Sunday, 2 May 2021

『映画』Last and First Men(最後にして最初の人類)

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Last and First Men(最後にして最初の人類)」・・・間違っていても気づかない

公開年: 2020

製作国: アイスランド

監督: Johann Johannsson(ヨハン・ヨハンソン)

原作: Olaf Stapledon(オラフ・ステープルドン)

ナレーション: Tilda Swinton(ティルダ・スウィントン)

見た場所: The Projector

 

 「Last and First Men(最後にして最初の人類)」は、オラフ・ステープルドンによる1930年の同名のSF小説を原作とした作品で、音楽家ヨハン・ヨハンソン初の監督作にして遺作となった。元は、ティルダ・スウィントンのナレーションが入った16ミリフィルムのモノクロ映像———主に旧ユーゴスラビアが建てた第二次世界大戦等にまつわる記念碑群———とともに、ヨハンソン作曲のスコアをオーケストラがライブ演奏するという作品で、ヨハンソンの死後、映画版として完成されたものである。原作小説から起こしたナレーションは、ヨハンソン自身とJose Enrique Macianによって作成された。

 

 

 COVID-19のパンデミックで、2020年は開催されなかったSingapore International Festival of ArtsSIFA、シンガポール国際芸術祭)だが、シンガポールのCircuit Breaker(セミ・ロックダウン)が段階的に緩められるのにともない、(当初の規模に比べれば)ごく一部ではあるが開催され、「Singular Screens」という映画上映プログラムも、観客数を限って行われたのだった。「最後にして最初の人類」はそのプログラムの一本で、私は103日に、会場のAsian Film ArchiveにあるOldham Theatreに見に行ったのだった。

 

 それはそれで済んでいたのだが、それから一ヶ月半ほどした後、チケット販売会社からメールが来た。いわく、今回の上映に使われたプリントには誤りがあった、と。特に顕著な誤りとして、同じナレーションを繰り返してしまっている。この問題はテスト上映の時にすでに認識されていたものの、そのまま上映してしまった。しかし、確認したところ、この映画のデジタル・プリントを作成した現像所が失敗コピーを渡したということがわかった。SIFAと配給会社(シンガポールのAnticipate Pictures)は、この見過ごしに対して深くお詫び申し上げる。そして、(いわゆるミニシアターである)The Projectorでの上映に無料でご招待するので、申し込んでほしい。もしこちらで指定した上映日に都合がつかないようであれば、配給会社がプライベート・スクリーニングのリンクをお送りする。また、今回のチケット代金を全額返金するので、チケット販売会社が後ほどその詳細をご連絡する。今後はこのようなことが起こらないよう、ベストを尽くしていく所存である、とのことだった。

 

 えっ......そうだったん?実は、Oldhamでこの作品を見た時、睡魔と戦うのが非常に大変だった。奇妙な建造物が映っているモノクロ映像に、(英語なので尚のこと)よくわからん奇天烈な未来の人類の世界が語られ、そこに「ワァ〜ワァ〜、ワァ〜ワァ〜」という壮麗な音楽。見ていてストーリーに引き込まれるとかスリルを感じてわくわくするとか、そういう映画では全くない。しかも、ティルダ・スウィントンのナレーションは、最後の人類がどのような形状か等について述べる辺りまで来ると、そこでまた最初に戻ってしまう。結局、都合三回、同じ話を聞いた。そして、そういうものだと思っていた。ティルダ・スウィントンのナレーションは未来の人類が現在の我々に語りかけているという体なので、針が飛んだレコードのように同じことを繰り返しているのを、「未来からの交信が上手くいかない」ということを意味しているのかと思ったのだ。それで実際に同じ話を繰り返すという、実験映画的な試みなのだと。そうじゃなくて、単なる間違いだったのね......

 

 というわけで、最初に見た時眠かったけど、せっかくなのでもう一回見に行ったのだった。前回は丸腰で見に行ったので、SF小説の映像化という作品紹介からは予想外の退屈さ(!)に参ってしまったのだが、今度はもうどんなものかが事前にわかっているので、大丈夫。眠くなるであろうことに心構えができていたので、かえってそれほど眠くはならなかった。前回のように同じ話を繰り返すわけではなく、ティルダ・スウィントンの語りは進んでいき、結末もちゃんとあった。

 

 

