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Saturday, 13 February 2021

『映画』Suk Suk (叔・叔)

20201010

Suk Suk ()」・・・Singapore Chinese Film Festival

公開年: 2020

製作国: 中国(香港)

監督: Ray Yeung ()

出演: Tai Bo (太保), Ben Yuen (袁富), Au Ga Man Patra (区嘉)

見た場所: Filmgarde Bugis+

 

 今年のChinese Film Festivalのクロージング作品だった。チケットは売り切れとなったのだが、入場者数が制限されているため、満席でも盛況な感じがしないというのがちょっと悲しい。

 

 70歳のタクシー運転手のおじいさんと65歳の定年退職したおじいさんとの恋愛を描く。それぞれ子供も孫もおり、「ストレート」としての社会生活を送る一方、実は隠れゲイとして生きて来たという設定である。この二人の出会いと別れを通して、自分らしく生きるとはどういうことなのか、また、人生の黄昏時をどのように生きるかといった、重いテーマを描いた恋愛映画だ。

 

 

 Tai Bo 演じるPak(パク)さんは、70歳の今も元気にタクシー運転手として働いている。長年連れ添った妻との間に息子と娘、二人の子供がいる。息子は結婚してすでに子供がおり、パクさんは息子夫婦の代わりに、孫娘の学校のお迎えをしたりもしている。一般的な婚期を逸しかけている娘の方は、無職で(でもいい人そうだが)年下の男とつき合っており、パクさんの妻の悩みの種となっている(パクさんの方はあまり気にしていない)。娘の彼氏も含めて家族全員がパクさん夫婦のアパートに集まり、夕食のテーブルを囲む時、そこにはなんの屈託もなさそうな一家の姿がある。しかし、パクさんには秘密があった。かつては一日18時間をタクシーの中で過ごして働き続けたパクさんだが、子供達が自立して子育てが終わってから、男漁りを嗜むようになっていたのである。そしてある日、真っ昼間の公園で、一人ベンチに座るHoi(ホイ)さん(演じるのはBen Yuen)と出会う。

 

 ホイさんは65歳で、すでに勤め先の工場を定年退職した身である。若かりし頃に一度結婚して息子を一人設けた。しかし、ゲイであったためか、妻と上手く行かずに離婚してしまったのである。自由に再婚したかった妻は子供を置いて去ってしまったので、ホイさんが男手一つで息子を育て上げた。現在は息子一家と同居している。息子は頭良さそうなだけに神経質そう。ゆえにホイさんにも口うるさいが、それだけホイさんを気遣っているとも言える。お嫁さんは気だてが良くて優しく、孫娘はかわいい。一家は(ホイさんも含めて)熱心なキリスト教徒でもある。そういうわけで、なんの屈託もない退職ライフを送ることのできそうなホイさんだが、やはり息子達に秘密の活動をしていた。高齢のゲイの仲間達と、ゲイ専用の老人ホームを建てるための募金活動をしているのである。具体的には、街の通りでクッキーを販売し、その収益をホーム建設のための基金とするという、ガールガイドの活動などと同じ方式を取っている。平日昼間の活動とはいえ、街角でばったり息子に会ってしまったらどうするのだろうと思わなくもない。

 

 それはさておき、二人は出会い、はっきりと口に出さずとも、目と目でお互いにゲイだとわかりあい、つき合い始めていく。ゲイであることは二人とも家族に秘密だが、特に妻のいるパクさんは神経質である。夜、自宅にいる時にホイさんに電話しなくてはならない時には、口実を作ってわざわざ外に出てから電話する入念さ。そういうわけで最初のうちはホイさんの方が積極的なのだが、ほどなくして二人は、ゲイの集う古いサウナの一室で結ばれる。秘密の関係なので、二人の逢瀬は平日の昼間に限られている(どちらも夜は家族と過ごすため)。ちなみに平日のゲイサウナは、お客さんのほとんどがシニア世代である。

 

