Saturday, 20 March 2021

『映画』The Last Artisan(最後の職人)

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The Last Artisan(最後の職人)」・・・「自分にとってハウパーヴィラが全てであったということだ」

公開年: 2018

製作国: シンガポール

監督: Craig McTurk

見た場所: 自宅(有料動画配信)

 

 COVID-19の大流行により大打撃を受けている映画館だが(シンガポールでは現在も座席数が限られた形での興行であり、9月時点で一会場最大50人までの入場)、映画館側の試みとしてオンデマンド配信を行っている所もある。The Projectorはかつてのインド映画(だったと思うが)上映館を改装して5年くらい前から興行している、日本で言ういわゆる「ミニシアター」である。シンガポールでCircuit Breaker(セミロックダウン)が発令されて、全てのエンターテイメント施設が一時閉鎖された時から、The Projectorは「The Projector Plus」というオンデマンド配信を進めてきた。映画館で興行できるようになった現在も絶賛配信中で、映画館の方では上映されていない作品をレンタルすることができる。この「The Last Artisan」というシンガポールのドキュメンタリー映画も、The Projectorのオンデマンド配信でレンタルしたのだった。

 

 

 Haw Par Villa(ハウパーヴィラ)はシンガポールの歴史あるテーマパークである。元々は、ビルマ出身の中華系実業家Aw Boon Haw(胡文虎)が、弟のAw Boon Par(胡文豹)のために建てた邸宅のあった所で、その敷地はシンガポール海峡を見下ろす丘を占めていた。ハウ(Haw、虎)とパー(Par、豹)のヴィラ、ハウパーヴィラである。兄弟は、シンガポールのお土産としても有名な軟膏、タイガーバームの製造販売で財を成した実業家であり、この公園もかつて「Tiger Balm Gardens(タイガーバームガーデン)」と呼ばれていたことがある。

 

 さて、1937年にヴィラの敷地は一般に開放されるようになり、以来、Aw Boon Hawの中国文化と神話に対する情熱に基づいて、園内が造成されていった。第二次世界大戦中、シンガポールを占領した日本軍によって、ハウパーヴィラは監視ポイントとして接収されていたが、戦後再びAw Boon HawAw家の人達によって公園の再建が進められた(弟Aw Boon Parは戦時中に亡くなった)。

 

 こうしてハウパーヴィラは、およそ1,000体の彫像と150ものジオラマが、中国の文化・神話・民話・文学をその独特すぎる造形とヴィヴィッドな色使いで再現する、一大テーマパークとなった。Singapore Tourism Board(シンガポール政府観光局)が運営を引き継いで以来、紆余曲折を経て、現在は無料で一般に開放された公園として親しまれている。マリーナ・ベイ・サンズだのユニーバサル・スタジオ・シンガポールだのの派手な観光地の影に隠れ、「B級」「珍名所」などという位置づけになってしまっているハウパーヴィラだが、しかし1970年、80年代頃までは、特に家族連れに人気のメジャーな観光施設であったという。

 

 私も2013年に訪れてみたが、意外にも(というと失礼だが)、「珍名所」という言葉から連想されるような廃れた感じはしなかった。確かに、入場者もまばらな、静かな公園ではある。レストランや土産物店といった観光地っぽい施設も特にない。往時は賑わったのだろうな(でも今は・・・)、と思わせる雰囲気を醸し出してはいる。醸し出してはいるが、でも、見捨てられた公園ではなかった。というのも、公園内のそこここにある彫像やジオラマの中に、明らかに新しく塗り直されたものがあり、公園全体がメンテナンスされていることが窺われるからである。洋服を着た変な動物達も、どうしてこういう表現になったのかよくわからない民話の一シーンも、まだその生命を保っているのだ。

 

