Sunday 17 December 2017

『映画』Manifesto(マニフェスト)


20171021
Manifesto(マニフェスト)」・・・Painting with Light (International Festival of Films on Art)
公開年: 2017
製作国: ドイツ
監督:  Julian Rosefeldt
主演:  Cate Blanchett(ケイト・ブランシェット)
見た場所: National Gallery Singapore

 「Manifesto(マニフェスト)」は、元々ビデオ・インスタレーションとして作られた作品を、95分間にまとめたものである。20世紀の様々な思想家や芸術家によるマニフェストから13のモノローグを作り、それをケイト・ブランシェットに語らせる、という趣向である。各モノローグは、それぞれ全く異なる場面で語られ、それに応じてケイト・ブランシェットも全く異なる役柄を演じている。プロローグはボイスオーバーによっているが、他の12の場面では、ケイト・ブランシェットの十三変化(うち一つのシーンで彼女が二役を演じているため)を見ることができる。各場面の概要とケイト・ブランシェットの役柄は以下の通り。

1.  共産党宣言他(プロローグ)
2.  シチュアシオニズム: 廃墟になったビルの屋上に住むホームレスの老人
3.  未来派: 証券取引所の株式仲買人
4.  建築に関するマニフェスト: ゴミ処理場で働くシングル・マザー
5.   シュプレマティスム/ロシア構成主義: 巨大な研究施設で働く科学者
6.  ダダイスム: 夫(?)の葬式で弔辞を述べる妻(?)
7.   ポップアート: 家族とともに食前の祈りを捧げる裕福な家庭の主婦
8.  Stridentism(ストライデンティズム)/Creationism(クリエイショニズム): たまり場で管を巻くパンク
9.  ヴォーティシズム/青騎士/抽象表現主義: 別荘での内輪のパーティでスピーチする会社社長
10. フルクサス/メルツ/パフォーマンスアートに関するマニフェスト: 通し稽古でダメ出しするコリオグラファー
11. シュルレアリスム/空間主義: 自分の作業場で操り人形を準備する人形遣い
12. コンセプチュアル・アート/ミニマリズム: ニュース番組のアナウンサーとリポーター(二役)
13. 映画に関するマニフェスト(及びエピローグ): 授業をする小学校教師

これはコリオグラファーのケイトとダンサー達。
またなんだかよくわからないダンスを振り付けている。

 各シーンが何のマニフェストについてなのかは、エンドクレジットにも出るが、ここでは英語版のウィキペディアを参照した。学者でもなければ、どこから引用しているかなど、いちいちわかるものじゃない。ケイト・ブランシェットの役柄の方は、私が見た限り、こういう設定なのではないかという推測も入っている。2のホームレスの老人が歩く廃墟にしろ、3の証券取引所や5の研究施設にしろ、俯瞰撮影を多用した映像は、こんな場所があるのかという美しさ。その一方で、4のシングル・マザーのアパート内や8のいかがわしい人々が集う一室などは、小道具まで気を配った空間作りがされており、これまた感心させられる。ケイト・ブランシェットが語る内容と場とが、合っているような皮肉なようなで、そこがおもしろいところなのだと思う。例えば、小学校教師が子供達に向かって、「オリジナルのものは何もない、盗め」などと言っているのは可笑しい。

 各場面でケイト・ブランシェットは、その職業や身分における典型的な人物を演じており、そのため彼女の芝居は誇張されている感がある。あきらかにパロディのような役柄もあり、12のアナウンサーなどはいかにもCNNとかで見そうな感じだし、10のコリオグラファーなどは(映画祭のプログラムには「ロシア人コリオグラファー」とあるが)ちょっとピナ・バウシュのパチモンみたいである。いずれにせよ、彼女が語るのを聞くのは心地よく、例えば6のダダイスムの弔辞など、圧巻だった。

 この作品、まさにケイト・ブランシェットづくしである。12では、アナウンサーのケイトが、中継先で荒天をリポートするケイトに質問をすると、リポーターのケイトがそれに答える。11では、人形遣いのケイトが、自分をモデルにした人形に自分とおそろいのような服装をさせる。見終わった後、ケイト・ブランシェットでお腹いっぱい、という気持ちになった。また、漫画「名探偵コナン」の主人公の母親のように、「変装が趣味の女優」というのは、この世に本当にいるんだなぁと思った。

 美しい映像とともにケイト・ブランシェットの十三変化が楽しめるわけだが、一方で見続けるのが辛いというのも確かである。元はマルチ・チャンネルのインスタレーションであったから、好きなだけ見て、自分が満足した時点で立ち去る、ということができただろう。しかし、一本の映画になると、90分間座って見続けるのが前提である。芸術のマニフェストなどというものは、概して抽象的で、血湧き肉踊る物語というわけではない。それを救うためか、場面の並びに工夫を凝らしてはいる。例えば7の食前の祈り(クレス・オルデンバーグの「I am for an art」を唱える)は分割され、別のシーンの合間に何回か登場する。それによって、いつまでも主婦のケイトが「I am for…」とやっているもんだから、家族もなかなか食事ができない、というユーモアが強調されている。でも、それでもね・・・。私の場合、知識はなくとも、20世紀初期の美術史に興味があるのでがんばって見ていられたが、観客の中に眠くなる人がいても仕方ないと思う。映画の最後、画面が12分割されて、12の場面それぞれに登場するケイト・ブランシェットが勢揃いする。一緒に見た知り合いは、その12分割の画面の中に、自分が見た覚えのないケイトがいたと言っていた。・・・それもありだな、と思ったのだった。2017117日)

人形遣いのケイトと本人そっくりな人形。ちょっと恐い。

No comments:

Post a Comment