Saturday 17 October 2020

『映画』Crazy World(クレイジー・ワールド)

 

2020530

Crazy World(クレイジー・ワールド)」・・・We Are One: A Global Film Festival

公開年: 2019

製作国: ウガンダ

監督: Nabwana IGG

出演: Kirabo Beatrice, Bruce U

見た場所: 自宅(無料動画配信)

 

 529日から67日まで、We Are One: A Global Film Festival」というオンライン・フィルム・フェスティバルが開催された。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的大流行のため中止を余儀なくされる映画祭が多い中、トライベッカ映画祭のTribeca Enterprisesによって組織された映画祭である。世界中の名だたる映画祭が各々選んだ作品を集めており、プログラムは映画作品に限らず、トーク、パネル・ディスカッション、360VRVirtual Reality)作品など様々。一定期間の間、YouTubeでどの作品も無料で視聴できるようになっているが、COVID-19救済基金のための寄付も呼びかけている。

 

 この「Crazy World(クレイジー・ワールド)」はトロント国際映画祭発。ウガンダはWakaliwood製作のアクション映画である。Wakaliwood(ワカリウッド)とは、ウガンダのNabwana IGGが設立した映画製作会社Ramon Film Productionsのこと。ウガンダの首都カンパラのスラム地域ワカリガ(Wakaliga)で映画製作を行っているため、「Wakaliwood」と称しているらしい。超低予算というよりも、予算などないも同然の予算でアクション映画を製作し続けている。

 

 

ワカリウッドの創設者で監督のNabwana IGG
 

 ところで、まだボリウッド映画が日本で一般的に知られていなかった頃、学校の先輩に「サタジット・レイを見てこれがインド映画だと思うのは、熊井啓を見てこれが日本映画と思うようなものだ。」と言われたことがある。今からすると確かにその通りだと思う。さらに、そのサタジット・レイでさえ、かつて私がシンガポールで見た「The Elephant God」のような作品を撮っていることを知った。「The Elephant God」は、サタジット・レイ自身が書いた探偵小説の映画化作品で、探偵Feluda(フェルダー)が活躍する冒険活劇映画。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズみたいで面白かった覚えがある。それはともかく、私が言いたかったのは、ワカリウッドの映画を見て、ウガンダ映画はこういうものだと思ってしまったら、ウガンダの人達は困るのではないか?ということだ(まぁそんなふうに思う人はいないと思うけど)。

 

 要はそのくらい安っぽく、かつ、手作り感が満載。そしてもちろん、その点をけなすことはできる。また一方、予算のないことを察して、それでもよく頑張ったとほめることもできる。あるいは、珍作、カルト作という別の観点からほめることも。とにかく見終わった後、どうしていいかわからずちょっと呆然とする。が、一つ言えるのは、この映画は最後までそれなりに楽しく見られる作品であり、見終わった後に「どうしてこんなものを見てしまったのだ?」と自分に腹を立てる必要もなく、後5年くらいしてタイトルを見た時、自分が見たかどうか全く思い出せないという始末にはならない、ということだ(一つではなく、三つ言ってしまった)。ちなみに二番目、「どうしてこんなものを見てしまったのだ?」と思う人はいると思う。しかし、上映時間65分の作品なので、許していいと思う(上映時間90分くらいまでで収めてくれる長編映画は、個人的に好感度が高い)。また三番目、自分が見たかどうか思い出せないという始末にはならない、という点だが、(これしか見ていない私と違って)ワカリウッドの作品をいくつか見た人は、どれがどれだかわからなくなるかもなぁと思った。ある意味そのくらい、ワカリウッドという「ジャンル」として個性的。

 

 そして個性という観点から言えば、安っぽいということ、それ自体がもはやこの作品の個性となっている。緊張感に欠けた雰囲気、まるわかり過ぎるCG、地元そのままのロケーション(映画が始まる前に監督のNabwana IGGがワカリガの撮影所を紹介してくれる映像がついているのだが、その風景が映画のシーンと地続き的に同じ様子なので、どこから本編が始まったのか、一瞬わからなくなった)、ドキュメンタリー・タッチというのを通り越して、単に素でセリフをしゃべっているように見える俳優達。しかし、この作品はこうした欠点とも言えるべき要素を隠そうとはしない。むしろこうした要素を前面に出して、映画内の世界が映画として作られたものであることを表明している。作り物なのだから、安いCGのようなその作り物感も楽しんでくれと、見る者を誘うのだ。

 

 さらに、作品のメタ的な構造を決定的にすべく、「video joker」による変なナレーションが入っている。このナレーション、映画の最初から最後までずーっと入っている。時にサイレント映画の字幕のように登場人物の名前や役柄、状況を説明し、時にアクション・シーンの実況中継を変な合の手を入れながら行い、時に登場人物に突っ込み、時にワカリウッド映画を褒めちぎりもする。例えば、「(確かに私は俳優の顔を覚えるのが苦手だが)そんなに折に触れて何度も「Isaac Newton」言わんくても、この子がIssac Newton(役名ではない、彼自身の名前)なことはもうわかったよ、うるさいよ」、と思ってしまうほど、懇切丁寧な(または耳障りとも言う)ナレーションなのだ。その上、「海賊版を作るのはもちろんのこと、見るのもいけませんよ」という、本編とは関係のないエピソードが挿入され、出演俳優の旧作の紹介があり、もはや何でもありになっている。

 

 もしこの映画が、メタ的構造を利用したこうした遊びの部分だけのものだったら、単に仕上がりが安っぽいことの言い訳をしているようにしか見えなかっただろう。しかし、この映画の見所はそこではない。あくまでも銃撃戦やマーシャルアーツによるアクションが見せ場なのだ。分かりやすすぎるCGによるヘリコプターのシーンや建物崩落のシーンとは裏腹に、ここで登場する銃火器はそれっぽく作られている。しかも、撃たれた時に飛び散る血(血のり)は基本的にCGではない。この点もリアルさが追求された演出になっている。格闘シーンもしっかりしていて、大人の俳優だけではなく、出演している子供達も「カンフーマスター」なのだが、見ていて楽しい。「皆、足が長いなー」と子供達に感心した。だから彼らがキックを繰り出すと、とても決まって、カッコいいのだ。

 

 ちなみに、今さらながらストーリーを説明すると、このような感じである。

 ギャングの一味、Tiger Mafiaの極悪ボスMr. Big(でも小人である)は、子供を犠牲とすることによって建物を完成させる(日本の人柱的な?)ことを思いつき、部下達に子供達をさらって来るように命じる。兵士である主人公の娘も誘拐され、その時の銃撃戦で妻も殺されてしまった。月日は流れ、今や狂人としてゴミ捨て場で暮らす主人公のそばで、また一人の少年が誘拐される。少年の父親に助けを求められた主人公は、ついに復讐のため我が子を取り戻すため、立ち上がる。一方、誘拐された子供達も、大人顔負けの格闘能力を頼りに、脱出の機会を伺っていた。(なお、Mr. Bigが小人であるということが、ラストで効いてくる。)

 

 ところで、「狂人」になって以降の主人公は、派手なズタボロの出で立ちになるのだが、屈んで丸くなって背中を向けていると、そこら辺にある瓦礫の山と一体化することができる。この、ゴミ捨て場ファッションを利用した擬態シーンは一瞬だけなのだが、私には妙に面白かった。そんなことあんなこといろいろあり、チャーミングな映画だったなぁと思ったのだった。2020611日)

 

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