 さて、えらい長い前振りであったが、この「The Last Artisan」というドキュメンタリー作品は、ハウパーヴィラで彫像達を塗り直してメンテナンスしている老人が主人公なのである。Mr. Teo Veoh Seng(テオ・ヴェオセン)は、83歳。今から70年ほど前の、第二次世界大戦後まもなくの頃、父が職人として働いていたハウパーヴィラで、テオ氏は見習いとして働き始めた。13歳の時であった。以来働き続けて70年、今やテオ氏は、ハウパーヴィラ創設初期を知る最後の職人となった。80歳を越えても毎日ハウパーヴィラに通い、8.5ヘクタールある広大な園内で、彫像やジオラマをメンテナンスしている。今日、決して高給ではないうえに野外での肉体労働となる仕事には、シンガポール国内で後継者を見つけることができず、テオ氏の他には、中国から採用された弟子が一人いるだけである。(ただし、テオ氏の退職が近くなった時、もう一人、やはり中国から採用された。)映画は、いよいよ退職の日を迎えるテオ氏の、職場での最後の日々とこれまでの思い出を描いている。本人や周囲の人へのインタビューだけではなく、それを元に作られたアニメーションも交え、見る人がイメージを掴みやすいように作られている。

 

 

 職人にもいろいろなタイプの人がいると思うが、テオ氏は基本的には弟子を誉めない。叱ってるんだか教えてるんだかという感じで、弟子の仕事にあれこれ言う、口やかましいタイプのじいさまである。しかし、これにはそれなりの理由もある。刻々と退職の日は近づいているのに、弟子はなかなか一人前にならない。結局、退職の後も、テオ氏はパートタイムで弟子達の指導を続けることとなる。しかし、第一線からは退いたわけで、それは仕事一筋であったテオ氏にとって、大きな変化であった。退職前、テオ氏の娘さんは、退職後の父にやることがなくなるのではないかと心配しているが、その心配はわりと当たっていた。ハウパーヴィラに行っていない時のテオ氏は、自宅で4-Dくじ(注1)をせっせとしてみたり、近所のコーヒーショップ(注2)でコピ(注3)を前にぼんやりと座ってみたりしている。見ている方としては、「ようやくゆっくり休めるようになって良かったですね」と言い難い、ちょっと微妙な気持ちになる。

 

 テオ氏は、奥さんとの間に8人の子供を儲け、末広がりの大家族を築いている。チャイニーズニューイヤー(旧正月)の家族の集まりともなれば、それは大変な賑わいである。この作品では、テオ氏の仕事だけではなく、彼の個人史とハウパーヴィラの歴史、そしてシンガポールの歩みまで描かれている。テオ家の発展が、イギリスの植民地から日本の占領支配、大戦後の独立とその後の経済成長というシンガポールの歴史と重ね合わせられている。・・・のかどうかわからないが、いささか盛り込み過ぎな気がしなくもない。確かに、民間人にも関わらず故なく日本軍に殺されたテオ氏の祖父の話や、中国からいわゆる出稼ぎに来ている弟子達の話など、興味深いものは多い。しかし、テオ氏に焦点を絞って70分くらいの作品にした方が良かったのではないかと思う(実際には90分の作品だった)。見ていると、テオ氏の人生を描いているのか、ハウパーヴィラという希有な施設を紹介したいのか、それともテオ氏やハウパーヴィラを題材としてシンガポールの過去と現在を俯瞰したいのか、若干わからなくなってくる。

 

 この映画の本来の肝は、「work hard(懸命に働く)」ということにあると、私は思う。作品の最初の方、シンガポールの歴史に触れるくだりで、昔のRun Run Shaw(ランラン・ショウ)へのインタビュー映像が挿入される。1920年代に映画製作会社を始め、Shaw Brothersという香港、東南アジアをまたぐ一大映画王国を築いたショウ兄弟の一人にして、シンガポールにかつてあったMalay Film Productions(マレー・フィルム・プロダクションズ)のプロデューサーだったランラン・ショウが、巨万の富を築いた成功の秘訣を聞かれて、こう答える。

