Sunday 22 November 2020

『ライヴ動画配信』Murder at Mandai Camp-A Supernatural Murder Mystery-(マンダイキャンプの殺人〜超自然的殺人ミステリー)

2020627

Murder at Mandai Camp-A Supernatural Murder Mystery-(マンダイキャンプの殺人〜超自然的殺人ミステリー)」・・・シンガポールの軍隊怪談「三つ目のドア」とともに

国: シンガポール

カンパニー: Sight Lines Entertainment

作・演出: Chong Tze Chien

出演: Erwin Shah Ismail, Bright Ong, Irsyad Dawood

見た場所: 自宅(有料動画配信)

 

 「Murder at Mandai Camp」は、COVID-19の世界的大流行で大打撃を被っているエンターテイメント業界にあって、Sight Lines Entertainmentが新たな試みとして行ったライブ動画配信である。自宅勤務・自宅学習の一般化とともに今やその名が広く知られるようになった感のあるWeb会議サービス、Zoomを利用したインタラクティブ・オンライン・シアターと、簡単には説明できる。配信日は626日、27日、28日のそれぞれ午後10時から。もちろんこの為に書かれた新作で、有料。チケット代(というのだろうか)は、15シンガポールドルから203050シンガポールドルまでで、購入者が好きな価格を選べるようになっている。価格が違うからと言って見られるものが違うわけではなく、観客(というのだろうか)がプラスアルファで払って自分達を助けてくれたら嬉しい、という気持ちからの複数価格設定である。また、プラス38ドルで、スペシャル・カクテルの250mlボトルをつけることもできる。カクテルはもちろん自宅に届けてくれる(なお、作品自体のレイティングはNC1616歳以上のみが視聴可だが、カクテルが買えるのは、シンガポールの法律で飲酒ができる18歳以上から)。チケットを購入すると、視聴日の午後8時、つまり開始2時間前に、自分のメールアドレスにZoomのリンクが送られてくる。パソコンからでもスマートフォンからでも、開始時刻にこのリンクに入れば参加できるわけだが、実はもう一つ、Zoomとは別にインスタント・メッセンジャーのTelegramを使えるようにしておく必要がある。そういうわけで、やり様は人それぞれだろうが、私の場合は、パソコンをTVにつなげてそちらにZoomの画面を映し、スマートフォンでTelegram上の情報を見るようにした。

 


カクテルもオンラインで販売
 

 さて、こちらが10時前から準備をして待ち構えていると、予定の時間より少し遅れて、まずはプロデューサーであるDerrick Chew(デリック・チュウ)の挨拶から始まった。この時、デリックは観客(参加者)の中からボランティアを募り(引き受けると、カクテルが無料でもらえる)、Telegram上で名乗りを上げた希望者の中から、任意に一人を選んだ。選ばれた人が、Zoomの画面上で挨拶をしたが、自分の部屋らしき場所にいる若い女性だった。デリックいわく、彼女の仕事は、本編終了後に参加者を対象として行う投票の結果を読み上げることで、原稿は後で送信されるので、それをただ読み上げればよいという。こうしてボランティアも選出され、いよいよ本編スタートとなった。

 

 この作品は、軍隊キャンプ内で起こった殺人事件について、参加者がProvost Unit(いわゆるミリタリー・ポリス)の捜査官とともに事件の謎を解く、という体裁を取っている。Telegramには二つのチャンネルが設定されており、一つは捜査官が各種資料を送って来る一方通行のチャンネル、もう一つは参加者同士が本編を見ながら自由に感想を言い合えるチャンネルとなっている。Zoom画面を見ながら、Telegramで受け取る文書やビデオ映像を確認し、さらにTelegramにコメントを上げるとなると、ちょっと忙しい。ちなみにTelegramのチャットできる方のチャンネルは、参加者が200名あまりいた。つまり、それだけの人数の人達がチケットを買って見ているということになる。

 

 なお、この作品の前提には、シンガポールのNational Serviceという徴兵制度の存在がある。男子は二年間、軍隊等で訓練を受けなくてはならず、この作品に出て来る新兵二人も、軍人を職業として選んだわけではなく、学校を出たばかりの189の若者である。また、タイトルになっているMandai Campだが、Mandai(マンダイ)は地名。現在マンダイエリアにはMandai Hill Campがあり、このMandai Hill Campはナイトサファリの近く。都会を気取るシンガポールにこんな所が?という自然にあふれたエリアである。

 

 さて、Provost Unitの事件番号567。マンダイキャンプで、新兵の一人Ilhan(イルハン)が夜間演出中に殺害された。そしてその夜、もう一人の新兵Tan(タン)が許可なくキャンプを去った。犯人はタンなのか?それとも、タンと個人的なつながりのあったHaziq(ハジック)中尉なのか?それとも、それは軍隊内で語り継がれる人間以外の何物かの仕業なのか?

