、テレサ・テンやフェイ・ウォンも歌っている。映画の後、YouTubeでいろいろな歌手のバージョンを聞いていたら、中国語ができなくても、カラオケで歌えるんじゃないか、自分、という気になった。20201125日)

 

Thursday, 3 December 2020

『映画』Bamboo Theatre (戏棚/劇棚)

 

20201010

Bamboo Theatre (/劇棚)」・・・Singapore Chinese Film Festival

公開年: 2020

製作国: 中国(香港)

監督: Cheuk Cheung(卓翔)

見た場所: Filmgarde Bugis+

 

 毎年45月頃に行われる中国語映画の映画祭、Chinese Film Festivalが、今年はCOVID-19の影響により、10月開催となった。と言っても、シンガポールではまだ映画館は、300席以上の映画館で150席まで、300席より小さい館では座席数の50%までを最大数としている。そのため今年の映画祭は、劇場で上映する作品とオンデマンド配信を行う作品の二種のプログラムを持ち、さらに、開会の挨拶、監督とのQ&Aセッション、パネルディスカッションは、オンラインで行われた。

 

 

 この「Bamboo Theatre」は、映画館で上映された。香港の各地で、祭事の時に寺の門前で行われるチャイニーズ・オペラ(曲)の上演。その会場となるのが、釘を使わずに竹で組み立てられた仮設劇場、「Bamboo Theatre」である。この映画は、出現しては消えていく仮設の劇場と、そこで働く人々を活写したドキュメンタリーである。

 

 映画は、竹の束が船で島へ運ばれて行くシーンから始まる。竹の束は陸に上げられ、作業員達によって劇場となるべく組み上げられて行く。アルミニウムらしき薄い金属を筒状に丸めたものが、竹の骨組みの一番上に上げられ、そこで広げられ、建物を覆う屋根となる。こうして劇場が形作られていった後は、劇団が荷物の搬入を行い、公演初日の準備が進み、初日の幕が開き、人々が集まって賑わう。そして映画の最後に、竹の劇場は解体されていく。

 


 

 大枠としては、劇場の設営から解体まで、その過程を描いているが、どこか一つの劇場や劇団にフォーカスしているわけではない。また、インタビューは一切なく、ただ建設作業員や劇団の面々の仕事ぶり、舞台での上演の模様、舞台裏の様子、劇場が設置された寺の門前の賑わい、そうしたものが淡々と映し出されていく。字幕で説明が入るが、それは最小限に抑えられており、後は前述したような映像とその編集によって、作り手の言わんとすることが表現されている。どのくらい説明がないかと言うと、この映画には複数の一座が登場するが、エンドクレジットで5つくらいの劇団名が出てきて、驚いたくらい。複数の劇団が出て来たとは思っていたが、こんなにあったとは。作品の中では、公演が行われる地名や演目名の字幕表示はあったが、何という劇団かという説明は(映像から分かる場合もあるが)全くなかったのである。役者達の名前も紹介しなかった。

 

 巡業する伝統的なチャイニーズ・オペラの俳優やスタッフと言えば、ちょっと変わった人生を送ってきた人もいるだろうし、面白いエピソードもいろいろ持っているのではないかと思われる。にも関わらず、特に誰かに、またはある集団に焦点を当てるということのないまま、作品は進んで行く。この点が、見る人によっては退屈と感じる部分かと思う。しかし私はむしろ、この場所—-伝統的なチャイニーズ・オペラを上演する仮設の劇場——とは何なのか、という問いかけに振り切った作品として評価をしたい。

 

 説明のための字幕は最小限に抑えられているが、一方、この仮設劇場という場を定義するための字幕は何度か挿入される。例えば、

 「この空間は、神と人を楽しませるための場である。」

 「この空間は、人が己の役割を捜し求め、そして家を見つける場である。」

 その後にそれぞれの定義を敷衍するような映像が続いていく。映画は一貫して、竹で作られた劇場の意義を求めて行く。

 

 香港というと高層ビルの立ち並ぶ風景をイメージしがちだが、約700万人という人口を抱える香港は、実は広かった(シンガポールよりも人口が多い)。多くの離島があり、そこにお寺があり、そして祭事には劇場が立つ。最先端都市の街並とは全く別の風景がそこにはある。芝居を見ている観客はやはり高齢者が多いのだが、しかし、お年寄りばかりでもない。線香が煙る祭壇にも、屋台が並ぶ境内にも、老若男女の賑わいがある。

 


 