 「work hard、ただそれだけだ。」

 その後の字幕で、この「work hard」は、シンガポール人の基本的な通念、理想となったことを説明している。そうかもしれない。しかし、この「work hard」の意味合いは、人種によって(シンガポールには中華系だけがいるわけではないので)、さらには各人によって、違ってくるのではないかと思う。インタビューに対するランラン・ショウの答えを端的に要約すると、一生懸命働けば成功して金持ちになれる、ということだろう。「work hard」は金をもうけることと直結しており、それは多くの人にとってそうだろうと思う。テオ氏もまた、「work hard」という言葉を口にする。しかし、この「work hard」は、単に金を生み出すための方法であることを越えて、一人前の仕事をすることで自分と家族の生活を支えるという必死さをにじませたもののように思える。

 

 作中でテオ氏は、子供に関して罰金、罰金と言っているが、これは、シンガポール政府が1970年代に人口抑制策の一環として導入していたTwo-Child Policyに関係していると思われる。かつてシンガポールでは、子供は二人で十分とされ、三人目の子供からは様々な費用が余計にかかった。(例として、政府系の病院での出産費用が高くなる、三人目の子供について所得税の扶養控除額が減る等々。)それでなくても、八人の子供を育て上げるのは大変だったろう。作中では触れられていないのだが、他にもっと収入の良い勤め先があったら、テオ氏だって転職したいと思った時期があったかもしれないのだ。

 

 別にテオ氏は、ハウパーヴィラがすごく好きでこの仕事を始めたわけではない。そしてハウパーヴィラは歴史的文化遺産でも何でもない単なるテーマパークだったわけだから、この仕事が(技術を必要とされても)いわゆる伝統技術を継承するものであるわけでもない。ハウパーヴィラの盛衰の中、まさに一職人として、普段誰にも顧みられないような仕事で「work hard」し続け、結果的には、この希有な公園が次の世紀まで人々に愛される場所となるに大きな寄与をした。最後にはあの広大な園内を、自分とわずかな弟子達で支えきった。それがテオ氏の、ハウパーヴィラでの仕事であり、生き様であった。映画の終盤、テオ氏は塗りを確かめるように彫像達を優しく撫でながら、園内を歩いて回る。それはもう何年も何十年もしてきたことであろう。このシーンにかぶさるテオ氏の言葉、

 「私はここで70年働いてきた。それは私にとってハウパーヴィラが全てであったということなのだ。」

 ハウパーヴィラで働き始めた13歳の時、テオ氏はこの人生を予想し得ただろうか?この瞬間、私は人生というものの不思議、そして人間の不断の努力というものに感じ入った。だからこそ、この映画はテオ氏のハウパーヴィラ人生にもっとフォーカスすれば良かったのにと、少し残念になったのだった。20201014日)

 

    注1 4-Dくじ: 0000から9999までの四つの番号を自分で選ぶ宝くじ。シンガポールで人気がある。

    注2 コーヒーショップ: 「コーヒーショップ」というが、ホーカーセンターに近く、飲み物だけではなく食事も売る。ただ、ホーカーセンターのような独立した建物ではなく、団地の一階などに設けられていることが多い。通常正面の壁がないので、良く言えばオープンテラス式。

    注3 コピ(Kopi): シンガポール、マレーシアの伝統的なコーヒーで、独特の香りを持ち、濃い。コーヒー豆はマーガリンを加えてローストする。練乳または砂糖と無糖練乳が入っているものが基本。

 

 以下は2013年5月19日に私がハウパーヴィラで撮った写真。ご参考までに。

 

丘に沿って公園が作られている。






有名な"Ten Courts of Hell"(閻魔大王の地獄の様子を描写した展示)に至る道

Saturday, 13 February 2021

『映画』Suk Suk (叔・叔)

20201010

Suk Suk ()」・・・Singapore Chinese Film Festival

公開年: 2020

製作国: 中国(香港)

監督: Ray Yeung ()

出演: Tai Bo (太保), Ben Yuen (袁富), Au Ga Man Patra (区嘉)

見た場所: Filmgarde Bugis+

 

 今年のChinese Film Festivalのクロージング作品だった。チケットは売り切れとなったのだが、入場者数が制限されているため、満席でも盛況な感じがしないというのがちょっと悲しい。

 

