2016年7月12日
「Hotel Part 1(ホテル パート1)」・・・「私たち、強くならなくては」
国: シンガポール
カンパニー: Wild Rice(ワイルド・ライス)
演出: Ivan Heng(アイヴァン・ヘン)、Glen Goei(グレン・ゴエイ)
作: Alfian Sa’at(アルフィアン・サアット)、Marcia Vanderstraaten(マルシア・ヴァンダーストラッテン)
出演: Ivan Heng(アイヴァン・ヘン)、Pam Oei(パム・オエイ)
見た場所: The Singapore Airlines Theatre, Lasalle
昨年の「Public Enemy」(イプセンの「民衆の敵」)の上演以来、私の中では現在のシンガポール演劇界における「男の中の男」となったIvan Heng(アイヴァン・ヘン)のカンパニー、ワイルド・ライスによる公演。昨年のSingapore International Festival of Arts(シンガポール国際芸術祭)で初演されて評判を呼んだ作品である。今年のワイルド・ライス主催のTheatre Festival(シアター・フェスティバル)で早くも再演がなされた。
パンフレットの表紙。ラッフルズ・ホテルのドアマンみたいなおじさんが中央にいるが、本編には登場しない。(以下の写真もこのパンフレットから。) |
パート1とパート2の二部作からなり、総上演時間五時間半の大作である。私は火曜と水曜の夜にパート1、2をそれぞれ見に行った。正直、仕事もあるし家も遠いし、平日に二日続けて見に行くのはしんどかったのだが、行って良かったと思ったのだった。
昨年2015年はシンガポール建国50周年という節目の年であり、それを記念して様々な芸術イベントや作品が発表されたが、この作品もその一つと言える。設定自体はシンプルで、シンガポールの最高級ホテル、ラッフルズ・ホテルをモデルとしたホテルの一室でのエピソードを、1915年から始めて10年ごとに描いていくというものである。2015年までしめて11エピソード。パート1でシンガポール独立の1965年までを、パート2でそれ以後(1975年から)をカバーしている。先ほど大作と書いたが、各エピソード20分~30分程度で、毎回違った趣の話が楽しめるため、一公演が二時間以上あってもわりとあっという間。本作は、私がこの10年ほど見てきた範囲に限られるのだが、シンガポール現代劇における最高の台本の一つだった。
冒頭、スーツケースを持った出演者達が舞台を行き交い、踊り、スーツケースを開く。中に入っている衣装を身に着けてボーイとメイドになると、ホテルの部屋を用意し始める。ダブルベッドにドレッサー、小テーブル。バスルームに続くドアのついた背景壁。この壁がスクリーンになっており、各エピソードの合間に様々な映像を映し出す。時代によって調度は変われど、全てのエピソードは基本的にこの部屋を舞台としている。以下、各エピソードのあらすじを紹介しながら感想を付していく。
1915年
イギリス植民地時代のシンガポール。新婚旅行に当地を訪れたイギリス人夫妻が、このホテルにチェックインして部屋に入ったところである。時折しもインド人兵士達による反乱が鎮圧され、反乱者達の処刑が被植民地者で構成された銃殺隊によって行われようとしている。この「イベント」にゲストとして参加する「栄誉」を得た夫は妻を誘うが、中国人を母に持ち、博愛的なキリスト教徒である妻は、それにがまんできない。自分に従わない妻に腹を立てて、夫が一足先にでかけた後、妻は顔見知りになった現地のボーイを呼ぶ…。