 さて、映像の中核をなす記念碑群は、コンクリート作りと思われ、様々な角度と様々な遠近で撮影されている。山々のような自然を背景に、奇妙でありながら無機質で静謐な雰囲気を醸し出しており、その映像は美しい。このモニュメントの映像はモノクロだが、暗黒空間に緑色のライトが点滅する映像も時おり挿入される。そうした映像と、神秘的なヨハンソンの音楽が、ティルダ・スウィントンが語る独特な未来世界に対するイメージを喚起している。ティルダは第18期の人類(最後の人類)として、現在の我々(第1期の人類)に語りかける。18期人類は我々の助けを求めており、海王星に住む彼らの形状(もはや我々とは似ても似つかぬ種になっている)、生態、社会等を説明する。この18期の人類の世界は、今から20億年後くらい......「法華経」の百千万億那由他みたいで、あまりにスケールが大きすぎて、なんかクラクラしてくる。

 

 

 原作を知っていればそうは思わないだろうが、そうでないと、「いったいこれは......」という驚きを抱かせられる。ナレーションだけで成り立っている作品という形式に対してではなく、その語っている内容に、想像力の飛翔に。しかしその一方で、様子や状況が淡々と語られているだけの作品でもある。映像は美しく、音楽は多様ではあるものの、筋運びに起伏があるわけではない。かしこまって見ていても(原作やヨハンソンの音楽に特別な興味があれば別だが)、眠くなってしまうのは仕方がないような気がする(自己を正当化するが)。いわゆる「映像詩」と呼べなくもないが、元々がオーケストラのライブ演奏とともに成り立っていた作品であることを考えると、この「Last and First Men」は、イベント的な映画であると思う。つまり、ビール片手に友達と一緒に、大音量で大スクリーンで見て、その音楽と映像に酔いしれる。そんなようなことが楽しい映画なのではないかと。そう考えると、映画館で見たものの、一人でひっそりと見た私の鑑賞方法は、ヨハンソンに対していささか地味であったかと。2021319日)

Saturday, 20 March 2021

『映画』The Last Artisan(最後の職人)

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The Last Artisan(最後の職人)」・・・「自分にとってハウパーヴィラが全てであったということだ」

公開年: 2018

製作国: シンガポール

監督: Craig McTurk

見た場所: 自宅(有料動画配信)

 

 COVID-19の大流行により大打撃を受けている映画館だが(シンガポールでは現在も座席数が限られた形での興行であり、9月時点で一会場最大50人までの入場)、映画館側の試みとしてオンデマンド配信を行っている所もある。The Projectorはかつてのインド映画(だったと思うが)上映館を改装して5年くらい前から興行している、日本で言ういわゆる「ミニシアター」である。シンガポールでCircuit Breaker(セミロックダウン)が発令されて、全てのエンターテイメント施設が一時閉鎖された時から、The Projectorは「The Projector Plus」というオンデマンド配信を進めてきた。映画館で興行できるようになった現在も絶賛配信中で、映画館の方では上映されていない作品をレンタルすることができる。この「The Last Artisan」というシンガポールのドキュメンタリー映画も、The Projectorのオンデマンド配信でレンタルしたのだった。

 

 

 Haw Par Villa(ハウパーヴィラ)はシンガポールの歴史あるテーマパークである。元々は、ビルマ出身の中華系実業家Aw Boon Haw(胡文虎)が、弟のAw Boon Par(胡文豹)のために建てた邸宅のあった所で、その敷地はシンガポール海峡を見下ろす丘を占めていた。ハウ(Haw、虎)とパー(Par、豹)のヴィラ、ハウパーヴィラである。兄弟は、シンガポールのお土産としても有名な軟膏、タイガーバームの製造販売で財を成した実業家であり、この公園もかつて「Tiger Balm Gardens(タイガーバームガーデン)」と呼ばれていたことがある。

 

 さて、1937年にヴィラの敷地は一般に開放されるようになり、以来、Aw Boon Hawの中国文化と神話に対する情熱に基づいて、園内が造成されていった。第二次世界大戦中、シンガポールを占領した日本軍によって、ハウパーヴィラは監視ポイントとして接収されていたが、戦後再びAw Boon HawAw家の人達によって公園の再建が進められた(弟Aw Boon Parは戦時中に亡くなった)。

 