 そして劇場内では、スタッフが着々とそれぞれの仕事を進め、俳優達が台本を手に打ち合わせをし、舞台監督が上演の進行を仕切っていく(舞台裏でコーラスにも参加していたりする)。白塗りの舞台化粧のスター俳優が、楽屋で老眼鏡をかけて台本を確認している。しかし、いよいよ本番ともなれば、衣装係の手を借りつつ、あの厚くて重そうな衣装をビシッと着こなす。スターの意気が大いに感じられる。一方、若い俳優は、大部屋で見本の写真を見ながら舞台化粧をする。彼女が舞台袖で出番を待っている時には、その緊張が見ているこちらにも伝わって来る。どちらも終始無言のシーンなのだが、その雰囲気までもが見事に捉えられている。

 


 

 しかし、このドキュメンタリーは、劇場の人々を活写することで、個々の人々を際立たせるというよりも、劇場という世界の森羅万象を描き出そうとしているように見える。劇場が作られ始めてから解体されるまでおよそ2ヶ月、そして劇場として使用されるのはわずか37日というかりそめの場。しかし、それは己の役割を知る人々が、黙々と働くことによって作り上げられる祝祭空間である。神々に感謝を捧げ、そして人々を楽しませるために、幻のように立ち現れる場。劇場とは建造物のことではない。このような特殊な場のことを言うのだと、改めて感じさせられた。作中、劇団の守り神の像を映したシーンが何度か挿入される。人々がそれぞれの仕事を果たし、その祝祭空間がつつがなく運営されている限り、守り神は優しく微笑んでいるかのようである。

 

 ところで、楽屋にいるスター俳優に対して、劇団員達が「おはようございます」と声をかけていくのだが、この、楽屋にいる先輩に「おはようございます」と挨拶をするという、日本の芸能界で行われていそうな習慣が、香港のチャイニーズ・オペラの劇団でも行われていることに感心した。芸能の世界では万国共通なのだろうか。20201025日)

 

Sunday, 19 August 2018

[Film] Happy Together (春光乍洩)


6 May 2018
Happy Together (春光乍洩)”---Singapore Chinese Film Festival
Release Year: 1997
Country: Hong Kong, Japan, Korea
Director: Wong Kar-wai王家
Cast: Leslie Cheung, Tony Leung Chiu-wai梁朝, Chang Chen
Location I watched: Capitol Theatre

The 6th Singapore Chinese Film Festival (SCFF) was held from 27 April to 6 May. The festival picked Chinese language films from not only Mainland China but also other areas like Southeast Asia. For the retrospective section, this year featured a Hong Kong actor, Leslie Cheung, who passed away at the age of 46 in 2003. Actually I am not a fan of Leslie, but eventually I watched 3 out of 4 films featuring him during the Festival. This film, “Happy Together” was the closing film of SCFF this year. The venue was Capitol Theatre. This beautiful restored heritage building was fit for Leslie Cheung, one of the most gorgeous Hong Kong stars. The screening had a good crowd. About 900 seats in Capitol Theatre were almost full. I realized then how popular Leslie is still… When SCFF programmed the retrospective of a director King Hu, everybody did not come. How come? The King Hu retrospective was very good and I really enjoyed it… I resented this situation a little bit. Anyway, “Happy Together” crowd was diverse; young ladies, not so young ladies, gay couples and cinephiles and so on. At the venue, I bumped into a film friend. He was interested in “Happy Together” because he could not watch this film when it was first screened in Singapore back in 1998. “Happy Together” is rated at R21 in Singapore… Even if I had been in Singapore in 1998, I could have watched this film without any issues.... The 1990s felt recent for me; it is like just 5 years ago. In fact, it is more than 2 decades. 1990s has already become a part of history.


I do not know why I did not go to watch “Happy Together” when it was first released in Japan. Maybe Wong Kar-wai was very popular at that time in Japan. I used to be a bit of a twisted youngster. Or maybe I did not like the plot of 2 beautiful male stars being a gay couple. To me, it felt like flattering female audience. I used to be a quite twisted youngster. After I missed the original screening in the cinema, I did not have any other chance to watch this film. Sometimes this happens. I think it must be a destiny between me and the film. On the other hand, there are some films I have seen many times, although I do not have a strong interest. For example, I have seen Pier Paolo Pasolini’s “Pigsty” two times in the cinema. 1st time was in Japan and 2nd time was in Singapore. Each time I finished watching it, I always thought that I did not like this film very much. Maybe it is a destiny between me and “Pigsty”.