最初のエピソードからこの作品全体の特徴を見ることができる。一つは、過去の時代のエピソードであっても、単なるの過去の物語に終わることなく、現在のシンガポール社会を反映したものになっている点。ここでは、イギリス人夫がガブガブ酒を飲みながら、植民地の連中が酒に酔いつぶれることを批判し、夜10時半以降には彼らに酒を飲ませるべきではない、などとのたまっている。これは、2013年にリトル・インディアで外国人労働者による暴動が起こった後、夜10時半以降に小売り店舗での酒類の販売と公共の場所での飲酒が禁止されたことを揶揄している(アルコール類の値段の高いシンガポールにおいて、店舗で酒を買って外で飲むのは、バーなどに入る金銭的余裕のない外国人労働者が多い)。植民地時代の支配者層と被植民地民との関係が、現在のシンガポール国民と外国人労働者とをそこはかとなく暗示するように描かれている。
もう一つの特徴は、シンガポールが多民族多言語の社会であることをふまえ、言葉の違い(それは人種、民族の違いを意味するかもしれないし、出身の違いを意味するかもしれない)を積極的にドラマの中に織り込んでいる点である。言葉の違いから来るすれ違いのおかしさや悲しさ、あるいは言葉を超えた理解や、同じ言葉で話していても歩み寄れない葛藤が描かれる。
このエピソードの妻は、英語が話せるボーイに、お互いの秘密を打ち明け合うことを求める。英語では「(処刑される者達は)悪いことをしたのだから処罰されて当然です。」と言っていたボーイは、妻にはわからないマレー語で「僕が銃を持っていたら、白人どもの頭を打ち抜いてやりたい」と言う。一方の妻は英語で言う、「私は結婚するのが恐い」。それは、男らしくて愛国的という理想的なイギリス人夫の裏側にある、不寛容、憐れみのなさ、人種差別と帝国主義思想を初めて垣間見てしまった新妻の思いだった。しかし、もはや引き返すことはできない。夫の後を追って、妻は処刑場へと向かう。最後にボーイから教わったマレー語、「Maafkan(ごめんなさい)」と言いながら…。
妻は自分の気持ちをわかってほしかった。ボーイは理解したかもしれない。しかし、お互いが歩み寄ることなどできないことをボーイは知っている。結局、妻とボーイとはわかり合うことのない異なる世界に住んでいる。しかし、それを了解しながらもなお、イギリス人の妻にマレー語を言わせる所に、この作品全体に通底する願いが込められていたと思う。
1925年
ホテルのランドリー係のロイ・ダイは、中国で同じ村に住んでいた従妹アー・インを見かけ、彼女の部屋を訪ねる。ロイ・ダイの後に村を出たアー・インは、今はペナン在住の金持ちの奥様に女中奉公しているのだった。奥様のいない隙に、彼女の服を着こんだロイ・ダイは、アー・インと「奥様と女中ごっこ」をして楽しむ。そこへ、ホテルで女中の虐待があると聞きつけた「少女駆け込み寺」のインド人シスターが、通訳の二人の巡査を引き連れて登場。慌てた二人は、やむなくそのまま「その部屋に泊まる奥様と女中」として、シスター達を何とかやり過ごそうとする…。
インド人シスターがまくしたてる英語を、二人の巡査が英語からマレー語、マレー語から中国語へと通訳していき、最終的に「奥様」のロイ・ダイに伝える。シスターの質問に対して、何とか奥様然として答えようとするロイ・ダイ。そのやり取りの珍妙さが可笑しいエピソードである。
しかし幕切れ、上手いこと(?)シスター達を追い返したロイ・ダイが知るのは、奥様によるアー・インへの虐待が事実であるという悲しい現実だった。今度は自分が奥様役をやりたいというアー・インに、涙をこらえながらつきあうロイ・ダイ。その顔に悲しみも何もなく、奇妙に充足した表情で奥様を演じるアー・インは言う、「生まれ変わったら奥様になりたい」。
