Wednesday 10 December 2014

『演劇』Working on a Special Day(特別な一日)


2014117
Working on a Special Day(特別な一日)」———束の間の、そして輝かしい、ただの一日
国:メキシコ/アメリカ
カンパニー:Por Piedad Teatro/The Play Company
演出:Ana Graham, Antonio Vega
出演:Ana Graham, Antonio Vega
見た場所:Esplanade Theatre Studio


 今年のFringe Festivalで私が見た、最後の作品。元はメキシコのシアター・カンパニーであるPor Piedad Teatroの作品だが、The Play Companyと協同してアメリカ上演を行ったという。アメリカはニューヨークで上演した際にはスペイン語だったそうだが、ここシンガポールでは英語での上演だった。原作はエットーレ・スコラ監督、マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン主演の「特別な一日」というイタリア映画である。1938年のイタリア、ヒトラーのムッソリーニ訪問を祝う「特別な一日」に、生活に疲れた主婦が謎めいた男に出会う。物語は、その一日限りの二人の交情を描いている。映画とは異なり、この作品は、主婦アントニエッタ役の女優、Ana Grahamと謎の男ガブリエレ役の男優、Antonio Vegaによる二人芝居である。

 正直、英語の芝居を見るのは辛いのだが、このスペイン語訛(?)の英語がまた、手強かった。彼らによると、スペイン語上演で観客に字幕を読ませたくない(読んでいる間に舞台の方が見られなくなるから)、という気持ちでの英語上演だったらしい。私には字幕の方がありがたかった。それはともかく、英語での上演ではあったが、劇中、ちょっとイタリアンな雰囲気を出すため(と上演後の質問コーナーで彼らが言っていた)、時おりイタリア語の単語が間投詞的に挟まれた。

 私が見に行ったこの日、先生らしき人に引率された女子中学生の一団が。普段は見かけない若い観客に出演者は喜んでいたが、芝居が始まるまで、おしゃべりでうるさかったよ、彼女ら。チップマンクスみたいで。始まった後も、オープニングの俳優の下着姿にざわつくチップマンクス達。でも、やんわりと注意するお客さんがいて、すぐに静かになった。

 そう、始まってすぐ、俳優二人が舞台衣装に着替えるのである。観客が入場する時、彼らはまず劇場の入口で出迎えをしてくれている。観客が着席した後、彼らはその目の前で衣装に着替え、舞台スペースを作っている三方の真っ黒い壁に、白いチョークで窓やムッソリーニの肖像画などを描く。そして芝居が始まる。「今日は私達にとって特別な一日です。」

 そうして始まる、主婦アントニエッタの忙しい一日。この作品では、机や椅子、コーヒーカップ、洗濯物といった小道具はあるが、始まる前に描かれた窓や肖像画のように、芝居の進行に必要となってくるものは、都度俳優達によって壁に描き足されて行く。また二人芝居なので、それ以外の登場人物、アントニエッタの子供達等は姿を見せず、その声だけを彼らが演じている。舞台スペースを作っている黒い壁の後ろで、彼らのうちのどちらかが、さもその人物が壁の向こうにいるかのような調子で応答するのである。さらに、ドアベルや電話のベル、オウムの鳴き声のような効果音も彼らによって演じられている。物語上、重要な存在となるオウムだが、その実体はないので、オウムが籠から逃げて飛び回ったりする様は、俳優達の演技によっている。俳優達と一緒になって、観客も見えない鳥を目で追っていくわけだ。

 背後の黒い壁には入口が二カ所開いているので、その向こうの空間を俳優が歩いていると、観客にはその姿が見える。場面は、アントニエッタのアパートと謎の男ガブリエレのアパートとの往復となるのだが、例えば、壁の向こうでアントニエッタが走って行ったり来たりしていると、ガブリエレのアパートに行くために、急いで階段を降りているのだな、ということが察せられる。そして場面はアントニエッタの部屋からガブリエレの部屋になる。

 出演俳優であり演出も兼ねているAna GrahamAntonio Vegaによると、この相互作用的な、次々と書き足されて行く舞台空間は、子供の遊びから発想されたものらしい。例えば、舞台の表にいないアントニエッタ(姿は黒い壁の向こうに見えている)が電話のベルの効果音を演じると、一人部屋にいるガブリエレが壁に電話の絵を描いてから、受話器を取るふりをして電話に出る。見る方の想像力に頼る、こうしたシーンが楽しく、ユーモラスでもある。それは、演劇を見る純粋な楽しみを観客に与えるとともに、1938年のファシズム政権下のローマという古風な設定に、ある種の普遍性をもたらしているとも言える。俳優が観客を出迎えてくれるくらいなのだから、彼らは舞台上に「現実」のイリュージョンを打ち立てようとしているわけではない。その演出は、この芝居があくまでも芝居に過ぎないことを明らかにしている。しかしそれが単なる芝居であっても、あるいは恐らく、それが単なる芝居であるからこそ、そこに表れる感情が一つの真実だと、感じられる瞬間がある。

 この作品は、ファシズムの恐怖を警告し、このような恐ろしい歴史を二度と繰り返さないようにしましょう、と言いたいわけではないのだと思う。実は敵同士とも言える立場の男女の、その日常からはみだした一日だけの切ない恋を描く、というメロドラマの意図はあったかもしれない。しかし、この作品を見て感じたのは、ファシズムを支える理念の一つでもある、マチズモに対する憎しみである。憎しみというほど、登場人物達から情念が吹き出しているわけではないので、異議申し立てと言った方がよいかもしれない。

 主婦アントニエッタは、亭主関白な夫に顧みられることもなく、家事と子育てに追われて日々を過ごしている。そして他の市民と同じく、ファシスト党を支持している。一方の謎の男、ガブリエレは、勤めていたラジオ局を解雇され、同性愛者であるがゆえにサルディニア島に流されようとしている。政治的にも性的にも、この二人は共通点がないわけだが、この「特別な一日」に偶然出会い、心を通わせる。だからと言って、彼らがわかり合えたのかというと、そうではない。アントニエッタには最後までガブリエレの置かれた状況をはっきりと理解できなかっただろうし、ガブリエレも自分のことを完全にわかってもらおうとは思っていなかっただろう。しかし、アントニエッタは、繊細でチャーミングな男性と出会って心をときめかすことで、今までいかに自分が生活に疲れていたかを知る。一方で、死にたくなるほど世の中と自分に絶望していたガブリエレは、近所の奥さんの中に奥ゆかしさと善良さを見る。彼らがお互いの心に温かいものを抱き、ぶつかり合い、そして最終的には肉体的に結ばれる。

 それは、性の解放などという大上段に構えたものでも何でもなく、この後お互いの人生の何かが変わるわけでさえない、小さな出来事である。しかしこの日、アントニエッタは生活を忘れて生き生きとした昔の自分を取り戻し、ガブリエレは死を忘れて生きる喜びを得た。マチズモの支配する世界でのつかの間の出来事、だからこその「特別な一日」であったわけだ。

 そして一日が終わり、ガブリエレはサルディニア島へと出発した。恐らく二度と帰ることはないだろう。アントニエッタは自宅の窓から彼の姿を見送る。もう二度と今日のような日は来ないだろう。アントニエッタは、壁にチョークで描かれた開いた窓を消す。そして、閉じた窓に描き換える。2014210日)

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