 二人は70歳と65歳だが、恋愛の緊張とときめきは変わらない。サウナでお互いの裸をきれいだと誉め合ってみたり、「うちに泊まりに来る?」などとホイさんがさり気なくも緊張してパクさんを誘ってみたり、「スーパーは冷房が効いていて苦手」などと言いつつ(ここがシニアっぽい)二人で市場に夕食の材料を買いに行ったり。ちなみにホイさんがお泊まりの誘いをしたのは、息子一家が週末旅行に出かけて家を空けたため。もちろん息子夫婦はホイさんも旅行に誘ったのだが、ホイさんが(パクさんと過ごしたいという下心があって)断ったのだった。

 

お泊まりしてホイさん(手前)の手料理に舌鼓を打つパクさん(後方)
 

 そういうわけで、老人二人の恋愛がガッツリ描かれるのだが、人目を忍ぶ彼らの恋には様々な障害がある(そもそもゲイであるないに関わらず、パクさんに妻がいるということはいわゆる不倫の恋なのだ)。そこで感心するのは、脚本の巧みさである。言葉にして語らせずとも登場人物の心情を語るシーンの数々。二人の恋愛の推移が、家族関係や社会生活とそれとなく、だが緊密に結びついている構成。

 

 例えば、パクさんは妻に対してなんとなく味気なさを感じている。パクさんが大切にしているシャツを、妻は古いからと言って捨てようとする。長年の夫婦ならさもありなんという小さな出来事なのだが、パクさんの方は齢70にしてまだまだ色気というか、ロマンチックなところがあるのだ。一方、ホイさんの老人ホーム設立のための活動では、誰か代表となって議会(?)でスピーチをしてはどうかという話が持ち上がる。もしホイさんが代表になれば、息子にはもちろんのこと、世間に対してカミングアウトすることになってしまう。このような、それとなく二人を後押しするようないくつかの出来事が、恋の盛り上がっていく過程で起こる。そして、パクさんの娘の結婚という出来事とともに、二人の恋は頂点を迎える。

 

 パクさんの娘は妊娠し、件のいい人そうではあるが無職の彼氏と結婚することになる。もちろんパクさんの妻は不満たらたらだが、パクさんは「(妊娠を知って)相手が逃げ出さなかっただけ良かった」と、相変わらず淡白な態度である。何はともあれ、金のない彼氏に代わり、パクさん一家が費用を負担して、結婚披露宴を行うことになった。この披露宴に、パクさんはホイさんを「職場の同僚」として招待する。つまり、(「友人」としてだが)パクさんはホイさんを自分の家族に紹介するのだ。

 

結婚披露宴の記念写真。前方がパクさん夫妻と息子一家。後方が新郎新婦。
 

 この、二人にとってのエポックメイキングな出来事は、娘の結婚にまつわって起こった。しかし、同時にまた、この結婚披露宴が大きな転換点となって、二人の関係は下降に向かっていくことになる。披露宴の後、いまだ就職活動中の娘婿と話したパクさんは、タクシー運転手になることを勧める。お金がなくてタクシーのレンタルもできない彼に、パクさんは無償で自分のタクシーを貸すことを申し出る。引退を拒んでいたパクさんの、突然の決意である。こうしてパクさんは、娘婿にタクシー運転手としての心得を教えたり、彼を同僚達に紹介したりと、引き継ぎを進めていく。その中でパクさんが改めて感じるのは、自分の老いである。そして年月をかけて築いてきた家族の絆である。娘婿のタクシー運転手としての初日、パクさんは娘とともに出発する彼を見送る。その後、娘はパクさんに礼を言うと、少し微笑んで、

 「私は今まで、お父さんは私より兄さんのことが好きなんだと思ってた。」

パクさんは答える。

 「何をバカなこと言っているんだ。」

そして、「さぁ、朝飯を食いに行こう。」と、パクさんは娘と連れ立って歩いて行く。これまで娘に対して淡白に見えたパクさんだけに、娘とのこのシーンは、非常に感動的だった。

 

 こうしてパクさんが引退すると、息子の方はパクさんにお金の入った封筒をくれるようになる。パクさんが電話して断ると、息子は言う。

 「僕たち(一家)は十分やっていけるから気にしないでいいよ。母さんを旅行にでも連れて行ってやってよ。」

 「......