共働き家庭が多く、統計からすると五世帯に一世帯くらいの割合で外国人メイド(ヘルパー)を雇っていると見受けられるシンガポール。このエピソードも、度々問題とされるヘルパーへの虐待や悪条件での労働を想起させられる。笑いから一転、胸の痛むエピソードは、特にロイ・ダイを演じたパム・オエイの力量が際立った。パート1の最後を飾る1965年のエピソードでも主演を演じたパム・オエイが、この二部作の前半パートを牽引したと思う。
「奥様」になるロイ・ダイ |
1935年
まだ戦前の心霊主義が華やかなりし頃。ペラナカンの紳士は、著名なインドの心霊術者プロフェッサー・ラオを招いて交霊会を開く。メンバーは、自分と妻、イギリス人の友人、ジョホール王家の一員たる妻の友人の4人。そのうちイギリス人の友人、ミスター・パーカーは心霊主義に極めて懐疑的だった。しかし、プロフェッサー・ラオの予想を超える霊が招かれてしまった時・・・。
強力な霊が妻、その友人、ペラナカン紳士へと順々に取り憑いて行く時の、彼らの憑依演技が見物である。特にジョホール王家の令嬢を演じるSiti Khalijah Zainal(シティ・カリジャ・ザイナル)が、イブニングドレス姿で英国の行進曲を歌いながら、軍隊式に足をまっすぐあげて闊歩する姿に爆笑。この人、次の次の1955年のエピソードでも、ノリノリでマレー・ミュージカルを繰り広げていた。
この想定外の霊とは、第一次世界大戦で命を落としたミスター・パーカーの父であり、大きな戦争が再びやって来ることを警告しに息子の元に現れたのだった。ここに至り、今まで心霊主義をバカにしていたミスター・パーカーは一転、大いに取り乱してプロフェッサー・ラオに助けを求めるが、その豹変ぶりはプロフェッサーを憤らせる。結局なすすべもなく部屋を出て行くミスター・パーカーだった。
このエピソードが終わった所で、登場するボーイとメイド達。「チェックアウトですか?」「こちらがご請求書になります。」「ご滞在、どうもありがとうございました。」・・・今、イギリスがシンガポールという「ホテル」をチェックアウトし、また次の者がチェックインしようとしている。
1945年
昭和天皇の玉音放送から六日目。昭南島(シンガポール)ではまだ日本の敗戦は公にされていない頃。マレー語を学びたいという生真面目な広報担当の松田大尉によって、慰安所から救い出されたシャリファは、日本軍将校の宿舎となっているこのホテルで暮らしている。今や二人の間にはナツオという赤ん坊も授かり、シャリファはまだ見ぬ国日本への帰国準備で忙しい。そこへ、松田大尉と上官である大佐が登場。帰国船に空きは少なく、日本人ではないシャリファは乗せられないが、赤ん坊なら日本人だし何とか、と言う大佐。大佐が去った後、やむなくシャリファを説得にかかる松田大尉。
この「ホテル」は多言語で上演され(英語字幕あり)、多様な俳優達がキャスティングされているが、さすがに日本語を第一言語とする俳優は見つけられなかったらしい。というわけで、日本語を話すことのできる中国系の俳優が松田大尉、大佐、そして日本人の家政婦さん役を演じているのだが、セリフ回しが不自然である。もっともナチュラルに聞こえる家政婦さん役の日本語さえ。日本から来た俳優がハリウッド映画に出演して英語を話しているものの、英語を第一言語とする人からすると、ひどく訛って聞こえるのと同じだと思う。そういうわけで、特に松田大尉と大佐のやり取りなど、非常に聞きづらいのだが、セリフ自体に文法が間違っているような怪しい所はない。むしろアジア同朋のためという美辞麗句の裏側で、何とか体面を保って無条件降伏を報道しようとする虚しさが端的に描かれている。
「夫でも父でもなく、天皇の兵隊だ。」と大佐に言われ、シャリファとの別れ話を切り出す松田大尉。初めはお互いマレー語で話し合っているのだが、話が紛糾するにつれて、大尉は日本語で話し、シャリファはマレー語で返答するようになる。言語の違いは二人の関係が乖離していく様を表し、終にシャリファは、「もう話さないで。あなたが話せば話すほど、心が傷つく」と叫ぶ。言葉が二人を結びつけ、そして今や言葉は何の役にも立たない。二人の関係の終わりが痛切に胸に迫る名セリフだった。