 70歳のタクシー運転手のおじいさんと65歳の定年退職したおじいさんとの恋愛を描く。それぞれ子供も孫もおり、「ストレート」としての社会生活を送る一方、実は隠れゲイとして生きて来たという設定である。この二人の出会いと別れを通して、自分らしく生きるとはどういうことなのか、また、人生の黄昏時をどのように生きるかといった、重いテーマを描いた恋愛映画だ。

 

 

 Tai Bo 演じるPak(パク)さんは、70歳の今も元気にタクシー運転手として働いている。長年連れ添った妻との間に息子と娘、二人の子供がいる。息子は結婚してすでに子供がおり、パクさんは息子夫婦の代わりに、孫娘の学校のお迎えをしたりもしている。一般的な婚期を逸しかけている娘の方は、無職で(でもいい人そうだが)年下の男とつき合っており、パクさんの妻の悩みの種となっている(パクさんの方はあまり気にしていない)。娘の彼氏も含めて家族全員がパクさん夫婦のアパートに集まり、夕食のテーブルを囲む時、そこにはなんの屈託もなさそうな一家の姿がある。しかし、パクさんには秘密があった。かつては一日18時間をタクシーの中で過ごして働き続けたパクさんだが、子供達が自立して子育てが終わってから、男漁りを嗜むようになっていたのである。そしてある日、真っ昼間の公園で、一人ベンチに座るHoi(ホイ)さん(演じるのはBen Yuen)と出会う。

 

 ホイさんは65歳で、すでに勤め先の工場を定年退職した身である。若かりし頃に一度結婚して息子を一人設けた。しかし、ゲイであったためか、妻と上手く行かずに離婚してしまったのである。自由に再婚したかった妻は子供を置いて去ってしまったので、ホイさんが男手一つで息子を育て上げた。現在は息子一家と同居している。息子は頭良さそうなだけに神経質そう。ゆえにホイさんにも口うるさいが、それだけホイさんを気遣っているとも言える。お嫁さんは気だてが良くて優しく、孫娘はかわいい。一家は(ホイさんも含めて)熱心なキリスト教徒でもある。そういうわけで、なんの屈託もない退職ライフを送ることのできそうなホイさんだが、やはり息子達に秘密の活動をしていた。高齢のゲイの仲間達と、ゲイ専用の老人ホームを建てるための募金活動をしているのである。具体的には、街の通りでクッキーを販売し、その収益をホーム建設のための基金とするという、ガールガイドの活動などと同じ方式を取っている。平日昼間の活動とはいえ、街角でばったり息子に会ってしまったらどうするのだろうと思わなくもない。

 

 それはさておき、二人は出会い、はっきりと口に出さずとも、目と目でお互いにゲイだとわかりあい、つき合い始めていく。ゲイであることは二人とも家族に秘密だが、特に妻のいるパクさんは神経質である。夜、自宅にいる時にホイさんに電話しなくてはならない時には、口実を作ってわざわざ外に出てから電話する入念さ。そういうわけで最初のうちはホイさんの方が積極的なのだが、ほどなくして二人は、ゲイの集う古いサウナの一室で結ばれる。秘密の関係なので、二人の逢瀬は平日の昼間に限られている(どちらも夜は家族と過ごすため)。ちなみに平日のゲイサウナは、お客さんのほとんどがシニア世代である。

 

 二人は70歳と65歳だが、恋愛の緊張とときめきは変わらない。サウナでお互いの裸をきれいだと誉め合ってみたり、「うちに泊まりに来る?」などとホイさんがさり気なくも緊張してパクさんを誘ってみたり、「スーパーは冷房が効いていて苦手」などと言いつつ(ここがシニアっぽい)二人で市場に夕食の材料を買いに行ったり。ちなみにホイさんがお泊まりの誘いをしたのは、息子一家が週末旅行に出かけて家を空けたため。もちろん息子夫婦はホイさんも旅行に誘ったのだが、ホイさんが(パクさんと過ごしたいという下心があって)断ったのだった。

 