Anyway, this time around, the destiny between me and “Happy Together” came together. I suddenly felt like watching this film and bought a ticket at the last minute. In 2018, I watched this film with a fairer heart. It was a good film. The storyline was clearer than what I had expected. Actually the story is simple. A gay couple is just repeating fighting and bonding. Lai (played by Tony Leung) and Ho (played by Leslie Cheung), they travelled to Argentina from Hong Kong to “start over”. On the halfway of the trip, they used up all their money, and now they are stuck in Buenos Aires. The protagonist, Lai cannot escape from his femme fatale boyfriend, Ho (for me, the protagonist is Lai, not Ho). However, Lai finally decides to leave him and departs from Buenos Aires alone. To make this simple story interesting, one of the important elements is how Ho played by Leslie Cheung is a diva. Because of that, the relationship between Lai and Ho is sometimes funny and sometimes painful. They are connected so thick that it attracts the audience and drags into their story.

On the other hand, the third man, Chang (played by Chang Chen) is like the character of Wong Kar-wai’s films in my memory. Unlike Lai and Ho living their life on the screen, Chang rather seems to embody a mood, which Wong Kar-wai creates. I used to feel that the mood was very like the 1990’s. When I was young, I did not like that point so much because it was too cool for me. In “Happy Together”, the mood of loneliness in a metropolis is beautifully created. The images coloured the film let us feel like having something metaphoric. In there, even a lame jacket Tony Leung is wearing magically looks cool. The story happening from an intimate relationship, and the mood with suggestive images---“Happy Together” is a film created between narrative and non-narrative. The film is attractively drifting between them and has become an unforgettable one.

The venue, Capitol Theatre, it is like a building in a Wong Kar-wai's film

By the way, I was impressed by Lay’s vitality to earn money in a foreign country. If I were him, I do not think I could save money and go back to Hong Kong. (5 July 2018)

The entrance of Capitol Theatre

Sunday, 5 August 2018

『映画』LÖSS(八里沟/八里溝)、Stories About Him(关于他的故事/彼についての物語)、The Giant(巨人)他


2018429
Animation Shorts(短編アニメーション特集)」・・・Singapore Chinese Film Festival
 Singapore Chinese Film Festival(シンガポール・チャイニーズ・フィルム・フェスティバル)の短編映画プログラムの一つで、短編アニメーションを特集している。Lasalle College of the Arts(ラサール・カレッジ・オブ・アーツ)が映画祭のパートナーで(上映会場もラサールのスクリーニング・ルームだった)、ラサールの学生による作品も2作上映された。上映終了後には、それぞれの作品の監督たるElliot Chong Jia EnSarah Cheok、そして「The Giant」を作ったZhuang兄弟とのトークが行われた。上映されたのは、以下の8作品

LÖSS(八里/八里溝)
公開年: 2016
製作国: 中国/ベルギー/オランダ
監督:  Zhao Yi易)
見た場所: Lasalle College of the Arts


 八里溝(八里沟、中国河南省新郷市の八里溝か)の農夫の元に、「妻」として売られた女性の半生を描く。時に夫から虐待を受けつつも、暗赤色の泥で小さな人形を作ることを慰めとしながら、彼女は貧しくて過酷な生活を生きる。アニメーションだが貧農のセックスが赤裸裸に描かれており、何となく今村昌平作品を思い出させる。彼女の作る人形(ちょっと「さるぼぼ」っぽい)は赤ん坊を模しているように見える。夫は、セックスを強要する恐ろしい存在であると同時に、人並みの幸せを与えてくれる存在かもしれない。そのアンビバレンスを、主人公の現実生活の中に(アニメーションなだけに)無理なく幻想を織り交ぜることで表現する。最初からハッピーエンドで終わる気の全くしない作品なので、来るべき破綻がいつ来るかいつ来るかと、見ている方は緊張しながら待つことになる。ちょっとじりじりさせられる(長い)。その間、四季が移り過ぎてゆき、ついには予期していたような出来事が起こる。でも、そこで映画が終わるのではなく、もう少し続きがあるのだった。

 暗くみじめな話なのだが、その一方で実に美しいアニメーション作品でもある。セリフのない作品だが、雪道を踏みしめて歩く足音や、生の薩摩芋をかじる音など、音響効果が印象的だった。201855日)

Fundamental(基石/ファンダメンタル)
公開年: 2017
製作国: 台湾
監督:  Chiu Shih Chieh邱士杰)
見た場所: Lasalle College of the Arts