また、パクさんの奥さんは、「取っておきたいって言ったのあなたでしょ。」と、以前に捨てる捨てないで言い合いになった古いシャツを、ちゃんと洋服ダンスの中に取っておいてくれたのだった......。この妻と子供達に対し、今ホイさんの存在で波風を立たす必要があるのだろうか。

 

 一方ホイさんの方は、一人で暮らす高齢の友達を見るにつけ、ゲイ専用の老人ホームの必要性を感じつつも、「では、自分はどうしたいのか」で悩む。息子一家との夕食の席で、認知症になった知り合いの話を聞いた後、昔の彼氏との写真などの入った「思い出の小箱」(的な箱)を自宅から離れた外のゴミ箱に捨てに行く。自分に万一のことがあった時、所持品を家族に見られても困らないようにするためかと思う。敬虔なクリスチャンの息子(そもそもホイさんがキリスト教徒になったのは、息子の影響なのだ)に、今さら自分がゲイだと言うのか。ついに老人ホーム設立活動の集まりで、ホイさんは皆に言う。

 「ゲイ専用の老人ホームが出来ても、自分は一般の老人ホームに入りたい。息子には自分がゲイだと知られたくない。」

 

ホイさんの老人ホーム設立活動のミーティング風景
  

 こうした様々なエピソードが積み重ねられた結果、パクさんとホイさんの恋は静かな終わりを迎える。二人ともこれまでの人生における苦労と努力が報われて、(ゲイであることを隠しているということを除いては)幸福な老後を迎えてしまった。もしかしたら、パクさんの奥さんとホイさんの息子は、おぼろげに気づいているのかもしれない。しかし、それを本人がはっきりと認めてしまうのは、また別問題である。今、自分がゲイであるとカミングアウトした時、失うものはあまりにも多いように見える。あるいは、失ってそれをまた取り戻すことには、あまりにも多くの労力が必要なように見える。「今さら」自分らしく生きることに、二人は躊躇するのだ。この映画には悪人が出て来ない。しかし、一人も悪人がいないにも関わらず、否、一人も悪人がいないがゆえに、愛し合う二人が別れなくてはならなくなっている。この矛盾に、この作品が描いたテーマの重さがあると思う。

 

 ラストシーンの直前のシーンで、パクさんは孫娘を学校に送り届ける(孫娘のお迎えをする冒頭の方のシーンと対になっている)。お友達と連れ立って校舎に入って行く孫娘の後ろ姿に、パクさんは呼びかける。しかし、お友達に気を取られている彼女は、パクさんの呼びかけに振り向かない。

 

 ところで、この映画には食事のシーンが何度も登場する。家族が一堂に会して食事をすることが、日常生活の象徴であり、家族のつながりの強さの表現でもある。パクさんとホイさんも、二人の仲が最高潮だった時は、一緒に食事をしていた。しかし、家族と言っても各人それぞれの人生がある。いつまで子供達や孫達と一緒に食卓を囲めるのか、それはわからない。パクさんは妻や子供達を思って、半ば自分を犠牲にしてホイさんと別れた。それは、本当に正しかったのか。

 

 前述の、孫娘との何気ない日常のシーンは、ある種の象徴的な意味合いを孕み、パクさんとホイさんの「答え」を揺るがす。そして映画は、明確な正解のないままラストシーンを迎える。

 

 この作品では、ゲイを取り巻く社会の問題のみならず、老後の生き方もまた描かれている。そのため見終わった後、心の中にずっしり来た。自分の人生の黄昏時を思って......。それだけに、良い映画であったわけだが、自分ももう若くないので......

 

 ちなみに、二人の恋が盛り上がっている時にかかる挿入歌「Gentle Breeze and Drizzle(微風細雨)」が印象的で、気を取られる。「微風細雨」は、元は台湾の女性歌手Liu Lanxi(劉藍溪)が1979年に歌った曲ということだが、この映画では男性歌手のQing Shan(青山)のバージョンである。そよ風が吹いて霧雨が降り、二人のいる世界は美しい。僕が風で君が雨だったらいいのに(ここ若干、昔の某少女漫画のタイトルを思い出させる)。みたいな、聞いているこちらが恥ずかしくなるくらいロマンチックな歌詞の曲である。有名な曲のようで、テレサ・テンやフェイ・ウォンも歌っている。映画の後、YouTubeでいろいろな歌手のバージョンを聞いていたら、中国語ができなくても、カラオケで歌えるんじゃないか、自分、という気になった。20201125日)