お泊まりしてホイさん(手前)の手料理に舌鼓を打つパクさん(後方)
 

 そういうわけで、老人二人の恋愛がガッツリ描かれるのだが、人目を忍ぶ彼らの恋には様々な障害がある(そもそもゲイであるないに関わらず、パクさんに妻がいるということはいわゆる不倫の恋なのだ)。そこで感心するのは、脚本の巧みさである。言葉にして語らせずとも登場人物の心情を語るシーンの数々。二人の恋愛の推移が、家族関係や社会生活とそれとなく、だが緊密に結びついている構成。

 

 例えば、パクさんは妻に対してなんとなく味気なさを感じている。パクさんが大切にしているシャツを、妻は古いからと言って捨てようとする。長年の夫婦ならさもありなんという小さな出来事なのだが、パクさんの方は齢70にしてまだまだ色気というか、ロマンチックなところがあるのだ。一方、ホイさんの老人ホーム設立のための活動では、誰か代表となって議会(?)でスピーチをしてはどうかという話が持ち上がる。もしホイさんが代表になれば、息子にはもちろんのこと、世間に対してカミングアウトすることになってしまう。このような、それとなく二人を後押しするようないくつかの出来事が、恋の盛り上がっていく過程で起こる。そして、パクさんの娘の結婚という出来事とともに、二人の恋は頂点を迎える。

 

 パクさんの娘は妊娠し、件のいい人そうではあるが無職の彼氏と結婚することになる。もちろんパクさんの妻は不満たらたらだが、パクさんは「(妊娠を知って)相手が逃げ出さなかっただけ良かった」と、相変わらず淡白な態度である。何はともあれ、金のない彼氏に代わり、パクさん一家が費用を負担して、結婚披露宴を行うことになった。この披露宴に、パクさんはホイさんを「職場の同僚」として招待する。つまり、(「友人」としてだが)パクさんはホイさんを自分の家族に紹介するのだ。

 

結婚披露宴の記念写真。前方がパクさん夫妻と息子一家。後方が新郎新婦。
 

 この、二人にとってのエポックメイキングな出来事は、娘の結婚にまつわって起こった。しかし、同時にまた、この結婚披露宴が大きな転換点となって、二人の関係は下降に向かっていくことになる。披露宴の後、いまだ就職活動中の娘婿と話したパクさんは、タクシー運転手になることを勧める。お金がなくてタクシーのレンタルもできない彼に、パクさんは無償で自分のタクシーを貸すことを申し出る。引退を拒んでいたパクさんの、突然の決意である。こうしてパクさんは、娘婿にタクシー運転手としての心得を教えたり、彼を同僚達に紹介したりと、引き継ぎを進めていく。その中でパクさんが改めて感じるのは、自分の老いである。そして年月をかけて築いてきた家族の絆である。娘婿のタクシー運転手としての初日、パクさんは娘とともに出発する彼を見送る。その後、娘はパクさんに礼を言うと、少し微笑んで、

 「私は今まで、お父さんは私より兄さんのことが好きなんだと思ってた。」

パクさんは答える。

 「何をバカなこと言っているんだ。」

そして、「さぁ、朝飯を食いに行こう。」と、パクさんは娘と連れ立って歩いて行く。これまで娘に対して淡白に見えたパクさんだけに、娘とのこのシーンは、非常に感動的だった。

 

 こうしてパクさんが引退すると、息子の方はパクさんにお金の入った封筒をくれるようになる。パクさんが電話して断ると、息子は言う。

 「僕たち(一家)は十分やっていけるから気にしないでいいよ。母さんを旅行にでも連れて行ってやってよ。」

 「......