 この短編アニメーション特集にはゲイをテーマとしたものが2作品あり、シンガポールの映画レイティングではR2121歳以上のみが鑑賞できる)になっている。しかし、その2作品よりもさらに問題だったのがこの「Fundamental」で、IMDAInfo-communications Media Development Authority、情報通信開発庁、レイティングを付与している政府機関)に三度申請を却下され、映画祭側が(たぶん)拝み倒してようやくR21で上映許可を得たのだった。見ると、政府が良しとしなかった理由がわかる。冒頭、「個人的な物語である」とことわっているものの、いわゆる「キリスト教原理主義」と言われるような、極めて保守的なキリスト教徒の家庭に育った少年の宗教体験が風刺的に描かれているのだ。多民族の調和と治安の維持に厳しいシンガポール政府的には、宗教がらみの作品には特に神経質である。しかしこの作品は、確かに保守派を揶揄していると言えるが、と同時に、(宗教に限らず)大人の押しつけに対して疑問や反抗心を抱く一方、そうした異議を持つことに罪悪感も感じるという思春期の子供の矛盾した感情を、被害妄想的な幻想という形で上手く描き出している。だからこそ可笑しい作品になったと思う。201856日)

Losing Sight of a Longed Place(暗房夜空)
公開年: 2017
製作国: 香港
監督:  Shek Ka Chun(石家俊)、Wong Chun Long俊朗)、Wong Tsz Ying黃梓瑩)
見た場所: Lasalle College of the Arts


 香港に生きるゲイの若者が、家族(特に父)や、権利を求めて活動するLGBTのコミュニティといった、自分自身と自身の周囲を振り返るという、社会的かつ内省的な作品。基本的に、線画に水彩絵の具やクレヨンで色を付けたようなアニメーション。その中でなぜか、蛇口から流れ出た水がバスタブに溜まって行くシーンが印象的だった。夜の暗さと孤独とやり切れなさと、若干のエロスが感じられるからだろう。201857日)

Between Us Two(当然)
公開年: 2017
製作国: シンガポール
監督:  Tan Wei Keong
見た場所: Lasalle College of the Arts


 アメリカで同性と結婚したシンガポールの男性が、亡くなった母に語りかける。実写を利用したアニメーションで、同性婚のシーンもある。「Losing Sight of a Longed Place」と同じく、ゲイをテーマとしているわけだが、この作品もやはり内省的。母へのもの思いを、アニメーションだからこその自由な心象風景に重ね合わせ、5分間で描き切っている。201857日)

Stories About Him于他的故事/彼についての物語)
公開年: 2017
製作国: 台湾
監督:  Yang Yung-Shen咏亘
見た場所: Lasalle College of the Arts


 ナレーターである「私(監督)」はある日、肖像画でしか知らない祖父について、 数多いおばさん達に質問してみた。すると、彼らの話はバラバラで、祖父の瞳の色や彼がどこからやって来たのかさえもはっきりしない・・・。そんな親族達の曖昧な話から組み上げられる、亡き祖父の一代記。おばさん達の説明が逐一アニメーションで表現されるのだが、様々な技法が使われている。そのイマジネーションの広がりが、とても豊かで楽しい。一家族の私的な話なのだが、それと同時に台湾の歴史を語るものであり、また記憶の不確かさについての作品でもある。201857日)

Loop(回路)
公開年: 2017
製作国: シンガポール
監督:  Elliot Chong Jia En佳恩
見た場所: Lasalle College of the Arts


 会場であるラサール・カレッジ・オブ・アーツの学生の作品。孤独な若者が、(たぶん離れて暮らしている)両親への思いを振り払えないで、さらに孤独を感じるという堂々巡りを描いている。のだが、私の察しがよくないせいか、ちょっとわかりづらかった。201858日)

Tiger Baby虎儿/タイガー・ベビー)
公開年: 2017
製作国: シンガポール
監督:  Sarah Cheok石凌菲
見た場所: Lasalle College of the Arts


 こちらもラサールの学生の作品。ストレスだらけの日々の暮らしから、虎になって抜け出すことを夢見る女性。彼女が虎を夢想する時のきっかけとして、かの有名なタイガーバーム(シンガポールのハウ・パー・コーポレーションが作っている軟膏)が使われている。タイガーバームの匂いをかいだり腕に塗ったりすると、すっきりして虎になれるような気が・・・。(別にこの作品がハウ・パー・コーポレーションと提携しているわけではない。)冒頭で、彼女が近所の野良猫達にもタイガーバームの匂いをかがせていて、それが可笑しかった。201858日)

The Giant(巨人)
公開年: 2017
製作国: シンガポール
監督:  Harry & Henry Zhuang
見た場所: Lasalle College of the Arts