 

開始前の画面
 

 登場人物は4人。参加者に対して案内役を務める事件担当の捜査官、殺されたイルハン、行方不明になったタン、そして事件の関与を疑われているハジック中尉である。さて、参加者はまず、Telegramでイルハン、タン、中尉の簡単な履歴書を受け取る。この履歴書で注目すべきは、イルハンがACS卒だと言うことである。ACSAnglo-Chinese Schoolは、お金持ちの子弟の通う名門学校。対してタンと中尉の卒業校や住所は、彼らが典型的なシンガポールの庶民であることを思わせる。

 

 それから捜査官の案内で、参加者は様々な映像を見る。事件後に中尉が尋問に答える様子、ビデオ通話でガールフレンドに話しかけるタン、最期の夜にイルハンが録画したタンとの諍い、等々。それぞれの映像は、Zoomのバーチャル背景設定を使用して撮影したらしい。シンプルな背景が多いが、タン達の宿舎や夜のジャングルなど、それっぽく見えるようにはなっている。捜査官はさらに、時おりTelegramの方に別途資料を送信してくる。それは、中尉のSNSへの書き込みだったり、イルハンのスマートフォンで撮影された映像だったりする。資料が送信されると、参加者がそれを確認するための時間が一分間ほど設けられる。

 

尋問を受けるハジック中尉
 

 各シーンは必ずしも時系列に見せられているわけではなく、巧みに構成された中から次第に裏の人間関係が浮かび上がって来るようになっている。“White Horse”であったイルハン、そのイルハンをからかおうと企んだタン、過去にタンの姉に失恋した中尉・・・。ちなみにWhite Horseというのは、かつてシンガポールの軍隊で使われていた有力者の息子を指す用語。政府はNational Serviceにおいて特別扱いはないとしているが、この用語は今も軍隊内の噂に上るものらしい。例えば、”White Horse”のいる部隊では朝食前の演習が行われない、土曜の居残りがないといったことが、まことしやかに囁かれるわけである。事件は、こうした人間関係から発生したものだったのか?それとも、タンがガールフレンドに面白がって話していた軍隊キャンプの怪談、「三つ目のドア」に出て来る吸血幽霊Pontianak(ポンティアナック)の仕業なのか?(「三つ目のドア」の怪談について、詳しくはこの感想の最後をご参照ください。)

 

 ポンティアナックは、マレー半島やインドネシアで言い伝えられてきた女の幽霊。鋭い爪で犠牲者の身体を裂き、内蔵を食い荒らすなどとされている。「三つ目のドア」は、このポンティアナックに襲われた兵士にまつわる怪談話である。実のところタンは、ポンティアナックに化けて、イルハンを怖がらせてからかっていた。しかしそのタン自身も、失踪の直前、何かを非常に恐れていた・・・参加者は、ポンティアナックが映っているという映像をTelegramで受け取る。それは後に、タンのいたずらであるらしいことがわかる。しかし、それとは別に、参加者は見てしまうのだ。取り調べから解放された中尉が、昔の彼女(タンの姉)宛にスマートフォンで自身の心境を録画している時、中尉の背後、廊下のずっと向こうから近づいて来る何かを・・・・・・長い黒髪、白い服の痩せた人影・・・・・・「貞子、貞子がいる!」・・・いや、「リング」の貞子みたいだけど、そうではなく、これがポンティアナック(ということになる)。ポンティアナックは美しい女性に化けることができると言われているが、基本的には長い黒髪に白い服という、貞子と似たフォーマットの幽霊なのだ。それはともかく、その姿を見つけた時は、ちょっと「うわっ!」となった。(ちなみに中尉は全く気づいていなかった。)

 

 さて、参加者に全ての映像と資料が提示されて本編が終了したところで、Zoomを通した投票が行われる。質問は一つだけ。ハジック中尉はこの殺人事件について有罪であるか?無罪であるか?投票の結果、無罪の方が上回ったことが、横棒グラフでZoom画面に表示された。ここで、ボランティアの女性の登場である。本編の前に見た時と同じく、部屋にいる彼女がハジック中尉に対する投票結果を述べていると・・・・・・その時!彼女の背後にある、開いたままのドアの奥の暗がりに、突然何かが現れた!「あっ、また貞子!(だから違う)」と思っている間もなく、それは彼女に襲いかかり、そのままビデオ通話は切れた・・・・・・

