Tuesday 13 March 2018

『コンサート』My Lai(ミライ)



2017825
My Lai(ミライ)」・・・Singapore International Festival of Arts (SIFA)
国: アメリカ
製作: Kronos Performing Arts Association
作曲: Jonathan Berger
台本: Harriet Scott Chessman
演出: Mark DeChiazza, Rinde Eckert
歌手: Rinde Eckert
演奏: Kronos Quartet, Van-Anh Vo
見た場所: Drama Centre Theatre

 毎年SIFAの音楽プログラムを楽しみにしている。昨年は中国出身のピパ(中国琵琶)奏者Wu Manとウイグルのミュージシャン達によるコンサートだった。一昨年は、伝統的なアボリジナル音楽を現代的なスタイルと融合させたパフォーマンスを行うBlack Arm Bandや、トイ・ピアノ奏者Margaret Leng Tanの公演を見た。イギリスのSouthbank CentreLondon Sinfonietta による、20世紀のクラッシク音楽を聞くという一連のコンサートに、4日間行った年もある。

 今年は、サンフランシスコに拠点を置くKronos Quartet(クロノス・クァルテット)とベトナム伝統楽器の奏者であるVan-Anh Voによるモノドラマ「My Lai」だった。この場合のモノドラマとは、弦楽四重奏楽団とベトナム伝統楽器奏者の演奏による一人オペラである。実は内容をあまりきちんと確認しないでチケットを買ったので、行ってみてオペラだったことに驚いた(演奏だけだと思っていたのだ)。

会場であるDrama Centre入口

 上演内容を確認しない私が言うのもなんだが、「My Lai」は、ベトナム戦争中に起こったMy Lai Massacre(日本語ではソンミ村虐殺事件)、およそ500人にものぼる非武装のベトナム人住民が米軍によって虐殺された事件を題材としている。一人オペラであるこの作品の主人公は、当時、第23歩兵師団第123航空大隊の准士官であったHugh Thompson Jr.(ヒュー・トンプソン・ジュニア)である。1968316日朝、偵察ヘリコプターを操縦していたトンプソンは、ソンミ村のミライ集落上空で米軍による住民への攻撃を目撃する。トンプソンは、二人の部下とともに虐殺を止めようとし、また生存者を探して安全な場所に避難させようとした。そして、自分が目撃した殺戮行為を上官に報告した。

 作品は三部構成になっており、それぞれ「1st Landing」「2nd Landing」「3rd Landing」と題されている。時は200512月、癌を患って入院しているトンプソンが、あの虐殺の悪夢を思い起こすという回想形式で物語は進められる。ちなみに実際の彼は、2016年1月6日に62歳で亡くなった。つまり作品は、死の数週間前という設定なのである。

 舞台装置はシンプルで、舞台向かって左手にクロノス・クァルテット、右手にVan-Anh Voと様々なベトナム楽器、そして中央のもう一段高く設けられたステージに歌手のRinde Eckertが立つようになっている。そこには椅子2脚と毛布があるぐらい。背後は(病室を仕切るような)カーテンがかかっており、そこに映像が映し出される。上空から見たジャングルや煙だったりするが、カーテンには襞が入っているし、映像自体があまりはっきりとしたものではない。そのため、それらの映像は淡くぼんやりとしており、何が映っているのかよくわからない時もある。恐らくトンプソンの追憶であることを表現しているのだろう。

開演前の舞台

 クロノス・クァルテットは幅広い音楽活動を繰り広げているようだが、ざっくりとジャンル分けすると現代音楽に当たる。今回の作品では、クロノスの弦楽器演奏に、ベトナムの琴、木琴、銅鑼のような楽器からの音が組み合わされている。これを音楽に詳しくない私が聞いて思い起こしたのは、武満徹の音楽である。不協和音や鋭い響き、予想できない音の上がり下がり。乗ることもできなければ、一緒に歌うこともできない。就寝前に聞いてもあまり心が安らがない音楽である。