 シンガポールの芸術家Tan Swie Hian瑞献)の詩から着想を得た作品。地球を動かす巨人、そして不毛の島に打ち上げられた魚達。そのうちの一匹は海に戻らず、島の地下を探検する。やがて、不毛の島に緑が生まれる。・・・ストップモーション・アニメーションの力作で、島、海、魚などのあらゆるものが細かく切った新聞紙から作られている。張り子の魚等、質感としても味わいがあるが、作品中に時おり文字が読めたり、有名人の写真が見えたりし、新聞紙を材料としていることそれ自体が、人類の歴史のメタファーとしても機能している。上映終了後のトークで監督のZhuang兄弟が、ディズニーのアニメなどだけを見ているとよくわからないが、短編アニメーションを見ると、アニメーションには様々な技法があることに気づかされると言っていた。それがアニメーションの良さであろうと。そこでは作り手の個性が強烈に発揮されるのであり、そしてそれがアニメーションの魅力であると、私も思ったのだった。2018513日)

上映後のトークで撮影に使われた魚の模型を見せる庄兄弟。
双子なのだがどちらがハリーでどちらがヘンリーだったか・・・すまない

会場のラサール・カレッジ・オブ・アーツ

Saturday, 28 July 2018

『映画』Manfei(曼菲/マンフェイ)


2018427
Manfei(曼/マンフェイ) 」・・・Singapore Chinese Film Festival
公開年: 2017
製作国: 台湾
監督:  En Chen怀恩)
見た場所: Golden Village Vivo

 今年のSingapore Chinese Film FestivalSCFF、シンガポール・チャイニーズ・フィルム・フェスティバル)のオープニング作品。中国本土の作品に限らず、マレーシアやシンガポールまで各国・各地の中国語映画を集め、今年も無事開催されたのだった。ちなみに今年、Singapore International Festival of ArtsSIFA、シンガポール国際芸術祭)と日程が完全にかぶっており、鑑賞予定を立てることが困難だった。SCFFが例年この時期に開催しているにも関わらず、今年SIFAの方が前倒ししてきた(昨年までは9月頃開催だった)結果である。いい迷惑だったよ、SIFA

 そういうわけで、あまり思ったように見に行けなかったというのが、今年のSCFFだった。オープニングは、このドキュメンタリー作品「Manfei(曼/マンフェイ)」。レトロスペクティブのタイトルは「Loving Leslie」、2003年に亡くなった俳優レスリー・チャンの特集で、彼の「Happy Together(春光乍洩/ブエノスアイレス)」がクロージング作品となった。あまり見に行けなかったわりに、オープニングとクロージング両方の上映に行ったという、自分にとっては珍しい年となった。

 「Manfei」は、2006年に50歳で亡くなった台湾のダンサー/コリオグラファー、Lo Man-fei(羅/ロー・マンフェイ)についてのドキュメンタリーで、彼女の死後に製作された。台湾の名門コンテンポラリー・ダンス・カンパニー、Cloud Gate Dance Theatre(雲門舞集/クラウド・ゲイト・ダンス・シアター)でのダンスとともに最もよく知られているダンサーである。

今年のSCFFのプログラムの表紙。踊る美しいロー・マンフェイ

 しかし、彼女の功績はそこに止まらない。ニューヨークで学び、恵まれた容姿と優れた技量で台湾を代表するダンサーとなっただけではなく、指導者として多くの教え子を育てた。台湾の若手ダンサー達が活動できる場を、というクラウド・ゲイトの創立者、Lin Hwai-min(林懐民/リン・ファイミン)と理想を同じくし、リンとCloud Gate 2(クラウド・ゲイト2、若いコリオグラファー、ダンサーに特化したカンパニー)を立ち上げ、その芸術監督となった。後進の指導だけではなく、40歳を過ぎて新たにTaipei Crossover Dance Companyを結成して踊った。癌を患い闘病を続けながら、それでも踊り続け、そして最期まで若いダンサー達の指導に当たった。作品は、ロー・マンフェイの家族や友人、リン・ファイミンを始めとするコリオグラファー、教え子だったダンサー達へのインタビューを中心に構成され、彼女の足跡を辿りつつ、その功績を讃えている。

 この作品を見て、もし原節子が1962年の映画出演を最後に不慮の事故か病気で亡くなってしまい、その10年後にドキュメンタリー映画を作ったら、こういう感じになるのではないか、となんとなく思った。このドキュメンタリーを見ると、ロー・マンフェイのダンサーや教師としての素晴らしさはよくわかる。しかし一方で、彼女自身についてはよくわからない。美しい人なのだが、同時にミステリアスでもある。コンテンポラリー・ダンスの定義というのは難しいが、ダンサーが自身の経験や感情を反映させることをその特徴の一つと言うならば、ロー・マンフェイは、時に自分の人生を刻みつけるかのように踊っていたように思える。そういう意味では、まさにコンテンポラリー・ダンサーだったと言えるだろう。作品中の彼女のダンス・シーンはどれも素晴らしい。しかし、彼女が話しているシーンはほとんどなく、ロー・マンフェイが実際に何を思って踊っていたのかはよくわからない。インタビューを受けた関係者の話によってしか、彼女を知ることができないのだ。一人のダンサーの功績がつまびらかにされる一方、ここに、解き明かされることのない永遠の謎がある。