 こうしてハウパーヴィラは、およそ1,000体の彫像と150ものジオラマが、中国の文化・神話・民話・文学をその独特すぎる造形とヴィヴィッドな色使いで再現する、一大テーマパークとなった。Singapore Tourism Board(シンガポール政府観光局)が運営を引き継いで以来、紆余曲折を経て、現在は無料で一般に開放された公園として親しまれている。マリーナ・ベイ・サンズだのユニーバサル・スタジオ・シンガポールだのの派手な観光地の影に隠れ、「B級」「珍名所」などという位置づけになってしまっているハウパーヴィラだが、しかし1970年、80年代頃までは、特に家族連れに人気のメジャーな観光施設であったという。

 

 私も2013年に訪れてみたが、意外にも(というと失礼だが)、「珍名所」という言葉から連想されるような廃れた感じはしなかった。確かに、入場者もまばらな、静かな公園ではある。レストランや土産物店といった観光地っぽい施設も特にない。往時は賑わったのだろうな(でも今は・・・)、と思わせる雰囲気を醸し出してはいる。醸し出してはいるが、でも、見捨てられた公園ではなかった。というのも、公園内のそこここにある彫像やジオラマの中に、明らかに新しく塗り直されたものがあり、公園全体がメンテナンスされていることが窺われるからである。洋服を着た変な動物達も、どうしてこういう表現になったのかよくわからない民話の一シーンも、まだその生命を保っているのだ。

 

 さて、えらい長い前振りであったが、この「The Last Artisan」というドキュメンタリー作品は、ハウパーヴィラで彫像達を塗り直してメンテナンスしている老人が主人公なのである。Mr. Teo Veoh Seng(テオ・ヴェオセン)は、83歳。今から70年ほど前の、第二次世界大戦後まもなくの頃、父が職人として働いていたハウパーヴィラで、テオ氏は見習いとして働き始めた。13歳の時であった。以来働き続けて70年、今やテオ氏は、ハウパーヴィラ創設初期を知る最後の職人となった。80歳を越えても毎日ハウパーヴィラに通い、8.5ヘクタールある広大な園内で、彫像やジオラマをメンテナンスしている。今日、決して高給ではないうえに野外での肉体労働となる仕事には、シンガポール国内で後継者を見つけることができず、テオ氏の他には、中国から採用された弟子が一人いるだけである。(ただし、テオ氏の退職が近くなった時、もう一人、やはり中国から採用された。)映画は、いよいよ退職の日を迎えるテオ氏の、職場での最後の日々とこれまでの思い出を描いている。本人や周囲の人へのインタビューだけではなく、それを元に作られたアニメーションも交え、見る人がイメージを掴みやすいように作られている。

 

 

 職人にもいろいろなタイプの人がいると思うが、テオ氏は基本的には弟子を誉めない。叱ってるんだか教えてるんだかという感じで、弟子の仕事にあれこれ言う、口やかましいタイプのじいさまである。しかし、これにはそれなりの理由もある。刻々と退職の日は近づいているのに、弟子はなかなか一人前にならない。結局、退職の後も、テオ氏はパートタイムで弟子達の指導を続けることとなる。しかし、第一線からは退いたわけで、それは仕事一筋であったテオ氏にとって、大きな変化であった。退職前、テオ氏の娘さんは、退職後の父にやることがなくなるのではないかと心配しているが、その心配はわりと当たっていた。ハウパーヴィラに行っていない時のテオ氏は、自宅で4-Dくじ(注1)をせっせとしてみたり、近所のコーヒーショップ(注2)でコピ(注3)を前にぼんやりと座ってみたりしている。見ている方としては、「ようやくゆっくり休めるようになって良かったですね」と言い難い、ちょっと微妙な気持ちになる。

 

 テオ氏は、奥さんとの間に8人の子供を儲け、末広がりの大家族を築いている。チャイニーズニューイヤー(旧正月)の家族の集まりともなれば、それは大変な賑わいである。この作品では、テオ氏の仕事だけではなく、彼の個人史とハウパーヴィラの歴史、そしてシンガポールの歩みまで描かれている。テオ家の発展が、イギリスの植民地から日本の占領支配、大戦後の独立とその後の経済成長というシンガポールの歴史と重ね合わせられている。・・・のかどうかわからないが、いささか盛り込み過ぎな気がしなくもない。確かに、民間人にも関わらず故なく日本軍に殺されたテオ氏の祖父の話や、中国からいわゆる出稼ぎに来ている弟子達の話など、興味深いものは多い。しかし、テオ氏に焦点を絞って70分くらいの作品にした方が良かったのではないかと思う(実際には90分の作品だった)。見ていると、テオ氏の人生を描いているのか、ハウパーヴィラという希有な施設を紹介したいのか、それともテオ氏やハウパーヴィラを題材としてシンガポールの過去と現在を俯瞰したいのか、若干わからなくなってくる。