なお、シャリファの歌う子守唄があるのだが、調べた所、塩まさる氏の「軍国子守唄」だった。置き去りにされる運命を知る前、シャリファは言う。「私、日本に着いたら、(歌詞の)「満州」の所を、「昭南島」に変えて歌うわ。」・・・いや、それはしなくていい・・・。
1955年
バス会社の労働者によるストライキが全島を揺るがす争乱に発展した年。映画スター、P・ラムリーは、初監督作に意気込んでいる。指導に当たるインド人監督とその秘書、そしてプロデューサーのミスター・ショウの思惑とは裏腹に、インド映画の影響を受けた歌と踊り満載の娯楽作ではなく、混迷する現代社会を反映したリアリティあるドラマを作りたいと言い出すラムリー。ミスター・ショウが相手役として連れて来た新人美人女優も、ラムリーの受けはいまいち悪い。
そこへ、P・ラムリーの大ファンという若い女性(1935年のエピソードでジョホール王家の令嬢を演じたシティ・カリジャ・ザイナル)が、彼らの部屋を訪ねて来る。体形は太めだが、素晴らしい歌声の彼女にすっかり嬉しくなったP・ラムリー。彼女と一緒に歌い踊りまくる。しかし、次回作ではP・ラムリーは歌わないんだよ、とミスター・ショウが教えると、カッとなって怒る彼女。「P・ラムリーが歌わないなんて!」
ここぞとばかりに、ミスター・ショウはラムリーを説得する。「中国人のプロデューサー、インド人の監督、マレー人の俳優。様々な人種の人材が集まり、様々な要素を取り入れることで、世界中の人達が見てくれる映画を作ろう!(だから歌ってくれよ)」P・ラムリーは同意する。
P・ラムリーが歌い踊るシーンでは、背景のスクリーンが極彩色のジャングルに(当時のマレー語のミュージカル映画では、舞台がジャングルの中のカンポン(村)なことがよくある)。楽しい歌と踊りにあふれるエピソードで、困難の中にも、映画が人々に夢を与えることのできた時代を描く。
ここに登場するプロデューサーのミスター・ショウとは、香港、そしてシンガポールを始めとする東南アジア一帯に一大映画帝国を築いた映画会社、ショウ・ブラザーズのランラン・ショウのことと思われる。P・ラムリーは、マレー語圏の伝説的な大スター。自身の主演作の監督、作曲もした。P・ラムリーを演じたGhafir Akbar(ガフィール・アクバル)は決して顔が似ているわけではないのだが、会話の途中でいちいち決め顔を挟むところが、いかにもP・ラムリーっぽい。自分のことが大好きな、明朗で楽天的なスターを好演した。
踊り狂うP・ラムリー達 |
1965年
シンガポール島がマレーシア連邦を脱退、シンガポール共和国として独立した年。客室部門でホテル初の女性マネージャーとなったオイ・レンは、テレビ修理にかこつけて呼ぶ修理屋のエドワードと、客室を利用して目下逢引き中である。しかし、二人の関係はもはや何か違ってきている。「あなた、私達の将来を考えたことある?」オイ・レンのじわじわと囲い込んでいくような問に対し、エドワードの返答ははかばかしくない。「君は、僕が(マレーシアの)マラッカ(州)出身なのは知っていても、マラッカのどこから来たのか知りもしないだろう。」
一方リネン室の客室メイド達の間では、シンガポール独立の話題でもちきりである。「独立したら、私達は追い出されてしまう」とおびえるマレー系の娘を、慰める中国系の二人の娘。そのうちの一人が言う、「やだ私、JB(ジョホール・バル)に住んでるのよ。通勤のために毎日スタンプを押していたら、どれだけ私のパスポート、厚くなくちゃいけないの?」やがて三人の娘達は、マレー語の「bodoh(バカ)」を福建語や潮州語で何というかを教えあって、笑いあう。中国系の娘の一人がマレー系の娘を励まして言う。「今からいろいろ心配するなんてバカよ。大丈夫よ、ホテルだって、私達がタオルやシーツを変えても、部屋はいつも同じ部屋じゃない?」