 彼女のプライベートでの素顔や、芸術論というかダンス論が描かれない、ということ自体は悪いわけではない。一人の芸術家についてのドキュメンタリーを作る際、どこに着眼点を置くかは作り手それぞれだろうから。しかしこの作品が、120分間を長く感じさせるわりにはどこか物足りないのは、功績の称賛を超える、大切な何かを今にも提示しそうで、結局は十分に提示することがなかったからだと思う。

 作品の冒頭、「私がダンスを選んだのではない。ダンスが私を選んだのだ。」というロー・マンフェイの言葉が引用される。芸術家が用いがちな言葉の綾と取れなくもないこの言葉に、どれほどの思いが込められていたのか。実際にダンスに一生をかけたロー・マンフェイにとって、彼女の言うダンスとは一体何だったのか。それがはっきりしないからこそ謎を感じるわけだが、この謎にもう少しフォーカスした方がよかったのではないか。もちろん、作品中でその答えを出す必要は全くない。ただそこにフォーカスすることで、単なる偉大なダンサーの功績を知るためのドキュメンタリーではなく、そもそもダンスとは何かという問いかけを備えた、より深い作品になったのではないか、と思う。

 作品の最後は、インタビューに答えたコリオグラファーやダンサー達が、それぞれ生き生きと仕事をしている姿で終わる。ロー・マンフェイのレガシーが引き継がれている様を描いており、このドキュメンタリーの意図としては正しい終わり方だったかもしれない。しかし、そのシーンより前に、ここで作品を終えた方が良かったのではないか、と思うシーンがあった。ロー・マンフェイの友人へのインタビューで、その友人は、ダンサーとは壊れやすいものであり、理解するのは難しいというようなことを語っていたのだ。さらに、彼女はこう言った。「ダンサーが去る時、ダンスもまた去る。」彼女のダンスを掴もうとしても、もはや不可能であると言いたかったのだろうか。それはまさに、舞台芸術、とりわけある種のコンテンポラリー・ダンスのように、演者と演ずる内容との私的な関わりが強いものの本質を突いているようでもある。謎は永遠に謎のままなのだ。2018615日)

Monday, 3 July 2017

『映画』恋愛与義務(恋爱与义务/Love and Duty)


201757
恋愛与義務(恋爱与义务/Love and Duty)」・・・Singapore Chinese Film Festival
公開年: 1931
製作国: 中国
監督: Bu Wan-cang卜万
出演: Ruan Ling-yu阮玲玉Jin Yan
見た場所: National Museum of Singapore

あらすじ:
 女学生Yang Nai-fan乃凡)は、近所の大学生Li Zu-yi(李祖义)と恋に落ちるが、両親に逆らうことのできぬまま、決められた結婚相手の元に嫁ぐ。それから5年後、夫婦仲は冷めているものの、二人の子供に恵まれた乃凡は、偶然に李祖と再会する。お互いにまだ相手を思っていることを知った二人の仲は、急速に深まっていくが・・・

 今年のChinese Film Festivalのクロージング作品である。「Restored Classics」プログラムの一つで、主人公の乃凡を演じるのは「サイレント映画の女神」、阮玲玉(ロアン・リンユィ)。長らく失われた作品とされていたが、1990年代に完全なプリントが(なんと南米の)ウルグアイで発見され、2014年に2Kデジタルレストア版として蘇ったものである。

 クロージング作品なので上映前に主催者の挨拶があったが、この作品を選んだ理由は、昨年のクロージングがスタンリー・クワン監督の「ロアン・リンユィ 阮玲玉」だったからだそう。これでfull circleになる、という意味合いをこめているのだ。

不倫デート中の乃凡(阮玲玉)

   無声映画ではあるが、ピアノ音楽がついている。これは、ドイツの作曲家がレストア版のためにつけたもの。字幕は元からあったもので、中国語と英語の対訳になっている。新しいキャラクターが登場するたびに、役名と演じる俳優名が字幕で紹介される。紹介されるとそれが重要な役どころかと思ってしまうのだが、実は端役ということも多くて拍子抜けする。名前のある役については、全員を劇中で紹介していくシステムらしい。