また、パクさんの奥さんは、「取っておきたいって言ったのあなたでしょ。」と、以前に捨てる捨てないで言い合いになった古いシャツを、ちゃんと洋服ダンスの中に取っておいてくれたのだった......。この妻と子供達に対し、今ホイさんの存在で波風を立たす必要があるのだろうか。

 

 一方ホイさんの方は、一人で暮らす高齢の友達を見るにつけ、ゲイ専用の老人ホームの必要性を感じつつも、「では、自分はどうしたいのか」で悩む。息子一家との夕食の席で、認知症になった知り合いの話を聞いた後、昔の彼氏との写真などの入った「思い出の小箱」(的な箱)を自宅から離れた外のゴミ箱に捨てに行く。自分に万一のことがあった時、所持品を家族に見られても困らないようにするためかと思う。敬虔なクリスチャンの息子(そもそもホイさんがキリスト教徒になったのは、息子の影響なのだ)に、今さら自分がゲイだと言うのか。ついに老人ホーム設立活動の集まりで、ホイさんは皆に言う。

 「ゲイ専用の老人ホームが出来ても、自分は一般の老人ホームに入りたい。息子には自分がゲイだと知られたくない。」

 

ホイさんの老人ホーム設立活動のミーティング風景
  

 こうした様々なエピソードが積み重ねられた結果、パクさんとホイさんの恋は静かな終わりを迎える。二人ともこれまでの人生における苦労と努力が報われて、(ゲイであることを隠しているということを除いては)幸福な老後を迎えてしまった。もしかしたら、パクさんの奥さんとホイさんの息子は、おぼろげに気づいているのかもしれない。しかし、それを本人がはっきりと認めてしまうのは、また別問題である。今、自分がゲイであるとカミングアウトした時、失うものはあまりにも多いように見える。あるいは、失ってそれをまた取り戻すことには、あまりにも多くの労力が必要なように見える。「今さら」自分らしく生きることに、二人は躊躇するのだ。この映画には悪人が出て来ない。しかし、一人も悪人がいないにも関わらず、否、一人も悪人がいないがゆえに、愛し合う二人が別れなくてはならなくなっている。この矛盾に、この作品が描いたテーマの重さがあると思う。

 

 ラストシーンの直前のシーンで、パクさんは孫娘を学校に送り届ける(孫娘のお迎えをする冒頭の方のシーンと対になっている)。お友達と連れ立って校舎に入って行く孫娘の後ろ姿に、パクさんは呼びかける。しかし、お友達に気を取られている彼女は、パクさんの呼びかけに振り向かない。

 

 ところで、この映画には食事のシーンが何度も登場する。家族が一堂に会して食事をすることが、日常生活の象徴であり、家族のつながりの強さの表現でもある。パクさんとホイさんも、二人の仲が最高潮だった時は、一緒に食事をしていた。しかし、家族と言っても各人それぞれの人生がある。いつまで子供達や孫達と一緒に食卓を囲めるのか、それはわからない。パクさんは妻や子供達を思って、半ば自分を犠牲にしてホイさんと別れた。それは、本当に正しかったのか。

 

 前述の、孫娘との何気ない日常のシーンは、ある種の象徴的な意味合いを孕み、パクさんとホイさんの「答え」を揺るがす。そして映画は、明確な正解のないままラストシーンを迎える。

 

 この作品では、ゲイを取り巻く社会の問題のみならず、老後の生き方もまた描かれている。そのため見終わった後、心の中にずっしり来た。自分の人生の黄昏時を思って......。それだけに、良い映画であったわけだが、自分ももう若くないので......

 

 ちなみに、二人の恋が盛り上がっている時にかかる挿入歌「Gentle Breeze and Drizzle(微風細雨)」が印象的で、気を取られる。「微風細雨」は、元は台湾の女性歌手Liu Lanxi(劉藍溪)が1979年に歌った曲ということだが、この映画では男性歌手のQing Shan(青山)のバージョンである。そよ風が吹いて霧雨が降り、二人のいる世界は美しい。僕が風で君が雨だったらいいのに(ここ若干、昔の某少女漫画のタイトルを思い出させる)。みたいな、聞いているこちらが恥ずかしくなるくらいロマンチックな歌詞の曲である。有名な曲のようで、テレサ・テンやフェイ・ウォンも歌っている。映画の後、YouTubeでいろいろな歌手のバージョンを聞いていたら、中国語ができなくても、カラオケで歌えるんじゃないか、自分、という気になった。20201125日)