さらに一方、玄関先では老ベルボーイの指示の元、若い作業員がマレーシアの旗をシンガポールの旗に付け替えている。「わしはこのホテルで働いているうちに、もう70になっちまったよ」老ベルボーイは言う。「50の時に家族とインドに帰ろうと思ったんだけど」。若者は問う、「なんで帰らなかったんだい?」「親族が皆、パキスタンに移っちまって」「政治がね」「政治がな」
やがてオイ・レン達がいる部屋に、テレビでシンガポール独立のニュースを見るため、メイドやボーイ達が集まってくる。「ねぇ、なんで彼泣いてるの?」メイドの一人が言う。テレビではリー・クアンユー首相が、無念さに泣きながらシンガポールの独立を宣言していた。そして恋人エドワードに去られたオイ・レンもまた、そっと涙を流すのだった。
このエピソードでは、これまで示唆されてきたことが、客室メイド達の口を通してより明確になる。客であれ従業員であれ、様々な人種、民族、階層、背景を持つ人々が、次々とやって来ては、また去って行く。ホテルとは、シンガポールそのものを表している。一つの国をホテルに例える。それ自体が私には新鮮だった。日本でも一つの場所(例えば地方の素封家の家)を舞台として、人や社会、時代の変遷を描くという構成の物語は珍しくないが、この作品では、場そのものが国を象徴し、しかもそれは家などではなく、ホテル———他人の集まりに過ぎない場所なのだ。
このパート1の最終エピソードが、私はなかなか好きだ。キャリア女性の先駆けであるオイ・レンは現代のシンガポール女性のプロトタイプであり、また設定上マレー半島出身になってはいるが、恋人のエドモンドもまた一つの典型である。日本よりも女性の社会進出が進んでいるシンガポールにおいて、女性は強く、その一方で男性は優しいというのが、シンガポールの若い男女の一般的イメージである。
しかし、私が面白いと思うのは、ホテル外でのデートを誘って忙しいと断られ、素直にあきらめたエドモンドに対し、「女は気を持たせるもので、そこを男は簡単にあきらめたりせずに追うもの」なのだと叱るオイ・レンの微妙な「女心」である。メイド達から「決して「bodoh」でない人」と噂されるオイ・レンが、(情事を重ねているにも関わらず)女は焦らし、男は追う、という昔ながらの恋愛作法を持ち出して、素直になれないでいる。それは、「修理屋風情」に恋をした彼女の自尊心のなせるわざだったのかもしれないが、そんなことをしている間に、肝心の相手の心が本当に離れてしまい、今やもう「将来」という言い回しだけが、相手の心を確かめるための切り出しになってしまった。ここでもオイ・レンを演じたパム・オエイが好演した。
これまで世界情勢と時代に翻弄されてきたシンガポール島が、シンガポールという一つの国として独立したことは、一種の政治の都合であった(リー・クアンユー首相はマレーシア連邦に留まることを望んでいた)。冒頭の「私たち、強くならなくては」とは、皆がテレビで独立宣言を見ている間に、失恋してそっと泣くオイ・レンのセリフである。それはもちろん、彼女自身だけではなく、彼女と同様マレーシアに去られ、独立国としてやっていかなくてはならないシンガポールに生きる人々にも向けられたセリフだった。国家となったホテル・シンガポールに何が待ち受けているのか、それがパート2となる。(2016年11月13日)
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