 

 こうして「Murder at Mandai Camp」は本当に終了し、最後は俳優達のカーテンコールがあった。録画かもしれないし、あるいは、俳優達も参加者達と一緒にこのZoom通話に入っていたのかもしれない。そして、感想を求めるアンケートがメールで送信されてくる。一方Telegramでは、終了後も引き続き参加者達と感想を言い合うことが可能。しかし、資料を受信するチャンネルも参加者のチャット用のチャンネルも、翌日にはどちらも消去されるようになっていた。

 

カーテンコールの様子。左上がプロデューサーのデリック・チュウ
 

 さて、投票結果を読み上げている途中でポンティアナックに襲われたボランティアの女性。彼女は一般の参加者ではなく、サクラだったと見るのが当然だろう。カーテンコールの映像の中には、彼女はいなかったけれども。私は他の日の配信を見ていないので、この「ボランティア」役が毎回違う人なのかどうか、よくわからない。違うのであれば、少なくとも三種類の映像を用意しなくてはならない。そもそもあの投票結果でさえ、本当に参加者の選んだ結果が反映されているのかどうか、疑わしくなってくる。実は全てが虚構だったのではないか、と。

 

 私は最初、この作品を「インタラクティブ・オンライン・シアター」と書いたが、実際にはこの作品は演劇ではない。それは、彼らが前もって撮影しているからということではなく、パソコンにしろTVにしろ、観客が演技者の代わりにスクリーンを見なくてはならないからである。では、冒頭に登場するプロデューサー、デリックのような、リアルタイムで観客に語りかける案内役のいる映像作品かというと、そうとも言い切れない。

 

 ところで、全く話は違うが、ロンドンのウエスト・エンドでロングラン公演中の(今はCOVID-19のせいでお休みだけど)「The Woman in Black(ウーマン・イン・ブラック)」というホラー劇がある。日本でも何回か翻訳上演されている人気作だ。初めて見るとこの作品のラストにはとても吃驚させられるのだが、その衝撃の理由は、自明のものとされている観客と舞台との境界が、一瞬曖昧になるからだと思う。

 

 「ウーマン・イン・ブラック」は、ある中年弁護士が自身の恐怖体験を綴った物語を、彼の雇った俳優に演じてもらうという形式を取っている。俳優が若き日の弁護士を演じる一方で、中年弁護士の方もナレーションや脇役を務めるという、基本的には二人芝居である。さて、上演が始まると、観客はいつものように、各々の想像力の助けを借りて、再現されている弁護士の回想を真に迫ったものとして受け入れようとする。弁護士の話通り、途中で何回か黒衣の女の姿が舞台上に現れるが、観客はこの出現を、舞台上の効果、演出と見なす。舞台には男優二人だけなので、観客の想像力を助けるための女優を使った演出なのだと。しかしラスト、俳優が弁護士に、途中で登場した黒衣の女について尋ねると、弁護士はそんな女は見ていないと答える。観客は、あの黒衣の女を「ウーマン・イン・ブラック」という演劇作品の演出———話に上る黒衣の女のイメージを観客に伝えるための———であると思っている。あるいは、彼らが演じている回想録のために弁護士が用意した演出———この場合は、俳優と同じ認識と言える———と思うかもしれない。いずれにせよ、俳優があの黒衣の女を見ているという時点で、観客に対する単なる舞台演出ではなくなり、弁護士がその女を全く見ていないという返答で、彼らの世界の中で仕組まれた演出でもなくなる。では、あの黒衣の女は何だったのか?いやもちろん、「ウーマン・イン・ブラック」の観客を驚かす役目を担っている女優なわけだが、観客の気持ちは、一瞬間、黒衣の女を見てしまった俳優に強烈に寄り添う。

 