 物語は全編ほぼ歌によって語られている。歌詞は基本的にシンプルで、全ての状況説明や発言、思いが歌にされている(オペラは得てしてそういうものであろうが)。例えば、「これを見ろ〜」「あれは何だ〜」「死体が山積みだ〜」みたいな感じである。

 三部構成の第一部「1st Landing」では、2005年のトンプソンが虐殺の日を回想し始める。美しい朝にヘリコプターを操縦していた彼は、米軍が村人達を虐殺しているのを見つける。思い起こすに当たり、トンプソンは病室内をウロウロ歩き回ったり、毛布をたたんでみたり、逆に身にまとってみたりと、落ち着かなげである。一部の終わりには、病室のTV(が実際に置いてあるわけではないが)からと思われるクイズ番組の音声が流れて来る。司会は解答者の一人としてなぜかトンプソンを紹介している。クイズは、赤、白、青、三つのドアの一つを選べ、というもの。ドアは三つとも赤いと答えるトンプソン。このクイズ番組のシーンは、歌にはなっておらず、通常のセリフの形式である。

 第二部「2nd Landing」では、トンプソンと彼の二人の部下が殺戮を止めようとする。二部の終わりにも、やはりクイズ番組が流れて来る。先ほどと同じ司会が、トンプソンが部下に何を命じたかを質問している。トンプソンが説明している間に司会は時間切れだとし、「(米兵に対して)こいつらを撃て」、が正解だと告げる。(正しくは、逃げる住民達に対して米兵が銃を向けるようなら、米兵の方に向かって撃てと命令した。実際には撃たなかった。)トンプソンが、彼らの行っていたことは殺人であって、兵士のすることではないと言っても、聞き入れてはもらえない。

 第三部「3rd Landing」の始まりでは、2005年のトンプソンが、かつての部下の一人、ラリーの家に電話をしている。その後再び回想に戻り、一人の少年を救い、自分のヘリに乗せて飛び立ったことが歌われ、作品は終わる。

 この作品の内容からも察せられるように、己が正しいと思ったことをしたトンプソンだったが、その結果は、必ずしも彼に幸福をもたらしたとは言えなかったらしい。便利な時代なので、彼が亡くなった時のThe New York Timesの記事をインターネットで読むことができた。この虐殺事件について、トンプソンは軍法会議等で証言を行っているが、当時の世間は(虐殺を行った方ではなく)彼の方が有罪であるかのように見なした。脅迫電話がかかってきたり、自宅のポーチに動物の死体が投げ込まれたりしたらしい。功績を讃えられて勲章を授与されたのは、虐殺事件から30年後の1998年になってからだった。

 この作品では、時間を要したものの、結果的には勲章をもらって報われた、ということは描かれていない。曲調からしてあまり楽しげではないように(むしろ不穏な感じ。三部は若干哀切である)、ここで描かれているのは、当時24歳の青年だった主人公の、人生に大きな影響を与えたあの朝、虐殺のトラウマであり、その後の苦悩である。というわけで、作品の全体的な雰囲気は苦い。しかし、それでもラストで、自分は自分にできることをしたのだという救いは描かれている。行為の称賛を押し付けたり、無理に感動させたりせず、主人公の個人的な虐殺にまつわる記憶を辿る、という作り方に好感がもてる。

 それにしても、「いつも空を飛びたかった〜」と飛翔への希求が最初に歌われ、それに呼応する形で、少年を救ってヘリコプターで飛び去ったというラストで締めているのだと思うが、今ひとつこの空への憧れに共感できない。曲や舞台の雰囲気が醸し出す神経症的な重苦しさのためではなかろうかと思う。確かに明るい話題の作品ではないのだが、この憧れが共感できないと、主人公に対する共感も減じるので、そこに多少の物足りなさは感じたのだった。2017924日)

ピントが合っていないがカーテンコールの様子。カーキ色のジャンパーのおじさんが歌手のRinde Eckert

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