 152分という長尺のメロドラマである。しかし、一人の女性の一代記でもあり、もちろんいろいろなことが起こるので、長く感じるということはない。(サイレント映画とはいえ)白塗りも甚だしい女学生から、美しく着飾った裕福な若妻、駆け落ち後の質素な若い母親、そして生活に疲れた中年女性という変遷を、阮玲玉が演じ切っている。ちなみに後で気づいたけど、主人公乃凡が夫との間に儲けた娘の、15年後の姿も彼女によって演じられている。乃凡と娘が同時に登場する場面もあるので、そこは演出と撮影技術が駆使されている。

 若い頃を演じる阮玲玉もかわいいが(と言っても、そもそも本人が当時まだ21才かそこらなのだ)、中年になってからの姿が圧巻。愛する男性と駆け落ちして結果的に不幸になる若い女性、という話で終わってもいいようなものの、その15年後というプラス・アルファのストーリーが余計に感じられないのは、彼女の芝居を飽きずに見ていられるからだと思う。ちなみに、映画「ロアン・リンユィ 阮玲玉」で、主演のマギー・チャンが指摘していた「腕を引き絞る」という演技が、この映画でも随所で見られる。言われてみると、阮玲玉に特徴的な演技の一つだと思う。華奢なこともあって(腕とかすごく細い)、腕を引き絞る動作が、感情表現としてわかりやすく、印象的。

 恋人李祖役は、当時「映画の皇帝」と呼ばれた人気スター、焰。最初に大学生で登場した時には、(若さを強調するためだろうが)阮玲玉以上の白塗りだが、非常なハンサムである。その男ぶりは、それほど白塗りでなくなった5年後の時によくわかる。なお、李祖阮玲玉の乃凡との再会のきっかけは、公園の池で溺れた彼女の子を、たまたま李祖が助けたことによる。が、その池があきらかに浅くて、子供(幼児)の足がつくくらいの深さなので笑える。いやまぁ、そうじゃないと本当に溺れさすことになってしまうんだけど、それは。

 ところで今回この作品を見ていて、劇中の阮玲玉の姿勢がなんとなく気になった。富裕な若妻を演じている時でも、(私の目の迷いかもしれないが)常に心持ち猫背な気がする。でもこれは、彼女の姿勢が悪いというのではなく、当時はそれが女性のあるべき姿勢だったのではないかと思った。つまり、今のように胸を張ってしゃんとしているのが美しい、という感覚ではなかったのではないかと。あるいは、貞淑で善良な人妻(彼女は恋人と駆け落ちするが、悪女ではない)を表す身体表現として、体を内向き加減にするということをしていたのかもしれない。単なる憶測なんだけど。

 何はともあれ、上映が終わった時、「見たわ〜」ということが実感される、ボリュームある作品だった。201762日)

Monday, 26 June 2017

『映画』追凶者也(Cock and Bull)


201756
追凶者也(Cock and Bull)」・・・Singapore Chinese Film Festival
公開年: 2016
製作国: 中国
監督:  Cao Baoping(曹保平)
出演:  Liu YeZhang Yi张译
見た場所: Golden Village, Suntec City

あらすじ:
 中国南西部の片田舎。村の住人の一人が惨殺される事件が起こり、自動車修理工のSong Laoer(宋老二)が疑われる。一本気な性格の宋老二は、自らの手で汚名をはらすべく、犯人探しに乗り出すのだが・・・

 今年のChinese Film Festivalで見た新作はこれのみだった。この作品は、最初に主人公の宋老二、次に容疑者となる田舎の不良、Wang Youquan(王友全)、それから犯人という順で、それぞれの視点を引き継いで行きながら事件の顛末を語って行く。そのため最初の方では気づかないのだが、最後まで見てしまうと、話運びがどことなくコーエン兄弟の映画っぽいと感じる。人生の風向きを良くしようと思って犯罪に足を踏み入れたらとんでもないことになった、というタイプの話で、なかでも「ファーゴ」を思い出させる。殺人事件の話なのに、ユーモラスな作品でもある、という点が特に。

 しかし、「ファーゴ」のように後で人生をしみじみと思うような滋味はない。そして、そこがこの作品の良い所である。人生の悲哀もないわけではないが、それよりも、村のおばあさんから町のチンピラまで、誰しもが大雑把(おおらかとも言う)にタフでないと生きられない世界が描かれる。この人達、落ち込んで家に閉じこもって誰にも会わないとかないのな、たぶん。そんな人々が、殺人事件に端を発する一連の出来事を引き起こしたり、それに巻き込まれたりしていくブラック・コメディである。

