Saturday 28 July 2018

『映画』Manfei(曼菲/マンフェイ)


2018427
Manfei(曼/マンフェイ) 」・・・Singapore Chinese Film Festival
公開年: 2017
製作国: 台湾
監督:  En Chen怀恩)
見た場所: Golden Village Vivo

 今年のSingapore Chinese Film FestivalSCFF、シンガポール・チャイニーズ・フィルム・フェスティバル)のオープニング作品。中国本土の作品に限らず、マレーシアやシンガポールまで各国・各地の中国語映画を集め、今年も無事開催されたのだった。ちなみに今年、Singapore International Festival of ArtsSIFA、シンガポール国際芸術祭)と日程が完全にかぶっており、鑑賞予定を立てることが困難だった。SCFFが例年この時期に開催しているにも関わらず、今年SIFAの方が前倒ししてきた(昨年までは9月頃開催だった)結果である。いい迷惑だったよ、SIFA

 そういうわけで、あまり思ったように見に行けなかったというのが、今年のSCFFだった。オープニングは、このドキュメンタリー作品「Manfei(曼/マンフェイ)」。レトロスペクティブのタイトルは「Loving Leslie」、2003年に亡くなった俳優レスリー・チャンの特集で、彼の「Happy Together(春光乍洩/ブエノスアイレス)」がクロージング作品となった。あまり見に行けなかったわりに、オープニングとクロージング両方の上映に行ったという、自分にとっては珍しい年となった。

 「Manfei」は、2006年に50歳で亡くなった台湾のダンサー/コリオグラファー、Lo Man-fei(羅/ロー・マンフェイ)についてのドキュメンタリーで、彼女の死後に製作された。台湾の名門コンテンポラリー・ダンス・カンパニー、Cloud Gate Dance Theatre(雲門舞集/クラウド・ゲイト・ダンス・シアター)でのダンスとともに最もよく知られているダンサーである。

今年のSCFFのプログラムの表紙。踊る美しいロー・マンフェイ

 しかし、彼女の功績はそこに止まらない。ニューヨークで学び、恵まれた容姿と優れた技量で台湾を代表するダンサーとなっただけではなく、指導者として多くの教え子を育てた。台湾の若手ダンサー達が活動できる場を、というクラウド・ゲイトの創立者、Lin Hwai-min(林懐民/リン・ファイミン)と理想を同じくし、リンとCloud Gate 2(クラウド・ゲイト2、若いコリオグラファー、ダンサーに特化したカンパニー)を立ち上げ、その芸術監督となった。後進の指導だけではなく、40歳を過ぎて新たにTaipei Crossover Dance Companyを結成して踊った。癌を患い闘病を続けながら、それでも踊り続け、そして最期まで若いダンサー達の指導に当たった。作品は、ロー・マンフェイの家族や友人、リン・ファイミンを始めとするコリオグラファー、教え子だったダンサー達へのインタビューを中心に構成され、彼女の足跡を辿りつつ、その功績を讃えている。

 この作品を見て、もし原節子が1962年の映画出演を最後に不慮の事故か病気で亡くなってしまい、その10年後にドキュメンタリー映画を作ったら、こういう感じになるのではないか、となんとなく思った。このドキュメンタリーを見ると、ロー・マンフェイのダンサーや教師としての素晴らしさはよくわかる。しかし一方で、彼女自身についてはよくわからない。美しい人なのだが、同時にミステリアスでもある。コンテンポラリー・ダンスの定義というのは難しいが、ダンサーが自身の経験や感情を反映させることをその特徴の一つと言うならば、ロー・マンフェイは、時に自分の人生を刻みつけるかのように踊っていたように思える。そういう意味では、まさにコンテンポラリー・ダンサーだったと言えるだろう。作品中の彼女のダンス・シーンはどれも素晴らしい。しかし、彼女が話しているシーンはほとんどなく、ロー・マンフェイが実際に何を思って踊っていたのかはよくわからない。インタビューを受けた関係者の話によってしか、彼女を知ることができないのだ。一人のダンサーの功績がつまびらかにされる一方、ここに、解き明かされることのない永遠の謎がある。

 彼女のプライベートでの素顔や、芸術論というかダンス論が描かれない、ということ自体は悪いわけではない。一人の芸術家についてのドキュメンタリーを作る際、どこに着眼点を置くかは作り手それぞれだろうから。しかしこの作品が、120分間を長く感じさせるわりにはどこか物足りないのは、功績の称賛を超える、大切な何かを今にも提示しそうで、結局は十分に提示することがなかったからだと思う。

 作品の冒頭、「私がダンスを選んだのではない。ダンスが私を選んだのだ。」というロー・マンフェイの言葉が引用される。芸術家が用いがちな言葉の綾と取れなくもないこの言葉に、どれほどの思いが込められていたのか。実際にダンスに一生をかけたロー・マンフェイにとって、彼女の言うダンスとは一体何だったのか。それがはっきりしないからこそ謎を感じるわけだが、この謎にもう少しフォーカスした方がよかったのではないか。もちろん、作品中でその答えを出す必要は全くない。ただそこにフォーカスすることで、単なる偉大なダンサーの功績を知るためのドキュメンタリーではなく、そもそもダンスとは何かという問いかけを備えた、より深い作品になったのではないか、と思う。

 作品の最後は、インタビューに答えたコリオグラファーやダンサー達が、それぞれ生き生きと仕事をしている姿で終わる。ロー・マンフェイのレガシーが引き継がれている様を描いており、このドキュメンタリーの意図としては正しい終わり方だったかもしれない。しかし、そのシーンより前に、ここで作品を終えた方が良かったのではないか、と思うシーンがあった。ロー・マンフェイの友人へのインタビューで、その友人は、ダンサーとは壊れやすいものであり、理解するのは難しいというようなことを語っていたのだ。さらに、彼女はこう言った。「ダンサーが去る時、ダンスもまた去る。」彼女のダンスを掴もうとしても、もはや不可能であると言いたかったのだろうか。それはまさに、舞台芸術、とりわけある種のコンテンポラリー・ダンスのように、演者と演ずる内容との私的な関わりが強いものの本質を突いているようでもある。謎は永遠に謎のままなのだ。2018615日)

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