Sunday 2 September 2018

『パフォーマンス』2062 --- ジョージタウン・フェスティバル


2018811
2062---George Town Festival
国: スペイン
製作: Karla Kracht, Andres Beladiez
アイデア/構想: Karla Kracht, Andres Beladiez
作劇/サウンド: Andres Beladiez
セットデザイン/カメラ/アニメーション: Karla Kracht
見た場所: Loft 29 (George Town, Penang, Malaysia)


 マレーシアはペナン島のジョージタウンで開催されている、George Town Festival(ジョージタウン・フェスティバル)に行ってきた。ジョージタウン・フェスティバルは、ジョージタウンの町並みがユネスコの世界遺産に登録されたことを記念して、2010年から毎年開催されている文化芸術のフェスティバルである。一ヶ月の会期中、町のあちこちでエキシビションや舞台芸術、コンサート、パフォーマンス、芸術関係のワークショップ等々、様々なイベントが行われている。今年は84日から92日まで開催。私が最後にジョージタウンを訪れたのは、2009年の2月だった。その後十年が経ち、今やジョージタウンはアートの町となっていたのだった。

ペナン国際空港にて

「2062」の会場、Loft 29

 「2062」は、Karla KrachtAndres Beladiezという二人のアーティストによるプロジェクト、ZOOM WOOZの作品である。アニメーション等をビデオ・アーティストでイラストレーターのKarlaが、作劇等を演出家であるAndresが担当している。アニメーションや映像を積極的に取り入れた独自の方法による舞台作品を志向しているという。

 ところで最近、アーティストの活動域がますますクロスボーダー化しており、作品がどこの国のものだと言ったらいいのか困ることが多い。身軽に世界中で活動する個人のアーティストの場合は特に、国名を記載してもあまり意味のない場合もある気がしている。国名を記載すると、その作品がその国の文化芸術の一部をなしているように誤解したくなるが、作品とその国との間にさしたる関係のない場合もありうるからだ。この「2062」について言えば、Karlaはドイツ人でAndresはスペイン人だと思うが、ZOOM WOOZの拠点はスペインの都市、バルセロナとグアダラハラである。二人がプロデューサーも兼ねているが、初演は韓国のSeoul Art Space Geumcheonで、このソウルの芸術センターがスポンサーの一人でもあるらしい。とりあえずここではZOOM WOOZの拠点があるということで、ざっくりと「スペイン」にしておいた。

 さて、この「2062」がどのような作品かと言うと、フェスティバルのプログラムには、「映画的なパフォーマンスを生み出すために影絵芝居や小道具を用いつつ、イラストレーションとアニメーションの形式を通して描き出したデストピアな世界についての実験的なショウ」とある。もっと簡単に言うと、用意された小道具や装置をその場で撮影してアニメーションと合成し、やはりその場で音響効果をつけてスクリーンに映写するという作品。リアルタイムで制作されるビデオ・インスタレーションという感じである。

 基本的には映画を見るのと同じなので、客席の正面に大きなスクリーンがあり、その手前に様々な小道具や装置が用意されているが、その多くは、骸骨みたいな顔をした白い小さな人形達である。上演中Karlaの方がここをひっそりと行き来して、時に装置を動かしつつ、必要な場面を撮影する。客席向かって左手には、ノートパソコン等の装置とともにAndresが立っている。やはり暗がりの中でひっそりと、映像を合成して音響効果をつけてスクリーンに映写している。

開演前のスクリーン

 作品が始まると、「ジャジャーン」という音楽とともに、小さな人形達が演ずる一場面が映し出される。各シーンにキャプションがついているが、それは「ベルリン—1989年」、「ニューヨーク—2001年」、「福島—2011年」といった、世界的に有名な事件の数々である。そしてこのパートの最後は、今もどこかで行われている、とされる殺戮の場面。その後、何年何月にどこの企業(IBMMicrosoftYahooのようなIT系のグルーバル・カンパニーである)がどこの企業をいくらで買収したという一文が、字幕で次々と表示されていく。以降、時にはこの世の終わりのようなオレンジ色や、あるいはピンクと青色の世界を背景として、小さな白い人々が、現代の様々なデストピア的イメージを体現していく。ラストは、やはり「ジャジャーン」という音楽とともに、キャプション付きの事件場面が映し出される。しかし、冒頭と同じシーンであっても、キャプションは同じではない。それは、ずっと未来の年の、全く違う場所で起こった事件になっている。未来は素晴らしいものではなく、過去を繰り返しているのだ。

これらの人形達を撮影して、それをスクリーンに映写しているのである。
(以下、人形達や小道具の写真は終演後に撮ったもの。)

「福島ー2011年」



 決して終わることのない終末のデストピア、といった世界を描いているのだが、それを演じる白い人達が、人形にしろイラストレーションにしろ、かわいい。骸骨のような顔とも言えるし、エイリアンのようだとも言えるのだが、なんかかわいい。それもあって、全体的に終末感を漂わせているにも関わらず、現実を鋭く提示するというよりは、どこか夢見るような彼岸の雰囲気がある。この、暗い内容をちょっとドリーミーに見せるというのが、ZOOM WOOZの二人の持ち味なのだろう。



 見ながら思ったことは、これをライブで上演する必要があるのか、ということだった。観客はスクリーンを見ているのだから、全てを録画してビデオ・インスタレーションとして上映しても同じことなのでは、という気が・・・。しかし、例えば影絵芝居でも、基本的に操作している人ではなく、影絵の方を見ているのだから、それと同じことか・・・などと思ったりした。この作品、ライブ映像をKarlaAndresの二人で作り出しているという所に、手作り感がある。二人でこなせるということ自体は現代技術の賜物なわけだが、各場面に必要な小道具を、時には装置を動かしつつ撮影し、その撮影した映像にタイミングを合わせてサウンドをつけるという作業に、マニュアルの大変さを感じさせる。そういうわけで、暗い内容の作品にも関わらず夢幻的でもあることとあいまって、どこか「ヨーロッパから興行師来た!」みたいな気持ちにちょっとさせられた。

 終演後は、作品で使った人形達や小道具の見学、写真撮影ができる。また、KarlaAndresの二人も居残っているので、お話することも可能。この作品は、この終演後までを含めた総合的な体験なのだと思う。ライブ・パフォーマンスであり、ビデオ・インスタレーションであり、制作物の展示会でもあった。お客さんの入りは56割というところだったので、せっかくなのにちょっと勿体ないなーと思ったのだった。

終演後。人形達や小道具を見るために集う観客達。

 ところで、10年ぶりのジョージタウンは、ホテルやおしゃれカフェが増えたけど、雰囲気そのものはあまり変わっていなかった。同じくマレーシアで世界遺産の町並みを持つマラッカと比べると、車がゆっくりと走るのが印象に残っていたのだが、相変わらずリラックスした感じで走っていた。これがシンガポールだと、街中であってもうっかり飛び出してはねられたら、間違いなく死ぬような速度で走る車が多いのだけど。2018826日)

ジョージタウンの朝

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