 この作品最大の面白さは、事件の追跡者、容疑者、犯人の全員がアマチュア(探偵としても犯罪者としても)、というところにある。必死の逃走劇も、命に関わる死闘も、トム・クルーズのアクション映画のようには決してならない。本人達が真剣であればあるほど、その慌てぶりやもがきもあがきが滑稽に見える。そんなアマチュア、素人(役)だからと言って、彼らがあまり動いていないかというと、そうではない。素人が切羽詰まっているという状況だからこそ、全員が体を張っている。必死さを、可笑しくもスリルあふれるものとするために、努力と工夫が凝らされた作品である。特に、宋老二と容疑者王友全の村内追っかけっこと、王友全と犯人との船での死闘は一番の見所。また、一流の殺し屋を装う犯人が、素人ゆえにミスにミスを重ねて行く姿も、可笑し過ぎて逆に愛おしくなってくる。人間ってなんてバカなんだろう。

 そんな、我々誰しもがそうであるような人というもののバカさを、(命に関わっているけど)おおらかに受け止めて笑い、非常に楽しい映画だった。2017528日)

Sunday, 25 June 2017

『映画』海上花(Immortal Story)


201756
海上花Immortal Story)」・・・Singapore Chinese Film Festival
公開年: 1986年
製作国: 香港
監督:  Yon Fan
出演:  Sylvia Chang艾嘉)、TSURUMI Shingo(鶴見辰吾)、Yao Wei
見た場所: National Museum of Singapore

あらすじ:
 マカオで一人の女性が日本人男性を殺害した容疑で逮捕された。容疑者であるMei Lingは、弁護士の求めに応じて、殺された男性との関係を語り始める。10年前、1970年代の古き良きマカオ。レストランの歌手をしていたMei Lingは、旅行中の日本人学生中村と恋に落ちるが、彼はマカオを去って行った。その後、新しい恋人に騙され、絶望の淵に陥ったMei Lingは、高級ナイトクラブの女性経営者、Pak Lanによって救われた。Pak Lanのクラブで歌い、今や売れっ子ホステスとなったMei Lingだったが、再びマカオを訪れた中村と偶然再会する・・・。

中村氏殺害容疑で法廷に立つシルヴィア・チャンのMei Ling

 Chinese Film Festival、「Restored Classics」カテゴリーの一本。当時21歳だった鶴見辰吾が、Sylvia Chang(シルヴィア・チャン)演じる主人公Mei Lingの恋人、日本人青年中村さんを演じる。俳優の実年齢が演じている役の年齢より上で、この役にしては老けてるなー、という苦情は一般的によくある。しかし、この映画では逆に、10年後にマカオに戻って来た鶴見辰吾の中村さんが、若すぎて全くビジネスマンに見えない。でも、大丈夫。この映画の鶴見辰吾は主人公の思い出の中の青年であって、彼に限って言えば、10年前のパートの方が重要。つまり、10年前の学生の姿に真実味があった方が良いのだ。ちなみに、相手役のシルヴィア・チャンは当時すでに30歳過ぎていたが、役柄上は鶴見辰吾とほぼ同い年か、むしろシルヴィアの方が年下という設定である。

 冒頭、弁護士に被害者との関係を問われ、「私は彼を知らなかった。10年前に知っていたかもしれない、いえ、やはり知らない。」などと、まるで「二十四時間の情事」みたいな応答をする主人公Mei Ling。しかし、ひとたび彼女が語り出してみれば、「初恋の思い出はいつまでも美しい」という「冬のソナタ」のような話から、次第にナイトクラブ、ホステス、ヤク中と、夜の世界のメロドラマになっていく。

 この映画を見てしみじみ思う教訓は、貧しい娘が美人であるのに野心がないと、ろくなことにならない、ということである。ギラギラしていれば逞しくのし上がっていく女一代記ができるのだが、そうでないと、美人なだけに、他人の仕掛ける罠にはまって堕ちて行ってしまうのだ。

 単にそういう筋であれば、わりと古典的なメロドラマと言える。しかし、この作品が特徴的なのは、主人公を巡る三角関係が、初恋の男性と現在の雇用主の女性という点。Mei Lingが歌うレストランに毎日通い、恋人に捨てられて弱っている彼女を助け、ついに自分のクラブで雇い、ついでに自分の高級マンションで一緒に暮らすという、やり手ビジネス・ウーマンのPak LanYao Wei)。売れっ子のMei Lingに無理に枕営業をさせておきながら、その後、彼女を風呂に入れて優しく体を洗ってやるというこのアンビバレンス。なお、このお風呂のシーン、見所の一つです。

 ここまで書いてくると、中村さんを殺した犯人が誰なのかは、もう簡単に予想がつくのだが(作品を見ている間でも)、そこはわりとどうでもよいことだと思う。風光明媚なマカオの古い街並も楽しめる、印象的な異色メロドラマ。2017523日)