 そして「Murder at Mandai Camp」でも、同じように虚構が参加者達の領域に突然入り込んで来る瞬間がある。その瞬間とはもちろん、ボランティアの女性の背後にポンティアナックが現れるシーンである。Zoomというウェブ会議システムを使用しているのが曲者で、参加者はそのために主催者側(プロデューサーのデリック)とリアルタイムでつながっていると思い、デリックとのやり取りは自分達の領域の出来事だと見なす。最初にデリックの挨拶があり、そして選ばれてボランティアの女性が彼と会話しているのを見ると、彼女が参加者の一人であると思ってしまう。確かにリアルタイムでつながっていたのかもしれないが、それはデリックが演技をしていないという意味にはならない。しかし、本物のプロデューサー(デリックは事実、Sight Line Entertainmentのプロデューサーなのだ)が登場し、さぁこれから始まりますよ、と言われると、参加者の方はこれからの部分を「Murder at Mandai Camp」だと思い、実は作品がすでに始まっていることに気づかない。こうして参加者達は、自分達の領域(現実)の部分と虚構の部分とを線引きするように誘導されてしまう。線引きをするということは、逆説的に現実と虚構が共存していることを意味している。「Murder at Mandai Camp」はつまるところ映像作品なのだが、参加者は単に作品を外側から見つめるだけ、とはならない。演じられている世界と地続きの地点にいるとともに、切り分けられた舞台の内と外のうち、その外側の方にいることを意識しながら作品を見つめている。だからこそ、内の方に在ったもの、つまり虚構の部分の存在がこの境界を逸脱して来ると、参加者はショックを感じる。ボランティアの背後に出現したポンティアナックは、一瞬間、参加者達に「彼女」が(作品の中の)マンダイキャンプを離れてやって来たと思わせる。いやもちろん、ボランティアが仕掛人の一人であるとすぐ悟るわけだが、しかし、その現実と虚構とが入り混じる一瞬間は、とても演劇っぽい。

 

 映像作品だが、インタラクティヴであるために演劇作品のようになった、というのが、この「Murder at Mandai Camp」の特徴だと思う。面白い試みで、楽しい一時間だった。でも一方で、このビックリの方法は、そう何度も使えるものではないな、とも思ったのだった。私達観客は、どんどん疑り深くなっていくであろうから。2020714日)

 

付録

Pulau Tekong(テコン島)の三つのドアを持つ兵舎」

 作品中でタンがガールフレンドに語る「三つ目のドア」の話は、シンガポールの軍隊で有名な怪談である。どこの国でも、若い者達が歴史ある(古いとも言う)建物で寝食を共にしていると、こういう怪談話はどうしても生まれるものらしい。作品ではマンダイキャンプ内での出来事という設定になっていたが、実際はシンガポールの周囲にある島の一つ、テコン島の軍隊キャンプにまつわる怪談である。参考までに、その内容を以下に記しておく。なお、私が聞いたのは、1980年代後半に新兵としてテコン島で訓練を受けた人が聞いた話。テコン島のキャンプは、新兵のトレーニング・センターなのである。代々語り継がれていくものなので、恐らく世代によって、また話す人によって、内容が少しずつ違ってくるかとは思う。

 

 テコン島には新兵のトレーニング・センターを担うキャンプが二つある。第一キャンプと第三キャンプと呼ばれ、第三キャンプは古いながらも鉄筋コンクリートのビルディングだが、第一キャンプはさらに古く、低層の細長い兵舎(バラック)の集まりで構成されている。さて、第一キャンプにはどんなに新兵があふれていても、決して使用しない無人の兵舎が一棟ある。そしてこの兵舎には、なぜかドアが三つある。というのは、通常の兵舎はドアが二つ———入室のための入口と、退室のための出口———しかないのだ。この兵舎に三つ目のドアがあるのは、次のような過去の事情による。

 

 テコン島での新兵達の訓練の一つに夜間歩行というものがある。銃まで持ったフル装備で、小隊ごとに長い一列を作って夜のジャングルを歩き回るのだ。先頭は隊長であるルテナントlieutenantで、新兵達を挟み、最後尾はサージェント(sergeant)が務める。8キロにはなる装備が重い上に、都会育ちのシンガポールの若者は自然の暗闇に全く慣れていないため、辛い訓練である。地図を確認するような時だけ、肩に取り付けた赤いライトの懐中電灯を点すことが許されている。その時以外は、時々点呼をしながら、ジャングルの闇の中を影のように歩いて行く。ただ見えるのは、自分の2メートルは前を歩く、仲間のヘルメットの後頭部に光っている、点のような小さな緑のライトだけである。

 

 「Number off, 1」、「2」、「3」・・・「9」、「10」、「Strength 11, all present, Sir!,

 この夜も、ある小隊11名の夜間歩行訓練が行われていた。真っ暗闇のジャングルの中、草をかき分け、小川を乗り越え、どんどんと歩んで行く。やがて、一時休憩となった。休憩となれば、誰しもトイレに行きたくなる。しかし、もちろん公衆トイレなどというものはないので、ジャングルのどこかの草むらで用を足さねばならない。この時、携行しているライフル銃などの装備を自分の身体から離してはいけない、という軍隊のルールがある。そしてまた、こうしたオフィシャルなルールの他に、兵士達の間で語り継がれる決まり事もある。それは、祠や大きな木の根元で用を足してはならない、というものだ。祠はもちろんのこと、大木にも精霊が住んでいると言われ、彼らを邪魔してはならないというわけだ。それはさておき、短い休憩も終わり、兵士達は再び出発した。

 「Number off, 1」、「2」、「3」・・・「9」、「10」、「Strength 11, all present, Sir!