 

 この映画の本来の肝は、「work hard(懸命に働く)」ということにあると、私は思う。作品の最初の方、シンガポールの歴史に触れるくだりで、昔のRun Run Shaw(ランラン・ショウ)へのインタビュー映像が挿入される。1920年代に映画製作会社を始め、Shaw Brothersという香港、東南アジアをまたぐ一大映画王国を築いたショウ兄弟の一人にして、シンガポールにかつてあったMalay Film Productions(マレー・フィルム・プロダクションズ)のプロデューサーだったランラン・ショウが、巨万の富を築いた成功の秘訣を聞かれて、こう答える。

 「work hard、ただそれだけだ。」

 その後の字幕で、この「work hard」は、シンガポール人の基本的な通念、理想となったことを説明している。そうかもしれない。しかし、この「work hard」の意味合いは、人種によって(シンガポールには中華系だけがいるわけではないので)、さらには各人によって、違ってくるのではないかと思う。インタビューに対するランラン・ショウの答えを端的に要約すると、一生懸命働けば成功して金持ちになれる、ということだろう。「work hard」は金をもうけることと直結しており、それは多くの人にとってそうだろうと思う。テオ氏もまた、「work hard」という言葉を口にする。しかし、この「work hard」は、単に金を生み出すための方法であることを越えて、一人前の仕事をすることで自分と家族の生活を支えるという必死さをにじませたもののように思える。

 

 作中でテオ氏は、子供に関して罰金、罰金と言っているが、これは、シンガポール政府が1970年代に人口抑制策の一環として導入していたTwo-Child Policyに関係していると思われる。かつてシンガポールでは、子供は二人で十分とされ、三人目の子供からは様々な費用が余計にかかった。(例として、政府系の病院での出産費用が高くなる、三人目の子供について所得税の扶養控除額が減る等々。)それでなくても、八人の子供を育て上げるのは大変だったろう。作中では触れられていないのだが、他にもっと収入の良い勤め先があったら、テオ氏だって転職したいと思った時期があったかもしれないのだ。

 

 別にテオ氏は、ハウパーヴィラがすごく好きでこの仕事を始めたわけではない。そしてハウパーヴィラは歴史的文化遺産でも何でもない単なるテーマパークだったわけだから、この仕事が(技術を必要とされても)いわゆる伝統技術を継承するものであるわけでもない。ハウパーヴィラの盛衰の中、まさに一職人として、普段誰にも顧みられないような仕事で「work hard」し続け、結果的には、この希有な公園が次の世紀まで人々に愛される場所となるに大きな寄与をした。最後にはあの広大な園内を、自分とわずかな弟子達で支えきった。それがテオ氏の、ハウパーヴィラでの仕事であり、生き様であった。映画の終盤、テオ氏は塗りを確かめるように彫像達を優しく撫でながら、園内を歩いて回る。それはもう何年も何十年もしてきたことであろう。このシーンにかぶさるテオ氏の言葉、

 「私はここで70年働いてきた。それは私にとってハウパーヴィラが全てであったということなのだ。」

 ハウパーヴィラで働き始めた13歳の時、テオ氏はこの人生を予想し得ただろうか?この瞬間、私は人生というものの不思議、そして人間の不断の努力というものに感じ入った。だからこそ、この映画はテオ氏のハウパーヴィラ人生にもっとフォーカスすれば良かったのにと、少し残念になったのだった。20201014日)

 

    注1 4-Dくじ: 0000から9999までの四つの番号を自分で選ぶ宝くじ。シンガポールで人気がある。

    注2 コーヒーショップ: 「コーヒーショップ」というが、ホーカーセンターに近く、飲み物だけではなく食事も売る。ただ、ホーカーセンターのような独立した建物ではなく、団地の一階などに設けられていることが多い。通常正面の壁がないので、良く言えばオープンテラス式。

    注3 コピ(Kopi): シンガポール、マレーシアの伝統的なコーヒーで、独特の香りを持ち、濃い。コーヒー豆はマーガリンを加えてローストする。練乳または砂糖と無糖練乳が入っているものが基本。

 

 以下は2013年5月19日に私がハウパーヴィラで撮った写真。ご参考までに。

 

丘に沿って公園が作られている。






有名な"Ten Courts of Hell"(閻魔大王の地獄の様子を描写した展示)に至る道