 時おり点呼をしながら歩みを進め、そして隊は無事にキャンプまで戻ってきた。苦しかった夜間訓練は終わった。

 

 しかし、これで今日は解散と皆がほっとした時、誰かが言った。

 「チェンがいません!」

 確かに新兵の一人、チェンがいなかった。奇妙なことだった。今の今まで、11人であることを確認しながら戻って来たのに。夜間の歩行訓練というものは、誰も道に迷ったり脱落したりせず、全員で戻って来ることが肝要である。とりあえず、人員総出でチェンを捜索することになった。捜索はジャングルで一晩中行われたが、チェンは見つからなかった。やがて空が白んで朝が来た時、ようやくチェンが、というよりもチェンの死体が、大きなフランジパニの木の根元で見つかった。フランジパニは、香りの良い白い花をつけるインドソケイ、通称プルメリアのことである。この木は女の吸血幽霊、ポンティアナックを想起させる。ポンティアナックが現れる時、フランジパニの花の香りがし、ついで血の悪臭がすると言われる。

 

 木の根元の死体がチェンだと分かったのは、死体のそばにあった軍服からだった。なべて軍服の胸元には各々の氏名のプレートが取り付けられているからである。そうでなければ、その死体はもう誰なのか判別ができなかった。死体は裸で、顎からペニスの先までまっすぐに切り開かれていた。切り開かれた所から内蔵がえぐり出されていた。そして死体のそばに、軍隊の装備、軍靴、軍服、腸、胃、心臓と、順にきちんと並べて置かれていた。身体の内側にあるものが全て、外側に出されて並べられていたのである。

 

 この衝撃の事件が発覚したその夜から、第一キャンプのタンがいた兵舎の者達は、深夜に泣き声が聞こえると訴えるようになった。新兵達が皆怖がって、キャンプ内の士気も下がる。上層部としても放ってはおけなくなり、キリスト教の牧師、仏教の僧侶、イスラム教のイマーム(Imam)等々、様々な宗教の師にお祈りをしてもらうが、泣き声の怪現象は一向におさまらなかった。最後にマレーの呪師ボモ(bomoh)に相談したところ、いわく、

 「若者の霊が兵舎から出られなくなっている。ドアを取り付けなさい。」

 認可の問題があり、兵舎に穴を開けて入口を作るわけにはいかないので、二枚のドアが外側と内側の同じ位置に取り付けられることになった。そしてこの「三つ目のドア」ができてから、泣き声は聞こえなくなったのである。しかし、このドアの三つある兵舎は以後、使われることはなくなった。また現在、テコン島のキャンプでは、決して木曜に夜間訓練を行わない。例えば射撃訓練などで、日中から夜間まで続けて訓練を行った方が効率良いと思われる時でさえ、その日が木曜日であれば、隊長は日中だけで訓練を終えて皆を引き上げさせる。チェンが死んだ夜間訓練の行われたのが、木曜日だったからである。

 

 怪現象を相談するのに、様々な宗教から人を呼ぶというくだりが、多民族・多宗教の調和を標榜するシンガポールっぽい。立ち小便も命がけ、みたいなテコン島の話だが、「Murder at Mandai Camp」の中で語られるバージョンには、フランジパニ云々は登場しない。それが2020年現在、キャンプ内で流布しているバージョンなのか、作者のChong Tze Chienの改変なのかはわからないが、若者が殺された原因の部分が異なっている。作中のタンの話では、金曜日にはキャンプ内で豚肉を食べることが避けられていた、と言うのである。それにも関わらず、一人の兵士がどうしても食べたくなって、金曜日にチャーシューを食べてしまった。それでその兵士は殺された、と・・・。食べるのはもう一日待てなかったのか?という話になっている。それにしても、豚肉を食べて怒るところを見ると、ポンティアナックってムスリムだったんだな・・・。いや、立ち小便も卑近な設定なのだが、さらにこれはどういう設定よ?と思ってしまう。でもそこが、若い男達であふれた軍隊キャンプ内の怪談っぽいとは言える。2020719日)